雨だれの前奏曲

 

                       第3話            

 

 

                   ギィイイイイ・・・・・・。
                   建てつけの悪い扉は、思った以上に
                   音を立てていたが、幸いにも少女は
                   ピアノを弾くのに夢中で、誰かが入って
                   来た事に気づかない。
                   幸いにも、急に雨脚が強まったせいも
                   あり、ロイは細心の注意を払いながら、
                   音楽堂に身を滑らせるように入ると、
                   背中で扉を閉める。
                   そして、今度こそ少女を逃がさないように、
                   不用意に少女に近づかず、扉の前に
                   佇んで、じっと少女が奏でるピアノに
                   目を閉じて聞き入っていた。




                   「アンタ・・・・・。誰?」
                   どれくらい時間が経ったのだろうか。
                   ふと演奏が止んだ為、ロイがゆっくりと
                   目を開けると、ピアノの前に座っていた
                   少女が、ロイの方を向いていた。
                   強い意志を秘めた黄金の瞳に、ロイは
                   知らずに、ゴクリと喉を鳴らす。
                   「それは、こちらの台詞だよ。」
                   ロイは、苦笑しながら、ゆっくりと少女に近づく。
                   途端、少女の身体は一瞬怯えるように、
                   立ち上がりかけたが、元来気が強いのだろう。
                   直ぐにロイを睨みつけながら、ゆっくりと
                   椅子に座り直す。まるで警戒心の強い子猫のような
                   少女の仕草に、ロイは内心クスリと笑う。
                   それが少女には分かったのだろう。更に
                   ロイを睨みつける視線が強くなる。
                   ロイは殊更ゆっくりと少女の前まで来ると、
                   視線を少女に合わせたまま、ゆっくりと鍵盤に
                   指を置く。
                   ポーーーーーーン
                   ポーーーーーーン
                   右の人差し指一本で、高い音から低い音へと
                   順番に鍵盤を押していくロイに、
                   少女は居心地の悪さを感じて、その場から
                   逃げ出そうと立ち上がりかけたが、ロイの自分を
                   射抜くような視線に、動く事も出来ず、ただじっと
                   ロイだけを見つめていた。
                   ポーーーーーーン
                   ポーーーーーーーン
                   ロイの指は、やがて未だ鍵盤に手を置いたままの
                   少女の手を捕らえる。
                   「捕まえた。」
                   嬉しそうな顔のロイに、少女はただポカンとロイの
                   顔を凝視する。
                   「私の名前は、ロイ・マスタング。この学園で
                   化学を教えている。」
                   ロイはそこで言葉を切ると、握ったままの少女の
                   右手を持ち上げて、恭しく口付けると、じっと少女の
                   目を見つめる。
                   「君の名前は?」
                   「・・・・・・エドワード。エドワード・エルリック・・・・。」
                   釣られるように言葉にした瞬間、エドワードは
                   しまったと顔を顰める。
                   「では、エドワード。君はここで何をしているのかね?」
                   ニコニコと微笑みながら、ロイはギュッとエドの手を
                   握る自分の手に力を込める。
                   「・・・・・見て分かんないのか?ピアノを弾いている
                   んだけど?」
                   不貞腐れたようなエドの態度に、ロイはクスリと笑う。
                   「ここは、老朽化が激しく現在立ち入り禁止だぞ?」
                   「・・・・だからだよ。」
                   エドの思ってもみなかった言葉に、ロイの眉が顰められる。
                   「何だと?」
                   「そういう契約なんだ。分かったら、ここから出て行ってくれ。」
                   エドは嫌そうにロイから手を振り払うと、再びピアノを
                   弾こうとするが、その前に、ロイの手はエドの手を握る。
                   「オイ!!」
                   本気で怒っているエドに、ロイは探るような目を向ける。
                   「人の話を聞いていないのか?ここは立ち入り禁止だと
                   言っているんだ。ピアノが弾きたければ音楽室に・・・。」
                   「ここじゃねーと、意味がねーんだよ!!」
                   エドの鋭い声に、ロイはハッと口を閉ざす。
                   「・・・・悪かったよ。でも、ここじゃないといけないんだ。
                   アンタの迷惑には、絶対にならねーから、少しの間だけ
                   見逃してくれねーか?」
                   寂しそうな顔のエドに、ロイはため息をつく。
                   「訳はどうしても言えないのかね?」
                   ロイの言葉に、エドは済まなそうにコクンと頷く。
                   「ここは、老朽化が激しく、いつ天井が崩れるか
                   分からないんだぞ?とても危険なんだ。」
                   ロイの言葉に、エドはクスリと笑う。
                   「大丈夫!天井は崩れたりしないから。【約束の日】まで。」
                   「【約束の日】?」
                   首を傾げるロイに、エドは真剣な目を向ける。
                   「・・・・ごめん。詳しい事は言えないんだ。そういう【契約】
                   だから。」
                   エドはスクッと立ち上がると、ロイに頭を下げる。
                   「アンタに迷惑はかけない。別に毎日ここでピアノを
                   弾くわけじゃねえ。【雨の日】だけなんだ!頼む!
                   見逃してくれ!!」
                   「・・・・・例えここで君を追い出しても、君はまたここ
                   入り込むんだろうな。」
                   ロイは苦笑すると、ゆっくりと舞台から降りて、部屋の隅の
                   方へと歩いていく。そして、隅に積まれている椅子の山
                   から比較的状態の良いものを一脚見つけ出すと、
                   エドが良く見える場所まで持っていき、優雅な動作で
                   腰を降ろす。
                   「あの・・・先生・・・・?」
                   ロイの行動が良く分からず、エドは困ったような顔をする。
                   そんなエドに、ロイは優しく微笑む。
                   「危険だと分かっていて止められないのなら、私が側にいて
                   君を守ろう。」
                   「は?」
                   何を言っているんだ?と露骨に顔を顰めるエドに、ロイは
                   ニヤリと笑う。
                   「ここで弾いて良いと言っているんだよ。但し、それには
                   条件がある。私の同伴を認めること。」
                   「な!!何でだよ!!」
                   憤慨するエドに、ロイはヤレヤレと肩を竦ませる。
                   「もしも、私以外の人間がこの事に気づいたら、君は有無を
                   言わさずにここから追い出され、二度とここには、入れないぞ。
                   それでもいいのかね?」
                   グッと言葉を詰まらせるエドに、ロイは高らかに笑うと、
                   腕を組んで目を閉じる。
                   「さぁ、始めたまえ。」
                   どこまでも尊大なロイの態度に、一瞬エドはムッとするが、
                   それがロイの精一杯の譲歩だと気づき、嬉しそうに
                   微笑むと、エドは再びピアノを弾き始めた。
                   こうして、ロイとエドの奇妙な逢瀬が始まったのだ。




                   雨の音と
                   ピアノの音。
                   日常から隔離されたかのような一時。
                   世界は優しくロイを包み込み、
                   そして、それだけがロイの幸せだった。