「なんで・・・こんな事になったんだよ・・・・・。」
朝早く起きて、朝食の下ごしらえをしつつ、エドは深々と
溜息をついた。
賢者の石を手に入れて、無事元の身体に戻れた
エルリック姉弟は、故郷であるリゼンブールへと
戻っていた。人体練成の後遺症からか、特に
姉であるエドワード・エルリックの体調が、思わしくなく、
ずっと、幼馴染である、ウィンリィの家で養生していたのだ。
それから、人体練成をして約一年後、漸く普段通りに生活が出来るまでに
回復したエドを待っていたかのようなタイミングで、今は
准将となっている、中央司令部勤務の、ロイ・マスタングから
召集がかかった。最初は行きたくないと、ごねていたエドだったが、
ご丁寧にも、ロックベル家にまで、迎えの者を寄越された為、
エドは渋々ロイの元へと向かった。それが昨日の事。
夕方着いた為、顔を出すのは、明日でもいいかとばかりに、
エドは閉館間際の図書館へと行き、既に馴染みになっている
司書に、閉館時間を延ばして貰おうと、銀時計を見せた時に、
それは起こった。
「ごめんなさいね。エドワードさん。この銀時計は、有効期限が
過ぎているの・・・・・。」
「なにいいいいいい!!!」
済まなそうに銀時計をエドに帰す司書に、エドワードは、食って掛かる。
「どういうことだよ!!有効期限って何!?」
恐ろしいまでの形相のエドに、司書は困惑しながら、親切に
説明してくれた。
「もしかして、何も聞かされていないの?今年から、国家錬金術師の
規則が大幅に変わったのよ?」
「変わった・・・・?」
キョトンと首を傾げるエドに、司書は、たしかここに・・・・と、カウンターの下に
ある引き出しの中から、ファイルを取り出すと、一枚の紙を取り出してエドに
見せる。
「何?これ。」
「司書のマニュアルよ。本当は部外者に見せてはいけないんだけどね。」
特別よ。と、司書は片目を瞑る。
「ここの、銀時計の項目を読んで頂戴。」
司書が指差す部分に、エドは素早く目を走らせる。
「えっと・・・・なになに・・・・・。銀時計について。今年から、銀時計に有効期限を
設けるにあたって、それに伴う操作と対応は、以下の通りであるだとぉおおお?
何で、こんな面倒な事すんだよぉおおお!!」
「最近、偽の銀時計を使った詐欺が横行していて、それの防止らしいわよ。
銀時計に刻印された錬成陣を発動させると、認証番号と有効期限、それから、
名前が浮かび上がるんですって。それを元に、本人であるかどうかを確認する
のよ。一年に一度の査定を合格するたびに、認証番号を変えて、
新しい銀時計を支給するらしいわよ。」
おかげで、それに対応したマニュアルがあって、大変なのよ。と、
苦笑する司書に、エドはさっと血の気が引いていく。
「お・・・俺・・・・今年の査定、忘れていた・・・・・・。ごめん!!俺、
もう行くから!!」
「ちょっと!!エドワードさん!?」
豆粒ほどの大きさに、どんどん遠ざかっていくエドの後姿に、司書は
溜息をつく。
「どうしましょう。マスタング准将に、エドワード君を引き止めておく
ように言われていたのに・・・・・。」
司書は、溜息をつくと、カウンターに備え付けてある電話を手に取った。
「どうしよう!どうしよう!どうしよう!!」
半分泣きべそになりながら、エドワードは、大通りをひたすら
走っていた。
「まずいよ〜。絶対にまずい!!」
この一年、自分の身体の事で頭が一杯だったエドは、すっかり
年に一度の査定の事を忘れていたのである。
まさか、国家錬金術師の規則が変わっていた事とは思わなかった
