第5話

 

 

 

            「開門!!開門ーっ!!」
            荒々しく動き回る一頭の白馬に跨った男が、
            エルリック公爵家の門前に、騎乗のまま声を張り上げる。
            「私は、ロイ・マスタングだ!!すみやかにここを
            開けたまえ!!」
            その言葉に、転がるように門番が出てくると、深く頭を垂れる。
            「陛下!!只今取り込んでおりますので・・・・・。」
            「早くしろと言っている。」
            皆まで言わせず、ロイは一喝すると、冷たい瞳を門番に向ける。
            「は・・・はい・・・。只今!!」
            屋敷の主からは、誰があっても通すなと命じられていたが、
            国最高権力者の命令には、逆らえない。震える指で門を開けると、
            ロイは疾風のごとく、馬を走らせる。その後姿を眺めながら、
            門番は、ヘナヘナとその場に座り込む。
            「こ・・・殺されるかと思った・・・・・。」
            




            「何故だっ!!何故死んだのだ!!エディ!!」
            ロイは必死に馬を走らせながら、頭の中では、エドの事で
            一杯だった。ほんの数時間前まで、あんなに元気だったでは
            ないか。信じられない思いで、ロイは馬を走らせたのだが、
            エルリック家の至る所に立てられている、黒き弔いの旗に、
            ロイは唇を噛み締めると、苛立ちのまま、馬に鞭を当てる。
            門から続く長い林を抜けると、一面のバラ園が存在している。
            亡くなった、エルリック公爵夫人であるトリシャが、とても
            愛しており、毎日子供や夫と共に、ここを散策するのが、
            夫人の日課であった。そして、ロイがエドと初めて会ったのも、
            この場所であった。ロイは、手綱を引いて馬を止まらせると、
            考え深げにバラ園を見つめた。
            ロイの母親とエルリック公爵夫人トリシャは、仲の良い姉妹だった。
            国王であるロイの父親とホーエンハイム・エルリック公爵は、
            幼き頃からの親友同士。その二人が、当時宮廷の花と
            持て囃された、二人の姉妹に同時に恋をした。国王は、姉を、
            公爵は妹の方を。だが、美しき姉妹は、王妃や公爵夫人と
            なるには、身分があまりにも低すぎた。男爵とは名ばかりの、
            貧乏貴族だったのだ。当然のごとく周囲の猛反対に合うが、
            二人は持ち前の意志の強さでそれを跳ね除け、見事愛する者と
            結ばれた。そんな国王と公爵の話は、今でも国民の間で語り継がれる
            ラブロマンスである。だが、その国中の者が憧れるラブロマンスも、
            王妃が数年後に他界した事で、終わりを告げた。当時ロイはまだ
            5歳だった。最愛の王妃に先立たれた国王は、悲しみから
            逃れるかのように、ますます政務に没頭していく事になる。
            よって、まだ5歳にも関わらず、ロイは宮廷の陰謀に、1人で
            立ち向かっていかなければならなかった。そんな彼の心の
            安らぎが、年に一度のエルリック公爵家への訪問だった。
            ここでは、自分を王子ではなく、1人の人間として、また
            愛すべき甥として扱ってくれる。両親の愛情を知らずに育った
            ロイにとって、一番安らげる場所だった。
            ロイが14歳になった時、公爵夫人トリシャが待望の子供を出産
            した。長女のエドワードである。
            「殿下。うちの娘です。仲良くして下さいね。」
            そう言って、トリシャは、このバラ園で、娘のエドワードと、甥の
            ロイを対面させたのである。
            乳母に抱かれて、スヤスヤと良く眠っている赤ん坊を、興味深げに
            遠くから見つめているロイに、トリシャはクスクス笑うと、乳母に
            命じてエドワードを受け取ると、そのままロイに渡そうとする。
            「いや・・・。私は・・・・・。」
            少し力を込めれば、そのまま壊れてしまいそうな赤ん坊に、ロイは
            慌てて辞退するが、もともと悪戯好きの明るい性格のトリシャは、
            ニコニコ微笑みながら、ロイにエドを押し付ける。
            「危ない!」
            危うく落としそうになって、ロイは思わず赤ん坊を抱き締める。
            「良かった。無事か・・・・・。」
            ホーッと安堵の溜息をつくロイの腕の中で、それまですやすやと
            眠っていたエドワードが、パチリと目を開けた。
            ”まずい!泣かれる!!”
            じっと自分を見つめる黄金の瞳に、ロイは一瞬泣かれるかと
            焦ったが、エドはやがて顔を綻ばせると、小さい手を懸命に
            ロイに伸ばして、キャラキャラと笑う。
            今まで、裏のある笑顔に慣れきっていたロイは、ホーエンハイム
            とトリシャ以外の、純粋な笑顔に、思わず食い入るように、
            見つめてしまう。
