LOVE'S PHILOSOPHYシリーズ番外編

        悲しみのキズ

 

           後 編                  







     「あんのおおおおお、無能ぅううううううううう!!」
     にこやかに、婚約者と称しているノルディック中将の
     愛娘と談笑している、ミハエルに、扉を僅かに開けて、
     様子を伺っているソフィアは、ギリリリと歯軋りをする。
     と同時に、ピシリとドアに亀裂が走る。その横では、
     同じように、剣呑とした眼をミハエルに向けて、
     ホークアイが、どこからか出した銃を手入れしていた。
     「外出から戻ったら、先ほどまでの態度を一変させて、
     急にノルディック中将のご令嬢との結婚を承諾される
     なんて・・・・・。」
     今から血祭りに上げてきますと、ジャキッと銃を構える
     姿は勇ましい。
     「しかも、三日後に挙式!?信じられないわ!!
     もう、あんな馬鹿息子なんて知りません!エドワード
     ちゃんがお使いから戻ったら、一刻も早く此処を
     出ましょう!」
     記憶を失っても、さすが我が息子!最愛の妻は
     覚えているのねと感動していた自分が馬鹿らしい。
     こうなったら、ロイなど見捨てて、エドワードと
     孫達を、家に連れて帰ろうと、ソフィアは思った。
     「そうよ!これからは、エドワードちゃん達と幸せな
     毎日が始まるのよ!こうしてはいられないわ!
     早く荷物を纏めましょう!」
     ウキウキとした足どりで、さっさと自室に戻る
     ソフィアを、ホークアイは羨ましそうに見送る。
     ロイという接点がなくなった今、エドと自分を
     繋ぎ止める事が出来なくなる。
     「マスタング中将〜。絶対に思い出してもらいますから。」
     ソフィアには、悪いが、こうなったら、意地でもロイに
     記憶を思い出してもらおうと、ホークアイは決心する。
     「でも、その前に、エドワードちゃんをどうにかしないと。」
     いくら記憶を失っていると分かっていても、自分の夫が
     他の女性と結婚するとなれば、エドワードがかなり
     傷付くのが、容易に想像できる。
     唯でさえ、ここ一連の事件で、エドはかなり精神的に
     参っているのだ。今回の事を知れば、絶対に倒れる。
     「とりあえず、エドワードちゃんをソフィア様と共に
     ここから出すのが最良ね。」
     その後、ロイに制裁、もとい、記憶を取り戻してもらおう。
     フフフと笑いながら、ホークアイは銃をホルダーに
     戻した。だが、その日からエドワードがルーフェルト邸に
     戻ってくる事はなかった。




     「ああ!もう!何がどうなっているんだか!!」
     エドワードが戻ってこなくて三日後、既に
     ミハエルとノルディック中将の娘の結婚式当日に
     なっていた。メイドとして潜入しているソフィアを
     ホークアイは、ここ数日忙しい日を送っており、
     加えて、エドが行方不明になっている事からも、
     押さえようもない怒りが漲っていた。
     「こうなったら、ロイに無理矢理にでも記憶を
     取り戻してもらって、エドワードちゃんを探させるわよ!!」
     「了解です!!」
     ただのメイドの行方不明としてではなく、中央司令部
     勤務のロイ・マスタング中将夫人の行方不明では、
     扱いが違う。秘密裏に、ハボックに命じてエドの行方を
     探させていたが、未だに見つかったという連絡はない。
     こうなっては、公開捜査に踏み切るしかない。その為には、
     何としてもロイの記憶を取り戻すしかないのだ。
     二人は、ドアを蹴破る勢いで、花婿の控え室となっている、
     教会の一室に、足を踏み入れる。
     白いタキシードを着たミハエルが、慌てて何故か
     新婦の控え室にいるはずの花嫁を背に庇い、突然の
     侵入者であるソフィアとホークアイを厳しい眼で凝視している。
     その様子に、カッと頭に血が上ったホークアイは、
     無言で銃を構えるが、何故かソフィアがそれを手で制する。
     「ソフィア様?」
     自分と同じくロイに報復、もとい、記憶を取り戻そうとしていた
     はずのソフィアが自分を制するのだから、ホークアイは
     訝しげにソフィアを見る。しかし、ソフィアはただじっと
     鋭い視線をミハエルに向けるのだった。





