第3話
宿屋の娘は、名前をロゼと言った。
「で?一体、この村では何が起こってるんだ?」
エドは備え付けのティーセットで、紅茶を入れると、ロゼに差し出し、自分は
ロゼの向かい側、ロイの横に腰を下ろした。
「も・・・申し訳ありません。お客様に煎れさせるなんて・・・・・。本来ならば、
私が煎れるべきものを・・・。」
恐縮するロゼに、エドはニッコリと笑った。
「気にすんなって!俺が煎れたいだけなんだから♪それよりも、
話の続きなんだけど・・・・。」
エドの言葉に、ロゼは言い辛そうに口を開く。
「事の発端は、今から一ヶ月くらい前の事です。ある一組のカップルの
うち、女性の方の姿が見えなくなったと、うちの二つ先にある、【赤い羊】って
いう、宿があるんですけど、そこの息子さんが、騒ぎ出したのが、最初だったんです。」
ロゼの言葉に、ロイは訝しげに眉を顰めた。
「宿屋の息子?連れの男ではなく?」
「ええ・・・。お客様が不審に思うのは、当然だと思います。ですが、これには
訳があるんです。実は、そのお連れの男性の方というのは、【赤い羊】の息子さんの
お友達なんだそうです。本来ならば、そのお友達が憲兵所に駆け込むべきなのですが、
その・・・・行方不明になった女性とそのお友達は・・・・。」
言い辛そうなロゼの言葉を、エドが引き継ぐ。
「さっき言ってたよな。訳ありって。つまりは、駆け落ちって所か?」
「・・・・はい。」
コクンと頷くロゼに、ロイが呆れた声を出す。
「何という事だ!駆け落ちするくらい大事な女性が行方不明になったというのに、
自分では行動を起こさないとは!!それでも、男か!」
憤慨するロイに、エドも、全くだと大きく頷く。そこで、ロゼが更に言い辛そうに
口を開く。
「・・・・それは、ジンジャー・・・あっ、【赤い羊】の息子さんなんですけど、彼って、
思い込んだら、後先考えないっていうか、天然ボケが入っているというか、
その・・・・女性の姿がないと、お友達が探している間、ジンジャーが先走ってしまって、
詳しい話も聞かずに、憲兵所に行ってしまったらしくて・・・。」
「・・・なるほど、つまり、一人勝手に憲兵所に被害届を出したと言うわけか。それにしても、
それから男性はどうしたんだ?いくら駆け落ちで、家族が探さないと言っても、自分の愛する女性
だろ?独自で探すとかしなかったのか?」
納得いかないと言うロイに、ロゼも困ったように眉を下げる。
「男性は・・・・・ここら辺を治めている領主の息子さんなんです。只でさえ、駆け落ちと言う
不祥事なのに、更に女性の方が行方不明だなんて、という事で、闇から闇へと葬り去られて
しまったんです。女性の方は、天涯孤独の身だったのが、それに拍車をかけたみたいで。
息子さんは、ご両親に説得されて、今は首都に留学なさっているとか・・・・・。」
「・・・・・・駆け落ちまでした相手が、親の言いなりになるしかない、金持ちのボンボンとは・・・・。
行方不明になった女性は、その事を知ったら、さぞ嘆くのであろうな。」
ロゼの言葉に、ロイはうんざりした様に肩を竦ませる。
「でもさ!男はどうであれ、女性はまだ行方不明のままなんだろ?早く助けてあげなくっちゃ!!
それで、他の人達は?」
エドの問いかけに、ロゼは頭を払った。
「実は・・・・詳細を知っているのは、その最初の一件だけなんです。その後、3・4件同じような
事件が起きたので、むやみに騒がないようにというのを、宿組合を通じて各宿屋に通達されただけで、
どこの宿でどういう人達が事件に巻き込まれたかとかまでは、詳しくは知らないんです。噂のみで・・・。」
その言葉に、ロイは怪訝そうな顔を向ける。
「どういう事だ?例え、宿組合の通達であっても、宿屋自体、個々に付き合いがあるだろう?
