青龍の章

                (5) まい

 

 

 

                    

                 「・・・・始まったな。」
                 遠く離れた場所で全てを見ていた神取は、醒めた瞳を、
                 ナルに向ける。
                 麻衣の姿が消えたのがよほどショックだったのか、
                 酷く取り乱しているナルの姿に、肩を竦ませると、
                 自分の後ろにある木の上で、同じように高みの見物を
                 していた少女を見上げる。少女は無表情な瞳を
                 ただナルにのみ注いでいる。そんな少女に、神取は
                 苦笑する。
                 「朔夜・・・・。後悔しているのか?」
                 神取の言葉に、ピクリと肩を動かすが、朔夜の表情は
                 変わらない。
                 「だが・・・【樹姫】まで、引っ張り出すなんて、
                 いくらお前でも・・・・。」
                 「私ではないわ。」
                 神取の言葉を遮ると、朔夜はヒラリと、まるで体重を
                 感じさせない軽やかさで、枝から飛び下りる。
                 「お前じゃないって・・・・?」
                 ポカンと口を開ける神取に、朔夜は肩越しにチラリと視線を
                 投げるが、直ぐに視線をナルに戻す。
                 「おい!それって、どういう!!」
                 声を荒げる神取とは対称的に、朔夜はどこまでも
                 凪いだ海のように、動じない。
                 「いるでしょう?1人・・・・・。」
                 明らかに動揺を隠し切れない神取に、朔夜は
                 ポツリと呟く。
                 「まさか・・・・【麻射】様なのか・・?」
                 ゴクリと唾を飲み込む神取に、朔夜は口元に
                 笑みを浮かべる。
                 「己の【半身】ですもの・・・・・。【麻射】様にも
                 見届ける権利がある。」
                 「だが、これは【契約】違反だ。」
                 ひどく真剣な表情の神取に、朔夜も表情を消す。
                 「確かに・・・・【麻射】様が本当に【麻射】であるならば、
                 そうでしょうけど・・・・・・。」
                 朔夜の言葉に、神取の眉が顰められる。
                 「何を言っている?【麻射】じゃないって・・・・・。」
                 「誰も【麻射】様が【麻射】であり、【麻癒】様が【麻癒】で
                 あることを確認した訳ではないわ・・・・。
                 現状に【そうだ】と思っているだけ・・・・。」
                 淡々と語る朔夜に、神取は取り乱す。
                 「ちょっと待て!?じゃあ何か?【麻射】様が【麻癒】で、
                 【麻癒】様が【麻射】である可能性があるということか!?」
                 そんな馬鹿なとその場にヘタリ込む神取を、朔夜はゆっくりと
                 振り返ると、冷やかに見下ろす。
                 「或いは・・・・まだ【覚醒】していないか。」
                 どれかでしょうね。
                 どこか他人事に言う朔夜の様子に、神取は、
                 厳しい眼を向ける。
                 「・・・・お前、何か知っているのか?」
                 「私が?何を?」
                 クククと可笑しそうに笑う朔夜に、神取の背筋が凍りつく。
                 

                 コノ女ハ誰ダ・・・・?


                 幼馴染なのに、どこか得体の知れない女のような気がして、
                 神取はギュッと拳を握る。
                 そんな神取の動揺を感じ取ったのか、朔夜はニッコリと
                 艶やかに微笑む。
                 「どちらが【麻癒】様でもいいのよ・・・・。私達は
                 私達の【秘女】である【麻癒】様をお迎えするだけ・・・・。
                 それが・・・・【世界】を崩壊させる事になろうとも・・・ね?」
                 そっと眼を閉じて俯く朔夜の顔は、突風に煽られた髪に
                 阻まれ、見えなかった。