     「あと1時間ね・・・・。」
     教会の控え室では、ロザンナが、満足気に時計を
     見つめていた。
     「一時はどうなることかと思ったけど、これで
     全てがうまくいくわ。」
     ロザンナは、ゆっくりと椅子から立ち上がると、
     そっと窓の外を見つめる。
     コンコン
     そんな時、扉を叩く音が聞こえ、ロザンナは
     振り返る。
     「失礼致します。奥様。中央司令部よりお越しの
     お客様が、是非ご挨拶なさりたいと・・・・。」
     花嫁の父親は国軍中将の地位にある。
     その関係で、中央司令部から祝いの使者が
     来たのだろうと思い、ロザンナは上機嫌で
     ここに通すように命令する。
     「本日は、おめでとうございます。」
     軍の礼服を身に纏った黒髪の男が、
     ピンク色のスーツを身に纏った可憐な
     少女を伴って現れた時、ロザンナは
     驚きのあまり、倒れそうになった。
     「ミハエル!?一体何の冗談なのです!!」
     今日、結婚式を行うはずである自分の息子の姿に、
     ロザンナは顔を真っ赤にさせて叫ぶ。よく見ると、
     男の後ろにいる少女は、数日前に新しくメイドとして
     入ったエディス・カーティスと気づき、唇を噛み締める。
     ノルディック中将に頼んで始末したと思ったのだが、
     どうやら、生きていたらしい。
     ”でも、まさか私が命じたとは思っていないはず。”
     ロザンナは、コホンと咳払いをすると、ニッコリと
     微笑む。
     「ミハエル。あまり驚かせないで頂戴。さあ、早く
     着替えなければ。今日はあなたの・・・・。」
     「失礼ですが。どなたかとお間違えのようですね。」
     ロザンナの言葉を遮ると、男は漆黒の瞳を細める。
     「私の名前はロイ・マスタング。地位は中将。
     そして・・・・・。」
     ロイは、そこで言葉を区切ると、後ろにいる少女の
     肩を抱き寄せると、幸せそうな顔で言った。
     「彼女の名前は、エドワード・マスタング。私の妻だ。」
     その言葉に、ロザンナは、眼に見えて狼狽する。
     「妻!?何を言って・・・・・。」
     ロイ・マスタングに妻など、聞いていない。
     独身だと思ったからこそ、自分はノルディック中将の
     企みに乗ったのだ。
     「ノルディック中将のお嬢さんとの結婚を承諾したのは
     あなたでしょう!?それを今になってこんな茶番を
     仕組んで!!」
     ヒステリックに叫ぶロザンナを、ロイは冷やかな目で
     見据える。
     「茶番を仕組んだのはあなたでしょう?息子のミハエルと
     ノルディック中将の娘の結婚、いや、あなたにとっては、
     別にノルディック中将の娘でなくても構わなかった。
     身分のある娘ならば、誰でも良かったのだ。そこに
     息子の気持ちがなくてもな。」
     吐き捨てるようなロイの言葉に、ロザンナの顔が
     引き攣る。そんなロザンナに、ロイは容赦のない言葉を
     浴びせる。
     「だが、息子が駆け落ちしたのは、誤算だった。
     このまま結婚が白紙になると諦めていた時に
     現れたのが、息子と瓜二つの私だ。
     どうしても、息子と元メイドの結婚を許せないあなたは、
     ノルディック中将の甘言に乗ってしまった。
     つまり、薬で記憶を奪い、私を息子の身代わりとして、
     結婚させてしまえば良いと。」
     「何故!?まさか、記憶が!?」
     「愛の力だ!!」
     愕然となるロザンナに、ロイは勝ち誇った笑みを浮かべる。
     「ば・・・馬鹿!!何恥ずかしい事を言ってんだ!!」
     踏ん反り返っているロイの背中を、エドは真っ赤な顔で
     バシバシと叩く。じゃれ合う、馬鹿ップル夫婦の様子に、
     顔面蒼白でわなわなと震える、ロザンナは、
     ロイの後ろにいるエドをきつく見据える。
     「あなた・・・・のせいね・・・・。」
     エドを見据えたまま、ロザンナは、ゆっくりと
     右手を左手に持っているバックに伸ばすと、中から
     一丁の拳銃を取り出す。
     その様子に、ロイは慌てる風もなく、ゆっくりと
     ロザンナからエドを隠すように、一歩前に出た。
     「そして、何よりも許せないのは、エディの
     命を狙った事だ!!」
     ロイは、殺気を隠そうともせずに、ゆっくりと右手に
