その日は、最も暑かった日だった。
屈強の軍人と言っても人の子。
暑いものは暑いのである。
ただでさえ、軍服の生地は厚い。
将軍職につけば、それなりに快適な空間が与えられるが、
下っ端など論外。この時期は、人間扱いさえしてもらえない。
この暑さの中、外回りばかり押し付けられる下士官は、
それでも健気に頑張った。
しかし、何事にも限界というものが存在していて・・・・。
数少ない木陰に、群がるように休んでいる姿は、
返って暑苦しい事に気づかないほど、脳みそが溶けきっている
証拠なのかもしれない。
そんな下っ端の姿に涙する人間がここに一人いた。
空調の効いた、快適な部屋で、その男は双眼鏡片手に、
木陰で涼んでいる冷凍マグロ、もとい、兵士達を見つめながら、
そっと隻眼を抑える。
そう。軍最高責任者、キング・ブラッドレイその人である。
「何と哀れな事だ。人間を辞めているようではないか。」
これがジャイアントパンダなら可愛気があり、
ずっと見ていたいと思うものだが。むさ苦しくだれきった男など、
観賞に堪えられない。口では哀れだと言いつつも、
暑いのだから仕方がないかと、早々に結論付けると、
何時までも見てても仕方ないとばかりに、仕事に
戻ろうとしたその時、冷凍マグロ達が動き出した。
「おお!」
先程までのだれきった姿が嘘のように、きびきびと
動き出す様子に、大総統は、一体何があったのかと、
身を乗り出すように窓からその様子を見つめていると、
むさい男達に紛れて、黄金に輝く髪を風に
揺らしながら、可憐な美少女が、トテトテと歩いていた。
「ほほう。鋼の錬金術師君か。」
どうやら、軍のアイドルの登場に、男達はやる気を
出したようだ。必死にアピールする姿は涙を誘う。
アイドルの名前は、最少年国家錬金術師資格保持者、
鋼の錬金術師こと、エドワード・エルリック。性別女。
ほんの数ヶ月前に、漸く本来の身体を取り戻し、
国家錬金術師の資格を返上しようとしたが、
軍のアイドルの上、彼女との接点がなくなることを恐れた、
後見人であり、直属の上司である、ロイ・マスタング准将の
陰謀により、未だに軍の狗をやっていたりする。
このままでは、一生軍に縛り付けられると危惧した
エドは、ロイでは埒があかないと、直接大総統に
直談判をしに、今日ここに訪れていたのだった。
大総統にしてみれば、可愛い孫のような存在のエドワードを、
いつまでも軍の狗などにしておきたくはない。
あの可憐な少女には、暖かな家庭が一番よく似合う。
しかし、だからと言って、資格を返上させてしまっては、
今度はあの少女に会えなくなってしまう。
それは非常に拙い。それに、そう思っているのは、
大総統だけでなく、軍の殆どの人間が同じ考えを
持っていたりする。
「しかし、いつまでも軍の狗では、可哀想ではないのかね?
