光あるところには、必ず闇も存在している。 だが、やがて闇は光へと導かれる。 セントラル駅に程近い、路地裏の目立たない場所に そのバーは存在していた。カウンター5席、ボックス3席と、 小さい店構えだったが、いつ来ても、必ずこの店には客が 数人いる。 別に酒が上手いわけでも、接客が上手いわけではない。 それでも、この店は、何故か人が集まるのだ。 今日も自分の他には、三つ席を空けた壁側に陣取っている 男がいるだけだ。 一体、この店の何がこんなにも自分を惹きつけるのかと、 ぼんやりと考え込んでいると、カウンター越しの女が、 ポツリと呟いた。 「ここは、【この世の果て】だから・・・・。」 その言葉に、男はああと呟いた。 出世を夢見て、妻を田舎に置いてセントラルに来たが、 自分の考えが甘かった事に気づいたのは、既に 落ちるところまで落ちた時だった。今更妻の元に帰ることも 出来ず、男は娼婦のヒモのような生活を続けて、日々 癒されない心を抱えていた頃、男はこの店を見つけたのだ。 まるで栄光を掴んだ者の目を盗むように、隠された入り口に 迷いもなく入って来れるのは、絶望と孤独に支配された 人間だけだと、自嘲した笑みで言うのは、この店のオーナーで もある、目の前の女だったと、来て直ぐにカウンター席に 陣取った男は、ぼんやりと思った。 「・・・・今日はやけに感傷的ではない?」 女は、手馴れた様子で男にウィスキーを目の前に置きながら、 口元を僅かに綻ばせながら、珍しく声を掛けてきた。 「・・・・何でわかったって?」 女は妖艶に微笑む。その笑みに魅入られるように男は女から 目が離せない。 「簡単なことよ。あなたのような眼をした人間を、何人も見ている から・・・・・。」 「ほう・・・・。それで、その眼をした人間の末路は?」 男の問いかけに、女はさあ?と興味なさそうに視線を反らせる。 「そんな眼をした人間は、次からはここに来なくなるから。」 女の言葉に、男は一瞬目を見開いたが、直ぐに苦笑する。 「なるほど・・・。それも道理だな。」 男はカウンターに金を置くと、振り返りもせずに店を後にする。 【この世の果て】すら居場所がなくなった人間の末路は 果たして何なのか。今、これから自分が行う事しか頭に ない頭の片隅に、ふと疑問が過ぎる。それと同時に、 今ならまだ間に合うと、まだ光のある場所へと戻ることが 出来ると囁く声が聞こえる。 「それでも、俺はこの【想い】を止められない・・・・。」 男は、一瞬中央司令部の方角をきつく見据えると、ゆっくりと した足取りで足取りで駅へと向かう。 セントラル駅から列車に乗った男は、リゼンブールに降り立った のは、丁度お昼を過ぎた頃だった。 「あら、オールドローズ・・・【コーネリア】ね。綺麗だわ〜。」 お昼を食べ終わり、後片付けを終えたソフィアは、テーブルに 置かれたアプリコットピンクの花を見て微笑んだ。 「へへ。ポプリにしようと思って、さっき摘んできたんだ。」 「まぁ!言ってくれれば私が摘んだのに!!」 驚くソフィアに、エドは照れたように笑った。 「でも、これは大事なみんなに贈るから、自分の手で摘んで 自分でポプリを作りたかったんだ・・・・。ねぇ、お義母さんも、 出来たら、貰ってくれる?」 小首を傾げるエドに、ソフィアは勿論!と大きく頷いた。 「初めて作るから、上手くいくかわからないんだけど・・・。」 照れたように赤くなるエドの手を、ソフィアは握り締める。 「エドワードちゃんなら大丈夫!絶対に素晴らしいものを 作るわ!!」 「うん!頑張るね!!」 エドは微笑んで薔薇を新聞紙の上に並べていると、ソフィアも 横に座って、一緒に薔薇を並べる。 「お母様がこの薔薇が好きだったの?」 「ううん。違うよ。この花は、命の恩人から貰ったんだ。」 エドの言葉に、ソフィアはピクリと反応する。 「い・・・命の恩人って!!どういうことなの!!」 まさか、エドワードに命の危機に晒された事があっただ なんて、初耳のソフィアは、驚いてエドに尋ねた。 「うーん。これは、ロイも知らない事だから、内緒にしててね?」 そう言うと、エドはその時の事を話し出した。 