雨だれの前奏曲

 

                         第7話            

 

                外は嵐になっていた。
                いつもは、2人のいる空間を包み込むように、
                優しく降る雨が、今日に限っては、その雨脚を強め、
                まるでエドを抱きしめているロイを責めているかの
                ようだ。
                「君は生きている。」
                ギュッとエドの身体を抱きしめて呟くロイに、エドは
                困った顔をする。
                「【死んで】るって!」
                何度も言わせるなよ!と泣きそうなエドの顔中に、
                ロイはキスを繰り返す。
                「私の腕の中にいる。」
                くすぐったいのか、エドは泣きながらクスクス笑うと、
                身を捩る。
                「だから、それは【契約】だからであって・・・・。」
                エドの言葉を遮るように、ロイは深くエドの唇を
                貪る。
                「んっ!!」
                そのあまりの激しさに、エドはロイの胸を叩くが、
                やがてそれが縋りつくものに変わる頃、漸く
                ロイはエドの唇を解放する。
                「エディ・・・・・。」
                トロンとした瞳で息を整えているエドの耳元で、
                ロイは想いを込めて囁く。
                「愛している。ずっと私の側にいてほしい。」
                目を見開くエドを、ロイは愛しそうに見つめながら、
                背広の内ポケットに入れてある小箱を取り出す。
                一週間前、わざわざエドがロイを追いかけて
                渡した、ロイの忘れ物だった。ロイは、素早く
                箱から指輪を取り出すと、エドの左手を取る。
                「これは、君のものだ。」
                そう言って、エドの薬指に指輪を嵌めようとするが、
                慌ててエドはロイの手を振り払う。
                「エディ!?」
                エドの抵抗に、一瞬腕の力を緩めたロイから逃れると。
                エドは泣きながら、ピアノのところまで逃げる。
                「エディ!待ってくれ!!」
                「そこを動くな!!」
                慌ててエドを追いかけようとするロイだったが、
                エドの悲痛な言葉に脚が止まる。
                「エディ・・・・。私の話を聞いてくれ!頼む!!」
                懇願するロイに、エドは悲しげに微笑んだ。
                外は相変わらず雨が降り続いているのに、
                何故かエドにスポットライトが当たっているように、
                そこだけ光り輝いて見えて、思わずロイは
                息を呑む。
                「ごめん。やっぱ、先生に逢いに来るんじゃなかった・・・。
                今日が最後だから、つい・・・・・。」
                ポロポロと涙を流すエドに、ロイは茫然となる。
                「何を言って・・・。」
                最後という言葉に、ロイは顔色を失くす。
                そんなロイに、エドは天井を見上げながら、小さく笑う。
                「言っただろ?最初に逢った時に。俺は【契約】で
                ここでピアノを弾いているんだって。」
                エドは、視線を天井からロイに移すと、決意に満ちた眼で
                じっとロイを見つめる。
                「俺はこの学園の生徒じゃない。」
                エドの言葉に、ロイはやはりと俯いた。
                「正確には、ここの生徒になるかもしれなかっただけどな。
                この学園が俺の第一志望だったから。」
                エドは、苦笑しながら言葉を繋げる。
                「今から半年も前だ。俺、雨の日に交通事故にあってさ・・・。
                気がついたら、ここで1人ボーッと立っていた。」
                その言葉に、ロイは思わず顔を上げる。
                「立っていた・・・・?」
                ロイの言葉に、エドは照れたように笑う。
                「あのさ・・・・俺、ずっとこの音楽堂を見たかったんだ。
                父さんと母さんの思い出の場所だから。」
                「思い出の・・・?君のご両親は、ここの卒業生なのかい?」
                ロイの問いに、エドはうーんと首を傾げる。
                「卒業生なのは、母さんだけ。父さんは、昔ここで化学教師を
                していたんだって。」
                今は、大学の教授をしているけどというエドの言葉に、ロイは驚く。
                「昔ここの教師だった、エルリック・・・・!?すると、君は、
                ホーエンハイム先生の!?」
                「先生、父さんを知っているの!?」
                驚くエドに、ロイは微笑みながら頷く。
                「私の恩師だよ。私が化学を専攻したのは、エルリック先生の
                影響なんだ。」
                「へぇ〜。そうだったんだ・・・・。」
                意外なところで自分とロイが繋がっていた事を知り、エドは
                感心したように頷いた。
                「それじゃあ、話が早いな。学園七不思議で、『音楽堂の女神の祝福』
                と言うのがあるだろ?」
                エドの言葉に、ロイは頷く。
                「音楽堂にいる女神に気に入られれば、祝福として、運命の相手に
                出会うとかいうやつだね?」
                「そう!その乙女チックな噂をばら撒いたの、うちの父さんなんだ。」
                エドの言葉に、ロイは固まる。あの、いかにも研究第一で、
                堅物の代名詞のようなホーエンハイムが、あの噂を流した