ホークアイ大尉。」
代表として、嘆願書を持ってきた、エドを見守る会内エドの
資格返上を阻止する委員会会長のリザ・ホークアイ大尉に、
大総統は尋ねる。ちなみに、大総統はエドを愛でる会会長
でもある。軍の二大派閥のトップに君臨している大総統と
ホークアイは、共通の悩みに頭を抱えていた。
「しかし、それでは、エドワードちゃんがここに来なくなって
しまいます。今後、リゼンブールへの配置換えを希望する
兵士達で、毎日血の雨が降ると予想されます。」
ホークアイの言葉に、大総統は深い溜息をつく。もっとも、
そうなった時点で、リゼンブールを首都にしてしまおうと、
大総統は密かに考えていた。
「・・・・大総統、今リゼンブールを首都にしようなどと
考えていないですよね?」
ニッコリと微笑みながらも、鷹の目は鋭い視線を大総統に
向ける。
「良い案だと思うのだが・・・。」
どこが駄目なのかと訊ねる大総統に、ホークアイは
溜息をつく。
「いいですか?エドワードちゃん達は、リゼンブールを
とても大切にしています。もしも、都市開発で、
リゼンブールの自然が損なわれれば、一番傷つくのは、
あの子達なんです!」
見守る会としては、黙っていられません!とキッパリ言う
ホークアイに、それもそうだなと、大総統は頷いた。
「しかし、何時までも返事を渋っていては、エドワードに
嫌われてしまう。」
「そうですね。今はマスタング准将が良いカモフラージュに
なっていますが、そろそろ何らかの手を打たなければ、
嫌われてしまいます。」
その場合、返事を渋っている大総統のみが嫌われるのだから、
自分的には何の問題もないということは、黙っておく。
「マスタング准将か。相変わらずかね?」
大総統の問いに、ホークアイは些かうんざり気味に頷く。
「あの歩くセクハラ男を北方の警備兵に配置換えして
頂けませんか?」
エドワードちゃんが可哀想です。というホークアイに、
大総統はふと考え込んだ。
「どうかな?国家錬金術師を返上させる代わりに、
マスタング准将との結婚を勧めてみては?」
大総統の言葉に、ホークアイは絶句する。
「何を馬鹿なことを言っているんですか!よりにもよって、
何であの無能なんかに、エドワードちゃんを!」
そのまま気絶しかねないほど興奮しているホークアイに、
大総統は、考えてもみたまえと、宥める。
「軍人の妻となれば、資格を返上しても、ここに出入り
できるではないか。」
大総統の言葉に、ホークアイはバンと机を叩く。
「甘いです!あの准将の性格から言えば、エドワードちゃんと
結婚した途端、家に囲って外になんか出しません!」
伊達に長年ロイの副官を務めていたわけではない。
ロイの性格は全てお見通しだ。
「しかし、資格を返上してなおかつエドワードを
ここに留めておくには、それしか方法が・・・・。」
「ですから、資格を返上させないで下さいと
申し上げているのです。」
人の話を聞いているのかと、呆れた顔のホークアイに、
大総統は眉を潜める。
「資格返上はエドワードの願いだぞ?それでもか?
第一、国家錬金術師のままだったら、戦場に狩り出される事に
なるのだぞ!それでも良いのかね?」
大総統の言葉に、ホークアイはニッコリと微笑んだ。
「戦争をしなければ良いのです。」
「は?」
ポカンと口を開ける大総統に、ホークアイは
厳しい目を向ける。
「戦争さえ起こらなければ、エドワードちゃんの手が
血に染まる事はありません。」
「しかし、そう簡単に・・・・。」
言いよどむ大総統に、ホークアイの一喝が飛ぶ。
「一体、何の為の大総統ですか!平和を維持できなくて、
大総統が聞いてあきれます。」
つまり、エドを戦場に送らないために、大総統が努力しろと、
ホークアイは言っているのである。
「わ・・・わかった。他ならぬエドワードの為だからな。」
ホークアイの剣幕に、慄いて、大総統はコクコクと頷く。
「判れば良いのです。では、失礼します。」
満足そうに頷くと、ホークアイは軽い足取りで大総統室を
出て行く。
「大尉には、ああいったが・・・・。」
実は、大総統は本気でエドとロイをくっつけようとしていた。
何故ならば、それは自分がエドワードを独占する為だ。
親の七光りと言われるのが嫌で、母の旧姓を名乗っている
ロイは、正真正銘、キング・ブラッドレイの実子である。
これは、軍上層部すらも知らないトップシークレットなのだ。
「さて、どうすれば良いかな。」
その時、何の気なしにカレンダーを見てある事に気づく。
「そうか・・・。この手があったか・・・。」
大総統は、ニヤリと笑うと、机の上の電話に手を伸ばした。
「ああ。私だ。大至急、鋼の錬金術師、エドワード・
エルリックを呼び寄せるように。国家錬金術師の資格返上を
許可すると伝えるように。」
大総統はゆっくりと受話器を置くと、不気味に笑った。
「まずは、デートから始めなくてはな。」
