雨だれの前奏曲

 

                         第8話            

 

              雨の音に混じり、音楽堂にエドのピアノの音が響き渡る。
              「この曲はね、ショパンがマジョルカ島で作った曲なんだ。」
              情緒豊かに曲を奏でているエドの身体を後ろから
              抱きしめながら、ロイは一音も聞き逃さないというように、
              静かに目を閉じて、エドの声とピアノの音に耳を傾ける。
              「島について、結核になってしまったショパンを島の人達は
              忌み嫌っていた。そんなショパンを献身的に看病したのは、
              恋人のサンドだけだったんだ。島の人達の冷たい視線に、
              2人は廃墟と化していた、ヴァルデモッサの僧院で暮らすしか
              なかった。そんなある日、、サンドが町に出かけて留守の時、
              激しい雨が降り出すんだ。ショパンは、その激しい雨音を聞いて、
              死への恐怖とサンドが側にいないという孤独感から、ショパンは
              錯乱状態に陥ったらしい。」
              エドはクスリと笑う。
              「なんか、似てない?状況が。」
              廃墟と化した音楽堂で、死の恐怖を胸に、ピアノを引き続ける
              自分。自嘲した笑みを浮かべるエドを抱く腕に力を込めると、
              ロイはエドの耳元に唇を寄せて囁く。
              「愛している。エディ・・・・・。」
              ピクリと身体を震わせるが、エドの演奏は途切れる事は
              なかった。無言のままのエドに、ロイは心を込めて囁き続ける。
              この自分の想いが少しでも少女の孤独を癒せればと
              願いながら・・・・。






              いつの間に雨が上がったのだろうか。
              あんなに激しく振っていた雨は上がり、夜空には星が
              煌めいていた。
              ゆっくりとピアノから手を離すエドに、ロイは離さないと
              ばかりにきつく抱きしめるが、それでも徐々に消えていく姿に、
              ロイはますます抱く腕に力を込める。
              「ありがとう・・・・。先生に逢えて良かった・・・・。
              愛してる。」
              それが少女の最後の言葉だった。
              目の前で音もなく消えていった最愛の少女を思い、
              ロイは一晩中音楽堂で泣き崩れた。
              永遠に失ってしまった恋を胸に抱きしめながら。






