「転校生を紹介します。」 担任のマリアの声が、3−Cの教室に響き渡る。その声に、龍麻はハッと我に返る。 “え・・えっと・・・。ここは・・・・。” ぼんやりと、教室の中を見回す。自分は何故ここにいるのだろうか。確か、自分は・・・・。だが、頭の中が、霞みかかっているようで、はっきりとしない。 “駄目だ・・・。何も思い出せない・・・。” 「緋勇君?」 マリアの訝しげな声に、龍麻は反射的に顔を上げた。 「・・・・緋勇龍麻です。明日香学園から転校してきました。宜しくお願いします。」 自分の意志とは、まるで関係なく自己紹介を始める自分に、龍麻は内心驚いたが、何故か表情すら自分の意志に反して、にっこりと微笑んでいる。 “何が・・・どうなっているんだ?” 自分であって、自分ではない、まるで誰かに操られている感覚に、龍麻は呆然とする。だが、表面上は、にこやかにクラスメートの質問に答えていた。 「みんな、もういいでしょう?」 だんだんとエスカレートする質問攻めに、マリアは困ったように助け舟を出す。 「・・・・緋勇君の席は・・・・・。」 マリアの声も龍麻には、まるで遠くに聞こえる。自分の思い通りにいかない身体が、マリアの指示に従い、ゆっくりと歩き出す。 “これって・・・夢なのか・・・?” 歩きながら、龍麻はぼんやりとした頭で、そんな事を考えていた。 “夢・・・か・・・。とても・・・気持ちがいい・・・。” まるで、雲の上を歩くような感覚に、龍麻の意識だけが闇に沈み始める。 <ククク・・・。そうだ・・・。そのまま、我に身も心も委ねるが良い・・・・。> 脳裏に、そんな声が聞こえてきたが、今の龍麻には、それがどういうことなのか、判断出来ずに呟く。 “・・・委ね・・・る・・・?” <・・・そうだ。我に全てを・・・・・。> クククと笑いながら、謎の声は龍麻と同化するかのように、闇の触手を伸ばし、龍麻の身体を絡め取ろうとした瞬間、龍麻の身体を衝撃が襲った。 “え・・・何・・・。” 龍麻の体が、一瞬光に包まれ、闇は完全に龍麻の前から姿を消していた。そして、龍麻が我に返った時には、清浄なる≪氣≫に包まれ、自分の席の前に佇んでいた。 「緋勇君。どうかしたの?」 何時までも立ったままの龍麻に、マリアは心配そうに声をかける。 「い・・いえ、何でもありません。」 先ほどとは違い、今度は自分の意思通りに動く身体に、安堵しながら、龍麻は慌てて自分の席につく。そんな龍麻の様子に、マリアは安堵の溜息をつくと、HRを再開した。 “一体、何がどうなっているんだ?” 龍麻は、HRを聞いているふりをしながら、さりげなく教室を見回した。 “転校そうそう、この歓迎か・・・・。” 龍麻はニヤリと笑う。 “危うく<敵>の罠に嵌る所だった・・・。” 鳴瀧さんの言った通り、気を引き締めてかからなければ、この程度では済まないだろう。この<東京>を守る為に、自分は<ここ>に来たのだ。今からこれでは、先が思いやられる・・・・。龍麻は目を閉じると、≪氣≫をゆっくりと身体に満たし、身体に僅かに残っていた≪陰気≫を消す。それで、だいぶ身体が楽になり、龍麻は安堵の溜息を漏らした。 “でも、何でさっきは、自分の状況がわからなかったんだろう・・・。” その時、龍麻は自分に注がれている≪陽の氣≫を感じて、慌ててその方向を向く。 “この≪氣≫は、さっき、俺を助けてくれた・・・・。” 自分の席の斜め前方。窓際に座っている一人の男と目が合う。 “え・・・・。” ドキ・・・。 目が合った瞬間、龍麻は胸の高鳴りを感じ、その男から、目が離せない。 ドキ・・・・。 ドキ・・・・。 ドキ・・・・。 “お前は・・・誰・・・・?” それが、龍麻と京一の初めての出会いだった・・・・・。 「・・・・龍麻・・・・。」 病室のベットに横たわっている龍麻を、心配そうに覗き込むと、壬生は汗で張りついている、龍麻の前髪をそっと指で直した。幸い、頭の傷は出血した割には軽傷で、3針縫った程度で納まった。多分、日頃の訓練の賜物だったのだろう。咄嗟に≪氣≫の壁を張って、衝撃から身を守ったのだろう。精密検査の結果も異常は見当たらず、壬生を安心させた。 「・・・・なのに、何故君は目覚めないんだい?龍麻・・・。」 眠り姫宜しく、龍麻は事故があってから、今日で1週間眠り続けている。華奢な身体がさらに痩せ細り、点滴する姿は、痛ましいものがある。 「・・・龍麻、君を守れなくって済まない・・・。」 壬生は、そっと龍麻の左手を握ると、自分の口許へ導く。 コンコン・・・・。 遠慮がちなノックの音に、壬生はハッとして振り向く。 「・・・館長・・・。」 入ってきた人物に驚き、壬生は慌てて椅子から立ち上がった。 「・・・館長。僕がついていながら、龍麻を・・・。」 項垂れる壬生の肩を、鳴瀧は優しく叩くと、厳しい視線を龍麻に向けた。そして、徐に右手を龍麻の額に翳すと、目を閉じた。 「・・・やはりな・・・。」 カッと目を開けると、鳴瀧は溜息をつきつつ、訳が判らず呆然と立っている壬生に命じた。 「このままでは、龍麻君が危ない。安全な場所へ移動するから、紅葉、仕度しなさい。」 「ですが!」 そう言って、龍麻の腕から点滴を抜く鳴瀧を、壬生は慌てて制する。 「待って下さい!館長!今、龍麻を動かす事は・・・・。」 「今すぐにだ。紅葉、龍麻の命に関わるんだよ。」 穏やかに自分を見つめる鳴瀧に、漸く壬生も冷静さを取り戻す。壬生は、手早く龍麻の荷物を纏めると、眠ったままの龍麻を抱き上げた。 「・・・・館長。龍麻を安全な場所へ連れていったら、僕に全てを話して下さい。」 「・・・そうだな。お前は龍麻君の<宿星>の一人。聞く権利、いや、聞く義務がある。後で全てをお前に話すことを約束しよう。」 鳴瀧の言葉に、壬生は頷くと、龍麻を抱き締める腕に力を込めた。 “・・・龍麻。僕が今度こそ必ず君を守るよ。” 決意を新たに、壬生は龍麻を抱えたまま、先を歩く鳴瀧に続き病室を出た。 |