「ここも、久しぶりだな・・・・・・・。」
土方が出かけてから数刻後の昼の事。
村の入り口でもある、大きな欅の前に立ち、辺りをキョロキョロと
見回す若い男がいた。
そんな不審な行動をする男の姿に、村人が気づかない訳もなく、
遠巻きに見ていたのだが、やがて男が笠を取った事で、
辺りが歓喜に包まれる。
「三郎じゃねーか!!」
「今までどこにいたんだよ!」
「良く帰ってきたな!!」
「お帰りなさい。三郎さん!」
男・・・・三郎を取り囲んで、村の人々が、口々に言う。そんな
みんなの心温まる歓迎に、三郎は照れたように笑うと、
そういえば、と皆を見回した。
「実は、親父から、手紙が届いたんだけど、俺に合わせたい人が
いるって。」
誰だか分かるか?と問えば、中の一人がポンと手を叩く。
「それって、もしかして、千鶴さん?」
その言葉に、三郎は耳を疑った。
「い・・・今、千鶴って言ったか?千鶴って・・・まさか・・・・。」
呆然となる三郎に、皆が一斉に嬉しそうに頷く。
「そうなんだよ!雪村の千鶴さんだよ!!」
「今、彼女はこの村で暮らしてて・・・・。」
嬉々として語りだす村人に、三郎は興奮気味に村人の胸倉を掴む。
「ほ・・本当なんだな!!今、千鶴はどこに!!」
鬼気迫る三郎の様子に、面喰いながらも、胸倉を掴まれた男は、
息も絶え絶えに言葉を繋げる。
「今日は・・・確か村長さんの家に・・・・・。」
「俺のうちだな!!ありがとよ!!」
パッと男から手を放すと、三郎は嬉々として実家の方へと走り去って
行った。
「はぁ・・・行っちゃった。」
「なんだったんだ?あれは・・・・。」
「まぁ、三郎さんは、千鶴さんと仲が良かったからねぇ・・・。」
「ああ、幼馴染が見つかって、よっぽど嬉しかったんだなぁ・・・・。」
あっという間に、姿が見えなくなった三郎を見つめながら、皆は
口々に言い合うと、何事もなかったように、仕事を再開した。
三郎が帰ってきたのだから、夜は宴会だろう。その為にも、
早く仕事を終わらせないとと、誰もが手を動かす速度を速めるのだった。
「千鶴!!」
「きゃああああああ!!」
丁度厨で野菜を刻んでいた千鶴は、いきなり入ってきた、見知らぬ男に、
思わず悲鳴を上げた。
だが、男も興奮しているのか、千鶴の怯えに全く気付かず、ずかずか
千鶴に近寄ると、ガシッと両手を掴む。
「お前!千鶴だよな!!生きてたんだな!!」
良かった。良かったと泣き出す男に、千鶴は訳も分からず青い顔でガタガタ
震える。自分には覚えがないが、この男が自分の顔を知っているということは、
元蝦夷共和国の関係者か、蝦夷へ来る前に袂を分かれた旧幕府軍の人間かも
しれない。でも、万が一、新政府の人間だったら?
そう思い、千鶴は気を静める為に息を深く吐く。
幸い、今土方は隣村に行っていて留守だ。土方を守れるのは、自分しかいないと
覚悟を決めた途端、まるで潮が引くように冷静になれる自分に気づき、
千鶴はゴクリと唾を飲み込む。
”近藤さん、井上さん、山南さん、沖田さん、平助君、斎藤さん、山崎さん。
皆さんの代わりに私が歳三さんを守ります!!!見ていて下さい!!”
