バチーーーーーーン
「先生の馬鹿ーッ!!」
エドは、ロイの頬を思いっきり叩くと、涙を浮かべて
走り去った。
「待ってくれ!!エディ!!」
慌ててロイは追いかけるが、とうとう愛しいエドワードの
姿を捉える事は出来なかった。
「・・・・・・となる訳で・・・・この公式を・・・・。」
「センセー。その問題はさっきやりましたー。」
途端、教室中に笑い声が起こるが、指摘されたロイは、
慌てる訳でもなく、ただ、ああ、そうかと一言呟いた
だけで、黒板に書かれた公式を消していく。
「センセー、最近変ですよ?何かあったんですかー?」
いつも以上に覇気のないロイに、生徒の1人が
ニヤニヤと笑いながら手を上げて質問する。
「・・・・・・・・・・。」
だが、無言のまま、黙々と黒板を消していくロイの姿に、
最初はクスクス笑っていた生徒達も、流石に何の反応も
返さない事に、不気味なものを感じて、ヒソヒソと小声で
話し出す。
「マスタング先生、どうしちゃたんだろ・・・。」
「哀愁漂う先生って、素敵〜。」
「でも、もう一週間だぜ?いい加減、ウザイ。」
「失恋でもしたんじゃねーの?」
無責任な発言に、クラス中でありえねーと大声で
笑った瞬間、ロイが力任せに、黒板を叩く。
「!!」
常に人当たりの良いロイとは思えない行動に、クラス中が
シーンと静まり返る中、ロイは無言で教材を手に持つと、
低く呟いた。
「今日の授業はこれまで。」
そのまま、逃げるように教室を出て行くロイの姿に、
クラス中、蜂の巣を突っついたような騒ぎが起こり、
隣で授業をしていた、ホークアイが乱入するまで、
続けられた。
「エディ・・・・・。」
逃げるようにして準備室まで戻ったロイは、手にした
教材を乱暴に机の上に置くと、深く椅子に腰掛けた。
「エディ!エディ!エディ!!」
ロイは、自分の中の激情を抑えようとするかのように、
両手で顔を隠すように俯く。
自分でもおかしいと、ロイは思う。
まだ16歳の少女に、これほど執着を見せるとは、
ロイ自身、信じられない思いだった。
しかし、音楽堂でエドのピアノの音に触れて、
エドに笑いかけられて、
エドと他愛もない話をするだけで、
今までどうやって生きてこれたのか、不思議なくらい、
酷く心が穏やかで、満ち足りた気分になった。
外で降りしきる雨が、まるで世界がロイとエドの2人だけで
あるかのように錯覚を起こさせる。
このまま、ずっと2人だけでいたい・・・・。
そう、ロイが願うようになるのに、時間は掛からなかった。
ふとロイは机の上に山積みになっている、全校生徒の
資料ファイルをぼんやりと眺めた。
始めのうちは、何としてでもエドを探し出そうと、理事長の
息子であるという特権を利用して、生徒の資料を持ち出した。
しかし、いざ資料を目の前にして、ロイは躊躇する。
あの稀有な黄金の存在を、今まで知らなかったという
事実が、ロイをそれ以上の事をさせるのを、妨げる。
もしもこれ以上エドの事を詳しく調べれば、恐らく
二度と彼女に会えないだろうと、ロイは心のどこかで
分かっていた。
そんな危険を冒さずとも、雨の日には逢えるのだからと、
心を宥めていたが、一週間前に、音楽堂以外の場所で、
思いがけずにエドと出会い、キスが出来た事から、ロイは
己の欲望を抑える事が出来なくなった。
「側に・・・ずっと私の側にいて欲しいのだよ・・・・・。
エディ・・・・・・。」
ロイは、震える指でファイルを手に取る。
パラリと表紙を捲った時、ガラリと勢い良く準備室の
扉が開かれた。
「・・・・ロイ・・・・。」
遠慮がちに声をかけるのは、一週間前からギクシャクとした
関係になってしまった、ヒューズだった。
「すまない。今、忙しいんだ。」
ロイは、ヒューズの声に、一瞬ピクリと肩を揺らしたが、
