第13倉庫の噂が下火になりつつあるのと同時期に、
今度は新しい噂が、東方司令部はもとより、イーストシティを
駆け巡っていた。
そして、その噂を鋼の錬金術師こと、エドワード・エルリックが
知ったのは、ほんの偶然だった。
3ヶ月振りにイーストシティに立ち寄ったエルリック兄弟は、
東方司令部に顔を出す前に、まず腹ごしらえと、馴染みの食堂へ
足を向けた。
「久し振りじゃねーか。エドにアル!!」
店に入ってきた姿を目ざとく見つけた、店主は、二人に声を掛ける。
「相変わらず、繁盛してんじゃん。」
グルリと店内を見回し、エドはニヤリと笑う。安くて早くて、その上旨いと
くれば、繁盛するのは当たり前。そう、ここをエド達に紹介した
東方司令部の司令官は、そう言うとニヤリと笑ったものだった。
実際、その通りで、お昼を過ぎた今でも、店の中は満席状態だ。
「こりゃあ、出直した方がいいか?」
うーん。と腕を組むエドに、店主はガハハハと笑いながら、丁度
空いたカウンター席に二人を案内する。
「いつものねー♪」
と、陽気に店主に声をかけつつ、さりげなくエドは店内を見回す。
「兄さん、大佐は来てないみたいだね。」
兄のそんな様子に、遅れて席についたアルフォンスは、
からかう様に声を掛ける。
「そんなんじゃねー。」
途端、真っ赤な顔をして、プイと横を向くエドに、アルは
声を立てて笑う。
「楽しそうじぇねーか。ほら、おまっとうさん!」
そこへ、出来立ての料理を手に、店主が戻ってくる。そして、
エドの目の前に、ここの名物である、ホットドックが置かれる。
「うまそーっ!イッタダキマース♪」
美味しそうに齧り付くエドに苦笑しつつも、店主はアルに
オイルの入った缶が入った袋を差し出す。
「ほら。アルにはこれやるよ。宿に帰ったら、使えよ。」
「いつもありがとう!おじさん!!」
数少ない二人の理解者からの贈り物に、アルは嬉しくって、
何度も何度も頭を下げる。
「いつもすまねー。」
エドも食べていた手を止めて、頭を下げる。
「いいってことよ。それよりも、お前達、大佐と親しいよな。」
ニコニコと笑う店主に、何を今更と、エドが訝しげな顔をする。
「そりゃあ・・・まぁ・・・・。一応、部下みたいなもんだし・・・。」
本当は、恋人なのだが、それを目の前の店主に言うのは、
些か抵抗がある。引きつった笑みを浮かべるエドに気づかず、
店主は、まさに爆弾発言をしたのだった。
「それじゃあ、大佐の結婚相手って、どんな人なんだ?」
「「は?」」
思わず、エドとアルはお互いの顔を見合わせた。
「ハボック少尉とかに聞いても、曖昧に誤魔化すからよ。」
お前らなら、何か知っているんじゃねぇ?と、
期待に目を輝かせた店主に、アルは恐る恐る尋ねた。
「ハ・・ハハハ・・・、それって、ただの噂ですよね・・・・?
ほら、大佐って女性関係ハデですし・・・・・。以前も、
大佐に振られた女性が、そんな噂ばら撒いてたでしょ?」
店主にというよりも、隣りに座って、微動だにしない兄へ
言い聞かせるように言う。
「でもよ。今度の噂は、信憑性のあるやつなんだぞ。」
本当に知らないのか?と残念そうに言う店主に、それまで
黙っていたエドは、急に顔を上げると、凶悪なまでに可愛い笑顔で、
店主に笑いかけた。
「なぁ。俺達、3ヶ月振りだから、全然知らないんだよね。
どんな噂か、教えてくれる?」
駄目?と、トドメとばかりに、さらに可愛らしく小首を傾げるエドの
様子を見て、誰よりもエドの事が判っているアルは、背筋が
凍るのを感じた。
“ヤバッ!兄さん、マジ切れ寸前!!”
だが、見た目で騙された店主は、気を良くして、話し始めた。
「事の起こりは、花束だな。」
「花束〜?」
たったそれだけの事で、どうして大佐の結婚にまで話が飛躍
するのか。そう思ったのが顔に出たのだろう。店主は、人差し指を
エドの目の前でチッチッチッと横に振った。
「ただの花束じゃねぇんだな。これが。」
「それって、どういうことだ?」
ただの花束じゃないと言うことは、錬金術で新種の花でも作ったか?
ふとそんな事が頭をよぎるが、焔しか出せない上、雨の日は無能な
大佐が、そんな事をする訳がないと思い直した。。第一、そんな事されて、
その上、その花の名前を、マイスィートハニーエドワードなんて
付けられた日には、2度と大佐には会わない。いや、待てよ。
それ以前に作れないだろう。無能だから。などと、失礼極まりない事を
頭に思い浮かべながら、エドは話の続きを促した。
「一回の花束代が、10万センズだって話だ。」
「「じゅ・・・10万センズーッ!!!」」
エルリック兄弟の、息の合った大音響が、店内を駆け巡る。
あまりの金額に、固まった兄弟の姿を見ながら、店主はうんうんと
頷く。
「な?驚くだろ?ふつーの奴に、10万センズもする花束を
贈るわけねーだろ?本命が出来たってことだぜ。それ。それに、
この間、大佐が指輪を注文したって、宝石店のおやじが言ってたぞ。」
大佐もとうとう年貢の納め時だなと、ガハハハハハと笑う。
だが、ここに笑えない人物がいた。大佐の大本命が誰であるか
知っているアルフォンスは、信じたくない一心で、店主に恐る恐る
尋ねる。
「そ・・・それで・・・大佐が花束を贈ったのは、いつ頃なんですか?」
「うーん・・・・。確か、1ヶ月前だったかなぁ・・・・・。」
“い・・・1ヶ月〜!!!!”