決意を新たに、どうやって、男から逃れようかと、隙を伺っていた千鶴の背後
から、バタバタとした荒々しい足音が聞こえてきた。
「千鶴ちゃん!?一体どうし・・・・・。」
千鶴の悲鳴に、慌てて駆けつけたのはお千香。父親の包帯を替えていたのだが、
厨から聞こえた千鶴の悲鳴に、慌ててやってきたのだ。
「お・・・お千香ちゃん!!」
危ないから逃げて!という千鶴の叫びは、次の千香の行動で、発することは
叶わなかった。
「こんのぉ・・・・馬鹿兄貴!!何千鶴ちゃんの手を握っているのよ!!」
パコーンと千香は、身近にあった人参を手に取ると、思いっきり男の頭に振り下ろした。
「お・・・お千香ちゃん!?」
訳が分からず呆然としている千鶴の手を、男から引き離すと、パタパタと千鶴の身体を
ペタペタ触る。
「大丈夫だった?怪我はない?千鶴ちゃん。ごめんね〜。うちの馬鹿兄貴が、無礼を
働いて。」
「え?お兄さん?」
キョトンとなる千鶴に、千香は苦笑する。
「この間話したでしょう?数年前に村から飛び出した馬鹿兄貴の話。それが、コレよ。」
そう言って、千香は床に伸びている男を指さす。
「・・・・おい。千香。お前って奴は・・・・・。」
怒りでブルブル震えながら、男はゆっくり起き上がると、妹を睨みつけた。
「何よ!悪いのは三郎兄さんでしょう!?千鶴ちゃん、怖がってたじゃない!!」
その言葉に、男・・・三郎は、ハッと我に返って、傍らにいる千鶴を見る。
「怖かったか?すまない。つい嬉しくって・・・・・。」
恐縮しながら頭を下げる三郎に、千鶴は慌てる。
「・・・あの、こちらこそ、すみません。初めまして。私は・・・・。」
「初めましてって・・・・お前、雪村千鶴だろ?」
ペコリと頭を下げる千鶴に、三郎は訳が分からないとばかりに首を傾げる。
「それはその・・・・・。」
「・・・・兄さん。千鶴ちゃんは幼い頃の記憶を無くしているのよ。」
戸惑う千鶴に、隣の千香が説明する。
「記憶がないって・・・・。」
唖然となる三郎に、千香は悲しそうな顔をする。
「無理もないわ。村が目の前で・・・・・・。」
そこで、三郎はハッと息を呑む。確かに、目の前で両親や親しい村人達が
殺されるところを見れば、それが幼い子供なら猶更記憶を封印してしまうだろう。
再会できた喜びで、そういった配慮を忘れていた自分に、三郎は唇を噛みしめる。
そんな三郎に、千鶴は申し訳なさそうに、小さくごめんなさいと呟いた。
気まずい空気が流れる中、三郎は咳払いをすると、わざと明るい声で千鶴に
話しかける。
「えっと・・・俺、小板三郎って言うんだ。千香の兄だ。昔、お前達と歳が近かったから、
薫と千香と四人で、良く遊んでいたんだぜ!お前が生きていてくれて、すごく
嬉しいよ!!良かったら、向こうで色々と話をしないか?」
ニッコリと笑う三郎の顔が一瞬、平助の顔とダブり、千鶴は知らずに笑みを浮かべる。
その様子に、ホッと胸を撫で下ろした三郎は、さり気なく千鶴の手を取ろうとしたが、
その前に、千香に首根っこを掴まれる。
「ちょっと!お前何すんだよ!」
慌てる三郎に、千香の冷たい視線が突き刺さる。
「何すんだ・・・ですって?散々人に心配掛けさせて、どの面下げて戻ってきたのよ!
ほら!さっさとおとっつあんの所に行って、今までの親不孝を謝って来なさいよ!
説教が終わる頃には、宴会の準備が終わってると思うから、それまで、おとっつあんに
しっかりと怒られてきなさい!」
そのまま、ずるずると引きずられる三郎の姿に、千鶴はクスクスと笑いながら、
見送るのだった。
”チッ・・・・年寄りの説教ってのは、どうしてこうも長いんだ・・・・。”
あれから、三郎は千香に父親の元へと放り込まれ、延々と説教を繰り返し聞いていた。
数年分の不義理の分というより、腰を痛めて身動きが取れない苛立ちの八つ当たりの
方が強いのか、宴会が始まってても、善衛門の説教は留まる事を知らず、いい加減、
三郎も我慢の限界だった。
「お前が所帯でも持って、しっかりしてくれたら・・・・・。」
はぁああああああと深いため息をつく父に、三郎はピクリと反応した。
「所帯か・・・・・。」
三郎が呟いた時、厨から追加の料理を持ってきた千鶴が、広間の方へと
入ってきた。そのまま、村人の給仕を甲斐甲斐しく行っている姿に、三郎は
夢見がちな目を向けながら、大きく頷いた。
「そうだな・・・・。所帯を持つのもいいなぁ・・・・。」
「おっ!なんだなんだ、三郎!向こうでいい女でもいんのか?」
三郎の隣でお酒を飲んでいた、友達の嘉助が嬉々として三郎の肩に腕を回す。
「なんだと?おい!三郎!本当か?だから、今まで家に寄りつかなかったのか!?