            その、無垢な笑顔に、ロイの心の中にまるで闇を照らす暖かい
            蝋燭の焔のような光が点ったのを感じたのだ。
            「まぁ。エドは殿下を気に入ったのね。」
            ニコニコと笑うと、トリシャは固まるロイからエドを受け取ると、
            乳母に渡す。その一連の動作を、ぼんやりと目で追っている
            ロイに、トリシャは穏やかに微笑む。
            「殿下。エドの良き兄になって下さいませ。」
            「ああ・・・・。そうだな。」
            トリシャの言葉に、自然とロイの顔に笑みが零れる。そして、
            先程までエドを抱いていた自分の手をじっと見つめると、
            ギュッと手を握り締める。
            「絶対に、私が守る・・・・・。」
            穢れなき無垢な魂。出来るならば、その清らかな心のまま、
            成人してほしい・・・・。その為には、自分はなんだってやる。
            そう決意していたのに・・・・・・。
            「・・・・・私は、エディを悲しませる事しか出来ないのか・・・・・。」
            ロイは苦しげにそう呟くと、馬の首を屋敷の方へ向けさせると、
            そのまま走り去ろうとするが、その前に、背後からの声によって、
            ロイは後ろを振り返る。
            「お待ちを。陛下。」
            「エルリック公爵!!」
            バラ園の中にある、東屋に、ホーエンハイム・エルリック公爵が
            息子のアルフォンスと共に、佇んでいた。
            ロイは急いで馬から下りると、足早に二人に近づく。
            「公爵!エディはっ!!」
            鬼気迫るロイに、ホーエンハイムは、ゆっくりと頭を下げる。
            「陛下。何も言わずにここから直ぐに立ち去って下さい。」
            「・・・・・エディは、どうしたと聞いている。」
            底冷えする程の冷たいロイの視線に、父親の背後に控えていた
            アルフォンスがビクリと身を竦ませる。だが、流石に長年
            宰相を務めているだけはある。ホーエンハイムは、ロイに
            挑むような目で厳かに言う。
            「陛下。国家の一大事です。このまま陛下はお帰り下さい。
            そして、二度と娘の事を思い出さないで下さい。」
            そのあまりの言葉に、ロイは絶句する。
            「何故だっ!!私には愛する人との最後の別れも許されないのか!!」
            エドが死んだ事は絶対に認めないと心の中で悲鳴を上げるが、
            二人が喪服を着ている事実に、ロイは絶叫する。
            「陛下。それがお二人の為なのです。」
            穏やかなアルフォンスの言葉に、ロイは顔を上げると、
            涙を溜めているアルフォンスに気づき、少し冷静になる。
            「・・・訳を・・・・・訳を言ってくれ・・・・・・。」
            ロイの言葉に、一瞬ホーエンハイムは、躊躇うが、やがて
            ポツリと話し始める。
            「・・・・陛下には、ここ最近急速に国民の間に広まった噂を
            ご存知ですか・・・?」
            「噂だと?」
            眉を顰めるロイに、アルが手短に説明する。
            「姉さんが屋敷に戻ってから、市井の間で、ある噂が流れたんです。
            姉が・・・・【巫女姫】が王に監禁されていると。二つの権力を
            一つにする為に、王は【巫女姫】を抹殺すると・・・・・。」
            「馬鹿な!!エディは私の妃になる人間だぞ!!」
            何故そんな馬鹿な噂が流れているのだ!!と怒りだす
            ロイに、ホーエンハイムが冷静に指摘する。
            「まだ、【婚約の儀】を執り行っておりませんので、重臣以外、
            娘が王の婚約者だとは、知られておりません。」
            その言葉に、ロイは舌打ちする。
            神殿の大聖堂において、代々の国王は婚約者と共に
            婚約を神に報告するのが、【婚約の儀】である。その後二人は、
            神殿の前の大広間に姿を現し、そこで国民は初めて王の婚約者が
            誰であるか知るのである。
            「このままでは、【巫女姫】暗殺の疑いを掛けられ、【王家】は
            滅亡してしまいます。」
            古の昔より、神の名において、【王家】と【神殿】は、お互い不可侵の
            取り決めを行っていた。それが、権力を握るために、【王】が
            【巫女姫】を暗殺したと噂になれば、それだけで、ロイの王位は
            剥奪されるだろう。
            「あとの事は、全て私にお任せ下さい。さぁ、噂が立つ前に、
            陛下は王城へお引取りを・・・・・。」
            「・・・・・公爵。私は戻らないよ。」
            ロイは、真剣な表情でじっと見つめると、首を横に振る。
            「陛下!!」
            驚くホーエンハイムに、ロイは縋るような目を向ける。
            「エディはどこにいる?」
            「陛下・・・・・・・。」
            絶句するホーエンハイムに、ロイは重ねて言う。