アルフォンスの脳裏に、大佐浮気の文字がデカデカと浮かび上がる。
ここ3ヶ月ほど兄は大佐に会っていない。いや、それどころか、花束は
愚か、何も大佐から貰った事がないのでは?その事に思い当たって、
アルは恐る恐るエドの顔色を伺うべく、ゆっくりと首を巡らせたのと、
エドが音を立てて席を立ったのは、同時だった。
「ちょ!兄さん!待ってよ!!!」
アルの引き止める声にも無言で出て行くエドに、慌ててアルは会計を
済ませると、兄の後を追いかけた。
「兄さん!」
やっとエドに追いついたアルは、何と声を掛けたらいいか判らず、
暫く、兄の後を無言で付いていたが、やがて、遠慮がちに声を
掛けた。
「あのさ。兄さん。」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
無言で歩く兄の背中に、それでもアルは言葉を繋げる。
「噂は、所詮噂だよ?」
そんなの、僕達が一番良く知っているでしょ?
あるかどうかも判らない賢者の石の噂に、各地を回っている
自分達だから。と、そう言外に言うアルフォンスの言葉に、
エドの足は止まった。
「だからね・・・・。確かめに行こうよ・・・・・。」
立ち止まったエドに気を良くしたアルは、そう提案した。
「アル・・・・・・。」
「兄さん?」
エドはクルリと踵を返すと、そのまま、司令部とは逆の方向へと
走り出した。
「・・・・・・もう、確かめた。」
すれ違いざまに言われた言葉に、一瞬対応が遅れたアルは、
その場から動く事は出来なかった。。
「兄さん・・・・・。」
そして、次の瞬間、何故兄が確かめたと言ったのか気づいた
アルは、今度こそ本当に兄を追いかける為、踵を返して
走り出した。
エルリック兄弟がいた場所から、通りを挟んで向かい側にある、
宝石店から、金髪の美女と出てきたロイ・マスタング大佐は、
エド達に気づく事無く、司令部へと向かっていた。
「大佐・・・・・・。」
こめ髪あたりを、ピクピクさせながら、優秀なる部下、
(別名:東方司令部最強)ホークアイ中尉が、
ロイに話し掛ける。
「ん?どうしたんだね。中尉。」
上機嫌のロイの机の上に、追加分の書類を置きながら、
ため息をつく。
「軍の士気が乱れます。その締りのない顔を、どうにか
なさって下さい。」
直訳すると、今すぐそのニヤケた顔をどうにかしないと、
銃をぶっ放す!!と言う事になるのだが、上機嫌の
ロイには何の効果も無かった。
「そんなことより、私に鋼のから電話はなかったかね?」
それよりも、『焔』の二つ名の通り、更にホークアイの怒りに
ガソリンを撒き火を大きくさせた。
“そんなことより〜!?”
怒りの為、小刻みに震えるホークアイに恐れをなし、
ハボック少尉達は、部屋の角へと固まって避難する。
「大佐・・・・・・。」
とうとう我慢できず、ホークアイの怒りの銃口が
ロイに向いた途端、ロイの机の上にある電話が、
けたたましく鳴り響く。
エドからの電話かと、コンマ1秒の速さでロイが電話を
取る。
「マスタングだ。」
「マスタング大佐、エドワード・エルリック氏より外線のお電話です。」
その言葉に、ロイの顔が更にニヤける。
「すぐ繋いでくれ。」
鼻歌でも聞こえてきそうな、上機嫌なロイに、ホークアイは
これ以上何を言っても無駄だと悟り、大人しく銃を下ろす。
そして進まない仕事を思い、ため息をつきつつ踵を返して
数歩行きかけたが、ロイの切羽詰った声に、思わず振り返った。
「一体、どうしたんだ!エディ!!」
「大佐・・・・?」
未だかつて、これほど余裕のないロイの姿に、ホークアイの
眼が、驚いて丸くなる。
「いいから!そこを動くな!わかったな!!」
慌てて電話を切ると、ロイは掛けてあるコートを素早く
着込むと、他の者には、目もくれず部屋を飛び出して行く。
「・・・・・一体、どうしたんですかねぇ?」
「さぁ?」
ハボックの言葉に、ホークアイは訳が判らないというように、
首を横に振った。
「・・・・・兄さん・・・・・。」
受話器を置いて俯くエドの背中に、遠慮がちに、アルが声を掛ける。
「さて!そろそろ行こうぜ♪」
明らかに無理した笑顔のエドに、アルは何も言えず立ち尽くす。
「どうしたんだ?アル。ほら。早くしないと、出ちゃうだろ!」
動かないアルフォンスの腕を取って、歩き出そうとするが、
エドの力では、アルの身体はビクともしない。
「おい!アル!!」
イライラと声を荒げる兄に、弟は、ポツリと言う。
「このまま、旅に出て、本当にいいの?」
「いいんだよ!俺達には1分1秒でも早く元の身体に戻るっていう・・・。」
「兄さんらしくないっ!!」
いきなりエドの言葉を遮って、アルは叫ぶ。
「おい・・・・・。」
「どーして・・・・。そんなに辛そうなのに・・・・・。」
アルはエドの両肩をガシッと掴む。
「ねぇ、今からでも遅くないよ。出発は止めにして、
ちゃんと話し合った方がいいよ。」
「うっせぇ!そんなに言うなら、お前だけ残れ。俺は行く。」
アルの手を乱暴に払うと、エドは動き出す列車に飛び乗る。
「兄さん!!!」
アルフォンスの叫び声からまるで逃げる様に、エドは耳を塞ぎながら、
列車の中を走った。