直ぐにファイルを捲る手を再開させた。
自分に視線を向けず、ただファイルを凝視するロイに、
ヒューズは、ガシガシと頭を掻くが、ロイの全てを拒絶
している雰囲気に、準備室の中に入る事が出来ずに、
俯く。
「・・・・・用件は?」
流石に、ヒューズに様子を憐れに思ったのか、ロイは
相変わらず資料を見続けながらも、ヒューズに話を
振ってやる。
「・・・・・この間は、悪かったよ。」
神妙なヒューズの言葉に、ロイは思わず顔を上げる。
そこには、何とも言えない複雑な表情をしたヒューズが
ロイを見つめていた。
「お前にも事情ってのがあるんだよな。それを知ろうと
せず、勝手なことを言って悪かった。・・・・・来週、
音楽堂が取り壊されるだろ?その後、落ち着いたら、
俺に相談して欲しいと思っている。じゃあ、それだけだから。」
そう言って、そそくさと立ち去っていくヒューズに、ロイは
慌てて椅子から立ち上がると、壁に掛けられている
カレンダーで日付を確認する。
「来週だと・・・・・?もう、エディには逢えないのか・・・?」
既に梅雨明け宣言がなされ、一週間前から、雨が
降らなくなった。あと一週間のうちに、何回雨が降るのか、
もしかしたら、全く降らないのかもしれない。
その事に、ロイは軽いパニック状態になる。
「ああ!やはりあの時、何が何でも捕まえておくのだった!!」
ロイは髪を掻き毟るように、頭を抱える。
いや、その前に、エドから全てを聞き出せば良かったのだ。
「・・・・・早く彼女を見つけないと・・・・・・。」
ロイは、フラフラと再び資料に手を伸ばす。
ザー・・・・・・・。
その時、突如聞こえてきた雨音に、ロイは反射的に
窓を振り返ると、嬉しそうに顔を輝かさせる。
「雨が降っている!エディ!!」
ロイは、資料が床に落ちるのも気にせず、慌てて準備室を
飛び出していく。
雨の中、ロイは傘も差さずに、音楽堂へと駆け出す。
丁度下校時間と重なっていたが為に、傘も差さずに
全速力で走っているロイの姿に、遠巻きに生徒が見ているが、
そんな事は、ロイには関係なかった。
生徒からどんな目で見られようとも構わない。
漸く一週間ぶりに雨が降り、エドと逢う事が出来るのだ。
ロイは全身ずぶ濡れになりながらも、音楽堂の扉を荒々しく
開け放つと、愛しい女性の名前を叫ぶ。
「エディ!!」
「先生!!」
普段なら、ピアノの椅子に腰掛けているエドだったが、
今日に限っては、いつものロイの特等席に座っており、
ロイに名前を呼ばれた事で、慌てて席を立って、逃げ出そうと
踵を返すが、それよりも先に、ロイの腕がエドを捕らえる。
「エディ!エディ!!逢いたかった!!」
きつく後ろから抱きしめられ、エドは真っ赤な顔で俯く。
そんなエドを、ロイはクルリとターンをさせて、自分に向き直させる
と、じっとエドの顔を覗き込む。
「エディ・・・・・。愛している。」
ロイの言葉に、エドは怯えた顔でガタガタと身体を震わせる。
そんなエドを、ロイは優しく抱きしめると、想いを込めて、
そっと耳元で囁いた。
「お願いだ。ずっと私の側にいてくれ・・・・・。」
ロイの懇願に、エドはギュッと唇を噛み締めると、悲しげな表情で
じっとロイを見つめる。
「もしも、俺がこの世の人間でなくても、ロイは俺を愛してくれる?」
「エディ?」
一体何を?と問いかけるロイに、エドは悲しそうな顔で微笑む。
「もう感づいてるんだろ?俺が・・・・・。」
「エディ!エディ!言うな!!」
ロイは、エドの身体をきつく抱きしめると、叫んだ。
「・・・・俺、もう【死んで】いるんだよ・・・・・・。ロイ・・・・。」
エドは、自分をきつく抱きしめている男に、残酷な【真実】を
告げる。
それと同時に、雷の光が、音楽堂の中を照らし出す。
そして、その光は音楽堂の壁に、ロイの影しか映さなかった。