まさか、花街の女に入れあげてるんじゃ・・・・・。」
嘉助の言葉を受けて、善衛門は三郎に詰め寄る。そんな父の姿に、三郎はクスリと
笑う。
「花街の女なんかじゃねーよ。最高の女だよ。きっと親父も気にいるぜ。」
そう言って、三郎はフラリと立ち上がると、千鶴に向かって歩き出した。
「おい!?三郎?」
「どこ行くんだ!三郎!」
どうしたんだ〜と訝しげな二人を無視して、三郎はただひたすら千鶴だけを見つめながら
歩いていく。
丁度その頃、玄関では、土方と同行者達が村長の玄関へと足を踏み入れていた。
「お帰りなさい。皆さん。歳三さん、父の名代ご苦労様です。助かりました。」
出迎えに出た千香に、土方は笑いながら頷くと、キョロキョロと辺りを見回す。
その様子に、千香はクスリと笑う。
「千鶴ちゃんなら、今広間にいます。今日は数年ぶりに兄が帰って来たので、
村の人達と宴会を開いてるんですよ。千鶴ちゃんに手伝ってもらって、助かってます。」
千香の言葉に、玄関先で蹲るようにゼエゼエと息を整えていた同行者達の中で、
弥助が、驚いて顔を上げる。
「え!?三郎が帰ってるのか?」
「そうなのよ〜。今日、いきなり帰ってきて、驚いたわ!帰ってから、ずっとおとっつあんに
説教されてて、そろそろ助けてあげないといけないかしら。」
「そうか。三郎さんが帰っているのか。良かったな、じゃあ、俺は善衛門さんに、報告して
くる。」
何かを感じ取ったのか、厳しい顔つきでじっと広間の方を見ていた土方は、そういうと、
さっさと広間の方へと歩いていく。その後ろ姿に、未だ玄関に蹲っている同行者達は、
ハァ〜と感心したように土方の後姿を見送った。
「いや〜。すごいな。歳三さん・・・・。」
弥助がしみじみ言うのを、他の者もウンウン頷く。
「いつまでも、玄関に懐いてないで、さっさと立ち上がる。歳三さんを見てごらんなさい。
まるで疲れなんか感じさせてないじゃない。」
体力のない男達に、呆れた顔をする千香に、男たちは食って掛かる。
「お千香ちゃん。ありゃあ、普通の人間じゃねーよ。流石風間様に認められた人だよな。」
弥助は、よっこらしょっと掛け声を掛けながら、何とか立ち上がる。
「本当に、道中大変だったんだぜ〜。休みなしで、山二つ分を駆け足状態だったんだから。
お蔭で、歳三さんの宣言通り、昼前に向こうについたんだが・・・・。」
「ちょっと待って!昼前って・・・・。どんだけ駆け足だったのよ。」
呆れた顔の千香に、別の男も苦笑しながら、立ち上がる。
「半分死にかけたがな。歳三さん、何が何でも、昼前に向こうに着きたかったらしく、
最後の方なんて、鬼そのものだったぜ・・・・。」
その時の事を思い出したのか、ブルリと震える全員に、千香は眉を潜める。
「何で、昼前に着きたかったのよ。会合は御昼過ぎからでしょう?」
首を傾げる千香に、最後にやっと立ち上がった安吉が苦笑する。
「決まってるじゃないか。害虫駆除の為だよ。向こうでお昼を用意してくれたんだがな、
歳三さん、一人だけ、自分には愛妻弁当があるからって断ったんだよ。」
どうも、嫁自慢をしたいが為に、わざわざ昼時を狙っていたようだという皆の言葉に、
千香は空いた口が塞がらない。
「その後が凄かった。弁当を食べながら、惚気を延々と言ってさぁ・・・・。俺達と違って、
皆、免疫のない奴らばかりだろ?皆唖然として、その後に始まった寄合も、なんか覇気が
ないっていうか・・・・大人しくて、それを狙ったのかどうか分からないが、そこからが
歳三さんの独壇場で、あっという間に、寄合の主導権を握ると、さっさと決める事
決めちゃったんだよ。しかも、文句が出ないような案ばかりだから、余計にすげぇや!」
いつもは嫌味な隣村の村長の唖然とした顔を、皆に見せたかったぜ!と可笑しそうに
クスクス笑う弥助に、周りのみんながドッと声を立てて笑う。
