神妙な表情の下で、コーネロ司祭は、喜びに気分は
高揚していた。
「まさか、こんなにうまく事が運ぶとは・・・・・。」
地下道を足早に通り抜けると、隠し通路から、神殿の
大聖堂へ入る。
そっと辺りを見回しながら、警護の人間がいない事を
確認すると、安堵の溜息を洩らす。
コーネロは、逸る気持ちを抑えながら、ゆっくりと、神の像の
前に安置された、棺に近づく。
「やっと・・・・やっと、私のものに・・・・・・。」
ククク・・・と、笑いながら、コーネロは卑下た笑みを浮かべ、
棺に手をかける。
「さぁ、【巫女姫】様、お目覚め下さい。」
努めて、優しく声をかけるが、棺からは何も音が聞こえない。
「おかしいな。まだ、薬が効いているのか?」
コーネロは一瞬戸惑ったが、ぐずぐずしている時間はないと、
棺を開けようと手を取っ手に伸ばす。
「そこまでだ。」
半分空けた所で、背後から響く声に、コーネロは、反射的に
後ろを振り返った。
親衛隊のホークアイとハボックを従えた、この国の王が、
怒りの形相で、立っていたからだ。
「ロイ・・・・マスタング陛下・・・・・・・。」
震える声で、己を指差す男に、ロイは冷ややかな目を向ける。
「私のエディを、どこへ連れて行く気だった?」
背後に控えるホークアイとハボックが、威嚇のため、コーネロに
銃を向けるのをみながら、コーネロは引きつった笑みを浮かべた。
「陛下?どうしてこのような場所へ?死者の御霊を休ませる為、
大聖堂の中への進入は、固く禁じられているはず。これは、死者への
冒涜ですぞ!!仮にも、【巫女姫】様に、なんという無礼!!」
死んだ者にすら、このような辱めを与えるのですか!と、
憤慨するコーネロに、ロイは冷ややかな表情のまま、一歩前に
進む。
「コーネロ司祭。いや、北のリオール国の工作員だということは、
分かっているのだ。」
途端、コーネロの顔つきが、ガラリと変わる。
「フン。流石は切れ者と噂される、マスタング王。だがな、もう
遅い。」
コーネロは、ゆっくりと後ずさりしながら、棺の向こう側へと
素早く回り込むと、半分ほど空けられた扉から、抵抗する
【巫女姫】を抱え上げ、自分の盾として、【巫女姫】を
自分の前に立たせる。
「おっと。下手に動くな。巫女姫の命はないぞ。」
頭からすっぽりと被せられたヴェールによって、その表情は
見えないが、小刻みに揺れる肩で、巫女姫が怯えている
事に気づいた、コーネロは、ニヤけた笑みを浮かべながら、
そっと耳元で囁く。
「可哀想に。怖がる事はありませんよ。巫女姫様。あなた様の
【聖なるお力】さえあれば、マスタング王など恐れるに足りず。
そして、あなた様は、わたしのものに・・・・・・。」
そう言うと、コーネロは巫女姫の身体を後ろから強く抱き締める。
数百年に一度地上に現われるという、イシュヴァラ神の化身、
当代の巫女姫エドワード・エルリック。
両手を合わせる事によって、数々の神の御業を、繰り広げるのを、
ずっと傍で見てきたのだ。加えて、イシュヴァラの神が最も
愛したとされる黄金色の髪と瞳に、コーネロは自分がリオールの
工作員だという事を忘れ、エドワードに心を囚われていた。
エドさえ手に入れば、自分は世界の王にもなれる。そんな妄想を
抱くようになったとしても、仕方がないことだった。
「さぁ、私達の未来の為に、王を・・・・・・。」
勝手にエドを自分の恋人のように錯覚しているコーネロ司祭に、
ロイの秀麗なる眉が跳ね上がる。
ロイはさっと手袋を嵌めた右手を翳す。白い手袋の甲の部分には、
丸い円が描かれており、中には、焔と三角の図形、そしてサラマンダー
が描かれていた。王のみに伝えられるという、錬金術である。
「消し炭決定だな。」
ロイが指を鳴らして焔を練成する前に、それは起こった。
コーネロが自分の腕の中にいる、巫女姫に違和感を持ったのだ。