     発火布を嵌める。それに驚いたのは、エドだった、
     エドは慌ててロイを止めようとするが、ロイは
     無言でエドを背に回すと、右手をロザンナに翳す。
     「ロイ!!落ち着け!!」
     「エディ。私は絶対にこの女を許せないんだ!!」
     いくら君の頼みでも、聞けないと暗い眼で言い切る
     ロイに、エドはゾクリと背筋を凍らせる。
     「ロ・・ロイ・・・。駄目だ・・・・。駄目だよ・・・。」
     恐怖でガタガタと震えながらも、それでも何とか
     ロイを止めようと、エドは健気にもフルフルと首を
     横に振る。
     「お待ち下さい!マスタング中将!!」
     一触即発に事態に、荒々しく入ってきたのは、
     白いタキシードに身を包んだ、本物のミハエルだった。
     「奥様!!」
     そのミハエルの後ろには、純白のウエディングドレスを
     身に纏った、ブラウンの髪の美女が、心配そうな顔で
     ロザンナを見つめる。その更に後ろには、メイド服姿の
     ソフィアとホークアイが続く。
     「ミ・・・ミハエル・・・!?」
     突然現れた息子に、ロザンナはホッと安堵の息を洩らすが、
     花嫁が、息子の駆け落ちの相手である、ライサで
     ある事に気づき、眼を細める。
     「ライサ・・・お前、よくもミハエルを誑かして!!
     一体、どういうつもりで、私の前に姿を現したと
     いうのです!!ソフィー!エリザベス!ライサを
     ここから追い出しなさい!!」
     叫ぶロザンナから庇うようにして、ミハエルは
     ライサと母親の間に立つ。
     「ソフィー!エリザベス!!」
     命令に従わない、メイドに、ロザンナは、更に表情を
     険しくさせる。だが、メイドの二人は、不敵な笑みを
     浮かべると、ミハエル達を守るように、ロザンナと
     対峙する。メイドの内の一人が銃を構えている事に、
     ロザンナは、この二人も敵であると漸く認識したようだ。
     悔しそうに二人を見据えた。
     「あなた達は・・・!!」
     ギリリと睨みつけるロザンナに、メイドの一人、
     ホークアイは、銃をピタリとロザンナに向けたまま、
     冷やかな眼で見据える。
     「私の名前は、リザ・ホークアイ。ロイ・マスタング中将の
     部下です。」
     ホークアイの言葉に、ロザンナは視線をロイに向ける。
     「・・・・そう。そういうことなの。最初から、我が
     ルーフェルト家を潰すために、仕組まれた事なのね!!」
     ククク・・・と笑い出すロザンナに、ズイッと近寄ったのは、
     ソフィアだった。彼女は、ツカツカとロザンナの前に
     やってくると、高く手を掲げて、思いっきり振り下ろした。
     バチーーーーーン
     一瞬、自分が何をされたのか分からず、ポカンと
     なったロザンナだったが、ジンジンとくる頬の痛みに、
     自分がメイドに頬を打たれたと気づき、反射的に
     ソフィアに、手を上げる。
     スカッ。
     手加減なく頬を叩いたつもりが、ロザンナの動きを
     読んでいたソフィアは、難なく彼女の攻撃を交わすと、
     ニヤリと笑う。
     「フッ。この程度の攻撃をかわせないようでは、ロイ・
     マスタングの母親は名乗れないわ。」
     「母・・・お・・・や・・・・?」
     唖然となるロザンナに、ソフィアは、スッと蔑むような眼を
     向ける。
     「私は、ソフィア・マスタング。あれの母親よ。」
     よくも息子を奪ってくれたわね!!と、指をボキボキ鳴らす
     ソフィアに、ロザンナは、絶叫すると、慌ててソフィアから
     逃げようとする。
     「だ・・・誰か来てぇえええええ!!」
     恐怖のあまり、足が縺れて倒れ込みながら、ロザンナは、
     助けを求めるが、誰も来ない。それが、余計にロザンナの
     恐怖心を煽り、ガタガタ震えながら、縋るように、息子に
     手を伸ばす。
     「ああ!!ミハエル!!この人達を、早く追い出して!!」
     だが、ミハエルは、ギュッと唇を噛み締めると、辛そうに
     母親を見る。
     「母上。罪を償いましょう。」
     息子の言葉に、ロザンナは、信じられないと首を
     横に振る。
     「わ・・私は知らないわ!!何もしていない!この人達が
     勝手に、ルーフェルト家を陥れようと・・・・。そうだわ!
