このお話は、『小さな祈り』のおまけSS(シリアス)です。
   単体でも話は分かりますが、ギャグ編の続きですので、先にそちらを
   お読みになることを、お勧めします。


  

                  残されし月

 

 

 

 

                        磯部の松に葉隠れて 沖の方へと入る月の
                        光や夢の世を早う
                        覚めて真如の明らけき
                        月の都に住むやらん
                        今はつてだに朧夜の
                        月日ばかりは巡り来て

                 



                       あと、数刻もすれば、夜が明けるという時刻。
                       総司は、縁側に座り、ただぼんやりと、月を仰いでいた。
                       「・・・・・・・・・・・いるんでしょ?出てきたらどうです?」
                       月を見つめながら、総司は小さく呟いた。
                       それに呼応するかのように、庭にある松の木の陰から、
                       ゆっくりと人影が現れる。
                       幸い今宵は満月。
                       月の光に照らされたその姿は、あと数刻後には、江戸を
                       出立するはずの新選組副長、土方歳三その人であった。
                       総司は、仏頂面の土方の顔を、チラリと一瞥すると、
                       再び、視線を月に戻す。
                       「どーしちゃったんですか?土方さん。いくら夜が活動時間の
                       【羅刹】だからと言っても、夜が明ければ、直ぐにここを出立
                       するんでしょう?多少は寝ていないと、寝坊して、置いてけぼりに
                       されちゃいますよ?」
                       僕のようにね?と、自嘲する総司に、土方は低く呟いた。
                       「・・・・・・・・・・・一体、どういうつもりだ?」
                       総司は、再び月から土方に視線を移すと、邪気のない笑みを浮かべながら、
                       首を傾げる。
                       「どういうつもりかって、どういう意味です?人が親切に忠告しているって
                       いうのに。」
                       クスクスと笑う総司に、土方は苛立ったように、手にしていたものを、
                       総司の足元に叩きつけるように、放り投げる。
                       「・・・・・・・・・人の手紙を読んだんですか?」
                       足元に転がるものが、昼間千鶴に託した自分の手紙だと、最初から
                       分かっていたのか、総司は、チラリと一瞥しただけで、直ぐに視線を月に
                       向ける。そんな総司を、暫くじっと見つめていた土方は、やがて大きく
                       溜息をつくと、ガシガシと頭を掻く。
                       「・・・・・・・・・・・手紙を勝手に読んだってことは謝る。だけどなぁ、
                       千鶴を巻き込む事ねえだろ?」
                       「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
                       無言のまま、ひたすら月を見つめている総司に、土方は、更に言葉を
                       繋げようと、口を開けた時、総司は、視線をゆっくりと土方に向けた。
                       いつになく、真剣な総司の表情に、土方は、掛けるべき言葉を失い、
                       口を閉ざす。
                       「・・・・・・・・・・・・・・・どういうつもりかって、言いましたよね?」
                       スッと目を細める総司に、土方は頷く。
                       「そんなの、決まっているじゃないですか。・・・・・・・・・・・最後に
                       あなたと二人きりで話したかったんですよ。」
                       「・・・・・・・・・・・・・総司。」
                       驚きに目を見張る土方に、総司は、クスリと笑う。
                       「おかしいですか?でも、僕はどうしても、土方さんにだけ、言いたい事が
                       あったんですよ。」
                       じっと自分を見つめる総司に、土方は深いため息をつく。
                       「・・・・・・・・・近藤さんの事なら・・・・。」
                       「近藤さんの事ではありません。・・・・・・・・・・・・・・千鶴ちゃんの事です。」
                       総司は、土方の言葉を遮って、キッパリと言い放つ。
                       「・・・・・・・・・・・・千鶴の事?」
                       思ってもみなかった事を言われ、土方は、面喰ったように、唖然となる。
                       そんな土方を、総司は、何の感情も籠らない目で見据えると、ゆっくりと
                       口を開いた。
                       「これから向かう甲府は、戦場になりますよね?そんなところに、千鶴ちゃんを
                       何故連れて行くんですか?」
                       「・・・・・・・・・・・・・・仕方ねえだろ。千鶴をここに置いていけるか。」
                       吐き捨てるように言う土方に、総司は感情の籠らない目を向ける。
                       「土方さんが気にしているのは、山南さんですか?」
                       総司の問いかけに、土方は一瞬息を飲むが、やがて、深いため息をつきながら、
                       肯定する。
                       「最近の、山南さんの様子がおかしくてな。【羅刹】の研究の為に、千鶴の血を
                       欲してやがる。」
                       まるで目の前に山南本人がいるかのように、土方の目に殺気が籠る。
                       「そんな危険な場所に、千鶴を置いて行けるか!」
                       激昂する土方に対して、総司はあくまでも静かな視線を土方に向ける。
                       「・・・・・・・・・・甲府に行くと見せかけて、途中でどこか安全な場所へ
                       移したら良いじゃないですか。」
                       「安全な場所だぁ?この国のどこに、安全な場所なんてあるんだよ。
                       山南さんだけじゃねぇ。風間の事もある。後で何かありましたと聞かされる
                       くれえなら、多少危険が伴っても、傍に置いていた方が、守れるってもんだろうが。」
                       腕を組みながら、まるで自分に言い聞かせるように答える土方を、総司は
                       その真意を探るかのように、じっと見つめながら、ゆっくりと口を開く。
                       「ねえ、土方さん。僕が絶対に守ると言えば、千鶴ちゃんをくれますか?」
                       「なっ!!」
                       総司の言葉に、土方の目が驚きに見開かれるが、直ぐに剣呑を含んだ
                       目を向ける。
                       「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・どういう意味だ?」
                       「どうって。言葉通りですよ。一人じゃ退屈なんですよねぇ。千鶴ちゃんが
                       いてくれれば、ここでの生活も楽しいんじゃないかなぁって。」
                       人を食った笑みを浮かべる総司に、土方は低く呟く。
                       「最初に言ったはずだ。千鶴を巻き込むなと。」
                       「・・・・・・・・・・・・・冗談ですよ。さってと、僕はそろそろ寝ようかなぁ。」
                       総司はゆっくりと立ち上がると、大きく伸びをしながら、土方に背を向ける。
                       「お・・・おい!?総司!?」
                       話の途中で、いきなり部屋に戻ると言い出す総司に、土方は慌てて声を掛ける。
                       「土方さん。近所迷惑ですから、静かにしなきゃ駄目じゃないですか。」
                       総司は、肩越しに、ニッコリと笑うと、そのまま手をヒラヒラさせながら、
                       部屋の中へと姿を消した。
                       「・・・・・・・・・ったく。一体お前は何がしたかったんだ。」
                       ピシャリと閉じられた障子の前で、土方は途方にくれたように、深いため息を
                       つくと、そのまま踵を返すと、振り返ることなく歩き始めた。