            「エディは、私が初めて本気で愛した女性だ。その人の死を、
            己の保身の為に、闇に葬りたくないんだ。お願いだ。
            私をエディに会わせてくれ。頼む。」
            頭を下げるロイを、ホーエンハイムはじっと見つめた。
            「・・・・・そのような姿は、父君そっくりですな・・・・・。」
            懐かしがる口調のホーエンハイムに、ロイは顔を上げる。
            「昔を思い出しました。父君も、そう言って私に頭を下げられたのですよ。
            男爵令嬢を妃に迎える為に、力を貸して欲しいと・・・・・。頼むと
            頭を下げられました。」
            今度はその息子が自分に頭を下げる。愛する人の傍にいたいと。
            そのあまりにも昔と似ている状況に、ホーエンハイムの目からは、
            涙が溢れる。
            「後悔しませんか?下手をすると王位は剥奪ですぞ。」
            「構わない。私にはエディが全てなのだから。」
            せめて最後に一目だけでも逢いたいと、懇願するロイに、アルフォンスが
            溜息をつく。
            「父上の負けです。陛下の覚悟は、以前から分かっていた事では
            ないですか。」
            アルフォンスは、ゆっくりとロイに近づく。
            「姉の所へご案内します。陛下。」
            「アルフォンス・・・・・。ありがとう・・・・・。」
            アルフォンスは穏やかに微笑むと、そっとロイを屋敷とは反対方向へと
            導く。
            「離宮の方へ姉の遺体を安置しているんです・・・・・・。姉が一番好きな
            場所なので・・・・・・。」
            東屋からそう遠く離れていない場所に設けられた離宮に着くと、
            アルフォンスは、懐かしそうに屋敷を見上げた。
            公爵家に似つかわしくないほど、こじんまりとした屋敷は、エルリック一家が、
            誰に気兼ねをすることもない、プライベートな空間だった。ここでは、
            公爵という地位を忘れて、ただの家族として過ごしていたのだ。
            まだ母親が存命中の頃、自分達は2階の子供部屋で寝ていて、
            朝、母の声で起きた。自分で着替えて一階に降りていくと、
            父は既にテーブルについて、優しく朝の挨拶をしてくれて、母は
            手作りの料理を手際よくテーブルに並べて、二人に気づくと、
            優しい笑みを浮かべて、おはようと言ったくれた。まさに、
            一家にとって、幸せの象徴とも言うべき場所なのだ。            
            「2階の一番奥の部屋です。」
            「アルフォンス?」
            扉を開けると、アルフォンスは一礼して去っていこうとする。
            引き止めようとするロイに、アルは肩越しに振り返る。
            「どうか、御気の済むまで、傍にいてあげて下さい。
            ここは、人払いをしてありますので・・・・・。」
            そう言うと、アルフォンスは、振り返らずにゆっくりと歩き出す。
            暫くアルフォンスの後姿を見送っていたロイは、やがて
            意を決すると、ゆっくりと屋敷の中に一歩踏み入れた。
            入って直ぐの階段を上がり、一番奥の部屋へとゆっくりと進む。
            部屋の前まで来ると、ロイは一瞬目を閉じるが、直ぐに目を
            明けると、そっと扉を開く。
            「エディ・・・・・?」
            月明かりの中に浮かび上がる、天蓋つきのベットの中に、
            ロイの愛する者がいた。薔薇で埋め尽くされたベットの中に、
            まるで眠るように目を閉じている彼女の姿に、ロイは
            誘われるように傍に寄ると、両膝をつき、そっと手を
            握り締めた。まるで体温を感じないその手に、ロイは
            流れる涙を拭おうともせずに、エドの身体を抱き起こすと、
            きつくその身体を抱き締めた。
            「何故だ・・・・・。何故私を置いて死んだんだ!!
            エディ!!」
            どんなに抱き締めても、ぬくもりを感じない身体に、
            ロイの絶望が深まる。
            「エド・・・エドワード・・・エディ・・・・・・。」
            ロイはうわ言のように呟きながら、エドの身体をきつく
            抱き締める。
            どれくらいそうしたのだろうか。やがてロイはゆっくりと
            エドの顔を見つめながら、胸のポケットから一つの指輪を
            取り出し、そっと左の薬指に嵌める。
            「愛している。エドワード。君が生涯でただ1人の私の
            妃だ・・・・・・・。」
            王として世継ぎの問題は、個人だけの問題ではない。
            国の存亡を担う大事な責務だ。だが、ロイには、エド
            以外の妃を持つ事など、考えられない。例え、王位を
            剥奪されても、絶対に他の女性を妃には迎えないと、
            そう固く心に決めていた。
            ロイは愛しそうにエドの乱れた前髪を整えると、そっと
            唇を重ね合わせた。