     ノルディック中将は!?どこにいるの!!仮にも
     ノルディック中将と親戚になる私に、このような事をして、
     只ですみませんわよ!!」
     わなわなと震えるロザンナに、ミハエルは叫ぶ。
     「母上。何度も言うようですが、私の妻は、ライサ
     ただ一人です!ノルディック家の令嬢とは結婚致しません!!」
     「なっ!!」
     息子の言葉に、ロザンナは絶句する。
     「何を言っているの!!ノルディック中将のお嬢さんの
     どこが不満なのです!!」
     身分も家柄も申し分ないでしょう!!と叫ぶロザンナに、
     ロイはニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。
     「ああ、言い忘れていましたが、ノルディック中将は、昨日
     逮捕されましたよ。」
     「なっ!?」
     ロイの言葉に、ロザンナは、信じられないと首を横に振る。
     「財力にモノを言わせて、かなり悪どい事をしていたようです。
     人身売買、恐喝、軍の私物化など、叩けばいくらでも埃が
     出る人物ですよ。まぁ、最大の罪は、私の拉致とエディ・・・
     マスタング中将夫人暗殺未遂ですがね。」
     もう、彼ら一族の命運はつきています。とロイは
     不敵に笑う。
     「そんな・・・馬鹿な・・・・・。」
     がっくりと肩を落とすロザンナに、ロイはツカツカと
     歩み寄る。
     「さて、ご同行願いましょうか。ルーフェルト夫人。」
     ロイはロザンナを連行しようと、手を伸ばすが、ロザンナは
     その手を払いのけると、ミハエルに微笑みかける。
     「そうよね・・・。ノルディック家は成り上がり者ですもの。
     もともと我がルーフェルト家に相応しくなかったのよ。」
     フフフ・・・と笑うロザンナに、ミハエルは驚きに眼を瞠る。
     「母・・・う・・・え・・・?」
     尋常でない母の様子に、ミハエルは慌てて駆け寄ろうとするが、
     それをロイが止める。
     「中将!!」
     ミハエルの咎める視線を無視すると、ロイはロザンナに
     視線を向けた。ロイの視線の先では、ロザンナが、ふらふらと
     立ち上がるところだった。
     「でも、我がルーフェルト家に相応しい娘は、まだいますわ。
     市長の孫娘は、確かあなたと同い年よね。ミハエル。
     彼女でも・・・・。」
     「母上!!いい加減にして下さい!!」
     我慢できなくて、ミハエルは叫ぶ。そんな息子の様子に、
     ロザンナは、ただクスクスと笑うだけだ。
     「ホホホ・・・・。ミハエルったら、そんなに焦らなくても
     大丈夫よ。この母がルーフェルト家に相応しい花嫁を
     見つけてあげるから。」
     ニコニコと微笑むロザンナを、ロイはただじっと見つめる。
     「・・・・息子の幸せを考えないのか?」
     ロイの言葉に、ロザンナは、可笑しそうに笑う。
     「何を馬鹿な。愛などと、そんな不確かなものが、何だと
     言うのです。ルーフェルト家の繁栄こそ幸せに繋がるのです!」
     「・・・・・あなたは、それほど家が大事なのですか。」
     侮蔑とも見えるロイの冷たい眼差しに、ロザンナは
     一瞬辛そうな顔を見せるが、直ぐに勝気な瞳を
     ロイに向ける。
     「そうよ。私も、私の母も、全てそうやってこの家を
     守ってきたわ。」
     ロザンナは、一歩前に進むと、今だ手にしたままの
     拳銃を、迷う事無くロイに向ける。
     「ロイ!!」
     慌ててエドがロイを庇おうと、動こうとした所、後ろから
     ソフィアがエドの肩を掴む。
     「お・・・お義母さん!!ロイが!!」
     何故邪魔をするのかと、懇願するように自分を見る
     エドに、ソフィアは微笑みかけると、一変厳しい
     表情で、ゆっくりとロザンナに近づく。
     「・・・・・さっきから聞いていれば、あなたは、
     母親としての自覚はないようね。」
     ソフィアは、エドをロイに任せると、腰に手を当てて
     ニヤリと笑う。
     「そんなに家だけが大事なら、あなたの息子は、私が
     貰っても宜しいわね。」
     「なっ!!何を馬鹿な事を!?」
     あなた、正気?と嘲るように、ロザンナは、ソフィアを
     見る。そんなロザンナに、ソフィアは、それはそれは
     優しそうな笑みを浮かべる。
     「うちの馬鹿息子と顔が似ているのは、何かの縁ですもの。
     それに、ライサさんも、とても良い娘さんだわ。」
     そう言って、ソフィアは、固く手を取り合って、事の成り行きを
     見守っている、ミハエルとライサに笑いかける。
     「私は二人の結婚に大賛成。どう?私の息子にならない?