「大総統!やっと資格を返上してもいいんだな!」
よほど嬉しかったのか、エドは、ノックもせずに執務室に
入ると、ニコニコと嬉しそうに大総統に駆け寄る。
「やあ。久しぶりだね。元気だったかね?」
仕事の手を休めて、大総統は、エドにソファーに
座るように勧める。
「おう!とても元気だったぞ!あっ、ありがとう!」
ソファーに座るエドに、大総統の秘書がタイミングよく
お茶をエドの前に置く。お茶請けのドーナツは、エドが
特に好きだと言った、マ・ツーリベーカリーのリングリングと
いうオリジナルドーナツだ。小さなドーナツを繋げて一つの
大きな輪を作っている。日替わりで味が違うらしく、
セントラルに来ると、必ずエドが食べると言うのを、
ホークアイから聞いて、わざわざ大総統自ら買ってきたという、
ある意味高価なものかもしれない。しかし、そんな裏事情が
あるとは知らないエドは、大好物が出てきた事に、
素直に喜んでパクついていた。
まるで、小さなハムスターが、口いっぱいに餌を頬張る姿に
似ており、やはりエドワードは可愛いなぁと、
ニコニコしながら、大総統は、エドワードの向かい側に
腰を下ろす。
「さて、資格を返上する前に、君にしてもらいたいことが
ある。」
大総統の言葉に、それまで嬉しそうにドーナツを
頬張っていたエドは、途端に悲しそうな顔で俯く。
そんなエドに、大総統は内心慌てて言葉を繋げた。
「別に、難しく考えることはないぞ。来週の土曜日に、
軍部祭りがあってな。それの手伝いをしてもらいたいのだ。」
「手伝い?」
一体、何をさせられるんだろうと、不安そうな顔のエドに、
大総統は安心させるように、にこやかに微笑んだ。
「当日は、給料査定も兼ねた、ちょっとした大会があってね。
優勝者に賞品を渡す役をしてもらいたいのだよ。」
「そ・・そんなんでいいのか?」
話が巧すぎるとでも思っているのだろう。
まだ警戒心の解けないエドに、大総統は、ますます笑みを
深くした。
「ああ。君には色々と世話になったからね。最後はご褒美だ。」
どんな褒美かは言わない。もっとも、エドは最後の褒美として、
簡単な仕事で終わらせてくれるとでも思っているだろう。
獲物を罠に追い込むべく、大総統はサラリと餌をばら撒く。
「軍部祭りと言っても、一般の祭りと大して変わらん。
暑気払いとでも思ってくれたまえ。一般にも開放されるし、
色々な店も出るそうだ。そうそう、古本屋の店なども出る
という話だったが・・・・。もしかして、掘り出し物が
あるかもしれんな。」
本という単語に、エドはくらいつく。
「マジで!分かった!俺、参加する!」
目を輝かせるエドに、大総統は満足そうに微笑む。
「そうだ。アルフォンス君も連れてくると良い。
大会が始まるまで、君たち二人を私がエスコートしよう。
好きなものを奢ってあげるからね。」
“将来家族となるのだからな。今のうちアルフォンス君共々
親睦を深めねば。”
そんな事を大総統が考えているとも知らず、エドは奢りの
一言に、純粋に喜んでいた。
「いいのか!ありがとう!大総統!」
「私と君達の間に遠慮は無用だ。そのうち他人では
なくなるのだからね。」
大総統の言葉に、エドは眉を顰める。
「他人じゃないって・・・・。」
「おおっと!いかん!これから会議だった。
では、これで失礼するよ。詳細は後で秘書から説明させよう。」
そう言って、慌しく部屋を出て行く大総統に、エドは
訝しげに思いながらも、まっいいかと、大好物のドーナツを
頬張った。
「ふう。危ないところだった。」
大総統は、フーッと腕で汗を拭う。つい浮かれてうっかり口を
滑らすところだったと、胸を撫で下ろした。誤魔化すために
執務室を出たのはいいが、行くところがない。
仕方ないので、散歩代わりに、テクテク回廊を歩いていると、
銃声が聞こえてきた。
「エディに会いたい!」
「うるさい!仕事をして下さい!」
ガン ガン ガン ガン
「うぎゃああああああ!」
中央司令部恒例のマスタング准将とその優秀な副官の命を
掛けた攻防戦の一幕のようだ。
大方、隠し撮りしたエドの写真を見ながら、ロイが駄々を
こねたのだろう。それに、腹を立てたホークアイが、
発砲するといういつものパターンに、最初の頃は銃声の音に、
慌てて駆けつけていたのが、今では日常の事と認識されている
のだから、慣れとは恐ろしい。
「ロイ。頑張るのだぞ。」
今頃、ホークアイによって屍となっているであろう息子に
エールを送ると、大総統は目的を持って、歩き出した。
目指すは、エドを愛でる会本部だ。
「フフフフフ・・・・。」
中央司令部一の出世頭、ロイ・マスタング准将。
当年二十九歳。(近く三十歳)独身。甘いマスクに圧倒的な
女性の支持を受けている男が、掲示板に張られたポスターの前で、
先程から不気味に笑っていた。
「フフフフ・・・・。私はこの日を待っていた!
