雨だれの前奏曲

 

                      プロローグ             

 

 

                   あの日も、こんな雨の日だった・・・・。
                   あの日、音楽堂で彼女に出会った。


                   一生で一度の本気の恋をしたのだ・・・・。



                   その男は、そう呟くと、切なそうな愛しそうな
                   見ているこっちがギュッと胸が押しつぶされる、
                   そんな目で降りしきる雨を見上げながら、
                   語りだしたのだ。


                   雨の音のように静かに始まった恋の話を・・・・・。










                   「マスタング先生?まだこんなとこに、いたんですか?」
                   私立セントラル学園に赴任したばかりの、体育教師、
                   ジャン・ハボックは、誰もいないと思ったいた音楽室に、
                   明かりも点けずに佇んでいる1人の男に気づくと、
                   驚いて声を上げた。
                   「ったく!こんな暗い中、何してるんですか!」
                   ぶつぶつ呟きながら、ハボックは、電気を点けようと、
                   スイッチに手を伸ばすが、男に制しされる。
                   「点けるな。」
                   じっと雨を見上げながら、そう呟く男に、ハボックは
                   ガシガシと頭を掻きながら、音楽室へと入っていく。
                   「マスタング先生、どうしたんですか?」
                   化学教師であるロイ・マスタングが、何故たった一人で
                   電気もつけず、音楽室にいるのか、ハボックは好奇心も
                   露に、ロイに近づいていく。
                   「いや、こんな日だったと思ってね・・・・・。」
                   苦笑するロイに、ハボックは、おや?と首を傾げる。
                   いつもなら、ロイの親友である、数学教師のマース・
                   ヒューズも顔負けに、人の顔を見れば、去年生まれた
                   ばかりの我が子の自慢話をする男が、何故か憂いを
                   含んだ目でハボックを見ていた。そんなロイに、
                   ハボックは訝しげに眉を顰める。
                   「マスタング先生、一体どうしたんですか?そろそろ
                   コンサートの時間なんですけど・・・・行かなくていいん
                   ですか?」
                   今年で創立105年を迎えるセントラル学園は、昨日から
                   創立祭を行っており、朝から生徒も教師も忙しく動き
                   回っている。お陰で、ハボックもロイもクラスを受け持って
                   いない為、雑用を言いつけられるのだが、理事長の
                   息子でもあるロイは、要領よく、雑務をハボックに
                   押し付けて、自分は朝からのんびりと過ごしていた
                   事を知っており、ついついハボックは恨みがましい目を
                   向ける。そんなハボックに、ロイはクスリと笑うと、
                   チラリと教室の壁に掛けられている時計に目を向ける。
                   「まだ2時間もあるじゃないか。」
                   創立祭の最後のメインイベントであるコンサート。
                   創立100周年を記念して、新しく立て替えられた音楽堂で
                   創立祭の締めとして、クラシックコンサートを行う事は、
                   ここ5年の間続けられた事だ。噂によると、それを独断で
                   決めたのは、目の前のロイらしい。それだけクラシックが
                   好きなのだろうと単純に思っていたハボックだったが、
                   目の前の男からは、楽しみにしているという感じを
                   受けずに、おや?と思った。
                   「マスタング先生、具合でも悪いんですか?」
                   気づくと、ハボックはそんな事を口にしていた。
                   それだけ、ロイの雰囲気が儚く感じられたのだ。
                   「いや?至って健康だが?」
                   何を言うんだと眉を顰めるロイに、ハボックは乾いた
                   笑いを浮かべながら、早々に立ち去ろうと、踵を返す。
                   「あー、大丈夫だったらいいんです。具合が悪いなら
                   コンサートを欠席した方がいいんじゃないかと思った
                   だけですから・・・・。それじゃ、俺見回りに行って・・・。」
                   「ハボック。」
                   別に声を荒げた訳ではない。ただ静かに名前を呼ばれた
                   だけなのだが、ハボックの歩みを止めるには、十分だった。
                   「・・・・何ッスか?」
                   恐る恐る振り返るハボックに、ロイは自嘲した笑みを浮かべる。
                   「コンサートは欠席しないさ。・・・・・彼女との約束だからね。」
                   「・・・・彼女・・・・ですか・・・?」
                   ロイの言葉に、ハボックはますます眉を顰める。
                   一昨年結婚して、去年には愛娘が生まれ、日々、幸せオーラを
                   垂れ流して、そのあまりのノロケに、英語教師、リザ・ホークアイの
                   必殺チョーク投げの的になっている男が、何故、こんな切ない
                   顔で【彼女】と言うのか。ハボックは表情を改めると、ロイに
                   向き直る。
                   「ハボック・・・・・お前は【本気の恋】をしたことがあるかね?」
                   「は・・・・?」
                   怪訝そうなハボックに、笑いかけると、ロイは愛しそうな目で
                   朝から降り続いている雨を見つめながら言った。
                   「あの日もこんな雨の日だったな・・・・・・。私が、エドワード・
                   エルリックと出逢ったのは・・・・・・。」
                   「マスタング先生?」
                   首を傾げるハボックに、ロイは自嘲した笑みを浮かべて
                   振り返った。



                   「私は一生で一度の【本気の恋】をしたのだよ。
                   彼女・・・・エドワード・エルリックとね・・・・・。」



                   ・・・・・・雨はまだ止む気配もなかった。