エドワードは、半分パニック状態になっていた。
「査定を忘れると、どうなるんだろう・・・・・。もう、資格剥奪された
かなぁ・・・・・。」
以前、査定を忘れた時は、なんとかなったが、先程司書は、規則が
大幅に変わったと言っていた。一刻も早く、改定した国家錬金術師
規則を見せてもらわなければと、エドは走るスピードを更に上げる。
「丁度いいじゃない。国家錬金術師を辞めれば?」
もし、ここに弟のアルフォンスがいたら、そんな事を言うだろう。
だが、エドは国家錬金術師を辞める気は、全くなかった。何故なら、
好きになった男が、軍人だからである。
「俺みたいなガキを、相手にするわけないけど・・・でも・・・・・。」
傍にいたいのだ。エドは、零れ落ちそうになる涙を必死に堪えながら、
すぐ目の前にある、中央司令部に行こうと、左右を確認せず
大通りを横断しようとしたところ、後ろから伸びてきた腕に、
後ろへと引っ張られる。途端、目の前を横切る車に、エドは
唖然として後ろを振り返る。
「全く・・・・君は自殺志願者かね?」
怒りを露にしたロイの顔を見た瞬間、エドは不覚にも、ポロポロと涙を流す。
「は・・・鋼の・・・・?」
いきなり泣き出したエドに、ロイは慌ててエドの肩を掴む。
「どうした?どこか痛いのかね?」
オロオロと心配そうにエドの顔を覗き込むロイに、エドはブンブンと首を
横にする。
「どう・・どうしよう・・・・。俺・・・俺・・・・・。」
「とりあえず、私の執務室へ行くぞ。」
いい加減周囲の目を集めている事に気づいたロイは、エドを小脇に抱えると、
スタスタと司令部の門を潜った。
「はっはっはっはっ・・・・・。」
「んなに、笑う事ねーだろ!!」
エドの向かい側に座って、笑い転げるロイに、エドは真っ赤な顔で
睨み付けた。
「すまない。」
ククク・・・と、未だに笑いが止まらないロイに、エドの目がスッと細まる。
「准将・・・・・。一回、あの世を見るか?」
「冗談だよ。ところで、無事元の身体に戻れたんだね。おめでとう。」
穏やかに微笑まれて、エドは真っ赤な顔で俯く。
「あ・・・ありがとう・・・・。」
だが、次の瞬間、ロイはエドに冷たい眼差しを向ける。
「ところで、鋼の。君達は、無事元の身体に戻れた。それでも、
まだ国家錬金術師でいるつもりか?」
「・・・・・ああ。」
真剣な表情で頷くエドに、ロイは一瞬悲しそうな目を向けるが、
直ぐに全てを見透かすような厳しい眼を向ける。
「何故だ?君には国家錬金術師でいる理由がない。」
「・・・・理由なら・・・・ある・・・・。」
苦しそうな表情で、エドは呟く。
「何?」
スッとロイの目が細められる。
「ある・・・ある人を・・・・守りたい・・・・。」
途端、ロイの目が氷のように冷たくなる。
「ある人・・・・・?」
「えっ!あ・・あの・・・その・・・・・。」
思わず口から洩れてしまった言葉に、エドはパニック状態になる。
「鋼の・・・ある人というのは・・・・。」
「失礼しやーっス。あれ?大将、来てたのか。」
ロイがエドを問い詰めようとした時、抜群のタイミングで、ハボックが
両腕に書類を抱えて、執務室へ入ってきた。
「ハボック少尉!!」
途端、嬉しそうな顔をするエドに、ロイはかなり傷ついた表情をするが、
ハボックを見ているエドは、その事に気づかない。逆に、2人を見ていた
ハボックは、ロイの表情の変化を、バッチリと見てしまい、恐怖に
背筋を凍らせる。
(まずい・・・・。俺、今日無事に帰れるか?)
「・・・・ハボック、何のようだ。」
激不機嫌。今日の火力はかなりすごいぞ!さぁ、どこから焼いて欲しいか?
