「ねぇ・・・。藤姫。」
その日、朝から10数回目のあかね問いかけに、藤姫は嫌な顔一つせず、
にっこりと微笑むと、笑いをかみ締めた口調で言った。
「神子様。そんなに心配なさらずとも、とても良くお似合いですわ。
男の方がご覧になられれば、、神子様の美しさに心を奪われましょう。」
途端、あかねの顔が真っ赤になる。
「べ・・・別に私は頼久さんに・・・・・。」
「あら?」
藤姫は殊更驚いたような声を上げる。
「わたくし、頼久と申しておりませんが・・・・・。」
「・・・・・。知らない!」
ますます真っ赤になったあかねは、怒って横を向いた。そんな子供っぽい表情に、
藤姫は我慢しきれずに、声を立てて笑った。
「・・・・藤姫〜。」
頬を膨らませるあかねに、藤姫はクスクス笑う。
「ほほほ・・・。申し訳ありません。神子様。あまりにも神子様がお可愛らしいので、
つい・・・・。」
そこで一つ堰払いをすると、藤姫は眩しそうに目を細めると、改めてあかねの姿を
見つめた。
普段の異世界の服もよく似合っていたが、やはり十二単も良く似合う。最初は髪が
短いのを気にしていたが、鬘をすることで、それは解決した。
“神子様・・・・。なんとお美しいのかしら。この方がわたくしの主だと、全ての人に
お見せしたいですわ!!”
恥かしそうな風情のあかねに、普段には感じられない艶が感じられ、恐れ多いことでは
あるが、この姿をご覧になれば主上すらも虜にしてしまうだろう。
“でも、神子様がこの姿をお見せしたい者は、頼久1人なのですよね・・・・・。”
今日はあかねにとって最初の物忌みの日。穢れからあかねを守るために、八葉が1人
あかねに一日付き添うのだが、それをあかねは頼久を選んだ。
「・・・・頼久さん、遅くない?」
あかねの言葉に、藤姫はハッと我に返る。
「・・・・そうですわね。神子様、御前を失礼します。様子を見て参ります。」
“一体、何をしているのかしら。神子様をお待たせするなんて・・。”
憤りを感じながら、藤姫が立ち上がりかけた時、御簾の向こうで、人の気配がした。
「遅くなって申し訳ありません。」
「・・・・頼久。時間に遅れるとは、あなたらしくありませんね・・・。」
つい恨み言をいってしまう藤姫に、あかねは慌てて頼久を庇った。
「藤姫。遅くなったと言っても、ほんの少しじゃない。それに、頼久さんは忙しい方だし・・・。」
「・・・・神子様がそうおっしゃられるのならば・・・。頼久、しっかりと神子様をお守りするのです
よ。では、神子様、わたくしはこれで下がらせて頂きます。」
「うん。色々ありがとう。藤姫。」
微笑むあかねに一礼すると、藤姫は部屋から出て行った。
“う・・・・気まずい・・・・。”
相変わらず無表情で、部屋の隅に控えている頼久に、あかねはかける声が見つからず、
1人おろおろしていた。
“どうしよう!どうしよう!!頼久さんと二人っきりになれたのは、すごく嬉しいんだけど、
いざ二人っきりになると、どうしたらいいかわかんない!!”