必ずエディをこの手に!」
ガツン!
フハハハハと高笑いするロイの後頭部に、硬い金属が
容赦なく振り下ろされる。
「痛いではないか!」
いきなり何をするのだと、後ろを振り返ると、案の定、
何故かスコップを持ったホークアイが冷たい視線でロイを
見つめていた。
「ああ、准将でしたか。不気味な笑いをしている変質者が
いるとの通報がありましたので。」
「変質者?そんなものはここにいる訳が・・・・。」
眉を潜めるロイに、ホークアイは深い溜息をつく。
「お気づきではなかったのですね・・・・。」
「大尉?」
何が言いたいのだと言うロイに、ホークアイは
容赦のない一言が飛び出す。
「エドワード君の事となると、准将は冷静な
判断力を失います。」
「つまり、それだけ私はエディを愛しているという訳だな!」
踏ん反り返るロイに、ホークアイは鼻で笑う。
「いいえ。ただの変質者になるだけです。」
ヒュルルルルルル〜。
両者の間に、冷たい風が吹き荒れる。
「君は私を何だと思っているのかね?」
引きつるロイに、ホークアイはキッパリと言い切る。
「無能。」
ロイのダメージ99999999ポイント。
残りヒットポイント1。
後一回攻撃を受ければ、確実に無能状態になるでしょう。
ついでに石化されて、ロイ・マスタング絶体絶命の大ピンチ!
「准将、遊んでいないで、さっさと仕事して下さい。」
床に座り込んで、のの字を書きながら、ブツブツ何かを
呟きながら現実逃避をする上官に、ホークアイは、キレタ。
「・・・・准将。いつまでも遊んでいると、大切なものが
逃げますよ?」
フフフフと黒い笑みを浮かべるホークアイに、ロイは無視を
し続ける。身体全体で仕事なんかしたくないもん!という
態度を崩さない。
「・・・そうですか。分かりました。仕事をしなくても
結構です。その代わり・・・・。」
ホークアイは、そこで一旦言葉を切ると、ニヤリと笑う。
「今日付けで軍を退役していただきます。そうなれば、
来週の軍部祭りに参加できませんが、宜しいのですね!」
その言葉に、ロイは慌てて立ち上がると、セカセカと
執務室へと走り出していった。
「全く。准将にも困ったものだわ。」
小さくなるロイの後ろを眺めつつ、ホークアイは、
チラリと先程までロイが見ていたポスターを見る。
来週行われる軍部祭りの告知のポスターだが、
その内容が問題だった。
「まさか、こんな手が使われるとはね・・・・。」
ホークアイは、ジッと問題の箇所を睨みつける。
【障害物借り物競争。見事一位を獲得した者には、
鋼の錬金術師、エドワード・エルリックとのデートに
誘うことが出来る権利を与える。】
ニコヤカに笑っている大総統の顔写真すら憎らしい。
「あの話は冗談ではなかったのですね。」
大総統は、どうあっても、ロイとエドを結婚させたいらしい。
手始めに、二人にデートでもさせるつもりなのだろう。
「そんなこと、許さないわ!」
エドを見守る会の名にかけて!