「まだ旅をしていた頃の事何だけど・・・・・。ロイに命じられて 地方の視察へ向かう列車でさ、テロリスト達に遭遇しちゃって。」 「なっ!!何ですって!!そこで、生死の境を彷徨ったの!!」 青くなるソフィアに、エドは違うと笑った。 「こっちは、かすり傷一つ負わなかったよ。まぁ、ウエストシティだった から、事後処理に手間取っちゃったけどね。その事がロイに 知られると、また煩いから、穏便に事を運んでもらおうと思って、 知り合いの西方司令部の司令官に、頼もうと思ったら、何故か 視察に来ていた大総統に会っちゃって・・・揉み消す代わりに、 仕事を一つ押し付けられたんだ。」 「仕事を?」 ソフィアのこめかみに青筋がいくつも浮かぶ。もしも、大総統が 命じた仕事で、エドが生死の境を彷徨ったのならば、例え相手が 大総統だろうが、許さない!と思っていた。 「うん。何か訳わかんないんだけど・・・。パーティに出席しろって 言われたんだよ。」 「パーティで生死の境を彷徨ったの?」 一体、どんなパーティ何だろうかと、困惑するソフィアに、エドは 決まり悪げに言った。 「パーティ事態は普通だったんだけどね・・・・。」 当時を思い出したのか、エドは深い溜息をついた。 「大総統の命令で、女の格好で出席したら、良くわからないけど、 いろんな男の人が声を掛けてきて、大変だったんだ・・・。」 ソフィアは、その言葉に、再び顔面蒼白になった。エドワードの 美しい容姿は、まさに砂糖。きっと、砂糖に群がる蟻のごとく、 エドワードは、男達に言い寄られていたに違いない! ”私がその場にいれば、守ってあげられたのに!!” 内心悔しがるソフィアの心など知らずに、エドは更に爆弾発言 する。 「そのうちの1人がやけに俺を触るから、逃げようとバルコニーに 向かったら、しつこく追いかけてきたんだ。」 「そ・・・それで!何ともなかったの?」 「あまりにもしつこいから、一発ぶん殴ったら、そいつ逆ギレしちゃって 俺に殴りかかってきたんだ。」 その言葉に、ソフィアは怒りで、目の前が真っ赤になる。 「なんて、最低な男なの!!か弱い女に手を上げるなんて!!」 許せないわ!!と憤慨するソフィアに、エドは苦笑する。 「こっちも、ドレスを着ているってことすっかり忘れちゃって、 いつものように、避けようとしたら、ドレスの裾を踏んづけちゃって、 勢いあまって、バルコニーから下に転落しちゃったんだ・・・・。」 「エドワードちゃん!!」 バルコニーから落ちるエドを想像して、ソフィアは悲鳴を上げる。 「幸い、ちょっとの怪我で済んで・・・・。」 「ちょっとの怪我って、どれくらい?」 にっこりと笑うソフィアに、エドはギクリと表情を強張らせる。 「ちょっとっと言うのは〜。」 「ちょっとと言うのは?」 絶対に誤魔化されないぞ!と眼で訴えるソフィアに、観念した ように、しぶしぶ白状する。 「右から落ちれば良かったんだけど・・・・・・左肩骨折に、 左脇腹に、枝が刺さった・・・・。」 「エドワードちゃん!!どこがちょっとの怪我なの!!」 ソフィアは、エドを抱きしめると、ガタガタと震える。 「お義母さん・・・・。」 「痛かったでしょう?痛かったでしょう?」 ポロポロと泣き出すソフィアに、エドは申し訳ない気持ちで 抱きつく。 「大丈夫だから。もう、平気・・・・・。その時、1人の女の人が 助けてくれたんだ。その人が的確な応急処置をしてくれなかった ら、命は危なかったって、お医者様が・・・・・。」 「そうだったの・・・・。では、私も改めてお礼を言わなければね。 その人の名前は?」 「カトリーヌ・メルメさんって人。」 「カトリーヌ・メルメさん!?あの薔薇作りで有名な!?」 驚くソフィアに、逆にエドも驚く。 「カトリーヌさんを知っているの?」 「ええ。私も趣味で薔薇を育てているのだけど、カトリーヌさんは その道の第一人者なの。彼女の作る薔薇は、本当に素晴らしいわ。 後でお礼を言わなければね・・・・。」 「そっかー。だから見事な薔薇園だったんだ・・・・。」 エドはソフィアの言葉に、納得したと大きく頷いた。 