ハボック。フフフフ・・・・。などと、ロイの心の声がビシバシ脳に直接伝わって
きたハボックは、慌てて持っていた書類をロイの執務机にデデンと置く。
「これ、ホークアイ大尉から、追加書類です。それじゃあ、失礼します!!」
これ以上ここにいて、嫉妬に狂ったロイに消し炭にされたくないとばかりに、
ハボックはわき目も振らずに、急いで執務室を飛び出していく。そんなハボックの
後姿を、縋るような目で見ているエドを、ロイは嫉妬に狂った目で見つめていた。
「・・・・鋼の。」
「何?」
慌ててロイを振り向くエドが見たものは、いかにも私は何か良からぬ事を
考えています的にっこりと微笑んでいるロイの姿だった。
「准将・・・・?」
引きつった顔で恐る恐るロイを見るエドに、ロイはソファーから立ち上がると、
机の方へと歩き出す。そして、引き出しの中から、分厚い書類の束を
取り出すと、エドの所へと戻ってきた。
「これが、国家錬金術師規則だ。」
「こんなに、分厚いの・・・・?」
嫌そうな顔のエドに、ロイはフッと鼻で笑う。
「これ以上の厚さの本を一日に何冊を読む君の言葉とも思えないね。」
「錬金術の本は読んでいて、面白いからな。それ、つまんないもん!」
途端、機嫌を損ねたエドは、プイッと横を向く。
「後でちゃんと読んでおくように。とりあえず、かいつまんで説明しておこう。」
ロイは再びエドの前に座ると、自分の銀時計を見せる。
「まだ、私も銀時計を更新していないのでね。君と同じなんだが・・・・・。
この裏に練成陣が刻まれるらしい。」
トントンと銀時計の裏を指で叩く。
「でもさ、練成陣なんか刻むと、返って悪用されねーのか?」
「それが、そうでもない。認証番号、有効期限、名前などのデータが
入っているため、一人一人練成陣が違うらしい。その上、刻み込まれた
練成陣の上から、特殊薬品を振りまく事で、見た目には、練成陣が彫ってある
事がわからないらしい。」
「へぇええええ。すごいな。」
感心するエドに、ロイはニヤリと笑う。
「ところで、今年から国家錬金術師の規則が、大幅に変わったのは、何故
だと思う?」
「銀時計が悪用されたからだろ?」
何を今更という顔のエドに、ロイはクスリと笑う。
「それなら、銀時計だけ変えれば問題ないだろう?」
「そう言われれば・・・・・。」
確かに、国家錬金術師規則が、以前に比べて3倍の厚さになるのは、
おかしい。
「他に何が変わったんだ?」
「国家錬金術師の在り方だよ。」
エドは眉を顰める。
「在り方?」
「ああ。治安が安定した今、軍そのものの在り方を変える必要がある。
その魁として、まず国家錬金術師の在り方を変えるらしい。」
その言葉に、エドは青くなる。
「ちょっと待て!!じゃあ何か?国家錬金術師は廃止されるのか?」
リストラかよ・・・まいったな・・・・。と、エドは呟く。こうなったら、
回り道になるが、士官学校に入るしかないか・・・と、考え込むエドに、
ロイは苦笑する。
「それなら、規則を大幅に変える必要はないだろ?そうではない。
錬金術師よ、大衆の為にあれ!だよ。」
「はぁ?」
驚くエドに、ロイは微笑む。
「国民に親しまれる軍という図式を作りたいわけだ。上層部は。
それのPRを兼ねて、まずは国家錬金術師の在り方を変える為に、
様々な規則を盛り込んだ。」
その結果が、この分厚い国家錬金術師規則だという。
「まぁ、もともと錬金術師は、大衆の為にあるべきもんだからな。
それに対しては、俺は何も文句はないぜ。」
「だがな、それに伴って、困った事が起きた。」
「困った事?」
訝しげなエドに、ロイは肩を竦ませる。
「査定も大幅に変わったんだよ。例えば、年に一度の査定を受け忘れた場合、
止む負えない理由を除き、資格を剥奪するとか・・・・・。」
「そ・・・そんなぁああああ。」
途端、泣き出すエドに、ロイはにっこりと笑う。
「君の場合は、大丈夫だ。今回は、この私が直々に大総統に掛け合って、
条件付で、延期を認めてもらったから。」
「本当か!ありがとう!!准将!!」
ニコニコと笑うエドに、ロイはニヤリと笑う。
「ところで、査定方法なんだが、これまでは、軍事に転用できる錬金術
だったのが、これからは、大衆の為の錬金術を研究テーマに
しなければならない。」
「ふーん。わかった!じゃあ、俺早速・・・・・・。」
慌ててソファーから立ち上がるエドに、ロイはにっこりと笑いながら
制する。
「まぁ、待ちたまえ。条件付で、査定を延期してもらったと言っただろう?」
「ああ。そうだったな。で?条件って何?」
ロイはエドにソファーに座るように促す。
「まぁ、今から説明するから、座りたまえよ。今回に限っては、私と合同の
研究と言う事になる。」
「准将と〜?」
途端、嫌そうな顔になるエド。
「何だね?その嫌そうな顔は。私と合同だから、延期を認めて貰えたのだぞ?