ホークアイは決意を新たに歩き出した。
エドを見守る会本部へ向かった。
「ふふふ・・・・。今日のように晴天だと、全てのものが
私とエディの仲を祝福しているようではないか!
そう思うだろ!ヒューズ!」
ハハハハと高笑いしているロイの横では、げっそりした
ヒューズが立っている。いつもと全く違う二人の様子に、
周りの人間は、興味シンシンだ。
「なぁ、そのハイテンションどうにかならんか?
ここ数日ずっとそれで、よく疲れないな。」
ふあぁああああと大きな欠伸をするヒューズに、
ロイは不敵な笑みを浮かべる。
「フッ。ずっと気分が高揚しているんだ。
このままゴールまで駆け抜けてやる!これで、
私の優勝は決まったも同然だ。」
フハハハハハハとハイテンションなロイに、ヒューズは、
コソコソと逃げ出す。
「冗談じゃない。あんなテンション、こっちの身が
もたねぇ。」
「どこに行く気だ?ヒューズ?」
ガシッと肩を捕まれ、ヒューズは腰を抜かす。
「お・・驚かすなよ!」
「さぁ、そろそろ競技が始まる頃だ。いくぞ!」
そのままズルズルとロイはヒューズを引きずって、
スタートラインへと歩きだす。
「お・・おい。ガキじゃねーんだから、一人でも
大丈夫だ。」
これ以上ロイと係わり合いになりたくないと全身で強く
主張するヒューズに、ロイはニヤリと笑う。
「お前が傍にいなければ、優勝は難しいんでね。」
「ああ?どういうことだ?」
訝しげなヒューズに、ロイはただ笑って、今に分かる
としか言わない。だが、このとき、何が何でもロイから
逃げるべきだったのだ。何故、ヒューズが傍にいなければ、
優勝が難しいと言ったのか。その答えはスタート直後に判明した。
「うぎゃ!」
「フッ。ナイスファイトだ!ヒューズ!」
ロイは、スタートの合図であるピストルが鳴った瞬間、
素早くヒューズの背後に回る。それと同時に、
ロイが立っていた場所半径3メートル付近にいた人間は、
早くもペイント弾の【洗礼】を受ける事になった。
「やはりな。私の優勝を妬む者がいると思っていたのだよ。」
予想通りの展開に、ロイはニヤリと笑う。自分に対して
喧嘩を売った馬鹿な者達に、それ相応の報いを与えねばと
決意する。
「お前!人を盾にしたな!」
ペンキ塗れで憤慨するヒューズを面白そうに眺めながら、
ロイはふとある事に気づいて、横を走っているヒューズの襟首を
掴むと、そのままグルリと首だけ自分の背後に向ける。
「この方向、木の上に敵。ナイフを投げつけろ!」
「おう!」
反射的にヒューズはロイの言った方向へナイフを投げる。
「うぎゃあああああ。」
真っ逆さまに落ちていく兵士に、流石のヒューズも青くなる。
「おい。ヤバイぞ。怪我をしているかもしれん!」
そう言って戻ろうとするヒューズの肩を、ロイはグイッと掴む。
「大丈夫だ。」
自信満々で言うロイに、一瞬信じかけたが、続く言葉に、
こいつの親友を辞めようかと本気で思った。
「今の奴は、去年私のエディが、中央司令部に訪れたとき、
道案内と称して司令部内でデートをした、不届き者だ。
いい機会だから、見せしめにな。」
フフフフと黒い笑みを浮かべるロイに、ヒューズは肩を落とす。
「そうだよな・・・。お前ってば、そう言う奴なんだよ・・・・。」
「さぁ!行くぞ!ヒューズ!エディがゴールで私を待っている!」
その後もヒューズを盾にしつつ、ロイは順調な走りで、トップで
借り物の名前が書かれた紙を手にした。
「ブラック・ハヤテ号?」
ふと顔を上げると、ブラック・ハヤテ号が前方にある、
貴賓席の護衛なのか、微動だにせず、兵士と一緒に立っていた。
ロイは不敵に笑う。借り物が自分の知っているもので良かったと。
しかし、ロイは失念していた。確かに、ブラック・ハヤテ号と
ロイは面識がある。しかし、ブラック・ハヤテ号の飼い主は、
あのリザ・ホークアイなのだ。すんなりとロイを勝たせる訳は
ないのである。
「ブラック・ハヤテ号!来い!」