「後日、お礼を言いに行ったら、俺が男装して旅をしている 事を知って、薔薇のポプリをくれたんだ。例え男の格好を していても、女の心を大切にしなさいって、くれたんだ・・・。」 嬉しそうなエドの顔に、ソフィアも微笑む。 「でね、この間結婚したって報告したら、この【コーネリア】の苗が 贈られてきたんだ。何でも、旦那さんの好きな薔薇なんだって。」 「そうだったの・・・・・・。」 「うん!俺、薔薇のポプリのお陰で、女の子らしい心を失くさずに 済んだんだ。そのおかげで、俺は幸せになれた。だからね、 お世話になっているみんなに、幸せのおすそ分けというか・・・ その・・・・・・ポプリを作りたいって思ったんだけど・・・・ 男の人には変かな?」 軍は男社会。エドのお世話になった人間の半数以上が 男である事に気づいたエドは、悲しそうに言う。 「心配しなくても、大丈夫よ。今は男の人も身だしなみに気を 使わなければいけない時代なのよ!!薔薇のポプリ、 最高じゃない!!」 「そうかな・・・・。」 頬を赤らめて照れるエドに、ソフィアはさり気なさを装って、 エドに探りを入れる。 「ところで・・・・あなたを襲った男は、その後どうしたの?」 「うーん?そういえば、どうしたんだろう・・・。こっちはそれどころ じゃなかったから、判らない。」 「名前は?」 一番聞きたい事をずばり聞いてみる。 「わかんない。興味ないから、覚えなかった。」 エドに怪我を負わせた犯人に報復をしようと思っていたが、 肝心の男がどこの誰だかわからなければ意味がない。 ”こうなったら、カトリーヌさんに聞くしかないわね。” ソフィアは、チラリと壁にかけてある時計を見た。 とりあえず、エドに気づかれないように、買い物に行く 振りをして、駅でカトリーヌさんに電話をかけて、お礼とエドを 襲った犯人を聞き出して、直ぐにホークアイに連絡して、 調べてもらおうと、素早く計算した。ついでに、ホークアイに、 エドの危険を全然察知できなかった、無能な息子にも 嫌がらせをしてもらう事も忘れてはいけない。 「エドワードちゃんが無事で良かったわ・・・・・。 それじゃあ、私は早めに買い物に行ってくるわね。 夕飯は、エドワードちゃんが好きなクリームシチューに するわね。」 「本当?嬉しい!!」 ニコニコと喜ぶエドに、ソフィアもニッコリと微笑み返した。 そして、エプロンを外すと、足早に駅へと向かう。 一刻も早く犯人に報復をするために。 だがソフィアは、後にこの時エドと離れた事を後悔する事に なる。 「准将・・・・・。仕事をして下さい。」 その頃、中央司令部では、銃を片手に、ホークアイが ロイを脅して仕事をさせていた。 「大尉・・・・。少しは休ませても・・・それに、エディへの 定期電話の時間・・・・・。」 疲労困憊のロイは、ホークアイに涙ながらに訴える。 「准将が仕事を溜めなければ、こんな事には、ならなかった のですが・・・・・。」 毎日毎日、仕事を投げ出しては、所狭しと机の上に 並べられた、エドとフェリシアの写真を眺めているか、 日に何十本ものエドへのラブコールで一日の大半を費やした 為、日に日に溜まる書類の山に、切れたホークアイが、 今朝までロイの机に上に置いてあった、エドとフェリシアの 写真を物質に取ったのである。 「さぁ、あと一時間でこっちの書類の山を処理できなければ、 このエドワードちゃんとフェリシアちゃんが一緒に写っている 写真を没収しますよ!!」 大量の写真の中でも、特にロイが気に入っている、自慢の 一枚を突きつけられて、ロイは顔を青くさせた。 「やめてくれ!!それを撮るのに、どれほど苦労した事か!!」 2人ともカメラ目線で、飛び切りの笑顔をしている、エド好きには 堪らない写真を撮るのに、どれだけ苦労した事か!! その苦労を思い、取られてたまるか!とばかりに、仕事の スピードを早めていく。 「・・・・最初から、素直に言う事を聞けばいいのに・・・・。」 ホークアイは、溜息をつくと、手にした写真を自分の机の 上に戻した。 ソフィアが家を出てから、約5分後、エルリック家の 呼び鈴を鳴らす者がいた。 「はい。どちら様ですか?」 