「神子殿!!」
目の前で、鮮血が飛び散る。
「い・・・や・・・・。」
崩れ落ちる頼久さんの身体・・・・。
「いや・・・。いや、いやーっ!!」
その光景を信じられなくって、いえ、信じたくなくって、
私は目を閉じると、ただ叫んだ。
「いやーっ!!」
そして、禁忌を願ってしまった。
“時間よ、戻れ!!”
こうして、私は罪人になった・・・・・。
「神子様?」
はっとして、私は顔を上げると、目の前にいる、心配げな
藤姫に、安心させるように、いつものように笑いかけた。
「ごめん、ボ−ッとしちゃった。」
「そうですか?神子様・・・。」
「気晴らしに、“神泉苑”って話なら、行かない。」
もう何度目だろう。このやりとりも。そう思い、私はため息を
つく。
「まぁ、神子様、どうして、“神泉苑”だと、おわかりになりました
の?」
心底驚く藤姫に、私はギクリとなる。
・・・・・そうだった。記憶があるのは、私だけだったんだ・・・。
「え?その・・・ちょっと・・・何となくそうなんじゃないかなぁって。」
必死に誤魔化す私に、訝しげながらも、それ以上藤姫は
追求してこなかった。
「・・・・・。神子様・・・。」
何か言いかける藤姫の言葉を遮って、私は言った。
「藤姫・・・・。私、ちょっと気分が優れないから、誰も近づかないように
してくれないかなぁ。・・・・お願い・・・・。」
その言葉に、藤姫は慌てて、お付きの女房を振り返った。
「まぁ、それは大変!!誰か、すぐ床の用意を!!薬師を!!」
「ううん。そんなにひどくないから、大丈夫。ただ、今日一日、ここで
じっとしていたいの。・・・・。駄目かなぁ。」
「しかし、もしも大病かもしれませんわ!きちんとお休みになられた方
が・・・・・。」
心配する藤姫に、私は断固として首を縦に振らなかった。
「とにかく、誰もここには近づけないで・・・・。」
何度も懇願する私に、とうとう根負けした藤姫は、何かあったら、
必ずお呼び下さいと、渋々下がっていき、私は漸く安堵の息を
漏らす。
「ごめんね・・・・。藤姫・・・・。」
「何が、ごめん、なのだ?神子。」
突然、背後から掛けられた声に、私は驚いて後ろを振り返った。
だが、そこには誰の姿も見えず、私は得体の知れない恐怖に、
後ずさりをした時、足元で、もう一度声がした。
「こちらだ・・・。神子。」
「この声・・・・・。泰明さん!?」
足元のネズミに気づき、悲鳴を上げそうになった私に、ネズミの
泰明さんは、いつもの口調で話し出す。
「落ち着け。私だ。」
「は・・・はい・・・・。」
私は拍子抜けた顔で、まじまじとネズミ泰明さんの顔を凝視した。
顔はネズミでも、不遜な態度は、泰明さんそのものだ。私は
何だか可笑しくなって、クスクス笑い出す。
「何がおかしい?」
「いえ、何でも。」
そう言われても、笑いは止まらない。そんな私の様子に、
ネズミ泰明さんは、気分を害するどころか、淡々と事務的口調で
話し出した。
「まぁ、いい。それよりも、神子。早く戻れ。」
一瞬、何を言われたのかわからず、きょとんとなる私に、ネズミ泰明さんは、
重ねていった。
「過去に逃げてばかりいても、何の解決もないぞ。いい加減戻ってこい。」
その一言に、私はカッとなった。
「何言っているんですか!私は!!」
「もう一度言う。早く身体に戻れ。戻ってこれなくなるぞ。」
身体に戻れ?何を言っているんだろう。この人。
「身体にって・・・・?」
すると、ネズミ泰明さんは、呆れたようにため息をつく。
「自覚もなしか?お前の魂は、過去に戻っている。いいから、眼を閉じて
私に意識を集中させろ。お前を連れ戻す。」
途端、私の脳裏に、血まみれの頼久さんの姿が、浮かび上がる。
「い・・・いや・・・。」
あの時間に戻るのは、絶対に嫌!!
