「この者は、イシュヴァール戦で、イシュヴァールの
民達を惨殺した・・・・。言葉巧みに我らを安心させ、
最後には裏切ったのだ。いや、それだけではない。
自分の仲間すらも皆殺しにしたのだ。」
【スカー】の言葉に、ロイとエドが絶句する。
「なっ!!俺が!?」
ガタガタと震えながら首を横に振り続けるエドの様子を、
ロイは醒めた目で見つめた。
「・・・・なるほど・・・。そういうことか・・・。」
ククク・・・と笑うロイに、エドは縋るように見つめるが、
ロイは感情の篭らない目を向ける。
「・・・・エルリック少将、いや、エドワード・エルリックに、
逮捕状が出されている。」
ロイの言葉に、エドはハッと目を見開く。
「君が【罪人(つみびと)】と言われた意味が漸く分かった。
ただの殺人者だったのか・・・・。」
嫌悪も露な目を向けるロイに、エドは恐慌状態に陥る。
「お・・・俺は・・・・。」
ガクガクと震えながら、必死に首を横に振り続ける
エドに、ロイは不快気に顔を顰める。
「この期に及んで、まだ保身を考えているのか?」
最低だな。
吐き捨てるようなロイの言葉に、エドは愕然となる。
保身?
違うのだ。自分は本当に何も覚えていないのだ。
そう言いたいのだが、声が喉に張り付いたかのように、
明確な音が出てこない。ヒューヒューとした、耳障りな
音だけが口から零れ落ちる。
「・・・・・都合が悪くなるとダンマリか?」
あざ笑うようなロイに、エドはギュッと目を閉じる。
「今まで散々私の邪魔をしてくれたお前だが・・・・。」
思ってもみなかったロイの言葉に、エドはギョッとなって
目を開ける。
「最後くらい私の役に立ってもらおうか。」
ニヤリと笑うロイに、エドは唖然と見つめ返す。
「・・・・じゃ・・・ま・・・・?」
掠れる声に、ロイは不敵に笑う。
「命令では、捕獲という事だったが・・・・・。」
ロイはゆっくりと発火布を翳す。
「抵抗したので、殺害という事にしようか?
どうせ死刑確定なのだから、遠慮をする必要は
ないだろう・・・・。それに、
凶悪犯を取り押さえた私は、うまくすれば
少将の地位につけるかもしれない。」
ロイは指を擦り合わせようとするが、
エドの顔を見た瞬間、動きを止める。
「なっ・・・・・・。」
月明かりの中、穢れを知らぬ天使のような笑みを浮かべる、
エドに、ロイは息を呑む。
「役に立つ?」
ニッコリと微笑むエドに、ロイは得体の知れない恐さを感じ、
一歩後ろに下がる。
「ならいいよ?」
そう言って目を閉じるエドに、ロイは唇を噛み締める。
「何故だ・・・・何故抵抗しない!!」
自分の命を狙っている男に、何故微笑む事が出来る?
何故抵抗しない!!
何故!!