詳しい話とか聞かないのか?」
ロイの最もな問いかけに、ロゼは一瞬躊躇したように視線を逸らせたが、やがて、意を決した様に
話し出した。
「・・・・・・・普通の事件なら、例え、憲兵が事件をもみ消そうとしても、村全体で問題を解決しようと
するでしょう。ですが、今回の事件は、この村のタブーに触れるかもしれないということで、
皆、消極的なんです。」
「タブー?」
エドは聞き咎めて、目を細める。そんなエドに、ロゼは大きく頷いた。
「その・・・・この村の中央にある、湖の事はご存じですか?」
「ああ。湖の中央にある祠に恋人たちが祈りを捧げると、二人は永遠に結ばれるという伝説
だね。それが何か?」
ロゼの問いに、ロイが答える。
「実はその・・・・伝説には、二つあるんです。一般的に知られているのは、今お客様が
仰られたものなんですが、実はもう一つあって、それが今回の誘拐事件の発端になったん
じゃないかって言われていて・・・・。」
「もう一つ?」
エドは眉を顰める。
「ええ。深夜2時を回った頃、湖の祠にある聖なる石を手にした二人は、例え
どんなに周囲から祝福されない恋人同士であろうとも、必ず結婚できると・・・・。」
ロゼの言葉に、ピクリとロイの眉が跳ね上がる。
「・・・・・・つまり、君がここに来たと言う事は、私とエディが訳ありカップルだと、勘違いした
という訳なんだな?」
ロイの底冷えする低い声に、ロゼは思いっきり首を横に振り続ける。
「いえ!決してそのようなことは!!ただ、この伝説は、本当に知る人ぞ知るという類のもので、
実際、そんな伝説を知らずに、普通のカップルやらご夫婦やらが、深夜、湖の祠へ
良く行かれるんです。確かに、今回の誘拐事件の被害者達は、全て訳ありの方ばかり
なんですけど・・・・ただ、もう一つ、彼女たちには、共通点があって・・・・。」
「共通点?」
キョトンと首を傾げるエドに、ロゼはコクリと頷く。
「女性の方が皆、黄金の髪に黄金の瞳を持っていらしゃるんです。これは、宿組合からの
通達に書いてあったので、間違いはありません!私は、別にお二人を
訳ありだなんて思っていなくって、もしかしたら、誘拐事件は、訳ありカップルではなく、
黄金の髪と瞳を持った女性を狙っているとしたらと思ったので・・・・・。」
「・・・・・・・つまり、犯人を捕まえてみれば、わかるって事だな。となれば・・・・・。」
腕を組んで小声でブツブツ言うエドに、ロイは鋭い視線を向ける。
「・・・・エディ。私は反対だ。」
「な・・・何が?ロイ?俺、何にも言ってないぞ?」
ハッと我に返ったエドは、慌ててニッコリとロイに笑いかける。
「エディ・・・。そんなに可愛く笑っても、私は誤魔化されないぞ。君のことだ。
自分が囮になるとでも考えたんだろ?」
「それは・・・その・・・・。」
思っていた事を言い当てられて、エドは目を泳がせる。そんなエドの様子に、
ロイは、クスリと笑うと、エドの腕を引っ張って、自分の膝の上に乗せる。
「ちょっと!!ロゼが見てる〜!!」
恥ずかしいだろ!!と、真っ赤な顔でポカポカ殴るエドに、ロイは蕩ける様な笑みを
浮かべながら、更にギュッと抱き締める。
「何が恥ずかしいんだ。私達は夫婦だぞ?これくらい、当然であり、常識だ!!」
「・・・・・じょ・・・常識なのか!?」
驚くエドは、チラリと困惑気味にロゼを見る。ロゼは真っ赤になって俯いてしまっていて、
その様子に、エドはムーッと頬を膨らませ、ロイを見上げる。
「ロゼだって、真っ赤になって俯いてるじゃん!絶対に常識じゃないもん!
恥ずかしい事なんだもん!」
「いやいや。エディ。嘘じゃないよ。この行為は、夫婦のみに許されていて、常識なんだよ?
ロゼは違うだろ?だから、俯いているんだよ。」
ロイは更に似非臭い笑みを浮かべて、エドに優しく語りかける。
「そ・・・・そうなの?」
長い間、世間から隠されて育てられたという、特殊な過去を持つエドは、【常識】という言葉に
非常に弱い。ここにホークアイやアルフォンス、ハボックでもいれば、間違っているのはロイの方だと
ツッコミが入るのだが、ここにいるのは、悲しいかな、お客に対して強く言えない宿屋の娘が
ただ一人。ここでもまた一つ、ロイにとってのみ都合の良い【非常識】が、エドに【常識】として、
植えつけられてしまった、瞬間だった。
「・・・・・・・分かった。俺、恥ずかしいけど・・・・慣れるように、努力する!」
ニッコリと笑うエドに、ロイは感極まったように、抱き締める。
「愛しているよ!エディ!!」
「ロイ!!」
「・・・・あの・・・・。私、そろそろ仕事が・・・・・。」
人目も憚らず、きつく抱きしめ合う二人に、ロゼは内心、いい加減にしなさいよ!この
馬鹿ップル!と悪態をつきながら、表面上は遠慮がちに声を掛ける。
「・・・・・・・わざわざ知らせてくれてありがとう。愛する妻が誘拐犯に浚われないよう、この
私が守ってみせるので、安心しなさい。」
ロイは、エドを抱きしめたまま、ニッコリと微笑む。
「・・・・で・・・では、私はこれで!!」
これ以上、この場にいてはいけないと、ロゼは慌てて頭を下げると、脱兎のごとく部屋から
飛び出して行った。
「あっ!!まだ、聞きたいことがあったのに!!」
「聞きたい事?」
「うん。タブーとか言ってただろ?他にも気になる点が幾つかあって・・・・・。」
ロイの問いかけに、エドはシュンと肩を落とす。残念そうなエドに、ロイは宥める様に頬に
口づけを落とすと、そっと耳元で囁いた。
「その点ならば、心配いらないよ。あの宿屋の娘より、更に詳しい説明をしてくれそうな奴・・・・
なのかどうかは議論したい気がしないでもないが、先程からその壁に掛かっている鏡の
中に、チョロチョロと緑色の物体が動いているからね。」
そこで言葉を区切ると、ロイは優しい口調から一変、底冷えするような低い声で呟いた。
「・・・・・・・・・さっさと出てきたらどうだ?」
「えっ!?」
驚いて顔を上げると、ロイは厳しい表情で、先程までロゼが座っていた椅子の後ろにある
壁、正確には、そこに掛かっている鏡を凝視していた。
「・・・・・・なんだ。バレテたのか。」
ニョキ。
そんな擬音がしそうなくらい唐突に、鏡の中から、鳥の足が飛び出てくる。
「え・・・・そんな・・・・・。」
大きな目を更に大きくさせて驚くエドに、全身を鏡の中から出した緑色の鳥は、ヨォ!と
羽をバタつかせて挨拶する。
「久しぶりだな〜。エドワード姫。」
「うそ!?なんで!?こ・・・・ここに!?」
そこにいたのは、ほんの一ヶ月ほど前、別れたはずの、元【真理の森の管理人】こと、
【扉の向こうの住人】である【文曲】であった。