     ミハエル。」
     ソフィアの行き成りな発言に、一同唖然とする中、
     ミハエルは、悲しそうに首を横に振った。
     「お申し出は有難いのですが・・・・私の母はただ一人です。」
     迷いのないミハエルの言葉に、ソフィアは、何かを見定める
     ように、ミハエルを見つめる。
     「あなたより、家を大事にするような母親でも?」
     「それでもです。」
     キッパリと言い切ると、ミハエルは、ソフィアから戸惑った顔の
     ロザンナに、視線を向ける。
     「母上・・・・・。だから、私は、ライサとの結婚をあなたに
     認めて貰いたいのです。」
     息子の真摯な姿に、ロザンナは、顔を真っ赤にして
     叫ぶ。
     「あなたは、その女に誑かされているのです!何故
     それが分からないのですか!!きっと財産目当ての・・・。」
     「母上!!」
     ロザンナの言葉を、鋭く遮ると、ミハエルは、悲しそうな目を
     向ける。
     「我が家に財産が殆どないことは、母上もご存知のはずです。」
     その言葉に、エド達は息を呑む。まさか、ノースシティでも
     1・2を争うほどの貴族であるルーフェルト家に、財産が
     ないなどと、思いもしないことだった。エド達の困惑に、
     ミハエルは自嘲した笑みを浮かべる。
     「父が事業に失敗して、多額の借金を残したのです。
     今まで、何不自由なく過ごしてきた私は、恐ろしさの
     あまり、自殺をしようとしたほどです。」
     「ミハエル!?」
     ミハエルの言葉に、ロザンナはギョッとなる。
     そんな話は知らないと、青褪めるロザンナに、ミハエルは、
     穏やかな笑みを浮かべる。
     「本当です。何もかも嫌になって、自殺をしようとした。
     ・・・・そこを救ってくれたのが、ライサです。」
     「ライサが・・・?」
     ロザンナは、ゆっくりとミハエルからライサに視線を移す。
     「ええ。ライサに殴られました。死ぬ気があるのならば、
     何故努力をしないのかと。生きたくても生きれない人が
     いるのに、どこまであなたは、贅沢な人なのかと、それは
     派手に怒られました。」
     ミハエルは、照れたように頭を掻くと、愛しげにライサを
     見つめる。
     「生きていれば、色々な事がある。でも、生きて努力をすれば、
     幸せになれるのだと。ライサは私に教えてくれた。
     ライサに支えられて私は事業を徐々にですが、建て直しを
     しています。」
     そこで言葉を切ると、真剣な瞳で母親を見据える。
     「今、この場にて、私はルーフェルトの名前を捨てます。」
     「ミハエル!!」
     キッパリと宣言するミハエルに、ロザンナは、眼を見開いて
     絶叫する。
     「嘘!嘘よ!!こんな事って!!」
     ああ!!と床に倒れ込む、ロザンナを、慌てて支えたのは、
     ライサだった。
     「奥様!!しっかりして下さい!!」
     ライサの言葉に、ロザンナは、感情の篭らない眼をゆっくりと
     ライサに向けると、スッと眼を細めて、銃を向ける。
     「ライサ!!」
     慌ててミハエルがロザンナを止めようとするが、その前に、
     ライサはミハエルを眼で制する。
     「奥様。身分違いは分かっています。ですが、私はミハエル
     様をお慕いしております。」
     迷いのない真っ直ぐな瞳で見つめられ、ロザンナは戸惑いに、
     視線を左右に揺らす。
     「そして、私は奥様の事をとても尊敬しております。だからこそ、
     私はあなたの手に掛かる事はできません。何故なら、
     奥様・・・あなたを殺人犯にしたくない!!」
     そう言って、ライサは、ロザンナをきつく抱き締めると、泣き
     じゃくる。
     「苦しめてごめんなさい!ごめんなさい!!」
     ポロポロと涙を流すライサに、ロザンナも、釣られたように、
     ポロリと一筋の涙を流す。
     「謝るのは、私の方・・・・。本当は、ずっと二人の事を知って
     いたの。あなたは、とても優しい娘だから、ミハエルとの事を
     許したかった・・・。でも、夫が死んで・・・・借金だけが
     残って・・・・どうしたらいいかわからなくなって・・・・・。」
     そう言って、ロザンナは、ドンとライサを突き飛ばすと、
     持っていた銃を自分のこめかみに押し付ける。
     「マスタング中将!全ては私の一存でしたこと!!