ロイは自信満々にブラック・ハヤテ号を呼ぶ。
「・・・・・・。」
しかし、ブラック・ハヤテ号は微動だにしない。
「・・・中尉の仕業だな。」
ギロリンとロイは貴賓席でエドと談笑しているホークアイを睨む。
その殺気立った視線に気付いたのか、ホークアイはニヤリと不敵に
笑った。その眼は、私のブラック・ハヤテ号は、只今警護の仕事中。
邪魔はしないで下さい。というところだろう。
「フッ。それならば、これでどうだ!」
ロイの右手には、高級牛の特上霜降り肉が握られていた。
「来い!ブラック・ハヤテ号!」
シーーーーーーーーーーン。
重ねて言う。ブラック・ハヤテ号の飼い主はホークアイである。
どんな誘惑にも負けないように、日頃からの脅し、もとい、
躾けは完璧である。
「そうか・・・・。この手だけは使いたくなかったが・・・・。」
ロイは素早く右手に発火布を嵌めると、パチンパチンパチンと
指を鳴らす。
ゴォオオオオオオオ・・・・。
途端、ブラック・ハヤテ号の身体ギリギリに、いくつもの火柱が
上がる。これには、流石のブラック・ハヤテ号はビビった。
冷や汗を流しながら、硬直してジッとロイを恐怖の瞳で見つめる。
「ブラック・ハヤテ号。君は私と共にゴールを目指すのだ。
良いな?」
コクコクコクコク・・・・・と、ブラック・ハヤテ号は首を
縦に振り続けると、慌ててロイの元へと駆け寄る。
「フッ。いい子だ。」
自分の元に駆け寄ってくるブラック・ハヤテ号を満足そうに
頷くと、勝ち誇った笑みをホークアイに向ける。
「あんのぉぉぉぉ、むのおおおうううううう!!」
ギリリと唇を噛み締めるホークアイに、エドは驚きの声を上げる。
「リザ姉?」
どこか具合でも悪いの?と首を傾げるエドに、ハッと我に
返ったホークアイは何でもないと首を横に振る。
「いいえ。大丈夫よ。ごめんなさい。そろそろ見回りの
時間なの。」
すまなそうに言うホークアイにエドはお仕事頑張って!と
笑顔で見送り、ホークアイは心に暖かいものを感じ、
うっとりとなる。
“やっぱり。エドワードちゃんは癒しキャラだわ!
あんな無能なんか勿体ない!”
ロイへの敵意を新たに、ホークアイは警備状況の確認と
称し、エドを見守る会本部へと足を向けた。
「状況は?ターゲットの現在位置はどうなっている?」
バタバタと慌しい本部のテントに入ると、ホークアイは
指揮を取っているハボックに、状況の説明を求めた。
「えっと、現在ターゲットはぶっちぎりの一位で、
アルフォンスが待機している、障害物に移動中です。
ターゲットは、非情にも、親友を盾にして、
ここまで勝ち残ってきたようです。その親友は、
現在医務室で治療中。奥様とお子様が付き添って
おります。」
ハボックの説明に、ホークアイは眉を潜める。
目的の為なら、例え友人でも利用するという非情さを
持つロイに、ますますエドに相応しくないと確証する。
「ところで、いくらヒューズ大佐を盾にしたからと言って、
全くの無傷とは、ありえないのではないかしら?」
先程垣間見たロイは、全くの無傷だった。
兵を所々に配置した他に、コースのあちらこちらに、
落とし穴やトラップを仕掛けたのだ。
それに全く引っ掛からなかったのだろうか。
疑問を含んだホークアイの眼差しに、ハボックは
これは未確認情報なんですがと報告する。
「どうやら、我々の作戦を邪魔する勢力がある
みたいなんッスが・・・。」
「愛でる会ね・・・・。」
ホークアイは、唇を噛み締める。構成員がほぼ二十代の
若者で占められている【エドを見守る会】とは反対に、
平均年齢五十八歳の【エドを愛でる会】は、大総統を
中心に、軍上層部にて構成されている。エドの幸せを
追求し、その幸せを邪魔するものは即刻排除すべく、
日夜エドを見守っている【見守る会】と、エドを孫の
ように思っており、ただその姿を見ていればそれで幸せ
という【愛でる会】は、根本的に違う。
エド第一主義の【見守る会】と自分達の自己満足を
