何てことだ!!
アルフォンス・エルリックは、勝手知ったる
中央司令部内を、白衣を翻しながら足早に歩いていた。
大総統の親友である、ホーエンハイムの息子で、なおかつ、
軍部アイドルである姉のエドワードのお陰で、アルは、
司令部を顔パスで入ることができる。それを良い事に、
アルは、アポも取らずにこうして、司令部内を歩いている。
「なんで、こんな事になってんだよ・・・・・。」
アルはギリリと唇を噛み締める。
「幽閉だなんて・・・・。だから軍人になる事を反対したのに!!」
アルは、感情を抑えきれないまま、壁をドンと叩く。
脳裏に浮かぶのは、花のように優しい笑みを浮かべる姉。
あの天使のように清らかな心の持ち主が、軍人などに
なれるはずがないのだ。
だから反対した。
しかし、強い意志を秘めたエドは、軍属という形から、
正式に軍人になる事を切望した。
曰く自分は【罪人】なのだからと。
「どこが・・・・【罪人】なんだよ・・・・・。」
姉のどこが【罪人】だというのだろうか。
アルを兄と慕うマリアですら、その事になると固く口を
閉ざす。
まだ、自分が知らされていない【真実】があるという事は、
アルは薄々気づいていた。だが、皆があまりにも巧妙に
隠しているため、アルは違和感を見て見ぬ振りをした。
本来ならば、隠された【真実】を知っていなければならなかったのに!!
ダン!
アルは、力任せに壁を叩く。
ダン!ダン!
荒れ狂う感情の赴くまま、アルは壁を何度も叩く。
ダン!ダン!ダン!
何時しか、手からは血が流れていくが、そんなことは、アルフォンス
には、どうでも良かった。
姉の苦しみを思うと、こんな事は何でもない。
「どうして、軍人なんかに!!」
悔やんでも悔やみきれない。
最初に姉が国家錬金術師になると言った時、何故もっと強く
反対しなかったのか。
そうすれば、姉が苦しむ事も。
手足を失う事も。
そして、軍人となる事も、
ましてや利用される事も。
何もなかったというのに!!
ダン!!
アルは、堪えきれない涙を流しながら、高く腕を振り上げると、
叩きつける様に、拳を振り下ろす。そして、そのままコテンと額を
壁に押し付けると、深いため息をついた。
ひんやりとした壁の冷たさが、少しだけアルに冷静さを戻す。
「どうすればいい?」
考えろ。
軍全てが敵に回った今、姉を救えるのは、自分しかいない。
「どうすればいいんだよ!!」
だが、自分には姉を守りきれるだけの【力】がないことも事実だ。
「父さんなら・・・・・・。」
一瞬、脳裏に父親の姿が浮かび上がる。
「駄目だ!父さんでも無理だ。」
だが、直ぐに否定するように、アルは首を横に振る。
心情的には、姉を守りたいと思っている父ではあるが、
立場が許さない。国家錬金術師のトップでもある父は、今は
とても苦しい立場にいるのだ。更に追い込むことは出来ない。
「まずは、姉さんの身の確保だ・・・・。」
姉のファンクラブでもある、【E.E.NET】も、どこまで当てになるか
分からない。もしかしたら、最大の敵になるかもしれない。
【E.E.NET】が結成された【本当の意味】を知っているが為に、
アルは頼れない事に、唇を噛み締める。
そんな状態で、軍に知られず姉の身を確保できるのか。
言い知れぬ不安の中、アルはゴクリと喉を鳴らす。
「落ち着かなければ・・・・。」
落ち着かなければと焦れば焦るほど、アルの呼吸は荒くなる。
「大丈夫。絶対に大丈夫。」
冷や汗を拭いながら、アルは自分に言い聞かせる。
それは、幼い頃のエドのおまじないだった。
お互いの額をくっ付けて、エドはアルの手を握りながら、
優しく唱えるのだ。
大丈夫。絶対に大丈夫と。
引っ込み思案だったアルは、その言葉にどれだけ勇気付けられたか。
「今度は僕が姉さんを守る番だ。」
決意も新に、アルが顔を上げると、背後に気配を感じた。
「アルフォンスではないか!!」
背後から聞こえる良く知った声に、アルはゆっくりと後ろを
振り返る。
「アームストロング少佐・・・・・・。」
どこか心配そうに自分を見つめているアームストロングに、
アルは、ツカツカと歩み寄ると、ギリリと憎しみに彩られた
眼で睨みつける。
「さっき、聞きました。姉さんの軍籍剥奪及び幽閉を。」
「・・・・・そうか。」
何と言葉を掛けて良いか分からず、俯くアームストロングに、
アルは食ってかかる。
「あと・・・あと少しなのに!!あと少しで姉さんの手足を
取り戻せるのに!!」
アルは堪えきれずに再び涙を流すと、アームストロングを拳で叩く。
「どうして!今なんですか!!」
暴れるアルの肩に、アームストロングは、ガシッと両手を置く。
「泣いている暇はないぞ!アルフォンス・エルリック!!」
グイッと両肩に力を込めると、アルは痛みに顔を顰める。
「皆、エドワード・エルリックを助ける為に、動いている。おぬしが
そんな事でどうする!!」
「そ・・・・それじゃあ・・・・・。」
