中央と東部の境目に、その小さな村は存在した。
三方を山で囲まれ、その裾野には森が広がっており、
中心部に大きな丸い湖がある。国の中で一・二を
争うほどの別荘地でも有名なそこは、若い娘達の
憧れの土地でもあった。
「すごー!!綺麗!!」
朝早く叩き起こされて、半分寝ぼけながら、ロイが運転する
車の助手席に座らされたエドは、目的地に近づくに連れて、
だんだんと目が冴えてきた。そして、木々の隙間から見える、
大きな湖に気づくと、歓声を上げるのだった。そんなエドの
様子に、ロイは横目でチラリと眺めると、幸せそうに
微笑んだ。1ヶ月も一緒にいたとはいえ、ロイは仕事が
忙しく、たまの休みでも、何度も司令部に呼び戻されるか、
エドと研究について話し合うかで、まともにのんびりと
2人だけで過ごした事はなかったのだ。
「ここから私の私有地だよ。エディ。」
木で作られた標識を右に曲がり、暫く湖に沿って走ると、
ログハウスの建物が見えてきた。
「・・・・・ここ・・・?」
湖の畔に立てられた大きなログハウスに、エドは驚いて
口を大きく開ける。
「さあ、エディ。」
いつの間に下りたのか、ロイは助手席のドアを開けると、
手を差し出していた。途端、エドは真っ赤になりながら
横を向く。
「俺、女じゃないし・・・・。」
そんなエドにロイは苦笑すると、無理矢理エドの腰と膝裏に
腕を回して抱き上げると、そっと地面に下ろした。
「ロイ!!」
真っ赤になって怒るエドに、ロイはニコニコ笑いながら、
エドの手を引く。
「さぁ、行こう。朝食の準備も出来ているはずだから。」
「えっ!!」
エドが驚いていると、ログハウスの中から、初老の夫婦が
出てきた。
「ようこそいらっしゃいました!マスタング様。」
「やぁ、無理を言って済まなかったね。この子が、昨日話を
した、エドワード・エルリックだ。エディ、こちら、
ここを管理してもらっている、リチャード・ダグラス氏と
奥さんのディアナ・ダグラス夫人だよ。」
エドは慌てて頭を下げる。
「エドワード・エルリックです。初めまして。」
夫妻は、にっこりと微笑むと、自己紹介をする。
「エドワード様。初めまして。リチャード・ダグラスです。」
「初めまして。妻のディアナです。」
エドは、2人と握手を交わすと、真っ赤な顔で言った。
「あの・・・・。エドワードでいいです。」
様付けは恥ずかしいと、真っ赤な顔で俯くエドに、
2人は笑って頷いた。
「わかりました。では、朝食の準備が出来ております。
さぁ、お2人ともどうぞ。」
「お口に合えば良いのですけど。」
その言葉に、ロイはニコニコと笑いながら、エドに話しかける。
「夫人は、村で一番の料理名人なんだよ。特にクリーム
シチューは絶品だよ。」
「クリームシチュー!!」
途端、目を輝かせるエドに、ディアナはにっこりと微笑んだ。
「マスタング様からエドワードさんのお好みを聞いております。
今夜はクリームシチューをご用意しますね。」
「ありがとう!!」
ニコニコとお礼を言うエドに、ダグラス夫妻も自然微笑む。
「では、エディ。私はこれで行くよ。」
「えっ!!」
夫人の後をついて一緒に行こうとしていたエドは、慌てて振り返った。
ロイはリチャードにエドの荷物を手渡すと、驚くエドに気づき、
申し訳なさそうな顔で、頭を掻く。
「すまないね。今日はどうしても外せない用事があるんだ。
夜には、ここに戻ってくるから、それまで、ダグラス夫妻とここに
いてくれないか?」
「あっ・・・・ごめん。俺、ロイに迷惑をかけて・・・・・。」
漸くここに来た目的を思い出し、ロイに自分の我侭につき合わせてしまった
と、エドはしょんぼりと肩を落とす。
「エディ。迷惑じゃないよ。言っただろ?ここに君を招待するのは、
お礼だと。納得がいくまで、良く考えるんだよ。いいね?」