「巫女姫様・・・・?背が大きくなられましたか?いつもは、
もっと背が低い・・・・・・。」
「誰が、顕微鏡でも見れないくらいミジンコ豆粒ドチビくわああああ!!」
コーネロの言葉を遮って、大聖堂に大音響が響き渡る。
続く、両手を合わさる音が合図のように、コーネロに拘束されて
いた巫女姫は、あらん限りの力で、コーネロを祭壇の方へ
突き飛ばすと、謀ったように、天上から鉄の檻が落ちてきた。
「なんだ!何がどうなっているんだ!!」
慌てふためいていたが、やがてコーネロは、大聖堂の入り口に、仁王立ちしていた
巫女姫の姿に気づき、先程自分が拘束していた巫女姫を振り返る。
「馬鹿な!巫女姫が二人!?」
混乱するコーネロに、傍にいた巫女姫が、ヴェールを取る。
「お前は!!ロゼ!!では、そっちが本物の・・・・・。」
ゆっくりと自分に近づく巫女姫に、コーネロは信じられないとばかりに
首を振った。
「コーネロ司祭。アンタ・・・・・。」
エドは、乱暴にヴェールを剥ぎ取ると、怒りに震える黄金の瞳を
向ける。
「巫女姫・・・・。私は、あなたを・・・・・。」
うっとりとエドを見つめるコーネロに気づいたロイは、エドとコーネロの
間に立つと、嫉妬の焔に彩られた黒い瞳を向ける。
「貴様などに見られたら、私のエディが汚される。」
パチンと指を鳴らすと、途端、コーネロが焔に包まれる。
「お・・・おい!ロイ!!」
いくら国家反逆罪だからと言って、いきなり焔を仕掛けるロイに、
エドは驚く。直ぐに焔は鎮火したが、鉄の檻の中には、黒く焼け焦げた
コーネロの姿に、エドはギュッと眉を顰める。事件が発覚する前まで、
自分はこの男と親しかったのだ。自分を拉致しようとしていた事には、
腹を立てているが、だからと言って、死を望んでいる訳ではないのだ。
「・・・・安心しなさい。見た目ほど大した怪我ではない。ただ気絶している
だけだよ。」
エドの困惑が分かったのだろう、ハボックによって運び出される
コーネロを心配そうに見ていたエドを、ロイは優しく抱き寄せると、
そっと耳元に囁く。
「本当?」
それでもまだ心配そうなエドに、ロイは苦笑する。
「私は、【焔】の国王だよ?」
錬金術という、失われた術は、歴代の王のみに伝承されていた。
特に、ロイは焔を扱った練成が得意で、その腕前は焔を練成している
というよりも、焔を使役していると言われるほどである。国内外では、
そんなロイを敬意と畏怖を込めて【焔】の国王と呼ぶ。
その【焔】の国王が言うのだ。心配する事はないだろう。
そう思い、エドは安堵の溜息をつくが、ロイは不機嫌そうな顔で
エドを見つめている事に気づき、キョトンと首を傾げた。
「ところでエディ。私は君に屋敷にいるようにと、言ったはずだが?」
その言葉に、エドはハッと我に返ると、決まり悪げに横を向く。
「だって!ロイが悪いんだぞ!!ロゼを囮に使うなんて・・・・・。」
大切な友達なのだ。彼女に何かあったらと思って、慌てて来たのだと
言うエドに、ロイは溜息をつく。
「もう少し、私を信用して欲しいものだね。第一、次の【巫女姫】に、
危害が及ばないように、配慮していたぞ。」
「次の【巫女姫】・・・・・?」
ロイの言葉に、エドは首を傾げる。
「1カ月前から内定していたんだよ。エディの次の巫女姫には、
ロゼだと。」
「え?一ヶ月前から?ロゼが?」
驚くエドに、ロイは穏やかに微笑む。
「君は私の妃になるのだ。そう、誓ってくれただろう?」
その言葉に、数時間前の事を思い出し、エドは顔を真っ赤に
した。
「エディ・・・・・。私と・・・・・。」
「大変です!!」
ロイはエドを抱き締めると、耳元で囁きかけた時、
荒々しく扉を開けて、転がるように近衛隊隊員のフュリーが、
入ってきた。
「申し上げます!!国民が城を取り囲んでおります!