部屋に頼久の好きだと言う梅花を焚きしめ、頼久の為に装ったのに、先程から頼久は
俯いてばかりで、1度もあかねを見ようともしない。
“頼久さん・・・・。もしかして、今日は都合が悪かったのに、仕方なくここに来たのかしら。”
だから、内心怒ってこちらを1度も見ないのだろうか・・・・。そう考え、あかねは知らず
身震いをした。
“どうしよう・・・。私、自分の事だけで精一杯で、頼久さんの気持ちを全然考えて
いなかった・・・・。”
「・・・・あの・・・頼久さん・・・・。」
頼久に、訳を尋ねてみよう。もし、自分に落ち度があれば、心を込めて謝ろうと、頼久に
声をかけようとしたが、それよりも早く頼久は立ち上がった。
「頼久・・・さ・・・ん・・・?」
「・・・・私がいると、神子殿が落ち着かれない様子。・・・・外に控えておりますので、
何かありましたら、お呼び下さい。」
そう、早口で言うと、茫然としているあかねをその場に残し、頼久は部屋から出て行った。
「頼久さん・・・・。」
後に残されたあかねは、ただ流れる涙を拭いもせず、いつまでも頼久が出て行った場所を
見つめていた。
「神子殿・・・・・・。」
外に出た頼久は、呼吸を整える為に、深呼吸を繰り返した。
あかねの十二単姿は、頼久に衝撃を与えていたのだ。
「・・・・・意気地のない。神子殿をお守りするはずの八葉のはずが・・・・。」
あかねの姿を見た瞬間、身分も使命も忘れ、ただあかねを抱き締めたい衝動に
かられたのだ。だが、鉄の意志で辛うじて堪えていたのだが、やはり物事には
限界がある。とうとう我慢しきれなくなり、頼久はあかねの元から逃げ出したのだ。
「ニャー・・・・・。」
ふと、頼久の懐から子猫が顔を覗かせた。
「済まぬな・・・。お前を神子殿にお渡しできなかった・・・。」
頼久は目を和ませると、子猫の頭を撫でた。昨日、あかねから手紙が届けられた
後、天真からあかねの好きな動物を聞き出し、朝早くから捜していて、あかねの
側に行くのが遅れたのであった。
「そろそろ行くか・・・・。」
気がつくと、だいぶ太陽も傾きかけていた。頼久は溜息をつくと、あかねの元に
歩き出した。
「神子殿・・・・・。」
いつのまにか泣きつかれて眠ってしまったようだ。頼久の声に、あかねは慌てて
起き上がる。
「よ・・・頼久さん!!」
御簾ごしに控えている頼久に気づき、あかねは声をかけようとした時、突風が突然
吹き、御簾が捲れあがってしまった。それに、頼久の懐に入っていた子猫が驚き、
あかねの所に逃げ込んだ。
「えっ!子猫?!」
突然腕に乗っかってきた子猫に驚き、あかねは子猫と頼久を、見比べた。
「それは・・・・その・・・・。天真に神子殿が猫がお好きだと聞いて・・・・・。それで、
つれづれの慰めになるのではと・・・・・・。」
真っ赤な顔でしどろもどろに話す頼久に、あかねの顔が自然と綻んだ。
「頼久さん、わざわざ私のために?」
「・・・・・・・。」
真っ赤な顔で黙り込む頼久に、あかねは嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう!とっても嬉しいです!頼久さん。」
「神子殿・・・・・。」
ほっとした表情も束の間、頼久はまたいつもの無表情に戻ると、あかねに一礼した。
「では、私はこれで失礼致します。」
頼久はそう言うと、足早に部屋を後にした。
その後ろ姿を見送りながら、あかねは腕の中の子猫に話しかけた。
「良かった。嫌われているわけじゃなかったみたい。」
あかねはぎゅっと子猫を抱き締めた。
「・・・・・お前、頼久さんの匂いがするね。」
まるで頼久本人が側にいるような錯覚に、あかねは嬉しくなって、ますます子猫を
抱き締めた。
「ニャー・・・・。」
「名前、何にしようかな・・・・。」
ふと目の前を櫻の花弁が横切った。頼久が好きだと言った花・・・・・。
「よし!決めた!お前の名前は<さくら>に決定!!」
子猫もその名前が気に入ったのか、嬉しそうにあかねの腕に頬を擦り寄せる。
「さくら、今度頼久さんと一緒に、お花見でも行こうか。」
「ニャー。」
1人と1匹は、舞い散る櫻を見ながら、幸せを噛み締めた。
FIN.