雨だれの前奏曲

 

                       第4話            

 

 

                    

              「ロイ〜。お前、最近おかしくねぇか?」
              いそいそと帰り支度を始めているロイに、
              ヒューズは、胡散臭そうな目をロイに向ける。
              「別に?用がなければ失礼するぞ。これから用事が
              あるんでね。」
              そう言って、ロイはカバンに手をかけようとするが、
              その前に、ヒューズはロイのカバンを取り上げる。
              「ヒューズ!!」
              怒りが篭った目を向けてくるロイに、ヒューズは眉を
              顰める。
              「おいおい。今朝お前に言っただろ?今日は俺と
              我が愛しの女神であるグレイシアとの結婚が
              決まった祝いで・・・・・・。」
              「すまん。キャンセルだ。」
              ヒューズの言葉を遮ると、ロイは惚けるヒューズから
              カバンを取り返し、嬉しそうな顔で職員室から
              出て行こうとする。
              「ちょっと待てって。お前、今朝了承したじゃねーか!!」
              納得がいかない!とヒューズは慌ててロイを追いかける。
              「すまんな。先約なんだ。」
              前を向いて、ヒラヒラと手だけを降るロイに、流石の
              ヒューズもカチンとくる。
              「俺のほうが先に約束しただろう!!」
              ロイの前に回りこんで睨みつけるヒューズに、初めて
              ロイは済まなそうな顔をする。
              「すまん。まさか雨が降るとは思わなかったんだ・・・。」
              「雨?」
              確かに、先程まで雨が降るとは思えない晴天だったが、
              とヒューズは首を傾げる。
              「この埋め合わせは今度する。やっと雨が降ったんだよ。」
              ロイは急に嬉しそうな顔になり、ポンとヒューズの
              肩を叩くと、そのまま振り返らずに歩き出す。そんなロイの
              様子に、呆気に取られたヒューズは思わずロイの後姿を
              見送ってしまった。





               何故、こんなにも心が躍るのだろうか。
               雨でぬかるんだ道すら、ロイの心は嬉しさで一杯になる。
               「なんせ、一週間ぶりなのだからな。」
               ロイはクスリと笑うと、足早に音楽堂への道を急ぐ。
               だから気づかない。
               自分の後を付けているヒューズの存在に。







               「・・・・・・・よお。」
               嬉々としてロイが音楽堂の扉を開けると、既に来ていた
               エドがロイに気づき、手をヒラヒラさせる。
               「遅れてすまないね。エディ。」
               ロイは優しく微笑むと、指定席になっている椅子へと歩く。
               その時、普段なら直ぐに演奏を始めるエドが、何を思ったのか、
               ピアノの前から立ち上がると、トテトテとロイに近づいていく。
               「エディ?」
               最初のうちは、会話もなく、ロイは黙ってエドのピアノを
               聞いているだけだったのが、そのうち、エドの警戒心が薄れてきた
               のか、初めと終わりにエドがロイに挨拶をしてくれるようになった。
               それだけで舞い上がっていたロイだったが、一週間ぶりに逢った
               エドは、ピアノを弾かずに、自分に近づいてくるのを、ボンヤリと
               した眼で見つめていた。
               「リクエスト・・・・。」
               「何?」
               小声でボソボソと呟くエドに、ロイは聞き取れずに、首を傾げる。
               「リクエスト!あれば弾いてやるって言ってんだよ!!」
               途端、真っ赤になって叫ぶエドに、ロイはポカンと口を開けていたが、
               直ぐに言葉を理解すると嬉しそうな顔で微笑む。
               「いいのかい?」
               「別に・・・・嫌だったらいいけど・・・・。」
               プイと横を向くエドに、ロイはクスリと笑う。
               「リクエストしたいのだが・・・・あいにく私はクラシックは
               良く知らないのだよ。」
               途端、エドの顔が悲しそうに歪められる。
               「嫌いなのに、何でここに来るんだよ・・・・。」
               シュンとなるエドの両頬にロイは手を添えると、幸せそうな顔で
               笑う。
               「勘違いしないで欲しいな。確かに音楽はあまり興味がない。
               だが、私は君のピアノの音が好きなのだよ。ずっと聞いて
               いたい。だから、こうしてここに来ているのさ。」
               途端、真っ赤な顔になるエドに、ロイは優しく微笑む。
               「曲名は知らないのだが・・・・君と最初に出会ったときに弾いていた
               あの曲がいい。」
               「・・・・雨だれの前奏曲・・・・を・・・?」
               一瞬、動揺が走ったエドに、ロイは悲しそうな目を向ける。
               「駄目かな・・・・?」
               「ううん!!駄目じゃない!よし!アンタには色々迷惑をかけている
               からな!弾いてやるぜ!!」
               エドはパッと身を翻すと、ピアノへと駆け出していく。
               ロイは眩しいものでも見るように、エドの後姿を見ながら、
               やがて聞こえてきたエドのピアノの音色を聞きながら、
               幸せそうに目を閉じるのだった。