「だから、こんなに早く帰って来たのね。いつもなら、隣町の村長が難癖つけて、
二・三日くらい話し合いに費やされるのに。あの村長を大人しくさせたところ、
見たかったわ〜。」」
「それだけじゃねぇぜ?見ものだったのは!」
悔しがる千香に、弥助は得意げに笑う。
「まだ何かあるの?」
「お園さんだよ!」
首を傾げる千香に、クククと弥助はお腹を抱えて笑う。
「お園?隣村の村長の娘の?あの人がどうかしたの?親子揃って、嫌味しか
言わないのよね。」
その名前に、千香は眉を潜める。脳裏には、過去散々嫌がらせされた黒歴史が
走馬灯のように、浮かんでは消えていく。そんな千香に、弥助はニヤニヤ笑う。
「そのお園さん、どうやら、歳三さんに一目惚れしたらしくって、寄合が終わって、
さっさと帰ろうとする歳三さんを、思いっきり引き止めたんだよ。でも、歳三さんの、
『可愛い嫁が腕の中にいないと、どうも落ち着かねぇ。早く帰らねぇと』と、笑顔で
言い切った時の、お園さんの顔!傑作だったよな!!」
なぁ、みんな?と同意を求める弥助に、千香は更に悔しがる。
「ずるい〜!!私も行くんだった!!」
本気で悔しがる千香に、弥助を初め、その場にいた人間は、大声で笑った。
玄関でそんな話をしていた頃、三郎は脇目も振らず千鶴の傍へと寄ってきた。
「なぁ、千鶴。」
空のお皿を手に、再び厨へと戻ろうとするのか、千鶴は立ち上がろうとして腰を浮かせた
所に、三郎が声を掛ける。
「ああ。小板さん。何か御用ですか?何か足りないものでも?」
ニッコリと笑う千鶴に、三郎の頬が赤く染まる。
「いや・・・足りないっていうか・・・その・・・・・。」
モジモジと紅くなりながらも、千鶴の横にストンと座る三郎に、その場にいた人間が
訳が分からず二人を見つめる。
「あの・・・・宴会の準備とか、色々手伝ってもらってありがとうな!助かったぜ!」
「そんな・・・私にはこんなことしかできませんが、お役に立てて、嬉しいです!」
嬉しそうな千鶴に、三郎は眩しそうに目を細めた。
「変わらないなぁ〜。」
「?」
キョトンと首を傾げる千鶴に、三郎は優しく微笑む。
「小さい頃から、いつもお前は人の為に何かやっていたなぁ・・・・。」
そこで、咳払いすると、三郎は真剣な目を千鶴に向ける。その時になって漸く、
周りの人間が、三郎の様子がおかしいことに気づき、唖然と二人の様子を
見つめた。
「俺・・・ずっとお前に言いたい事があったんだ。」
「はい。何でしょう?」
何を言われるのかと、じっと三郎を見つめる千鶴に、三郎は頬を紅く染めたまま、
ギュッと千鶴の両手を握る。それに、周りの人間は絶叫する。
「待て!落ち着け!三郎!!」
「お前、死ぬ気か!!」
「言うな!!何も言うんじゃねーぞ!三郎!!」
慌てて止めに入る皆だったが、千鶴しか見えていない三郎の暴走は止まらない。
「俺、お前の作った味噌汁を
飲みたい!!」
「はい!」
一瞬、辺りが静寂に包まれたが、千鶴は嬉しそうに頷いた事で、更にその場の雰囲気が
凍りついた。
「千鶴!!」
感極まって、抱きつこうとした三郎だったが、続く千鶴の言葉で、身体が凍りつく。
「今直ぐにお味噌汁をお持ちしますね?お席でお待ちください。」
ペコリと一礼して、今度こそ千鶴が立ち上がろうとするので、慌てて三郎が千鶴の
手を掴んだ。
「小板さん?」
「待て!そうじゃない!俺が言いたいのは、俺はお前と・・・・・・。」
「・・・・千鶴と何だって?」
訳が分からず、キョトンとしている千鶴に、三郎は必死に言い募ろうとするが、
どこからか聞こえてくる低い声に、驚いて縁側を見ると、そこには、見たこともない
くらい整った顔立ちの男が、自分を睨みつけていた。
「ヒッ!!」
殺気立つ男に、小さく悲鳴を上げた三郎とは対照的に、千鶴は嬉しそうに立ち上がると、
テテテテテと男に駆け寄って抱きつく。