     息子と嫁には、何の罪もないのです!!」
     そう言って、引鉄を引こうとするロザンナだったが、
     その前に、ホークアイが、銃を使ってロザンナの銃を
     弾き飛ばす。
     「!!!」
     息を呑むロザンナに、ロイはクスリと笑うと、ゆっくりと
     近づき、その身体を支える。
     「ルーフェルト夫人、ご協力を感謝いたします。」
     「マスタング・・・・中将・・・?」
     訳が判らず、ポカンと口を開けるロザンナに、ロイは
     スッと真顔になると、ビシッと敬礼する。
     「ルーフェルト夫人が囮捜査に協力して頂いたお陰で、
     ノルディック中将を無事逮捕する事が出来ました。
     大総統閣下からルーフェルト夫人の勇気ある行動に、
     敬意を示すとの伝言を承っております。」
     「中将?何を言って・・・・・。」
     唖然とするロザンナに、ロイはニヤリと悪戯が成功した
     子どものような顔で笑う。
     「本日は、ご子息の結婚式だとか。おめでとうございます。
     詳しい事情は、後日という事で・・・・・。」
     そこで、漸く今回の件が不問になった事を悟った
     ロザンナは、ポロポロと涙を流す。
     「中将・・・・。ごめんなさい。ごめんなさい・・・・。」
     子どものように泣きじゃくるロザンナを、ミハエルとライサが
     両脇から支えた。
     「これで一件落着だな!!」
     ニコニコと嬉しそうにエドはロイに抱きつく。そのまま、
     いちゃつく夫婦の水を差すように、低い声が囁かれる。
     「・・・・・一件落着ではないわ。ロイ。どういうことか、説明
     して欲しいんだけど?」
     ボキボキボキと指を鳴らすソフィアの後ろでは、銃を片手に
     眼が笑っていないホークアイが控えていた。
     「何時、記憶が戻ったのかしら?」
     ニーッコリと微笑みながら、ソフィアは、ゆっくりとロイに
     近づく。
     「あのね!お義母さん!三日前に・・・・・。」
     「エ・・・エディ!!」
     嬉々として真相を語ろうとするエドの口を、ロイは
     慌てて押さえるが、三日前という単語に、全てを
     悟ったソフィアとホークアイの目は、どこまでも冷たい。
     「では、あなたは、記憶が戻ったのにも関わらず、
     ノルディック中将の我侭娘を、一生懸命に口説いたと
     そう言うのね?」
     ソフィアの言葉に、エドがショックに眼を瞠る。
     「え・・・・?口説く・・・・?」
     「母さん!!エ・・・エディ!誤解だ!君も知っているだろ?
