壬生は、まるで儀式のように、櫻の樹の下に立つと、1度深呼吸をする。そして、おもむろに右手を樹の幹に翳すと、そのまま樹に身を滑り込ませる。だが、直ぐに、そこに入る者を拒むように、見えない壁に行く手を遮られるが、壬生は教えられた通り、<呪文>を呟くと、先に進んだ。 今の季節は夏。だが、壬生の目の前には、櫻の樹が満開で、風もないのに、花片が華麗に舞う。 「・・・・流石に、この感覚には、まだ慣れないな・・・・。」 壬生は、苦笑すると、櫻の並木道を、ゆっくりと進んでいく。ここに初めて訪れた時と同じに、ここの景色は変わることがない。いや、時間すら止まっているのではないかと、壬生は時々思う時がある。 「・・・・龍麻・・・。」 だから、かの君は眠りから醒めないのだろうか・・・・。 そんな事を、ぼんやりと考えていると、櫻並木は終わりを告げ、代わりに、寝殿造りの屋敷が、その姿を現す。壬生は、案内も請わずに、その中へと入っていく。塵一つ落ちていない、磨き上げられた部屋を通り、その一番奥まった場所に、壬生の求める主はいた。 白装束を身にまとい、眠り続けている麗人。 壬生は御簾を上げようと手を伸ばしたが、その前に、御簾は独りでに上げられた。一瞬、ドキッとしたが、直ぐに<ここ>は、そう言う<場所>である事を思い出し、壬生は静かに御簾を潜ると、眠っている龍麻の横に、腰を下ろした。 そっと龍麻の首筋に手を当ててみる。 ドクッ・・・。 ドクッ・・・。 ドクッ・・・。 規則正しく動く心拍に、壬生は安堵の溜息をつく。良かった。まだ生きている・・・。 壬生は、首筋から、頬へと手を移動させる。 「・・・龍麻。早く、目覚めてくれ・・・。」 だが、龍麻の意識は一向に戻る気配すらない。 「龍麻・・・何故君ばかりが、こんな辛い<宿星>を持って、生まれたんだろう・・・。」 あの日、鳴瀧に連れられ、龍麻を<ここ>に運んだ時、壬生は龍麻の<宿星>についての話を聞かされた。 人並み外れた、膨大な≪氣≫の持ち主である父親と、≪菩薩眼≫の母親から生まれた≪黄龍の器≫である龍麻。≪黄龍の器≫とは、≪龍脈≫を操る事が出来る、唯一の至高の存在。ここ数年の≪龍脈≫の活性化に伴い、東京を中心として、様々な≪力≫を持つ者が現れた。その者達を正しい道へと導く為、龍麻は<新宿>へ転校することになったのだと知らされても、正直、壬生には何の事か、良く判らなかった。ただ、龍麻が本人とは預かり知らない、<宿星>とやらの所為で、過酷なる<戦い>を強いられるということだけは理解できた。と、同時に<宿星>いや、<運命>そのものに、壬生は怒りを覚える。 「何が、<運命>だ・・・。」 壬生は、吐き捨てるように呟く。 「・・・僕は、絶対に認めない・・・。」 だが、鳴瀧館長が言うには、既に<戦い>は始まっているらしい。今回の龍麻の事故も、ただの事故ではなく、<敵>による<攻撃>の一部で、恐らく龍麻を<新宿>へ行かせない為のようだ。その時によほどの衝撃があった為か、龍麻の<魂>は、<身体>から飛ばされたらしく、以前意識不明の重体だが、<敵>の正体が掴めない今、龍麻の身体だけは、安全な場所に移す必要があり、選ばれたのが、西の陰陽師の棟梁が張ったという結界、つまり、この<場所>なのだが、全く目の覚まさない龍麻を目の前にすると、壬生は不安で気が狂いそうになる。 「龍麻・・・。」 壬生は、そっと龍麻の手を握り締める。 「龍麻・・・。」 祈るように固く眼を閉じると、龍麻の名前を何度も呟く。 「龍麻・・・・起きろ・・・・。」 万感の思いを込めて、壬生が呟いた時、奇跡が起こった。その事に気が付いた壬生は、恐る恐る龍麻の顔を覗き込む。 「・・・龍麻・・・?」 今までピクリとも動かなかった、龍麻の瞼が微かに動く。そして、壬生の呼びかけに呼応するかのように、ゆっくりと開くと、2・3回、瞬きを繰り返す。そして、徐々に焦点が合ってくる瞳に、壬生は感極まって、龍麻をきつく抱き締めた。 「良かった・・。本当に・・。龍麻・・・。」 「く・・・紅葉・・・・?」 訳が判ってないのか、龍麻はキョトンと壬生を見つめる。 「紅葉?俺、一体・・・・。」 「・・・君は、猫を助けようとして、事故にあったんだよ。そして、今までずっと意識不明の重体だったんだ。」 壬生の言葉に、龍麻は、何かを思い出すように、遠くを見つめる。そんな龍麻の様子に、壬生は心配そうに見つめた。 「そう・・・確か、俺は・・・猫を助けようと・・・・。じゃあ、あれは全部・・・<夢>・・・・?」 そこで、一旦言葉を切ると、いきなり、龍麻は大粒の涙を流し始めた。 「たっ・・龍麻!!」 そんな龍麻の様子に、壬生は慌てる。 「一体どうし・・・。」 皆まで言わせず、龍麻は壬生の胸にしがみ付くと、声を上げて泣き始めた。 「どう・・しよう・・・紅葉・・・。俺・・・。俺・・・・。」 「龍麻、一体どうしたんだ?」 努めて優しく尋ねるが、その声すら龍麻には届いていないようだ。 「もう・・・逢えない・・・。みんなに・・・。京一・・・に・・・。」 龍麻の言葉に、壬生に衝撃が走る。 龍麻は、今、何と言った? だが、壬生の心を察せず、龍麻はただ涙を流し続けていた。 I miss you ・・・。 I miss you ・・・。 I miss you ・・・。 あなたは<夢の住人>。 あなたに再び出会えるのなら、 もう1度、<夢の世界>へと旅立とう。 例え、<現実>に帰れなくとも・・・・・。 ただ、あなたに逢いたいから・・・・。 |