「神子、落ち着け。氣が乱れ、時間の歪に巻き込まれるぞ。」
冷静なネズミ泰明さんの声が、どこか遠くに聞こえる。
時間の歪みに巻き込まれる・・・。それもいいかも、しれない。
頼久さんがいない世界に、なんの未練があるというのだろう・・・。
「神子、頼久は生きているぞ。」
「え・・・・?」
その言葉に、私は我に返ると、じっとネズミ泰明さんを凝視した。
「今、何て・・・・・。」
「頼久は生きていると言ったのだ。」
「そんな・・・・。あんなに血を流して・・・・・。」
私は信じられない思いで、ネズミ泰明さんに詰め寄る。
「お前が、ショックで過去に魂を飛ばした後、我々が駆けつけたのだ。
安心しろ。頼久は一命を取り止めた。」
「本当に・・・・。本当に・・・・?」
「あぁ、問題ない。」
断言するネズミ泰明さんに、私は涙を流しながら、何度も何度も頷いた。
「何故、泣くのだ?神子。嬉しくないのか?」
そんな私に、ネズミ泰明さんは、不思議そうに尋ねた。
「違うの・・・。嬉しいから、泣くの。」
私の答えに、ネズミ泰明さんは、首を傾げる。
「わからないな。嬉しいのなら、笑えばいいものを・・・・。まぁ、いい。
では、神子。私に意識を集中させろ。」
ネズミ泰明さんの言葉に、私は素直に頷くと、意識を泰明さんに合わせた。
すると、一瞬の浮遊感ののち、何かに引っ張られる感じがした。
「もういいぞ。神子。」
泰明さんの言葉に、ゆっくりと眼を開ける。
「神子様!!」
途端、私は藤姫に抱きつかれた。
「ごめんなさい。心配かけて・・・・。」
藤姫をあやしながら、ゆっくりと視線を動かす。
ネズミではなく、ちゃんと人間の姿の泰明さんを始め、天真くん、詩紋くん、
イノリくん、友雅さん、鷹通さん、永泉さんが、心配と安堵を一緒にしたような
顔で、私を見てくれていることに気づき、今更ながら、すごく心配かけてしまって、
悪かったと思った。
「あの・・・藤姫・・・・。」
でも、私はそれ以上に、頼久さんの姿が見えない事に、言い知れぬ不安を
感じ、藤姫の身体をぎゅっと抱き締めた。
「神子殿。頼久なら、そこだよ。」
そんな私の様子にいち早く気づいてくれた友雅さんは、自分の後ろの御簾の
向こうを指を指した。
「さて、神子殿はお疲れだ。我々は、ご遠慮しよう。」
そう言うと、友雅さんは、みんなを引き連れて、部屋を後にしてくれた。
「あの・・・。頼久さん・・・・・。」
みんなが下がったのを見計らって、私は恐る恐る声をかけた。
「・・・・・・。」
でも、御簾の向こうでは、気配がするだけで、一言も話してはくれない。
「頼久さん・・・・。いるので・・・・しょ・・・?」
「・・・・・・神子殿・・・・。」
暫くの沈黙の後、頼久さんの声に、私は安堵のため息をつく。
「良かった・・・。無事で・・・・・。」
また涙が溢れてきた。
「神子殿・・・・。申し訳ありません・・・・。」
搾り出すような声に、私は首を激しく横に振った。
「謝らないで!謝るのは、私の方・・・。私のせいで、頼久さん、怪我を!!」
「・・・・・・神子殿のせいではありません。全て、この頼久の不徳の・・・。」
みなまで言わせず、私は布団から起き上がると、御簾を捲り上げ、頼久
さんに抱きついた。
「頼久さん!!私・・・。私・・・・・。」
「神子殿・・・・。」
泣き出す私を、頼久さんは、おずおずとぎこちなく、抱き締めてくれた。
「私、頼久さんが、好き・・・。」
「神子殿・・・・。」
私の突然の告白に、頼久さんは、一瞬驚きに眼を見張ったけど、すぐに
優しい瞳で私を見つめてくれて、きつく身体を抱き締めてくれた。
「神子殿・・・。私も、あなたが好きです。あなたが眼を覚まさない間、
私はどれほど、心乱れたか・・・・。」
「頼久さん・・・・。」
「あなたを守れなかった憤りと、あなたを失ってしまうのではないかという
恐怖に、私はどうにか、なってしまいそうでした。」
「ごめんなさい・・・。頼久さん・・・。」
「ですが、私はあなたを信じていました。あなたは、必ずここへ、私の元へ
帰ってくると、そう信じていました。神子殿。」
そう言って、頼久さんは、私に顔を近づけると、ゆっくりと唇を重ね合わせた。
ただいま・・・・。頼久さん・・・・・。
FIN