コクンと頷くエドに、ロイはホッとした顔で微笑むと、ダグラス夫妻に
軽く会釈する。
「すみません。では、今日一日、この子を宜しくお願いします。」
ロイはそう言うと、エドの肩をポンと叩いて、再び車に乗り込んだ。
「では、行ってくるよ。エディ。」
「いってらっしゃい。ロイ。」
ロイの乗った車が見えなくなるまで見送るエドに、夫人は優しく
肩を抱く。
「さあ。エドワードさん。」
「はい。」
それまで名残惜しそうに車を見送ったエドは、慌てて夫人と共に
家の中へと入っていった。
「おいしい!!」
ニコニコと笑いながら食べるエドに、夫妻は満足そうに微笑んだ。
「良かった。お代わりはいくらでもあるのよ。遠慮なく食べてね。」
「はい!!ありがとうございます!」
エドは、ふと時計を見上げると、心配そうに呟いた。
「・・・・間に合ったかな・・・・・。」
「マスタング様ですか?」
エドの呟きに、リチャードは食後のコーヒーを飲みながら、
エドに話しかける。本来ならば、エドとは別に食事を取るはずだったの
だが、どうしても1人で食べるのは嫌だというエドの為に、夫妻は
一緒に朝食を食べているのだった。
「うん・・・・。俺のせいで仕事に遅れて、叱られないかなぁ・・・・。」
しょんぼりとなるエドに、夫人は、オレンジジュースをエドに渡しながら
にっこりと微笑む。
「心配しなくても、大丈夫だと思いますよ。マスタング様は、軍上層部に
籍を置いているのでしょう?彼を叱れる人など・・・・・。」
「それが叱られるんだよ。部下に・・・・。」
深い溜息をつくエドに、夫妻は驚いて顔を見合わせる。
「部下に・・・ですか・・・?」
エドはコクンと頷く。
「そう。いっつも仕事をサボっては、ホークアイ大尉の銃の的に
なってる。」
「信じられないわ・・・・。でも・・・ええ・・・。そうなのかもしれないわね。」
クスクスと笑うディアナに、エドはキョトンと首を傾げる。
「ディアナさん?」
「私達、マスタング様の別荘の管理人になって、かなりの年月になるけど、
あんなに穏やかに微笑まれているマスタング様を見たのは、初めてなの。」
その言葉に、エドはびっくりした。
「まさか!?」
「いや。嘘じゃないよ。いつもマスタング様は1人でここに来られるからね。
それが、こんな可愛い子を連れてくるなんて、驚いたのなんのって。
なぁ?ディアナ。」
夫の言葉に、ディアナはゆっくりと頷いた。
「ええ。マスタング様は、1人ここで物思いに耽っているのよ。それこそ、声を
掛けるのも憚られるくらいにね。」
「・・・・そうなんだ・・・・。」
ここに女の人を連れ込んでいるとばかり思っていただけに、夫妻の言葉に
エドは驚いた。ロイの意外な一面を垣間見て、エドは改めて部屋の中を
見回す。ロイの中央にある自宅もそうなのだが、この別荘も、無駄な装飾が
一切ない。別荘だからかもしれないが、テーブルの上にダグラス夫人が気を
利かせて置いた花瓶の他は、ここには生活感がまるでない。ものがなさ過ぎる
のだ。こんな寂しい部屋で、ロイは一体何を思うのだろうか。ロイの心の闇に
触れたみたいで、エドは知らず溜息をつく。
「エドワードさん?」
溜息をつくエドに、訝しげな顔でディアナは顔を覗き込む。
「なんでもないです!!」
エドは慌てて出されたオレンジジュースを飲み出した。
「・・・・・全く、どうしてこんなところで足止めなんだ・・・・。」
あと3時間ほどで中央に着くというところで、急に列車が止まったのだ。
イズミ・カーティスは、イライラと親指を噛みながら、窓の外を眺める。
「故障って訳でもなさそうなんですけどね。」
向かい側の席に座っている、アルフォンス・エルリックも、首を傾げる。
列車の旅には慣れている2人は、この状況に首を傾げていた。先程
車内放送で、車輪の故障が発生したという説明があったが、実際に
乗務員が直している気配はない。本当に、ただ列車が止まっている