巫女姫様を殺した王を出せと!!」
その言葉に、慌ててホークアイがロイを振り返る。
「陛下!!ご指示を!!」
青ざめている二人とは対照的に、ロイは上機嫌で微笑んでいる。
「・・・・・ロイ・・・?」
非常事態に、頭がおかしくなったのかと、恐る恐るロイの
顔を見上げるエドに、ロイは安心させるように、軽口付けると、
ホークアイ達に命じる。
「国民を大神殿広場へ集めろ。」
「ハッ!!」
ホークアイとフュリーは敬礼すると、慌てて大聖堂を後にする。
「ロイ〜?」
不安そうなエドに、ロイはじっと真摯な目で見つめる。
「エディ。愛している。」
「ロイ?」
いきなり何を言い出すのかと、戸惑うエドに、ロイは
重ねて言う。
「巫女姫もいらっしゃることだし、今ここでこの間の続きを
したいのだが・・・・・。」
「この間の続き・・・・・?」
本気で分かっていないエドに、後ろで笑いを噛み締めながら、
ロゼが助け舟を出す。
「姫様、【婚約の儀】ですわよ。」
「そっか・・・。【婚約の儀】って・・・ええええええ!!」
驚くエドに、ロゼは苦笑する。
「そんなに驚かなくても・・・・・。」
「だって、そんな急に・・・・・。」
困惑するエドに、ロイは済まなさそうに言った。
「すまない。本当は、もっと君の気持ちが落ち着くまで、
待つつもりだったんだが・・・・・。」
「今日を逃したら、あと半年待って頂く事になりますよ。
そうなれば、結婚は一年後という事になりますが・・・・。」
ロイの言葉を受けて、ロゼが説明する。【婚約の儀】から
半年後に【結婚の儀】を行うのが通例。その【婚約の
儀】が半年に伸びれば、【結婚の儀】も半年に伸びる訳で、
それでもいいのかと問うロゼに、エドは頭の中が真っ白に
なる。
「そんな・・・俺・・・俺・・・・・。」
オロオロとするエドを、ロイはきつく抱き締める。
「エディ。愛している。私と結婚してくれ。」
「でも、俺、王妃なんて・・・・務まらない・・・・・。」
自分は幼い頃からずっと神殿という狭い世界の中で
生きてきたのだ。その自分が、王妃になれる訳が
ないと、今更ながら気づいたのである。
「ロイ・・・好きだけど・・・・でも・・・・・。」
ポロポロと涙を流すエドに、ロイは穏やかに微笑む。
「君は先程の報告を聞いていなかったのかね?」
「報告・・・?」
涙で濡れたエドの顔を、自分の方へ持ち上げると、
ロイは涙で濡れた瞳を指で拭う。
「エディ。王妃の条件は、そんなに難しいものではないのだよ。
王に愛され、王を愛し、民を愛し、そして、民に愛される。それが、
条件なんだ。君は私に愛され、私を愛し、民を愛し、
民に愛されている。君が私に殺されたと聞いて、
民は怒りを感じている。君が民に愛されている
証拠だよ。まさに、王妃に相応しい。」
「そんな・・・ロイ・・・・。」
真っ赤な顔で俯くエドに、ロゼも重ねて言う。
「姫様は、どんな人間にも、分け隔てなく接してこられ
ました。だから、私達民衆は、あなたに魅かれるのです。
あなたが王妃になると聞いたら、民衆は本当に
喜びますわ。」
ロゼが穏やかな笑みを浮かべている姿を見て、
次に自分を優しく見つめているロイの顔を見て、
エドは小さくコクンと頷いた。その姿に、ロイは
嬉々としてエドの身体を抱き締めた。
「ありがとう・・・。エディ・・・・。ありがとう・・・。」
「では、儀式の準備が整うまで、控えの間へ・・・・。」
ロゼは二人に恭しくお辞儀をすると、控えの間へと
案内した。
「エディ・・・・・。」
衣服を調えたエドの控えの間に、こちらも衣装を調えた
ロイが入ってきた。
「エディ・・・・。綺麗だよ・・・・・。」
ロイは満足そうに頷くと、エドの身体を抱き寄せる。
「ちょっ!!ロイ!!」
真っ赤になって暴れるエドだったが、ロイの呟きに、
ピタリと抵抗を止める。
「良かった・・・・。君が生きていて・・・・・・。」
「ロイ・・・・。」
まるでエドが消えてしまわないように、きつく抱き締める
ロイに、エドは何も言えずに、そっとロイの胸に
頭を乗せると、目を閉じた。