逸る気持ちを抑えつつ、ロイはまだ夜が明けきれない内に、
ひっそりとエルリック家を出た。
「行くのか。ロイ。」
数歩行きかけたところ、前方からかけられた声に、
ロイは顔を上げると、そこにはヒューズが佇んでいた。
「あぁ、一刻も早く彼女に会いたいんだ・・・・・・。」
ヒューズは、頭をガシガシ掻きながら近づくと、
ロイの目の前に、バスケットを差し出す。
「ホークアイ中尉とウィンリィちゃんの力作だそうだ。」
「力作・・・・・?」
思わずバスケットを受け取って中を覗くと、美味しそうな匂いが
鼻腔を擽る。
「どうせ、始発で行くだろうと、二人がお前の為に弁当を作って
くれたんだ。」
「・・・・・・私はそこまでしてもらう訳にはいかない。」
悪いが、これはお前が食べろと、バスケットをヒューズに渡そうと
するロイに、ヒューズはピシャリと言う。
「言っとくが、お前の為じゃねぇだとさ。全部エドの為だと言っていた。」
「・・・・・なに?」
朝早く起きて弁当を作る事が、何故エドの為なのか、分からずロイは、
首を傾げる。そんなロイに、ヒューズはクククと笑う。
「お前、今の自分の顔を鏡で見たか?」
「顔?」
ロイは無意識に顔に手を当てる。
「お前、ここ2ヵ月碌に休んでねーし、食べてもいねーだろ。
スゲー顔、してるぜ?」
確かに、ここ2ヵ月の間、エドワード達が心配で、ひどい生活をしていた
自覚はある。
「ウィンリィちゃんがな、『あんなやつれた顔でエドを迎えに行って
欲しくない!』だそうだ。ちなみに、ホークアイ中尉は、『エドワード君を
見つけた途端、倒れられては困ります。帰ったら休み無しで働いて
もらう予定です。』だってさ。その為には、栄養のあるものらしい。」
二人の心遣いに、ロイは微笑む。
「・・・・ありがとう。二人に、必ずエドを連れて帰ると、言ってくれないか?」
「そうそう、伝言があった。」
ヒューズはポンと手を叩く。
「アル曰く、『絶対に姉さんを連れ戻してきてください。もしも、見つけられ
なかったら、『義兄(あに)』とは認めない』ってよ。」
その言葉に、ロイの目が驚きに見開かれる。
「アルフォンス君が・・・・・・・。」
絶対に自分を許さないと思っていたアルの言葉に、ロイは
不覚にも目が潤む。
「何だ?感動して泣いているのか?」
ヒューズはニヤニヤと笑う。
「う・・・うるさい。いいだろ!!」
慌てて目を擦るロイに、ヒューズは苦笑する。
「それから、ウィンリィちゃんは、『もしもエドを泣かせたら、
特大スパナをぶつける』と言って、スパナを念入りに
磨いていて、その横では、ホークアイ中尉が、『もしも
大佐がエドワード君を連れてこれなかったら、ウィンリィちゃんの
スパナより先に、私の銃が大佐の頭に風穴を開けることに
なります!』と、嬉しそうに銃を手入れしていたぞ。」
一瞬その光景を頭に思い浮かべて、ロイの背筋は
凍りつく。
「だ・・・大丈夫だ。私は絶対にエドワードを連れて返る。」
「・・・・ロイ、顔が引きつっているぞ〜。」
ニヤニヤ笑うヒューズに、ロイは照れ隠しに怒鳴る。
「うるさい!そろそろ私は行く!!」
クルリと背を向けるロイに、ヒューズはポツリと呟く。
「・・・・お前なら、大丈夫だ。」
「ヒューズ・・・?」
振り返ると、ヒューズは穏やかな笑みを浮かべていた。
「みんな、お前ら二人を祝福している。お前らが幸せに
ならなければ、みんなの努力が無駄になる。
等価交換は、基本だろ?錬金術師殿。」
言うだけ言うと、ヒューズは、欠伸を噛み締めると、
ヒラヒラと手を振りながら、家へと戻る。
「さて、もう一眠りするか。じゃ、頑張れよ。」
「・・・・・・ありがとう。」
ロイは万感の想いを込めて、ヒューズの後姿へ
頭を下げた。
「・・・・・・もし、落としましたよ。」
ぼんやりと窓の外を眺めていたロイは、ふと足元に
転がってきたリンゴに気づき、拾い上げる。
辺りを見回すと、腕に大量のリンゴを持った、自分と
そう年が変わらない男が、隣の車両へと歩いている
ところだった。
「え?あぁ、すみません!!」
メガネをかけた、人の良さそうな男が、ロイの言葉に
振り返ると、慌てて戻ってきた。
「どうもすみませんでした。良かったらお礼にリンゴは
どうですか?」
男はロイからリンゴを受け取ると、持っている別のリンゴを
ロイに差し出す。
「いや、いいですよ。それにしても、大量のリンゴですね。」
両手一杯の紙袋に、これでもかと詰め込まれたリンゴを
見て、ロイは感嘆する。
「これは診察料の代わりなんですよ。」
にこやかに微笑む男に、ロイは首を傾げる。
「診察料・・・?」
「ええ、実は・・・。うわああ!!」
ガタンと列車が揺れ、男がバランスを崩したのを、ロイは
慌てて支える。
「大丈夫ですか?もし宜しければ、ここに座りませんか?」
「すみません。遠慮なく・・・・。」