ロイは怒りに我を忘れて、指を擦り合わせようとするが、
全く動かない指に、舌打ちをする。
”何故私は躊躇するんだ・・・・。”
エドワード・エルリックを排除する事は、最初から
決めていた事だ。
ロイはキッとエドを見据えるが、その間を、それまで
成り行きを見守っていた【スカー】が割って入る。
「邪魔をするな!」
ロイの叫びに、【スカー】は肩越しに振り返る。
「私はイシュヴァールの民達の敵を討つために、
生き永らえてきた。」
【スカー】は、顔をエドに向けると、ゆっくりと近づく。
「ここで、神の裁きを受けるがよい!鋼の錬金術師!!」
エドに向かって駆け出そうとする【スカー】だったが、
その足元に、一本のナイフが突き刺さる。
「誰だ!!」
怒りも露に後ろを振り返る【スカー】に、釣られる様に、
ロイも後ろを振り向くと、そこには、マリア・ロスと
【フェイス】が厳しい表情で立っていた。
「やめろ。彼女に手を出す事は許さない・・・・。」
殺気立つ【フェイス】に、【スカー】の目が細められる。
「何故だ・・・・。何故あなたはこの者を庇う?」
「何故?愚問だな・・・。」
【スカー】の問いに、【フェイス】は、視線だけをロイに向けると、
挑発的に笑う。
「好きな女を守らずして、男と言えるか?」
「!!」
息を呑むロイを嘲るように一瞥した後、【フェイス】は
厳しい目を【スカー】に向ける。
「【スカー】・・・・いや、【ラスール】。」
低く呟く【フェイス】に、【スカー】は、唇を噛み締める。
「・・・・神から受けしその名前は、捨てました。」
苦々しく呟く【スカー】に、【フェイス】は、クスッと笑う。
「【ラスール】・・・・【遣わされた者】よ。お前は、その
運命からは逃れられない。この俺が・・・・・・。」
【フェイス】は、自嘲した笑みを浮かべる。
「預言者でも最高位である【ナビ】の運命から
逃れられないようにな。」
「預言者・・・?」
ロイの問いに答えず、【フェイス】は、じっと【スカー】を
見つめる。
「お前はイシュヴァラの神より遣わされた者。見届ける
使命を持つ者であって、裁きを下す者ではない。」
「しかし!!」
激昂する【スカー】を、【フェイス】は一瞥で黙らせる。
「神の声を【語る者】である、この俺の言葉を信じないと?」
【フェイス】の言葉に、【スカー】は首を激しく横に振り続ける。
「あなたはっ!【ナビ】だというのに、神の言葉を利用して、
【罪人】を庇うのか!!」
「利用?利用など出来ない。それはお前も良く知っているだろ?」
【フェイス】の言葉に、【スカー】は俯く。
「一体、何の話だ・・・。」
一人会話に乗り切れないロイは、不機嫌そうな目を【フェイス】に
向ける。
「・・・・・あんたこそ、何でこんなところにいる?」
【フェイス】の殺気だった目に、ロイは肩を竦ませる。
「エドワード・エルリックの捕獲命令が出されたのだ。
捕らえようとして何が悪い?」
「・・・・殺そうとしたくせに・・・。」
ボソリと呟くマリアを、ロイは鋭い目で睨みつける。
「・・・マスタング准将。これは命令違反です。」
マリアはゆっくりと銃を向ける。
「中尉。上官に対して・・・・。」
「私はっ!!」
ロイの言葉を鋭く遮ると、マリアは、感情の篭らない目を向ける。
「あなたの部下ではありません。・・・・・大総統閣下直属の部下です。」
その言葉に、ロイは馬鹿にしたように笑う。
「なるほど、エルリックが失脚したから、乗り換えたのか。」
上司が上司なら部下も部下だなと言うロイに、マリアはクスリと笑う。
「乗り換えた?いいえ?私は最初から大総統直属の部下です。」
「何だと?」
眉を顰めるロイに、マリアは冷たく笑う。
「さぁ、セントラルへお戻り下さい。命令違反は軍法会議ものですよ?」
「・・・・・軍法会議ねぇ・・・。」
ロイはクスリと笑う。軍法会議には、自分の息の掛かった者が
何人もいる。自分の不利になるわけがない。そんなロイの心の声が
聞こえたのか、マリアは不敵な笑みを浮かべる。