                 「陽女(ひめ)様・・・・・。」
                 明かりが落とされた部屋の中央で、ただ静かに座している
                 白い巫女装束を纏ったの少女に、闇の中から声が掛けられる。
                 だが、【陽女】と呼ばれた少女はピクリとも動かず、ただ瞳を閉じて
                 座っているだけ。
                 「陽女・・・・【麻射】様・・・・。」
                 囁くように。
                 「【麻癒】様が・・・・・。」
                 嘲るように。
                 「【樹姫】に・・・・。」
                 声は
                 「捕らえられた・・・・・。」
                 少女の
                 「【麻癒】なのに・・・?」
                 耳元で
                 「【魔】を【癒す者】なのに・・・・。」
                 囁き続ける。
                 「浄化も出来ず、捉えられた・・・・・。」
                 クスクスクス・・・・・
                 囁きはざわめきに変わり、辺りを包み込んでいく。
                 「・・・・・・黙りゃ・・・・・。」
                 まるでさざ波のように広がる笑い声に、漸く少女が低く
                 呟く。途端、静かになるが、辺りを包み込む雰囲気は今だ
                 侮りを含んだものだ。
                 「【影の者】が・・・・・小賢しい事を言う・・・・。」
                 だが、その場の雰囲気に臆せず、少女はニッと口元を
                 静かに吊り上げる。紅を刷いた唇は、まるで血を吸ったように
                 禍々しい色に染まっている。
                 否。
                 少女の口元を彩るのは、紅ではなく血。
                 その証拠に、彼女の両手は、己の手首から流れる真っ赤な血で、
                 染められている。
                 少女は装束が血で穢れるのを構わずに、ゆっくりと立ち上がった。
                 「【麻癒】が【樹姫】に捕まったと?」
                 瞬間、闇に蠢く者達が、ズササササ・・・と少女から、一斉に
                 距離を取る。部屋の片隅で小さくなりながらも、少女の様子を
                 息を潜めて見つめる。
                 そんな回りの様子に、少女は気にする事無く、低く笑う。
                 「浄化も出来ず、ましてや、退けることも出来ずに・・・・か?」
                 少女は笑みを納めると、袖を翻し、一回転する。
                 それまで、夥しい血を流していた両手首は、何事もなかった
                 かのように、みるみる内に傷が塞がり、白い装束を染めていた
                 血も消えていく。
                 「我が血を糧に【樹姫】を目覚めさせたのだ・・・・。」
                 血が消えた両手を見つめながら、少女は眼を細める。
                 「これで終わりと思ってもらっては、困る。」
                 全てを断ち切るように、少女は右手を振り払う。
                 それと同時に、スッと音もなく障子が開かれ、部屋の中に
                 蠢いていた影も消える。
                 「【陽女】様・・・・・。」
                 片膝を付いて、頭を垂れる男に、少女は振り向きもせずに
                 声を掛ける。
                 「火鳥(かとり)・・・・。実に良いタイミングだ・・・・。」
                 サッと裾を捌き振り返る少女は、笑みを浮かべる。
                 「【麻癒】を本来あるべき【場所】へ・・・・・。」
                 「・・・・・御意。」
                 火鳥はそのまま軽く頭を下げると、障子を閉める為に手を掛ける。
                 「・・・・・何と言ったか。神取の名前は・・・・・。」
                 独り言を呟くような声量の少女の言葉に、ピクリと火鳥が反応する。
                 「・・・・・・何か不審な点でも?」
                 ゆっくりと顔を上げる火鳥に、少女は眼を細める。
                 「いや。ふと思っただけだ。・・・・・下がれ。」
                 少女の言葉に、火鳥は一瞬何かを言いかけたが、
                 ギュッと唇を噛み締めると、そのまま障子を閉める。
                 遠ざかる足音に、少女は小さく息をつく。
                 「使える【駒】は、いくつあっても良い・・・・・。むしろ足りないくらいだ。」
                 少女はギリリッと唇を噛み締める。
                 「いつまでも【監視】されるだけの存在(もの)だと思うなよ。
                 【私】が・・・・【私】こそが・・・【まい】になるためにも・・・・。」
                 全てを利用してやろう。
                 少女の目から一粒の涙が零れ落ちた。
                 


                     

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