「歳三さん!!お帰りなさい!!」
「ああ・・・・。ただ今。千鶴・・・・・。」
スリスリと自分の胸に頭を寄せる千鶴に、歳三は蕩ける様な笑みを浮かべると、千鶴の
顎を掬い上げ、そのまま口づけを交わす。
「な・・な・・・・な・・・なんで・・・・。」
目の前で行われている事が信じられず、腰を抜かしながら、三郎はブルブルと震える。
そんな三郎を、チラリと勝ち誇った目を向けると、土方は、千鶴に向き合うと、優しく問いかける。
「留守中、何事もなかったか?」
「はい!・・・あっ、いえ、ありました!!」
そう言うと、千鶴は三郎を見る。
「村長さんの息子さんです。久しぶりに帰って来たそうですよ?」
「ああ、さっきお千香さんから聞いた。初めまして。三郎さん。」
土方は、千鶴から三郎に視線を移すと、一呼吸おいて千鶴を抱き寄せながら言った。
「俺は、千鶴の夫の歳三ってモンだ。
今後とも宜しく。」
「へ!?お・・・お・・・おっとぉおおおお!?」
驚きのあまり、声が裏返る三郎の頭をボカリと殴ると、善衛門が申し訳なさそうに土方に頭を
下げる。
「歳三さん。すみません。後で良く言い聞かせておきますから。」
「何の事だ?村長の息子ともあろ者が、人の女房に懸想する訳がねぇよな?
三郎さんよぉ?」
ギロリと土方に睨まれ、三郎はガタガタ震える事しか出来ない。
そんな一触即発の空気に耐え切れず、周りは慌てて口を開く。
「と・と・と・歳三さん!今日は村長名代とかで疲れただろう?
千鶴さんと一緒に、早く家に帰って休んだらどうだ?」
「お・・・おう!それがいい!それがいい!っていうか、是非そうしてください!」
口々に懇願する皆に、千鶴は訳が分からずキョトンとなりながら、傍らの土方を
見上げるが、次の瞬間、ヒッと息を飲んだ。
”歳三さん、ものすごく怒ってます〜。何でですか〜。”
土方の表情に、不穏な物を感じ、ブルブルと震える千鶴の様子に、土方はニヤリと笑うと、
千鶴の身体を横抱きに抱き上げた。
「そうだな・・・・。夜も更けたし、そろそろお暇するか。千鶴。」
「と・・歳三さん!自分で歩けます!下ろしてください〜!!」
皆さんの前で、恥ずかしいです〜と真っ赤な顔で主張する千鶴に、土方は爽やかな笑みを
浮かべる。
「何言ってやがる。もう外も暗い。大事な女房が転んだら大変だ。俺がちゃんと怪我しねぇ
ように、抱き上げてるだけじゃねぇか。」
「歳三さ〜ん!だから、恥ずかしいと・・・・。」
「そうよ!今千鶴ちゃんは、大事な身体なんだから、気を付けないと!!」
土方と千鶴の会話に、第三者が割って入る。
「お・・・お千香ちゃん!!それは、まだ言わないって!!」
何時の間に来たのか、腰に手を当てて怒っている千香に、千鶴は慌てて黙るように
懇願する。
「千鶴?一体何の話だ?」
俺には言えない事かと悲しそうな土方に、千鶴は真っ赤な顔のまま、何も言わずに
俯く。そんな千鶴に、千香は嬉しそうに助け船を出す。
「実は千鶴ちゃん、今日、昼餉の時に、具合を悪くして・・・・。」
千香の言葉に、土方は慌てて腕の中の千鶴の顔を覗き込む。
「なんだと!?大丈夫なのか!千鶴!!」
真っ赤な顔のまま、コクンと頷く千鶴に、土方はオロオロと千香を見る。
「それで、原因は?風邪か?それとも何か悪い病気とかじゃねぇんだろうな!!」
慌てる土方に、千香はクスクスと笑う。
「違います。おめでたです。」
「・・・・・・・は?」
鳩が豆鉄砲をくらったように、唖然となる土方に、千香は頭を下げる。
「おめでとうございます。今、三月(みつき)と言った所です。」
「こ・・・・こども・・・・・?」
唖然としたまま、土方は、再び千鶴に視線を移す。千鶴は真っ赤になりながらも、
肯定するように、土方にコクリと頷いたのを見て、土方は徐々に笑みを浮かべる。
「でかした!良くやった!千鶴!!」
ギュッと千鶴を抱きしめる歳三に、それまで、話の展開についていけなかった皆も