男は、申し訳なさそうに頷くと、ロイの向かい側に腰を降ろす。
「そう言えば、見たところ、軍人さんのようですが・・・・・。何か
事件でも・・・?」
遠慮がちな男の言葉に、ロイは改めて自分の服装に気づく。
着の身着のまま来てしまった為、ロイは軍服のままだった。
「いえ。ただの私用です。」
首を振るロイに、男はホッとした顔になる。
「そうですか。あぁ、まだ名前を名乗ってはいませんでしたね。
私は医者をやっています、クリストファーです。まだこの辺りは
無医村が多くて、今日は隣村の往診の帰りなんです。」
「私はロイ・マスタング。職業は、見ての通り軍人です。」
クリストファーは、ニコニコと笑いながら袋からリンゴを一個取り出すと、
半分に割って、片方をロイに差し出す。
「診察料を払えない方は、こうやって農作物とかで払ってくれるんです。
マスタングさんもおひとつ。」
「ありがとうございます。頂きます。」
どうぞと差し出されたリンゴに、一瞬戸惑いながらも、ロイはありがたく
受け取る。瑞々しいリンゴの味に、ロイは微笑む。
「美味しいな。」
「今日、往診した所は、リンゴ作りの名人といわれている人なんです。
たくさん袋に詰めて下さって、一人身なのでと、断ったのですが、
身重の方へどうぞと言われて・・・・。」
照れくさそうな顔をするクリストファーに、ロイは引っ掛かりを感じた。
「身重・・・・?失礼ですが、先程一人身だと・・・・・?」
あまり他人の事情に、首を突っ込みたくないのだが、身重という
キーワードに、ついエドを連想してロイは不躾を承知で尋ねる。
「あっ!勘違いしないでくださいよ!彼女は、私の命の恩人
なんです。」
慌てて両手を振って否定するクリストファーに、ロイは訳がわからずに
首を傾げる。
「それはどういう・・・・・。」
「二ヶ月前、私は彼女に命を助けられたんです。」
二ヶ月前というキーワードに、ロイはピクリと反応する。
「二ヶ月前・・・・・。」
「ところで、マスタングさんは、これからどちらへ?」
あまりその事に触れて欲しくないのか、クリストファーは、話題を変える。
「私は、これから、エリュシオンへ行くんです・・・・。」
「エリュシオンへ・・・・・?」
クリストファーは、ハッとなって、ロイの顔を凝視する。
「?何か?」
「い・・いえ・・・・。ところで、観光か何かで?」
クリストファーは、ぎこちない笑みを浮かべる。その様子に、
本能的に何かを感じつつも、ロイは質問に答える。
「最愛の人を迎えに。」
「・・・・最愛の人?」
ロイは頷く。
「ええ。これから行く、エリュシオンにはいないかもしれない。ですが、
私は僅かな可能性に縋るしかないんです。」
そっと目を閉じるロイに、クリストファーは、じっと何かを
見定めるかのようにロイをじっと見つめる。
「込み入った話のようですね。差し支えなければ、お話を
聞かせてもらえませんか?」
「・・・・しかし・・・・。」
戸惑うロイに、クリストファーは、にっこりと微笑む。
「私は、よく往診で列車に乗ります。それに、結構医者仲間が多いし、
もしかしたら、何かお役に立てるかもしれない。これも、何かの縁でしょうから。」
確かに、医者なら身重のエドの行方が分かるかもしれない。ロイは藁をも
掴む気持ちで、ポツリと話し始めた。
「最初は見守っているだけで、私は十分だった・・・・・。」
初めて会った時から、自分は少女に魅かれていた事。その少女には、
やらなければならない事があって、自分はただ彼女を見守っているだけで、
満足していた事。だが、年を重ねる毎に、彼女への気持ちが抑えきれなく
なり、終には、半年前に最愛の少女を、無理矢理犯してしまうという、
最悪の結末を迎えてしまったこと。やがて、愛しい少女は自分の前から
姿を消し、周囲の人間の言葉から、彼女が自分の子供を妊娠している事を
知った事など、ロイは言葉少なに語った。
「・・・・・それで、マスタングさんは、その人に出会えたら、どうする
おつもりなんですか?」
責める風でもなく、クリストファーは、ロイに事務的に尋ねる。
「結婚します。」
きっぱりと言い切るロイに、クリストファーは、さらに尋ねる。
「それは、責任感からですか?」
「いいえ。私が彼女の傍にいたいからです。彼女には、迷惑かも
しれない。だが、私は彼女を諦められない・・・・・。」
思いつめたロイの顔に、クリストファーは、フッと笑みを浮かべる。
「そのお気持ちがあれば、大丈夫ですね。」
丁度、エリュシオンの駅についたところで、クリストファーは
荷物を持つと、ロイに笑いかける。
「では、行きましょうか。」
「行く・・・?」
話の展開についていけないロイは、戸惑うようにクリストファーを
見つめる。
「ご案内しますよ。あなたの【最愛の人】の所へ。」
そう言って、クリストファーは、にっこりと微笑んだ。