雨だれの前奏曲

 

                       第1話            

 

 

                それは、まるで世界から切り離されたように、
                小雨が降りしきる日の放課後だった・・・・・・。






                私立セントラル学園には、俗に言う、学園七不思議と
                いうものがある。全てを知ると留年するだの事故に
                合うだの、良くない噂を聞くが、七不思議自体、
                悪い話ではないという、珍しい特性を持っていた。
                もっとも、七不思議と言う割には、不思議な話は
                七つには留まらず、多いときには、30個も学園七不思議
                がまことしやかに生徒達の間から囁かれていた。
                「それにしても、この学校の七不思議は変わっているよ
                な・・・・・。」
                恋人自慢話に漸く一区切りつけた、昨年教師になったばかり
                の、セントラル学園の数学教師、マース・ヒューズは、
                温くなったコーヒーを片手に、幼馴染で、同じく教師になった
                ばかりの化学教師の、ロイ・マスタングに向かって言った。
                「ふん。噂話などくだらないな。」
                テストの採点をしながら、ロイは顔を上げずにズバッと
                切って捨てる。そんなロイに、ヒューズは苦笑いをして
                肩を竦ませる。
                「噂話くらいいいじゃねーか。第一、お前だって、在学中は、
                面白がって、七不思議を増やしていた口だろ?」
                「・・・・・面白がってではないぞ。人の心理についての
                研究をだな・・・・・。」
                フッと鼻で笑うロイに、ヒューズは呆れた顔をする。
                「ったく、どこの世界に、高校生でそんなヒネタ考えを・・・・。」
                「ここにいるぞ?」
                ニヤリと笑うロイに、今度こそヒューズは何も言わずに、
                頭をガシガシ掻く。
                「やっぱ、大学院に戻りたいのか?」
                ヒューズの言葉に、ロイの採点する手が一瞬止まる。
                「・・・・・別に、覚悟していた事だ。」
                そう言って、再び採点を始めるロイを、ヒューズは悲しそうな
                顔で見つめる。根っからの化学おたくで、一日中研究室に
                閉じこもって研究をしていれば、幸せだというロイだったが、
                セントラル学園の理事長である父親の命令に従って、
                研究半ばで無理矢理教師への道へと進まされていた。
                幸いにも、教え方がうまく、人ともそれなりに上手く付き合って
                いる為、教師生活をそこそこ楽しんでいるように見えるが、
                生まれたときからの幼馴染であるヒューズには、それが
                作られた笑みで、ロイは日々無気力な生活を送っていると
                看破していた。そこで、研究以外にも素晴らしいものがあると、
                毎日化学準備室に押しかけては、彼女の惚気話をロイに、
                せっせと語って聞かせている。ロイにとっては大きなお世話
                なのだが、ヒューズにしてみれば、親友が1人の女性に
                決めず、その時の気分で複数の女性の間を渡り歩いている
                姿に、これは俺が何とかしなければ!と使命に燃えて
                いたりする。
                「お前にこそ、『音楽堂の女神の祝福』が得られれば
                いいのにな・・・・。」
                ポツリと呟かれるヒューズの言葉に、ロイは嫌そうな顔で
                チロリとヒューズを見る。
                「老朽化の激しい音楽堂へ行けと?第一、あそこは立ち入り
                禁止のはずだが?」
                「かーっ!!夢のない男はこれだから嫌だねぇ。別に
                中にまで入れとは言わねぇって。そうじゃなくてだなぁ、
                音楽堂の噂だよ!知ってるだろ?」
                大げさに嘆いてみせるヒューズに、ロイは肩を竦ませる。
                「ああ、音楽堂で、運命の相手と出会うというやつだろ?
                音楽堂にいる女神に気に入られれば、祝福として、
                運命の相手に出会うとかなんとか・・・・・。」
                「そう!それだよ!俺はだな、親友のお前にも、早く
                恋人を作って結婚して幸せにだなぁ・・・・・・。」
                涙ながらに訴えるヒューズに、ロイはウンザリとした顔を
                隠しもせずに言った。
                「ったく、結婚だけが全てではないだろ?第一、運命の
                相手だなんて、ナンセンスだ。音楽堂の女神?一体
                どこのファンタジーだ。」
                鼻で笑うロイに、ヒューズはガックリと肩を落とす。
                「お前にこんな話をした俺が馬鹿だった・・・・・。」
                クスンと鼻を啜るヒューズに、流石のロイも言い過ぎたかと、
                心配になる。こいつはこいつなりに自分を心配している
                と分かっているだけに、ロイも冷たく突き放せない。
                「まぁ・・・・そのうち私にも見つかるといいが・・・・。」
                心にも思っていない事だが、一応フォローの為に口にすると、
                まるで水を得た魚のように、急にヒューズの顔が
                生き生きと輝きだす。
                「そうか!お前も漸くその気になったんだな!恋人はいいぞ!
                この間もな!グレイシアが・・・・。」
                「いい加減にしろ!この馬鹿者!!」
                再び惚気話を始めるヒューズに、ロイの怒りの鉄拳が炸裂した。
           
             
                



                 「全く・・・・ヒューズの奴め!!」
                 あの後、何とかヒューズを化学準備室から追い出し、急いで
                 仕事を終わらせると、既に夕方6時30分を過ぎていた。
                 あいにく、朝から小雨が降っているせいで、道はぬかるんでいるし、
                 おまけに傘が邪魔で走る事も出来ない。
                 早くしないと、デートに間に合わないではないか!と、
                 ロイはイライラしながら、抜け道として、普段は通らない、
                 音楽堂の側の道を通った時の事だった。
                 「・・・・ピアノ・・・・?」
                 ふと雨音に混じって聞こえる、澄んだピアノの音色に、ロイは
                 思わず立ち止まると、キョロキョロと辺りを見回す。
                 ここは、校舎からだいぶ離れた場所で、ピアノの音が聞こえる訳
                 がない。空耳かと思い、再び歩き出そうとしたロイだったが、
                 再び聞こえてきたピアノの音に、動きを止める。
                 「まさか・・・な。」
                 良く耳を澄ますと、音は音楽堂から流れてくる事に気づき、
                 ロイは急に不機嫌になる。立ち入り禁止の音楽堂に、
                 生徒が勝手に入り込んでいるらしい可能性に気づき、ロイは
                 怒りも露に音楽堂の入り口へと戻る。老朽化が激しく、いつ
                 天井などが崩れ落ちるか分からない状態で、入り込むなど、
                 どこの馬鹿だと、ロイは内心悪態をつく。何かあった場合、
                 責任を取るのは、学校側なんだぞ!とブツブツ文句を言いながら
                 ロイが音楽堂の入り口に回りこむと、案の定、南京錠が
                 取り付けられているはずの扉に鍵はなく、僅かながらに開いている
                 扉から先程のピアノの音が流れていた。
                 「ったく!!世話の焼ける!」
                 まさか知らない振りしてデートに行く事もできず、ロイはイライラと
                 しながら、乱暴に扉を開けた。
                 「おい!ここで一体何を・・・・・。」
                 次の瞬間、ロイの時間が止まった。



                 半分朽ちかけた舞台の中央に置いたままのグランドピアノを、
                 愛しそうな優しい表情で、黄金の髪を持つ音楽堂の女神が
                 弾いていたからだ。