丁度フェリシアのオムツを替え終わったエドは、 フェリシアを抱いたまま、玄関へと出る。 玄関に立つ見知らぬ男に、エドはきょとんと 首を傾げる。 「・・・・・ロイ・マスタング准将の奥方ですね?」 「・・・・・・。あんた一体・・・・。」 男の殺気立った声に、エドは瞬間、男が自分に害を するために来たのを察し、咄嗟に壁を練成しようと したが、腕にフェリシアを抱いている事に気づいて、 唇を噛み締める。下手に犯人を刺激して、フェリシア やおなかの子どもを殺させないためにも、ここは大人しく するしかないと判断する。 「・・・・俺に何の用だ・・・・。」 フェリシアを犯人の目から守るように抱き抱えると、エドは 犯人を凝視する。 「あんたじゃない。あんたの旦那に用があるんだよ。」 「・・・ロイはセントラルだ。ここにはいない。」 ジリジリと間合いを取るように、エドは後ろに後退する。 「知ってるよ。そんな事は。俺はセントラルから来たんだ から・・・・。」 そう言って、男は懐から、銃を取り出すと、エドに向ける。 「動くなよ。動けば・・・・・。」 「お財布忘れてしまったわ〜。私ってドジよねぇ〜。」 ゆっくりと銃を片手にエドに近づく男の背後で、ソフィアが 玄関を開けて入ってきた。 「お義母さん!!逃げて!!」 咄嗟に逃げるように言うエドに、男は、一気に近づくと、 羽交い絞めをして、エドの頭に銃を突きつける。 「あなた・・・・何者?」 スッと眼を細めて男を睨みつけるソフィアに、男は一瞬 うろたえる。 「う・・・うるさい!こいつらの命が惜しければ、黙って 言う事を聞け!!」 「・・・・で?一体何が目的なの?」 慌てる犯人とは正反対に、冷静なソフィアの声が飛ぶ。 「・・・・・マスタング准将をここに連れて来い!!」 「ロイに会いたいの?だったら、直接セントラルへ行きなさい!!」 一喝するソフィアに、犯人は、震える手で、エドの頭に 銃を突きつける。 「うるさい!言う通りにしろ!!」 「わかったわ。呼べばいいのね。その代わり、エドワードちゃんと フェリシアを解放しなさい。人質には私がなるわ。」 「駄目!お義母さん!!」 涙目で首を横に振るエドに、ソフィアは優しく微笑む。 「あなた達は、私の大事な嫁と孫よ。」 「俺にとって、お義母さんは、大事なお義母さんだっ!!」 だから逃げてと訴えるエドに、ソフィアは首を横に振った。 「さぁ、2人を解放して!!」 犯人に詰めよるソフィアに、犯人はニヤリと笑う。 「マスタング准将が、奥方と子どもにベタ惚れなのは、 セントラルでも有名な話だ。俺の願いを叶える為にも、 人質はこの2人の方が都合がいいんだよ。」 「あなたねぇ!!」 犯人に対し、怒りも露なソフィアは、一歩犯人に近づく。 「おっと、そこから動くな。動けば、赤ん坊の命はないぜ。 それとも、先にお腹の中の子どもの方がいいか?」 犯人はエドの頭に突きつけていた銃をエドからフェリシアへ、 そして、ゆっくりとエドのお腹へと向けた。 「判ったわ。言う通りにするから、危害を与えないで!!」 ソフィアはさっと顔色を失くすと、足を止めた。 「よし!では行け。さっさとマスタング准将を連れて来い!」 「あなた・・・ロイにどんな要求をするつもりなの・・・?」 ソフィアの問いに、男は自嘲した笑みを浮かべる。 「それは・・・奴が来てから、話すさ。」 ソフィアは、ギリリと犯人を睨みつけながら、家を飛び出して 行く。リゼンブールは長閑な田舎町だ。人々は陽気で面倒見が 良く、全体的に暢気な人が多い。その為、凶悪な事件が 起こるはずもなく、せいぜい、災害時に村の青年団との連携 で対処することくらいしかない。そこで村には、年老いた老憲兵 とその孫の2人だけが、軍から派遣されている。 その2人に、銃を持った人間に立ち向かえというのは、 あまりにも酷な話だ。いや、下手に犯人を刺激して、 エドワード達に危険が及ぶかもしれない。そこでソフィアが 目指すはロックベル家。あそこには、エドの弟の アルフォンスがいる。彼ならば、この事態を好転する きっかけを作ってくれるはず!ソフィアは、祈るような 気持ちで、ロックベル家へ急いだ。 |