     あれは、仕方なく・・・・・。」
     焦るロイに追い討ちを掛けるように、ホークアイが
     ボソリと呟く。
     「あれは、演技ではありませんでした。てっきり、女と
     見ては見境のなかった昔の中将に戻られたのかと・・・・・。」
     思わず銃で撃ちそうになりましたと言うホークアイの
     言葉に、剣呑を含んだエドの突き刺さる視線に、ますます
     ロイは慌てる。
     「ホークアイ中佐!!君まで一体何を!!エディ、
     敵を欺くために、仕方なかったと、君も納得してくれたでは
     ないか〜。」
     情けなくも、半分涙目になってロイはエドに縋りつくように、
     必死で誤解を解こうとする。
     「でも、口説くなんて聞いてなもん!!」
     プイと横を向くエドに、ロイは、まさに泣き出さんばかりに
     エドに縋りつく。
     「エディ〜。私を信じてくれ〜。」
     情けなさ全開のロイの様子に、堪えきれず、エドは噴出す。
     そして、同時に、ソフィアとホークアイも盛大に噴出した。
     「エ・・・エディ?」
     訳が判らず唖然となるロイに、エドはニヤリと笑う。
     「ぜーんぶ、ちゃんと分かってるさ。俺も、お義母さんも、
     中佐も!散々心配したんだから、少しくらい意地悪しても
     いいだろ?」
     なおも、ケラケラ笑うエドに、漸くロイは安堵の息を洩らす。
     「驚かせないでくれ・・・・。心臓に悪い。」
     君に嫌われたかと思って、寿命が縮んだと、少し拗ねたロイに、
     笑いを収めたエドが、ポツリと呟いた。
     「だって・・・俺達、本当に心配したんだぞ?」
     その言葉に、ハッと息を呑むと、ロイはギュッとエドを抱きしめる。
     「すまない。エディ・・・・・。」
     「お・・俺よりも、お義母さんと中佐に謝れよ。」
     最後の最後まで心配させたのだからと言う、エドの言葉に、
     ロイは神妙な顔で頷くと、エドを抱きしめたまま、ソフィア達に
     向き直り、頭を下げる。
     「母さんとホークアイ中佐には、心配をかけてすまなかった。
     エディの愛の力で、無事記憶を取り戻す・・・・痛いぞ!
     エディ!!」
     ポカリと頭を殴られて、ロイはエドに文句を言う。
     「な!!何、訳のわからない事言ってんだ!!」
     真っ赤になりながら、エドはロイの口を塞ごうとするが、
     ロイは簡単にエドの手を拘束する。
     「何を言う!君の愛が、私の記憶を取り戻してくれたの
     ではないか!!」
     照れているエドに、ロイは蕩けるような笑みを浮かべて、
     ギュッと抱きしめる。
     「あほーっ!!あれは、怒りの鉄拳だ!!」
     実際、自分がかなり悩んでいるのに、何も知らずに
     能天気に買い物をしているロイの姿に、ぶち切れたの
     だった。
     「でも、その怒りは、私への愛が転じたものだろう?」
     私を好きでなければ、あそこまで怒らなかったと思うが?
     ロイは、クスリと笑う。
     その自信満々な笑みに、エドは何も言えず、ただ、パクパクと
     口を動かす事しか出来なかった。
     「ありがとう。君のお陰だ。」
     ロイは、優しく微笑むと、エドの身体を益々強く抱きしめる。
     記憶を失っている間、自分はとても不安だったのだ。
     思い出せそうで思い出せないもどかしさを抱えて、日々を
     過ごしているうちに、やけになりかけたロイを救うように現れた
     エドに、ロイは運命を感じたのだ。記憶を失っても、エドという
     光に恋焦がれる自分がとても誇らしい。
     「もう・・・・俺達の事、忘れんな・・・・・。」
     小声で呟くエドに、ロイはニッコリと微笑む。
     「ああ。二度と忘れない。でも、完全に忘れた訳では
     なかったのだよ。記憶を失っても、君は勿論、フェリシアや
     レオンの事をどこかで覚えていたようだ。気がつくと、君や
     子供達の為のお土産を物色していたのだから。」
     記憶を失った時は不思議だったのだが、今なら分かる。
     子どもの服や玩具、そして、女性の服やアクセサリーなど、
     自分に全く関係のないものにばかり眼がいくのは、家族を
     心のどこかで覚えていたからだ。
     「ロイ〜。」
     「エディ!!」
     ヒシッと抱きしめ合う二人を、最初は微笑ましく見ていた
     ソフィアとホークアイだったが、根っからのエドワード大好き
     人間の二人が、そう何時までもロイにエドを独占させる
     ほど、心は広くない。むしろ、さんざん心配をかけさせた
     くせに、のほほんと愛するエドを腕の中に閉じ込めて、ひどく
     ご満悦なロイの様子に、殺意さえ沸いてくる。
     「ねえ、リザさん。私、まだ暴れたりないのよ。」
     じっとロイを見据えながら、ソフィアは物騒な事を言い出す。
     「そうですね。実は私も、同じ事を思っていました。」
     二人はニッコリと顔を見合わせて微笑み合うと、ロイから
     エドを取り戻すべく、一歩を踏み出した。