漸く動き始め、一斉に歓声を上げる。
「おめでとう!歳三さん!千鶴さん!!」
「おめでとう!!」
「やったな!歳三さん!!」
口々に祝いの言葉を掛けられ、二人ははにかんだ様に、お互いの顔を見合わせ、
クスリと笑った。
「ありがとう。千鶴。」
「歳三さん・・・・・。」
そのまま引き寄せられるように、口づけを交わす二人の周りを、皆が取り囲み、
パチパチと祝福の拍手を送るのだった。
「ち・・・千鶴・・・・・。」
土方と千鶴の、まるで春の日差しのような暖かな光景を、部屋の片隅に移動した
三郎が、滂沱の涙を流しながら、見つめていた。
”嫌な夢を見ちまった・・・・・・。”
一ヶ月ほど前の事を夢に見て、三郎は眉を顰める。
「あら?兄さん、寝ちゃったのね。」
妹の呆れたような声に、三郎は少し意識を浮上させるが、大量に摂取した
お酒の為か、完全なる覚醒とまではいかないらしい。再び夢の世界へと
足を踏み入れようとしていた三郎だったが、次の言葉に、慌てて飛び起きた。
「ごめんなさいね〜。千鶴ちゃん。うちの馬鹿兄貴が・・・・・。」
「何!?ち・・・千鶴!?」
慌てて周囲をキョロキョロしている三郎が見たのは、呆れた顔をした妹と
眉間にこれでもかと深い皺を寄せている土方、そして、何故か自分の傍らにいる
千鶴の姿に、動揺して立ち上がろうと身体を動かそうとしたが、酒に酔っている
状況では、立ち上がるどころか、まともに動けるわけがない。案の定、グラリと
体が傾き、あろうことか、千鶴にぶつかりそうになる。
「千鶴!!」
間一髪、土方が自分の方向へ千鶴を抱き寄せた為、ぶつからずに済んだのだが、
三郎はそのまま地面へと激突する。
「小板さん!?」
大丈夫ですか!!と慌てる千鶴とは対照的に、土方の視線はどこまでも冷たい。
「てめぇ・・・・。人の女房を呼び捨てするだけでも許しがたいってえのに、
身重の千鶴に、ぶつかりそうになるのは、どういう了見だ!!」
土方の本気の怒りに、三郎はアワアワと首を横に振るしか出来ない。
「本当よね!兄さん、見損なったわ!!」
千香も兄の失態に、苦い顔をする。
「と・・・歳三さん!お千香ちゃんも、小板さんは酔っぱらっていて、悪気は・・・。」
「例え、悪気がなくっても、やっていいことと悪いことがある。大事な俺の女房と
子供の命が危険に晒されたんだ。これが怒らずにいられるかよ!!」
宥める千鶴に、土方は吐き捨てるように言うと、千鶴の身体をそっと抱きしめる。
「大丈夫なんだな?具合とか悪くなってねぇか?」
「はい!大丈夫です。」
大きく頷いた千鶴は、クスリと小さく笑う。
「?どうした?」
その様子に、訝しげな顔をする土方に、千鶴は嬉しそうに身体を摺り寄せる。
「でも、私は信じていましたよ?私とお腹の赤ちゃんは、歳三さんが必ず守って
下さるって。」
「千鶴・・・・・。」
千鶴の言葉に、土方は頬を紅く染めると、キュッと抱き締める腕に力を込める。
「あの〜、お二人さん。それ以上やると、兄が再起不能になって、鬱陶しい、
じゃなかった、大変なんで、そのへんで・・・・。」
苦笑する千香の言葉に、ハッと我に返った千鶴は、慌てて小板に顔を向ける。
「そうだ!小板さんの様子が・・・・。」
「お千香さん、悪いが千鶴を家まで送ってくれねぇか?」
千鶴の言葉を遮るように、土方は腕の中の千鶴を千香にそっと押しやる。
「歳三さん?」
不安そうな千鶴に、土方は優しく微笑むと、宥めるように軽く千鶴の額に
口づけを一つ落とす。
「いくら何でも、お千香さん一人で、三郎さんを運べねぇだろ?俺は三郎さんを
送っていくから、お前はお千香さんと先に家に戻っていてくれ。」
「では、私も一緒に!!」
自分も一緒に行くと言い出す千鶴に、土方は苦笑する。
「おいおい、お前は今は大事な身体だって、分かってるのか?」