              音楽堂解体日前日。
              その日は土曜日で、午前中に一回だけしか授業がない事を
              言い事に、ロイは授業が終わった足で、音楽堂へと足を向けた。
              「エディ・・・・。」
              いるはずもないと分かっていながらも、それでも期待している自分に、
              ロイは自嘲した笑みを浮かべる。
              「本当に君は逝ったのかい?」
              ロイはエドとの思い出を一つ一つ懐かしく思いながら、ゆっくりと
              音楽堂の中へと入る。そして、いつもエドが座っていたピアノの
              椅子に腰掛けると、天井を仰ぎながら、目を閉じる。
              どれくらいの時間が経ったのだろうか。
              ふと目を開けると、ロイはゆっくりと音楽堂を見回した。
              エドの事しか目に入っていなかった為、こうしてじっくりと音楽堂を
              見た事がなかった。エドと初めて出会った頃とまるで変わらない
              その様子に、ロイはエドが消えてしまった事など夢で、またエドが
              ひょっこり現れるのではと、思ってしまう。
              「意外と私は未練がましい人間だったんだな。」
              ため息をつくが、本当はエド限定である事も分かっている。
              またいつもの、無気力な生活が始まるのかと思うと、ロイは
              一瞬エドの後を追おうかと、本気で考えるが、エドとの約束を
              思い出し、何とか思い留まっている。
              ”俺の分まで、音楽堂を愛して・・・・。”
              「それが君の願いなら・・・・。」
              この思いが君に届くように、私はずっとここで祈りを捧げよう。
              ロイは目を伏せると、エドの為に黙祷を捧げる。その時、音楽堂の
              扉が荒々しく開かれた。
              「エディ!?」
              一瞬エドが姿を現したのかと、ロイが驚いて顔を扉に向けると、
              金髪の少女と少年が、アングリと口を開けて、立っていた。
              「ウィンリィ・ロックベル・・・・・・。」
              金髪の少女の顔に見覚えがあるロイは、スッと目を細める。
              「ここは立ち入り禁止のはずだ!早々に出て行きなさい!」
              普段なら決して声を荒げないロイだったが、愛しい少女との
              思い出の場所に、いつまでも他人をこの場所に置いておきたくは
              なかった。自然咎める口調になるロイに、ウィンリィはビクリと
              肩を竦ませた。
              「すみません!ウィンリィが悪いんじゃないんです!僕が
              無理を言って・・・・。」
              慌ててロイとウィンリィの間に入る少年を、ロイは感情の篭らない
              目で見つめる。
              「君は・・・・どうやらここの生徒じゃないみたいだが?」
              部外者をこの場所に連れてきたウィンリィに、ロイは言いようもない
              怒りを感じ、ジロリと睨みつける。
              「すみません。明日で音楽堂が取り壊されるって聞いて・・・・・。
              ここは、ボクの両親の思い出の場所だから、最後にどうしても
              見たくて・・・・・。」
              ションボリと項垂れる少年の言葉に、ロイは驚きを隠しきれない。
              つい最近、同じ事を聞かなかったか?
              ロイは、震える声で少年に尋ねる。
              「君・・・君の名前・・・・は・・・・・。」
              少年は、ゆっくりと顔を上げる。最愛の人と似た面影に、ロイは
              耐え切れず、涙を一筋流す。それに戸惑いつつも、少年は
              小声で呟いた。
              「ボクは・・・・アルフォンス。アルフォンス・エルリックです。」
              やはりと、ロイはアルに優しく微笑んだ。
              「では、君はエドワードの弟なんだね?」
              ロイの言葉に、今度はアルとウィンリィが驚く番だった。
              一体、何時ロイとエドは知り合ったのだろうかと、困惑する
              2人に、ロイは寂しく微笑みながら、アルとウィンリィを音楽堂へと
              誘う。
              「老朽化が激しいから気をつけるんだよ。」
              ロイの言葉に、アルはコクンと頷きながら、感慨深げに音楽堂を
              見回す。
              「・・・・姉さんに見せてあげたかった。」
              ポツリと呟くアルの言葉に、ロイはそっと目を伏せる。君のお姉さんは、
              ここでピアノを弾くことが出来たと教えてあげたいが、エドとの
              想い出は、自分1人だけが知っていればいいと、ロイはあえて
              口を閉ざす。
              「ねぇ・・・・本当にエドは助からないの?」
              堪えきれずに叫ぶウィンリィの言葉に、ロイはハッと顔を上げると、
              ウィンリィとアルを凝視する。
              「うん。ボク、どうしても姉さんが死ぬところを見たくなくて、
              ここに逃げ出したんだ。」
              涙を堪えるように俯くアルに、ロイは掠れた声で尋ねる。
              「待ちたまえ・・・。エディは・・・エドワードは、生きているのかね?」
              必死の様子のロイに、アルは涙で濡れた眼で首を横に振る。
              「・・・今日、姉さんは死ぬんです。」
              「どういう事だ!?」
              思わずアルに詰め寄ると、ロイはアルの身体を揺さぶる。
              「・・・・・姉さんは、半年前に交通事故に遭って、ずっと意識不明
              だったんです。お医者さんに直る見込みがないって言われて・・・
              今日、姉さんの生命維持装置が外されるんです。イタッ!!」
              急にロイの手に力が込められ、驚いて顔を上げたアルは、そこで
              泣きそうな顔をしているロイに、茫然とする。
              「エディは今何処だ?何処の病院なんだ!!」
              必死の形相のロイに、アルは震えながら言った。
              「セ・・・セントラル病院・・・・。601号室です・・・・。」
              「セントラル病院だな!!」
              ロイは乱暴にアルから手を離すと、茫然とする2人をその場に残して
              音楽堂を飛び出していった。





              「エディ!エディ!!」
              幸い、セントラル学園の付属のセントラル病院は、音楽堂の
              裏手にあった。ロイはエレベーターホールを通り過ぎ、一刻も早く
              エドに逢いたい気持ちを抑えながら、6階まで一気に階段を
              駆け上がる。
              廊下は静かに!という看護婦の忠告も、ロイの耳には届かない。
              早くしなければ、エドが死んでしまう。
              それだけがロイの頭を占めていた。
              折角生きている事が分かったのだ。
              再び抱きしめて愛していると叫びたい。
              だから、どうか間に合ってくれ!!
              ロイは一心に神に祈りながら、601号室のドアを、荒々しく
              開けた。
              「エディ!!」
              だが、そこには、期待した光景はなかった。
              白いベットの横には、項垂れた父親と、娘に縋りつく母親の
              姿しかなく。
              少女の身体に取り付けられているはずの、生命維持装置が
              既に取り去られた後だった。
              「そんな・・・エディ・・・・・。」
              ロイは、涙を流しながら、ベットの上で横たわる最愛の少女に
              近づく。いきなり現れた人間を、娘を亡くしたばかりの両親は、
              茫然と見つめる事しか出来ない。それを良い事に、ロイは
              恐る恐るエドの身体に手を伸ばすと、すっかりと痩せてしまった
              少女の身体を抱きしめた。
              「何故だ!エディ!何故死んだんだ!!」
              ロイの絶叫が病室内に響き渡った。

              
              
              

                    

                   

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死にネタ、悲恋が大好きな方は、ここまでです。
ここから先のエピローグは読まないほうが良いでしょう。


こんなの嫌〜!!上杉の嘘つき〜!!と納得がいかない人だけ、
この先のエピローグへお進み下さい。