                張本人!?信じられない思いでエドを見ると、流石に自分の父親が
                そんな事をしたという事に、照れているのか、エドは少し頬を
                赤らめた。
                「当時、合唱部に所属していた母さんが、ここで1人で歌の練習を
                していた時に、たまたま歌声に惹かれて、父さんがここに来たんだって。
                父さん、いっつも、その時の事を『母さんが音楽堂の女神に見えた』って
                言って・・・・・。」
                「同じだ。」
                ポツリと呟くロイに、エドはキョトンと首を傾げる。
                「先生?」
                ロイはゆっくりとエドに近づくと、じっとエドの顔を見つめる。
                「私も同じ事を思った。」
                「先生・・・?」
                真剣な表情のロイに、エドは恐くなり、後ろに一歩下がるが、直ぐに
                ロイの腕の中に囚われてしまう。
                「初めて君と出会った時、ピアノを弾いている君の姿が、あまりにも
                美しすぎて、私は君を『音楽堂の女神』かと錯覚した。」
                途端、エドの顔が真っ赤になる。
                「エルリック先生は、女神を得られたのに、何故、私は駄目なのか?」
                悲痛な表情のロイに、エドはため息をつく。
                「あの話は、ただの父さんの惚気だよ。別に運命の相手とか
                そういうんじゃ・・・・。」
                「いや!私の運命の相手は君だ。君以外ありえない!!」
                きつくエドを抱きしめるロイを、エドは悲しそうな顔で見上げる。
                「先生。本当ならば、俺と先生は逢う運命じゃなかった。だから・・・。」
                俺は先生の運命の相手じゃないよと、呟くエドに、ロイは首を
                横に振る。
                「だが、私と君は出逢った。」
                これは運命なんだと言い切るロイに、エドはため息をつく。
                「どっちにしろ、俺は音楽堂が解体される前までしか、ここに
                いられない。」
                その言葉に、ロイはハッとすると、エドの両肩に手を置いて、
                揺さぶる。
                「それでは、この音楽堂が壊されなければ、ずっと君はここに、
                私の側にいてくれるのかね!?」
                万に一つの可能性に、ロイは縋る思いで、エドに尋ねる。
                幸い自分は理事長の息子だ。多少の無理は利く。それでも
                反対されたら、さっさと父親を引退させて、自分が理事長の
                座に着けばいいだけの話だ。この少女を側に置く事が
                出来れば、何だってやる。そうロイは心に決めた。
                だが、続くエドの言葉に、ロイは唇を噛み締めた。
                「それは無理だ。俺がここに留まっているのは、最大の
                禁忌なんだ。死んだら直ぐに天界に行かなければならない。
                でも、俺、どうしてもこの音楽堂を見たかった。この父さんと
                母さんの思い出の場所でピアノを弾きたかったんだ。
                そしたら、気がついたらここにいたんだ。」
                エドはじっとロイの顔を見つめる。
                「何年もここは使用されていないって分かっていた。でも、
                それでも、荒れ果てているここを見るのは辛かったけど、
                憧れの場所に立てて、すごく嬉しかった。これでもう
                思い残す事はないと思ったけど・・・・・聞こえてきたんだ。」
                「聞こえてきた・・・?」
                ロイの問いに、エドはコクンと首を縦に振る。
                「明確な声じゃなかった。心に直接響いてくるような、
                とても悲しい【声】だったんだ。たぶん、あれは【音楽堂の
                心】。」
                ロイはエドの言葉に、静かに耳を傾ける。
                「悲しいって。みんなが自分を見向きもしないのは、すごく
                悲しいって。また生徒達がここに集まってきて欲しい。このまま
                人知れず壊されるのは嫌だって・・・。そんな【想い】が伝わって
                きて、俺、どうしても慰めたくて、だから言ったんだ。解体
                されるまで、ここで俺がピアノを弾いて慰めるって。
                そして、解体されたら、アンタと一緒に成仏するって。」
                その言葉に、ロイはギョッとなる。
                「エディ!!私以外のものに、そんなプロポーズ紛いの
                言葉を言わないでくれ!!」
                「なっ!!何恥ずかしい事言っているんだよ!!」
                先生のバカバカ!!とロイの胸を叩くエドを、ロイは
                優しく抱きしめる。
                「・・・それが【契約】なのか?」
                ロイの言葉に、エドは手を止めてコクンと頷く。
                「雨の日に事故に逢ったから、どうも雨の日がキーワードに
                なっているらしくて、ここには雨の日にしかこれなかったんだ。」
                エドは泣きそうな顔でロイを見上げる。
                「あのさ・・・最後に先生に逢えて良かった。今度音楽堂が
                新しく建替えられたら、たくさんこの場所を愛してあげて。
                俺の分まで・・・・・。」
                そう言いながら、エドの身体から色が徐々に消えていく事に気づいた
                ロイは、慌ててエドを抱きしめる。
                「待ってくれ!最後に、もう一度だけ弾いて欲しい。」
                必死に引き止めるロイに、エドの身体に色が戻る。
                「最後に『雨だれの前奏曲』を・・・・・・。」
                真剣な表情のロイに、エドは悲しそうに微笑むと、コクンと頷いた。