                       土方の気配が完全に消えた頃、再び障子が音もせずに開かれる。
                       「・・・・・・・・・・・・全く、土方さんも素直じゃないんだから。」
                       苦笑した笑みを浮かべながら、総司が再び庭に姿を現す。
                       そして、土方の去った方向へと目を向けると、スッと表情を改める。
                       「・・・・・・・・それとも、本人に自覚なしって事かな?あんなに千鶴ちゃんに
                       執着してるっていうのに?」
                       近藤と新選組の事しか頭になかったはずの土方が、いつの間にか
                       それと同様いや、それ以上に千鶴に対しての執着が深くなっていくことを
                       総司だけではなく、周りの人間は全員気づいていた。
                       「・・・・・・・・・・・・・・・こんな時代でなければなぁ。」
                       そう言って、寂しそうな顔で土方と千鶴を見つめていた近藤を思い出し、
                       総司はムッと口元を歪めると、吐き捨てるように言った。
                       「大体、何で千鶴ちゃんは土方さんがいいのさ。僕だって・・・・・・・・。」
                       そこで言葉を区切ると、フルフルと首を横に振る。【羅刹】である上に、労咳の
                       自分が千鶴に手を伸ばせる訳がない。それ以前に、あの二人の間には、
                       誰も入り込むことが出来ない。
                       「でも・・・・・・。」
                       もしも、千鶴が土方ではなく、自分を選んでくれたのなら、どんな事があっても、
                       千鶴の手を離さないだろう。自分も土方の事をとやかく言う事が出来ないという
                       事に気づき、総司は自嘲する。
                       「・・・・・・・・・・・・・・まっ、なるようにしかならないか。」
                       どんな結末だろうとも、あの二人なら大丈夫。
                       何故かそんな確信が総司にはあった。
                       再び見上げた月が、歪んで見えた事に、総司は気づかない振りをした。