「大総統自ら詮議するとの事です。」
「・・・・・何を馬鹿な。」
大総統自ら?ありえないと乾いた笑いをするロイを、マリアは
興味を失ったかのように、視線をエドへと向ける。
「・・・・エドワード・エルリック。」
相変わらず、微笑んでいるエドに、マリアは涙を堪えながら
ゆっくりと手を差し伸べる。
「帰りましょう。セントラルへ。」
「・・・・・俺、帰らないよ。」
凛としたエドの声に、マリアは顔を顰める。
「皆があなたの帰りを待っています。さぁ・・・・。」
「俺は、ここでやることがある。」
首を横に振りながら、エドはロイに視線を向ける。
「ごめん。俺、あなたの邪魔をするつもりはなかったんだ。」
エドの言葉に、ロイの目が大きく見開かれる。
「あなたの願いを叶えたかった。戦争のない平和な国を
作りたいって・・・・その為に大総統になりたいっていう、
あなたの手助けがしたかった。」
シュンとなるエドに、ロイは何故と掠れた声を出す。
「何故・・・お前が知っているんだ・・・・。」
腹心以外洩らした事のない、己の野心を、何故
目の前の女は知っているんだ。
愕然となるロイから【スカー】へとエドは視線を移す。
「俺・・・・イシュヴァールの戦いの時の記憶が曖昧だ。
だが、それを言い訳にするつもりはない。」
エドはゆっくりと【スカー】へと近づく。
「【罪】は償うべきだ・・・。そうだろ?」
微笑むエドに、【スカー】は、動揺したように視線を逸らす。
「待て!エド!落ち着け!!」
慌てる【フェイス】に、エドは儚げに笑う。
「最後に漸く大佐の役に立てる・・・・。」
その言葉に、マリアは絶叫する。
「エド姉!!やめて!!」
エドは真剣な目を【スカー】に向けた。
「イシュヴァールの人達のせめてもの慰めに・・・。」
「良い覚悟だ。」
【スカー】は戸惑いながら、ゆっくりとエドの額に手を翳す。
「やめろ!!」
あと数センチでエドの額に手が触れようかというところで、
【フェイス】は、【スカー】の腕を掴む。
「・・・・お前・・・・。許さない。」
空いた手でエドを腕に抱きしめて、【スカー】を睨みつける【フェイス】の
姿に、ロイは心の中にどす黒い感情が渦巻くのを感じた。
”何だと言うんだ!!何故こんなに胸が苦しい!!”
心がギリリと痛みを訴え、ロイは耐えるように手の平をを握り締める。
爪が皮膚を食い込み、赤い血が地面へと流れ出すが、
その痛みすら、心の痛みに比べれば、大したことではない。
そんなロイの葛藤に気づかず、【フェイス】と【スカー】はお互いに
一歩も引かずに睨みあっていた。
「・・・・俺はこの石に誓ったのだ。」
視線を【フェイス】に向けたまま、【スカー】は掴まれていない左手で
ポケットから紅い石を取り出す。
「一族の恨みを晴らすと!!」
そう言って、赤い石を【フェイス】に向けた。途端、エドの絶叫が
響き渡った。
「いやぁああああああああああああああああああ!!」
「エド!!」
赤い石を見た瞬間、それまで大人しかったエドが、狂ったように
暴れだす。
「落ち着け!エド!!」
【フェイス】は【スカー】から手を離すと、両手でエドを抱きしめようと
するが、その前に、エドは【フェイス】の手を振りほどいた。
「ごめ・・・んな・・・さ・・・い。」
泣きながら何度も頭を横に振り続けるエドの様子に、【フェイス】は
最悪な事態に向かった事に気づく。
「まさ・・・か・・・。お前、記憶・・・・が・・・・。」
痛ましそうに顔を歪める【フェイス】に、エドは空ろな目のまま、
何度も謝罪する。
「ごめんなさい・・・。ごめんなさい・・・。俺・・・俺はこの手で・・・
みんな・・・・を・・・・・・。いやぁあああああああああああ!!」
頭を掻き毟りながら、エドはゆっくりと後擦さる。
「エド。落ち着け!お前が悪いんじゃない!!」
【フェイス】は、何とか落ち着かせようとするが、エドは更に興奮するように、
泣き叫ぶ。
「そんなつもりじゃなかったんだ!!俺は!!」