それを断るとなると・・・・・・。」
「わかった!一緒にやればいいんだろ!!で?研究テーマは?」
投げやりなエドに、ロイはにっこりと微笑んだ。
「何、そんなに難しくないさ。1カ月私と一緒に暮らせばいいことなのだから。」
「な・・・・なんだとぉおおおおおお!!」
司令部に、エドの絶叫が響き渡る。
「何ふざけてんだ!!このセクハラ上司!!」
「セクハラとは、ご挨拶だね。鋼の。別に男同士なのだから、いいではないか。」
ハハハ・・・と、笑うロイをぶん殴りたくなるエドだった。今まで性別を偽って
きた手前、今更自分は女ですと、言えない状況だった。
「と・・とにかく、何で一緒に住む必要があんだよ!!研究なら、時間が空いた
時にお互い持ち寄ってだな・・・・・。」
「一緒に住むことが、研究テーマなのだよ。」
しれっと言うロイに、エドはこの時ほど元の身体に戻った事を後悔した事は
なかった。まだ機械鎧だったなら、直ぐに右腕をナイフに練成できたのに・・・。
とりあえず、エドはロイを睨みつけながら、話の続きを促す。
「どういった研究テーマなんだよ。」
「何、1カ月1万センズで暮らすというものだよ。」
「何?1カ月1万センズ?2人でか?」
驚くエドに、ロイは大きく頷く。
「ああ。日常に錬金術を取り入れながら、1カ月1万センズで暮らすというのが、
研究のテーマだ。大衆に親しみやすいだろ?」
「んな馬鹿な研究すんのかよ・・・・・。」
ガックリと肩を落とすエドに、ロイはニコニコと最後通告をする。
「君に拒否権はない。まぁ、1カ月仲良くやろうではないか。」
ハハハと高笑いするロイに、エドは己の選択を誤ったと、
早くも後悔し始めた。
「おはよう!エディ!」
上機嫌な朝の挨拶をするロイとは対照的に、エドは不機嫌そうに挨拶を
返す。
「オハヨウゴザイマス。准将。」
「いかんな。1カ月一緒に生活するのに、役職名は、興ざめだ。
せめて、ロイと・・・・・。」
悲しそうなロイを無視して、エドはスタスタと庭に下りると、両手を重ね合わせて
から、地面に手をつくと、そこから竈を練成する。
「相変わらずすごいね。」
関心するロイに、エドは薪やら新聞紙やらを入れると、ロイを振り返る。
「准将。火。」
その言葉に、ロイは発火布の手袋をした右手を翳し、パチンと指を鳴らす。
途端に、竈に火が点る。
「俺、朝食の準備をするから、着替えてきなよ。」
黙々と料理を作るエドの後姿を、ロイは幸せそうな顔で見つめると、
ポツリと呟いた。
「まるで、新婚さんのようだね・・・・・。」
「なっ!!」
その言葉に、エドは真っ赤な顔で振り向くと、持っていたフライ返しを、
ロイに投げつける。
「気色悪い事言うな!!さっさと着替えに行け!!」
「はいはい。わかったよ。」
クスクス笑いながら、ロイはキッチンを後にする。
ロイは自分の寝室に入ると、クローゼットを開けて、軍服を取り出す。
その時、扉の内側に掛けられた鏡に映った、悲しそうな自分の顔に
気づくと、思わず苦笑する。
「気色悪い・・・・か・・・・。私は、本気なんだよ・・・。エディ・・・・・。」
こうして、ロイとエドの奇妙な共同生活は始まったのである。