外では相変わらず雨が降りしきっている。
ロイの話を黙って聞いていたハボックは、何とも言えない
悲しげな表情で俯く。
この学園に赴任して以来、毎日のように、ロイの愛娘ラブラブ
ストーリーを聞かされ続け、いい加減ウンザリしていたのだが、
そんな幸せ一杯であるはずのロイに、まさかこんな悲劇的な
恋の話があったとは思いもよらず、ハボックは唖然としていた。
”これからは、認識を改めようか・・・・。”
悲しい恋をしたからこそ、ロイは妻と娘を大切にしているのだろう。
そう考えれば、異常なまでの家族自慢も納得がいく。
”やべぇ・・・・。”
ツンと目の奥が痛くなり、ハボックは慌ててロイに背中を向ける。
ここでハボックが泣いてしまっては、折角消えてしまった【恋人】を
偲んでいるロイの邪魔になる。そう思い、ハボックはそのまま
音楽室を後にしようと、歩き出す。
そう。ここで終われば、この話はハボックの心の中に、一番悲しくも
美しい恋のお話として、永遠に残るはずだった。続く、ロイの
言葉さえ聞かなければ。
「・・・・と、ここまでが、私と妻との運命の出会い編なのだよ。
次は・・・・・。」
先程までの、どこか哀愁漂っていた雰囲気を一変させて、
ロイは嬉々として語り出す。その事に、ハボックは勢い良く
振り返った。
「次はって!!ちょと待ってくださいよ!!」
ハボックは、ロイに食ってかかる。
「ん?ハボック、どうかしたかね?」
ニヤニヤと笑うロイに、ハボックは自分が嵌められた事に
気づいた。
「どうかしたかねじゃありませんよ!【彼女】は、死んだんでしょ!?」
真っ赤な顔で叫ぶハボックに、ロイはククク・・・と笑い出す。
「何を馬鹿な事を。エディなら・・・・・。」
「ごめん!遅くなった!!」
ロイの言葉を遮るように、ガラッと音を立てて音楽室に飛び込んで
来たのは、赤いレインコートを着た、黄金の髪と黄金の瞳を持つ
少女だった。慌てて来たのか、髪が雨で濡れていた。
”こんな可愛い子、うちの学園にいたか!?”
思わず固まって、少女を凝視するハボックに、ロイはニヤリと
笑うと、ハボックの脇を通り、少女に近づく。
「ああ、遅いから心配したよ。エディ!」
少女をきつく抱きしめて、頬にキスの雨を降らすロイに、
ハボックは、アングリと口を開ける。
「ちょっ!馬鹿〜。人が見てるよぉおお〜。」
頬を紅く染めて、上目遣いでロイを睨む少女に、是非その顔を
真正面で見たいものだと、思ったハボックの心を読み取ったかの
ようなタイミングで、ロイは、少女の身体を腕に抱きしめたまま、
ニヤリと人の悪い笑みを浮かべ、ハボックを見る。
「ああ、君には、まだ紹介していなかったな。」
その言葉に、ハボックは嫌な予感を覚える。
「エドワード・マスタング。私の妻だ!エディ、
体育教師のハボックだよ。」
「エドワードです。いつもロイがお世話になっています。」
ペコリと頭を下げるエドに、ハボックは慌てた。
「へっ!?奥さん!?」
エドワードという名前と、ロイの妻だと言われ、ハボックは
軽いパニック状態に陥る。エドワードという名前は、先程の
恋の話に出ていた、ロイの消えてしまった【恋人】ではないのか?