満たすだけの【愛でる会】は、こうして、しばしば
意見の食い違いから衝突を起す。
「愛でる会ですか・・・・。これは厄介ですね。
彼らは体力こそありませんが、年の功という名の狡賢さと、
莫大なる権力を持っていますからね。」
多分、上官命令という名の公私混同で、見守る会の
会員を脅したのだろう。
「まさか、愛でる会が全面的に、准将をバックアップ
していたとは・・・・。」
愛でる会の何人かの将軍は、ロイを眼の敵にしている。
それを超えても、ロイを推す理由が分からず、
ホークアイは首を傾げる。彼女は知らない。大総統が、
とうとう上層部の古狸達に、ロイが自分の息子であると
カミングアウトをした事を。そして、その瞬間、エドを
愛でる会は名を改め、エドを大総統夫人にする会に
変わったことを。
「とにかく、後はアルフォンス君を信じるしかないわ。」
ホークアイは祈る気持ちで、じっとアルがいるであろう、
障害物の方向へと視線を向けた。
「いつかは、こんな日が来るとは思っていたよ。
アルフォンス君。」
二人が対峙しているのは、連日の暑さを見かねた
エドが好意で練成したプールだった。
「ここならお得意の火は出せませんものね。」
ニヤリと笑うアルフォンスに、ロイは眉を潜める。
「君は本当にあの天使のように愛らしい私のエディと
血が繋がっているのかい?笑顔が黒々しいよ。」
「アハハハハ〜。腹黒准将にだけは言われたくありませんね。」
アルは笑いながらさりげなく両手を合わせると、
そっと水面に手をつける。途端、練成の光と共に
水面一杯に何かが作られ、やがてそれはゆっくりと
水底に沈んでいった。
「?何がしたいんだね?」
てっきり自分に攻撃を仕掛けてくると思っていた
だけに、アルフォンスの行動に、ロイは首を傾げる。
そんなロイに、アルはニヤリと笑う。
「このプールは姉さんが作ったものですからね。
壊したくないんです。でも、あなたに優勝して
ほしくない。だから邪魔をするんです。」
そう言って、アルはプールの底を見る。
「最後の障害は、プールの底に沈んだ碁石の中から、
一つだけ当たりを見つけるというものなんです。
あなたに、このプールの底にビッシリと沈められた
碁石の中から、果たして当たりを見つけられますか?」
フフフフフ・・・と黒い笑みを浮かべるアルにロイは
不敵な笑みを浮かべると、プールの中に飛び込んだ。
そして、暫く水面から頭を出すと、勝ち誇った笑みを
浮かべて、右手を高々と掲げる。
「まさか!」
唖然となるアルに、プールから上がったロイは、
ニヤリと笑う。
「昔から、籤運だけは良いんだ。」
ガックリと肩を落とすアルに、ロイは笑う。
「君のお姉さんは、私が全身全霊責任を持って
幸せにしよう!」
言うだけ言って駆け出すロイに、アルは
悔しそうに叫んだ。
「絶対に認めませんから!」
その後、何度目かの攻防の末、ぶっちぎりの一位を
獲得したロイは、上機嫌で壇上に上ってた。
目の前には、愛しいエドワードの姿。
これで彼女とデートが出来るのかと思うと、
ロイは顔が緩みっぱなしである。そんなロイを
エドはどこか胡散臭げに見つめていた。
「おめでとう。准将。これが賞品の目録だ。」
そう言って、目録を差し出すエドの手を、
ロイは素早く掴むと、自分の方に引き寄せて、
抱き締める。
「な!なんだよ!離せよ!」
暴れるエドを、ロイはうっとりと見つめる。
「君の為に頑張ったんだよ?褒美の口付けは
くれないのかい?」
その言葉に、エドはブチ切れた。
「何、訳の分からない事を言ってんだよ。
そんなのは、他の女の人にでも言え!」
プイと横を向くエドに、ロイはクスクス笑う。
「可愛いね。妬いてくれているのかい?」
そう言って、ますますエドの体を抱きしめる
ロイに、エドは本格的に暴れる。
「妬いてなんかねー!」
「ハハハ・・・。そんなに妬かなくても大丈夫だ。
私の心はずっと君だけのものだよ?