だけなのだ。このような状況が、既に30分は経過している。あまりにも
遅いため、2人はもし本当に故障ならば、自分達が直す!とまで
思っていた。しかし、2人の直感は告げる。
これは故障でも事故でもましてや事件でもないと。
「これって・・・まさか・・・ね・・・・。」
ハハハ・・・と乾いた笑いをアルは浮かべる。
この列車を足止めしなければならない理由というものに、思い当たった
のだ。そして、そんな事が出来る人物に、心当たりがあり過ぎる事も
事実だ。
「・・・・・何か言いたいことがあるのか?アル。」
ジトーっとイズミに睨まれたアルは、実は・・・・と口を開きかけた時、
イズミの背後から声がかけられた。
「お話中失礼。イズミ・カーティスさんですね。」
聞き覚えのある声に、アルが顔を上げると、そこに良く知っている
人物の顔を見つけ、唖然と口を開けた。
「そうだけど・・・。あんたは・・・?」
いきなり現われた軍人に、イズミは眉を顰める。
「マ・・・マ・・・マスタング准将!!」
どうしてあなたがここに!!と、立ち上がるアルに、ロイは
にっこりと微笑んだ。
「久し振りだね。アルフォンス君。無事元の身体に戻れて、おめでとう。」
「ありがとうございます・・・・じゃなくってですね!!」
当初の目的を思い出したアルフォンスは、ロイに文句を言おうと口を
開きかけたが、それよりも先に、ロイはイズミに向き直ると、真剣な
表情で見つめた。
「私はロイ・マスタング。階級は准将。焔の錬金術師です。」
「へぇ〜?あんたが?私はイズミ・カーティス。あんたの所に世話に
なっている馬鹿弟子の師匠だ。」
イズミはゆっくりと立ち上がると、値踏みするようにロイを見つめる。
「エドワードの事で、あなたとお話がしたいと思っていました。
どうか、私と共に来ていただけませんか?」
ロイの真剣な様子に、イズミは、ゆっくりと頷いた。
「はぁあああ。ロイ、遅いなぁ・・・・・。」
夕飯の支度を終えてダグラス夫妻が家に帰った後、エドは
窓に頬杖をついて、ぼんやりと湖に浮かぶ月を眺めていた。
「ロイ、いつも1人でこの景色を眺めていたのかなぁ・・・・・。」
一体、何を思っていたのだろうか。
そこで、漸く自分がロイについて何も知らないという事実に
思い当たり愕然とした。
今までは、ただ遠くから見ているだけで良かったのだが、
実際に一緒に生活が出来ると、どんどんと色々な欲求が
生まれてくる。
もっとロイの傍にいたい。
もっとロイの事が知りたい。
「駄目じゃん。俺はただの駒になることしか出来ないのに・・・・。」
ロイが大総統の地位を目指している事は知っている。だから、
何も出来ないなりにも、いつでもロイの都合の良い捨て駒として
傍にいる事を望んだというのに、心は、ロイの傍近くを願ってしまう。
「嫌だな・・・・・。こんな自分・・・・・。」
「エディ?」
溜息をついていると、怪訝そうなロイの声が背後から聞こえ、
エドは慌てて後ろを振り返った。
「どうしたんだい?そんなに驚いた顔をして。」
苦笑するロイに、エドは何でもないと、首を横に振る。
「何でもない。それよりも、お帰り。ロイ。」
「ただいま、エディ。」
にっこりと微笑むロイの腕を、エドは引っ張ると椅子に座らせる。
「じゃあ、俺シチューを温めてくる!!」
パタパタとキッチンへと走るエドの後姿を、ロイは眩しいものを
見るかのように、目を細めた。
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今回から、物語が一気に動き出します。
裏で暗躍するロイ。エド包囲網を着々と仕上げていきます。
この情熱を仕事に生かして欲しいところなのですが、うちのロイは
ヘタレなので、無理でしょう。
感想などを送ってくださると、励みになります。
上杉茉璃