               「・・・・・何がどうなってるんだ?」
               ヒューズは目の前の状況に困惑を隠せない。
               自分との約束をドタキャンしたロイの行く先は、自分にすら
               秘密にしている恋人の所だと見当していたのだが、
               ついた先は、朽ち果てた音楽堂。
               そっと気配を消して中を覗いてみれば、
               ロイはホールの真ん中の席に座り、じっと微動だに
               せず、舞台中央のピアノを見つめ続けていた。
               後姿しか見えないのだが、ロイの纏う雰囲気が
               普段と違い、穏やかであるというのが、ヒューズには
               不思議だった。
               「こんな朽ち果てた音楽堂で、一体何をしているんだ?
               ロイの奴は・・・・・・。」
               ポツリとヒューズの呟きを聞き取ったかのように、
               唐突に、それまで降っていた雨が止んだ。
               そして、それと同時にロイが立ち上がった為、ヒューズは
               ロイに自分が後を付けてきた事を気づかれないように、
               慌てて扉の脇にある、植え込みの中へと隠れる。運良く
               ロイに見つからずにすんで、ホッと安堵の息を吐きながら、
               ヒューズはじっとロイを見つめた。先程まであんなに
               穏やかな雰囲気を纏っていたロイだったが、音楽堂から
               一歩出た瞬間、いつもと同じに無気力なオーラを醸し出して
               いた。雨が止んだ空を見上げて、ため息をつく親友を、
               ヒューズは険しい顔で見つめていた。




               ロイの不可解な行動を知って1ヶ月の間、梅雨だからと
               言うわけでもないのだが、まるで判で押したように、規則
               正しく3日に一度、しかも、ロイが帰り支度を始める
               時間になると決まって雨が降る日々に、ヒューズはロイの
               事を含めて、恐ろしいものを感じ始めていた。
               この1ヶ月の間、ロイの行動をさり気なく観察していた
               ヒューズは、ロイが雨になると途端に幸せそうな笑みを
               浮かべている事に気づき、眉間に皺を寄せる。これで
               恋人でも出来れば、漸く遅い春が訪れた親友に祝いの
               酒でも振舞ってやるところなのだが、ロイは幸せそうな
               顔で音楽堂に通い、何もせずにただじっと椅子に座って
               いるだけなのである。これが不気味でなくて、一体
               何だというのだろうか。ヒューズは、チラリと職員室を
               軽い足取りで飛び出していく親友の後姿を見送ると、
               深いため息をついた。
               そろそろ何とかしなければならない。
               第一、老朽化が激しい音楽堂に入り浸るなど、正気の
               沙汰とも思えない。何か悩みがあるのならば、自分に
               相談してくれれば良いのにと、ヒューズは、呟く。
               「とりあえず、ロイの奴に事情を聞かないとな。」
               何事もなければ良いと思いながら、ヒューズは、重い腰を
               上げた。










               「ヒューズ?」
               何故こんなところにいるんだ?と不機嫌も露な顔で
               ロイは目の前のヒューズを睨みつける。
               「いや、ちょっと聞きたい事があってな。」
               ヒューズは、校門を出たところの電柱柱に背を預けながら、
               著しく気分を害しているロイに向かって、手を振る。
               「何だ聞きたい事とは。」
               いかにも面倒くさそうに言うロイに、ヒューズは真剣な顔で
               睨み付ける。
               「悪いと思ったが、ここ1ヶ月の間、お前の行動を調べさせて
               もらった。」
               途端、表情を険しくして立ち止まるロイに、ヒューズはため息を
               つきながら尋ねる。
               「音楽堂で何があるんだ?何時間も1人でただじっと座っている
               だけだなんて・・・・・気がおかしくなったのかと思うぞ?」
               途端、ロイの顔から表情が消えた。