ハッと顔を上げるアルに、アームストロングは重々しく頷く。
「一刻も早く完成させる事だ。【賢者の石】を。」
アームストロングの言葉に、一瞬鋭い眼を向けるアルだったが、
直ぐに何時もの温和な顔に戻る。
「そうですね・・・・。僕は一体何を焦っているんだか・・・・。」
ふうと肩の力を抜くと、アルは寂しげな笑みを浮かべる。
「取り乱してすみません。・・・・・研究所に戻ります。」
ペコリと頭を下げるアルに、アームストロングは、一瞬何かを
言いかけたが、直ぐに首を横に振って、アルの背中を叩く。
「すまん・・・・。アルフォンス・エルリック・・・・。」
去っていくアルの後姿を見つめながら、アームストロングは、
滂沱の涙を流す。
アルには言えなかった真実。
次にアルが最愛の姉に会う時が、姉弟の別れであるかもしれない
可能性に、アームストロングは口を閉ざす事しか出来なかった。
言えば、それが真実になってしまいそうだからである。
長い廊下を歩きながら、アルは厳しい表情を崩さない。
アームストロングには、納得したように見せかけたが、
実際アルはアームストロングの言葉を全く信用していなかった。
「【賢者の石】。・・・・結局はそれなのか。」
アルは低く呟く。
「でも、姉さんの為に【賢者の石】が必要なのも事実。」
なら、自分の取るべく道は一つだ。
「どこまで、軍が姉さんを思ってくれているのか、分からないけど。」
アルは、一瞬眼を伏せると、次の瞬間には、底冷えするような
冷やかな瞳を前方に向ける。
「利用させてもらう。」
今まで散々利用されたのだ。
こちらも利用して何が悪い?
アルは白衣を翻しながら、一つの目的に向かって歩き出す。
大学の研究所ではなく、父親であるホーエンハイムが個人で
所有している研究所・・・・・第5研究所へと。
「あの・・・・こんなにたくさん、買ってもらっちゃって、
良かったんですか・・・・?」
エドの買い物が終わり、お礼にとロイをお茶に誘ったエドは、
空いた椅子に山のように置かれた、買い物の袋を見ながら、
申し訳なさそうに頭を下げる。
「ああ。勿論だよ。エディ。」
蕩けるような笑みで、【エディ】と言うロイに、エドの胸が高鳴る。
”あの時と同じ・・・・・。”
胸の奥深くに封印した想いが、零れだしそうになり、エドは
慌てて首を横に振る。
「エディ?」
エドの態度に、ロイが不思議そうな顔をしている事に気づき、
エドは真っ赤になる。
「な・・なんでもない。それよりも、その・・・【エディ】って・・・。」
もしかして、自分を思い出してくれたのか。
そう、淡い期待を込めて、エドは訊ねる。
「ああ、失礼。エディータ嬢だから、エディとつい呼んでしまった。」
気を悪くしたなら、謝るよと、微笑まれて、エドは落胆した。
”そうだよな・・・・。覚えている訳ないよ・・・な。”
それに、ロイには、心に決めた人がいる。
昔の事を思い出されても、彼の恋人になれる訳がないのだ。
エドは、そっと視線を横に向けると、切ないため息をついた。
”似ている・・・・・。”
対するロイも、エドを前に、遠い昔の初恋を思い出していた。
先ほど、赤いドレスを試着したエドが、初恋の少女に雰囲気が
似ていたのだ。
ロイは、ふと眼を細めて、遠い昔に思いを馳せる。
まだ幼かった頃、大総統主催のパーティで出逢った少女。
赤い服が、金の髪に良く映えて、とても可愛らしかった。
その時誘拐された二人は、力を合わせて、無事自力で逃げ出した
のだが、その頃には、お互いになくてはならない存在となっていた。
大人になったら、迎えに行く。
別れの日、ロイはそう言って、幼い恋人に口付けた。
幼いながらも本気の恋。
しかし、その約束は守られる事はなかった。
きっと彼女は今頃結婚して幸せに暮らしている事だろう。
そう思うと、ロイの胸がズキリと痛んだ。
ロイはぼんやりと、エドの顔を改めて見つめる。
”黒髪ではなく、金の髪だったら・・・・・・。”
そこまで、考えて、ロイはハッと我に返る。
”金髪に金の瞳なら、エルリック少将ではないか!!”
一体、何を考えているんだ!!と、ロイは己の思考を振り切るように
ブンブンと頭を振る。
「あ・・・あの・・そろそろ、俺、帰る。」
居たたまれなくなったエドは、そう言って、荷物を手にすると、
テーブルの上の伝票に手を伸ばす。
「エディ!!」
ハッと我に返ったロイは、慌てて伝票を掴んだエドの左手を
掴む。
「その・・・君さえ良かったら・・・・もう少し・・・・・。」
”私は一体何を考えているんだ。”
ここには、テロを防ぐために来たというのに。
相手は、ライバルの妹だというのに。
それでも、ロイはエドの手を離したくはないと、
本気で思った。
縋るような眼で、エドを見るロイに、戸惑いながらも、
エドはコクンと頷く。
このまま、ずっと一緒にいたい。
それが無理な事であると二人とも承知であったが、
絡められた手は離れることがなかった。