ところで、デートは何処に行こうか?行きたい場所は
あるかね?」
ロイの言葉に、エドは眼を丸くする。
「は?何それ。デート?」
「君とデート出来ると聞いて、私は頑張った
のだよ。」嬉しそうな顔をするロイに、エドは
困惑気味に見つめる。
「あの・・さ・・・。デートって何の話?」
そこで漸くロイはエドと話が噛み合っていない
事実に気付き、ジロリと主催者である大総統を見る。
「嘘だったのですか?」
「嘘ではないぞ。エドワード君とアルフォンス君は、
この後私と祭りを楽しむ計画なのだよ。
そこに、優勝者も祝いに連れて行こうと・・・・。」
「では・・エディとのデートは・・・・。」
ゆっくりと発火布を嵌めながら、ロイは大総統に向き直る。
「うむ。今後も精進しなさい。」
「ふざけるな!」
パチンと指を鳴らそうとするが、その前に、
エドの手がロイの手を包みこむ。
「馬鹿!何やってんだよ!大総統に刃向かうと、
出世に響くぜ!」
頭に血が上っているロイを何とか正気に戻そうと、
エドは必死に説得する。
「私は、君とデートできると思って、
頑張ったんだ・・・・。」
ぽつりと呟かれるロイの言葉に、エドは真っ赤な顔で
固まる。
「君はいつも私の言葉を信じない。
どんなに愛を囁いても、どんなに君にデートを
誘おうとしても、軽くあしらわれてしまう。」
ロイは、真摯な表情でエドを見つめる。
「エディ。愛しているんだ。私と結婚を前提に
付き合って欲しい。」
「け・・結婚!つ・・つ・・付き合うって!」
驚くエドを、ロイはきつく抱き締める。
「愛している。この思いだけは信じて欲しい。」
そう言って、エドの肩口に顔を埋めるロイに、
エドは震える手を背中に回す。
「本当か?」
「エディ?」
ぶっきらぼうに言うエドに、ロイは顔を覗き込む。
「本当かと聞いたんだ!信じていいんだな!」
「勿論だとも!」
何度も首を縦に振るロイに、エドは嬉しそうに抱きつく。
「あんた、いつも綺麗な女の人と一緒だったから・・・・。
こんな男みたいな女、からかっているだけだと・・・。」
ポロポロと泣き出すエドを、ロイは信じられない思いで
見つめる。
「エディ・・・。それって・・もしかして・・・?」
「俺も、ずっと准将が好きだったって事だよ!」
真っ赤になって叫ぶエドを、ロイは嬉しそうに
抱き締めた。
「愛している!エディ!絶対に離さない!」
すっかり出来上がった馬鹿ップルに、エドを
大総統夫人にする会のメンバーは、素直に暖かい拍手を
送る。しかし、ここにそれを由としない組織があった。
勿論、エドを見守る会のメンバーである。
「こんなの絶対に認めないわ!見守る会の名にかけて!」
こうして、ロイと見守る会のメンバーの
熾烈極まりない攻防戦の末、漸く愛しい少女とロイが
結婚できたのは、それから二年後の、
ロイが大総統になった日であった。
その日、純白のドレスを身に纏った幸せな花嫁は、
皆に見守られて、最も愛する人と共に生きる誓いを
したのだった。
「愛しているよ。エディ。」
美しい花嫁を獲得した若き大総統が、仕事と称した
見守る会からの虐めを受ける事になるのは、
また別のお話。
それでも、家に帰れば、美しい妻と
もうじき生まれる我が子に癒されるのだから、
【等価交換】だと言うのは、優秀な副官だった。
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