それに妻って・・・・・。
だが、そんなハボックの混乱などお構いなしに、目の前の夫婦は
甘い雰囲気を漂わせる。
「ああ、雨で少し濡れてしまったね。急いで乾かさないと。」
そう言って、ロイは愛しそうにエドの髪を優しく撫でる。
「大丈夫だって!そのうち乾くから。」
ニコニコと笑うエドに、ロイは心配そうな顔で覗き込む。
「エディ。もしも君が風邪でも引いたら、私は・・・・・。」
ロイはギュッとエドを抱きしめようとしたが、その前に、後頭部を
チョークが直撃する。
「マスタング先生。こんなトコで何をサボっているんですか!」
振り返ると、そこには、数本のチョークを握り締めている、英語教師
リザ・ホークアイが怒りも露に仁王立ちしていた。
「あっ!リザ先生!!」
ロイの腕の中にいたエドは、ホークアイの姿を見た瞬間、嬉しそうな
顔でロイの腕から逃れると、パタパタとホークアイに向かって駆け出す。
「お久し振り!リザ先生!」
わーい!と抱きつくエドに、ロイは顔を青褪め、ホークアイはロイに
勝ち誇った笑みを浮かべる。
「お久し振りね。アリアちゃんの出産のお祝いに逢った時以来かしら?」
ホークアイは、ニッコリと微笑むと、まだ濡れているエドの髪を
ハンカチで拭く。
「あっ!ハンカチ濡れちゃうよ〜。」
慌てるエドに、ホークアイは優しい笑みを浮かべる。
「あら、演奏者に風邪でも引かれては大変だわ。そう言えば、今日は
アリアちゃんは?」
一緒じゃないの?と首を傾げるホークアイに、エドはコクンと頷く。
「流石にまだ早いよ。みんなの迷惑になるといけないから、今日は
アルとウィンリィが面倒を見てくれてる。」
そう、残念だわ。と表情を曇らせるホークアイに、エドはニッコリと
微笑む。
「今度、うちに遊びに来てよ。リザ先生なら毎日でも大歓迎・・・・。」
「エディ!」
ロイは、慌ててホークアイからエドを奪うと、ギュッとその華奢な身体を
抱きしめる。その光景に、ホークアイは舌打ちをする。
「ふえっ!?ロイ!?」
有無を言わさず、ロイはエドを抱き上げると、ホークアイに鋭い視線を
向ける。
「ホークアイ先生。妻は私が控え室に連れて行きますので。」
そのまま、廊下を駆け出すロイの後姿を、苦笑しながら見送っていた
ホークアイは、固まったままのハボックに気づき、ため息をつく。
「ハボック先生。生きていますか?」
「ホ・・・ホ・・・ホークアイ先生!!今のって!妻って!!」
パニック状態のハボックの額に、リザの必殺チョーク投げが炸裂する。
痛みのあまり蹲るハボックの肩を、ホークアイは哀れみを込めた目を
しながらポンポンと叩く。
「これからが大変よ。まぁ、これも若くて独身教師の宿命ってとこね。」
「な・・・なんっすか?それは・・・・。」
恐る恐る尋ねるハボックに、ホークアイは深いため息をつく。
「自分より若い独身教師に対する、マスタング先生の牽制よ。
エドワードちゃんとの運命の出会い編から始まって、高校入学式編、
体育祭編、学園祭編、初めての夏休み編、教育実習生編などなど
エドワードちゃんと結婚が出来るまでの間の惚気話を、聞かされる
のよ。つまり、こんなに自分達はラブラブだから、エドワードちゃんに
手を出すなという事らしいわ。」
頭が痛いと、額を押さえるホークアイに、ハボックは引き攣った
顔で笑う。
「そんなに有名な馬鹿ップルなんですか・・・・。当時、問題に
ならなかったんですか?」
いくら何でも、教師が生徒に手を出しては駄目だろうと言うハボックに、
ホークアイの目が細められる。何か逆鱗に触れてしまったのかと、
青くなるハボックに、ホークアイは怒りを込めた目で、先程ロイ達が
去っていった方向を睨みつける。
「それは、マスタング先生が上手く隠していたから、誰も2人の
関係に気づかなかったわ。いつも喧嘩ばかりしていたせいも
あったけど。そう、卒業式まで、誰もね!!」
ボキボキボキ。ホークアイの手の中のチョークが粉々に砕かれる。
「卒業式・・・・ですか・・?」
一体何があったのだろうかと、好奇心も露にハボックは尋ねる。
そんなハボックをホークアイはキッと睨みつける。
「あのロリコン教師!こともあろうに、卒業式が終わって、まだ退場も
しないうちに、エドワードちゃんを浚って、数時間後に、ここの
音楽堂で結婚式を挙げたのよ!」
今思い出しても、ホークアイは腸が煮えくり返るほど、悔しい。
犬猿の仲と思い込んでいたが為に、ホークアイはロイに対して
ノーマークにしていた過去の自分が悔やまれる。エドの弟の
アルフォンスが、妙にロイに対して攻撃的な態度を取るとは
思っていたが、まさかロイとエドの間に、恋愛感情があるとは
思ってもいなかった。式が終わった瞬間、いきなり立ち上がった
ロイがエドワードをお姫様抱っこして体育館から飛び出した後の、
生徒と保護者のパニック状態を宥めるのに、かなり苦労したのだ。
お陰で、飛び出していったロイの後を追うことも出来ず、事態の
収拾に当たっていた教師達は、疲れきった身体で職員室へと
辿りついた。そしてそこで、聞いたのだ。ロイとエドの結婚式の話を。
半信半疑で音楽堂へ向かうと、そこに待っていたのは、ロイの両親で
ある理事長夫妻とエドワードの両親。そしてかなり不機嫌な顔をした