その場に崩れるように蹲るエドに、【フェイス】は近寄ろうとするが、
それよりも前に、【スカー】の手の中にある赤い石が光を放ち出す。
「なっ!!」
それに呼応するかのように、静かだった湖面が波打ち始める。
「危ない!エド!!」
まるで意志を持ったかのように、荒れ狂う湖に一同、言葉もなく
立ち尽くすが、高波がエドに向かって押し寄せるのに気づいた
【フェイス】が、エドに向かって叫ぶ。
しかし、次の瞬間、波がエドの身体を包み込んだ。
「エド!!」
慌てて助けようと【フェイス】が駆け寄ろうとするが、その横を、
黒い影が過ぎる。
「マスタング!?」
エドを助ける為なのか、ロイが湖に飛び込んでいく姿に、
【フェイス】は舌打ちをする。
「【スカー】!!石を隠せ!!」
【フェイス】に叱咤され、我に返った【スカー】は、慌てて石を
ポケットに隠す。途端、それまで荒れ狂っていた湖が以前と変わらぬ
穏やかな姿へと戻っていく。
「兄様!!エド姉はっ!!」
青褪めた表情で駆け寄ってくるマリアに、【フェイス】は弱々しく
首を横に振る。
「そんなっ!!エド姉!!」
慌てて湖に飛び込もうとするマリアの腕を、【フェイス】は掴む。
「落ち着け!あの二人なら死なない。それよりも、全員を集めろ。
捜索をする!!」
「は・・・はい!!」
マリアは、重々しく頷くと、連絡を取るために本部へと向かった。
「さて・・・【スカー】。」
今だ茫然となって湖を見つめている【スカー】に近づくと、
【フェイス】は渾身の力で殴りつける。
「この馬鹿野郎!!よりにもよって、何てものを持っているんだ!!」
「【ナビ】!これは一体・・・・。」
【スカー】は、ポケットから石を取り出すと、困惑気味に【フェイス】を見る。
「これは、ただの宝石ではないのか?」
じっと手の中にある石を見つめる【スカー】に、【フェイス】は忌々しげに
呟いた。
「それは・・・・【賢者の石】の紛い物だ。」
「!!これがっ!!」
唖然と石を凝視する【スカー】に、【フェイス】は厳しい目を向ける。
「そうだ。これを作るために、我々・・・イシュヴァールの民と
アメストリス国は騙されたんだ・・・・・ウィルグドになっ!!」
血を吐くような絶叫に、【スカー】の目が驚きに見開く。
「なんだ・・・と・・・?」
「そして・・・・その【罪】を一身に背負ったのが・・・・エドなんだ。」
そう言って、苦しそうに顔を歪ませる【フェイス】に、【スカー】は
何も言えずに、ただ黙り込むしか出来なかった。
暗い 暗い 水の底・・・・・。
ロイは必死になって金の軌跡を追っていた。
何故自分はこんなに一生懸命なのだろうか。
ロイは必死に泳ぎながら、自分の行動に戸惑いを
隠せなかった。
エドワード・エルリックさえ亡き者にすれば、自分は労せずに
上に上がれる。
先ほどまで、そのつもりでいたのに。
だが、エドが波に浚われた瞬間、自分は気がつくと、
エドを追って、湖に飛び込んでいた。
荒れ狂う水に飛び込む事など自殺行為。
それなのに、何故自分は波に浚われたエドの姿を、
必死になって追っているのだろうか。
自分の手で始末する為?
それとも、助ける為なのか。
明確な答えを出さぬまま、ロイは必死に
水底へと沈んでいくエドに、手を伸ばす。
だが、あと少しというところで、僅かに及ばず、エドの身体は
沈んでいく。
”あと少しなのに!!”
段々と息が続かなくなり、視界も徐々に暗くなり始まる。
このままでは、自分も溺れてしまう。だが、どうしても
ロイはエドを追うことを止めることは出来なかった。
”せめてもう少し沈む速度が遅ければ・・・・・。”
機械鎧のせいなのか、エドはまるで水底に引き込まれるかのように、
沈んでいく。
”くそっ!息が!!”
限界を感じ、一度水面に上がろうかと思い始めた時、
目の前に金の光が見えた。どうやら水底に沈んだ樹の枝に引っかかった
ようだ。ロイは最後の気力を振り絞ると、エドの身体を抱きしめる。
”急がねば!!”
ロイはエドの身体を抱え直すと、力強く水面へと泳ぎ始めた。