「そうよ。千鶴ちゃん。今日はお花見で、お腹の赤ちゃんだって疲れているはずよ?」
二人からそう言われ、千鶴もそれ以上一緒に行くとも言えず、しぶしぶ頷いた。
「わかりました。お言葉に甘えて、先に戻らせてもらいます。」
シュンと俯く千鶴に、土方はポンポンと頭を軽く叩く。
「気をつけろよ。じゃあ、すまねぇがお千香さん。」
土方の言葉に、千香は、大きく頷く。
「千鶴ちゃんの事は、私に任せて下さい。さぁ、行きましょう!」
ニコニコと笑う千香に、千鶴は微笑んだ。
「ごめんね。お千香ちゃん。」
「何言ってるの!少しでも長く千鶴ちゃんといられて、私は嬉しいわ♪」
笑いながら手を繋いで歩いていく二人の姿が見えなくなると、土方は先ほどまで
愛おしげに千鶴を眺めていた表情と一変させて、新選組副長の顔で、未だ呆けた
まま、地面に座り込んでいる三郎を見下ろした。
「さて。俺達も行くか。」
不気味な笑みを浮かべる土方に、三郎は慌てて立ち上がると、ブンブンと
首を横に振った。
「い・・・いえ!俺はもう一人で大丈夫ですので・・・・。」
「遠慮することねぇよ。まだまだお前には聞きたい事もあるし?こっちは
こっちで、男同士、色々と語りあわねぇか?
色々と・・・・・な?」
土方は、有無を言わせず三郎の腕を取ると、引っ張り上げる。
「・・・・すみません。」
「・・・・・何に対して謝ってる?」
頭を下げる三郎に、土方は何の感情も籠らない、冷めた目で見据える。
「・・・・それは、その・・・・・。すみません!!」
土方の威圧的な眼光に耐え切れず、再び三郎は深く頭を下げた。そんな
三郎を暫くの間、じっと見つめていた土方だったが、やがて、溜息をつくと、
未だ頭を下げている三郎の頭をポンポンと軽く叩く。
「おめぇなぁ・・・・・・。考えなしに頭を下げんじゃねぇよ。こっちが、まるで
悪人みてぇじゃねぇか。」
「そんなつもりじゃあ・・・・・。」
三郎の言葉に、土方は更に深いため息をついた。
「まぁ・・・・あんたの気持ちは分からねぇでもねぇ。なんたって、
俺の千鶴はいい女だ。あんないい女は、日本いや、世界中を探したって、
いやしねぇ。」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
拳を握って力説する土方に、三郎は思いっきり顔を引き攣らせる。
そんな三郎などお構いなしに、土方は熱く語り始めた。
こうなると、誰も止められない。それを良いことに、土方の千鶴自慢は
どんどん熱を帯びてくる。
「昨日は・・・・。」
「あ・・あの!歳三さん!!」
嬉々として語っている土方を遮る三郎に、土方は不機嫌そうに睨む。
「なんだよ。」
「あの・・・お二人が仲が良いというのは、十分分かって・・・。」
「分かってねぇ!!」
三郎の言葉を、土方はピシャリと跳ね除ける。
「分かってねぇから、未だ千鶴にちょっかい出すんだろ?」
「別に・・・ちょっかいだなんて・・・・。」
ギロリと睨まれ、三郎はシドロモドロに訴えるが、未だ千鶴に未練が
あることを自覚している為か、サッと視線を逸らす。
「どうやら、自覚はあるみてぇだな?フッ安心しろ。この俺が
お前の未練を断ち切ってやる。大船に乗った気でいるんだな!」
ニヤリと笑う土方に、三郎は絶望のあまり、目の前が暗くなった。
”俺・・・・無事に家に帰れるのか?”
それから、一刻後、ぐったりとした三郎とは対照的に、上機嫌の
土方が村人に目撃されたのは、また別のお話。
「じゃあな!三郎さん。俺と千鶴の話が聞きたかったら、いつでも
声かけてくれ!」
にこやかに笑いながら、さっさと去っていく土方の後姿に、三郎は
溜まらず叫んだ。
「もう、勘弁してくれ〜!!」
三郎の絶叫は村中に響き渡った。
fin
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