アルフォンスの横には、前の年卒業した、エドワードとアルフォンスの
幼馴染である、ウィンリィ・ロックベルだった。アルフォンスとエドの
担任という特権を生かして、花嫁の控え室へ向かったホークアイは、
そこで、放心状態のウエディングドレス姿のエドワードと対面した。
話を聞けば、どうやら今回の結婚式は、ロイ1人で決めたらしく、
まだ現状を把握し切れていないのか、エドは1人茫然としていた。
本来ならば、ロイに天誅を加えるところだが、茫然としながらも、
ロイと結婚できる事に喜びを隠し切れないエドに免じて、
ライスシャワーに紛れて、ロイにチョークを投げつけるだけで
許したホークアイだった。
「そりゃあ・・・・また、学園史上に残る出来事ですね・・・。」
その話に、ハボックは引き攣った笑みを浮かべる。
「ええ。しかも、マスタング先生は、【音楽堂で出会い、恋に
落ちた恋人達が、音楽堂で結婚式を挙げると、可愛い
子どもにも恵まれ、人生順風満帆、一生幸せに過ごせる】
なんていうのを、学園七不思議として噂をばら撒くから、
卒業生から結婚式の予約が殺到しているの。」
手が足りないと休日も借り出されているホークアイは、
いい加減にしろ!と言いたい。噂の発信源であるロイは、
絶対に休日出勤などしないと言うのに。
「そーいえば、演奏者って・・・何の話ですか?」
ふと先程から気になった事をホークアイに聞いてみる。
「音楽堂が建て替えられてから、毎年学園祭の最終日に
クラシックコンサートを開くでしょ?エドワードちゃんに
演奏して貰ったら好評で、毎年お願いしているの。
最も、去年は出産で出演しなかったけど。」
そこで、ハッとホークアイはあることに気づく。
「嫌だわ。私ったら、すっかり忘れていた!」
珍しく慌てるホークアイに、ハボックは首を傾げる。
「何がですか?」
「エドワードちゃん、在校生の時から、この学園の生徒は
元より、近隣の学校にもアイドルとして名前が通っているのよ。」
ホークアイの言葉に、ハボックは、あの美貌ですからねぇと、
のほほんと頷く。そんな緊張感の欠片もないハボックに、
ホークアイはイライラと話を続ける。
「2人の結婚は、ほぼ抜き打ちに近かったから、知っている人間は
意外に少ないの。」
ロイが結婚した事は知られているが、その相手がエドワードで
あるという事は、あまり知られていない。
「マスタング先生の事だから、この機会に、エドワードちゃんに
懸想する人間を一気に叩き潰す気だわ。」
ホークアイの言葉に、ハボックはサッと青褪める。
「つまり・・・それって・・・・・。」
ホークアイは疲れきった表情でため息をつく。
「余計な騒動が起こって、私たちが忙しくなるって事よ。」
悪夢再び。ホークアイの脳裏には、エドの卒業式の様子が
まざまざと浮かび上がる。またあの騒動が起こるのかと、
今から疲労が襲ってくる。
「マスタング先生が暴走しないように、お互い気をつけましょう。」
だが、いくら気をつけてもロイの暴走を止める事は出来なかった。
演奏が終わったエドに、ロイが花束を持って舞台に上がった時に、
それは起った。
ロイは蕩けるような笑みと共に、花束ごとエドを抱きしめると、
見せ付けるように、観衆の目の前で熱烈なキスをしたのだ。
「あのロリコン教師!!」
阿鼻叫喚の地獄と化した会場を収拾しながら、ホークアイは
忌々しげに呟く。呟かれた本人は、既に愛する妻を腕に
抱き上げてその場を立ち去ったのは、言うまでもない。
月明かりの中、ロイは腕の中で穏やかな寝息を立てている
エドを見つめながら、幸せそうに微笑む。
あの、エドの生命維持装置が外された日の事を忘れない。
エドを腕の中に抱きしめながら涙を流した悲しみを。
エドの目が再び開いたのに気づいた時の驚きを。
そして、自分の名前を再び呼んで、微笑んでくれた感動を。
生涯ロイは忘れないだろう。
神を信じなかった男が、
一つの奇跡に、神に感謝の祈りを捧げ、誓った。
エドワードを幸せにすると。
その誓いは、今も守られ、永遠に続いていく。
FIN
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ここまでお読みくださいまして、ありがとうございます!
漸く完結しました!如何でしたでしょうか?
2人の娘の名前は、アリアちゃん。マリアではなく、ア・リ・アです。
そう、G線上のアリアからつけました。
ちなみに、数年後に、生まれる男の子は、カノン君。
勿論、パッヘルベルのカノンからです。
最後の最後まで悲恋ネタかと思わせて、エピローグでギャグに走る。
ハボックのように、騙された!と思ってくだされば、自分的には大成功なのですが、
どうでしたでしょうか。でも、上杉の今までのパターンから言って、
悲恋で終わる訳がないと信じてくれた方には、先の展開が読めて、
つまらなかったかも。もっとぐいぐい読者を惹き付けるような文章を
書きたいです。
この続編を希望する方って、どれくらいいるのでしょうか。
まだまだネタはあるんですけど。
とりあえず、今連載中のSSを全部片付けてからでないといけませんが。
お持ち帰り希望の方は、BBSに一言書き込んでからお持ち帰り下さい。