紅の章  

 

 

 

         「私がダブリスへ着いた時には、閣下の軍勢が2人を取り囲んで
         おりました・・・・・。」
         そう言うと、青年は静かに大総統の目を見ながら、静かに事の顛末を
         語り始めた。






         「まさに、聞きしに勝る錬金術の腕前でした。マスタングは焔を、
         エドワードは、多彩なる技で軍勢を退けていたのです。」
         大総統は、じっと青年の目を見つめて微動だにしない。
         「私はまず彼らの助太刀として、戦いに参戦しました。」
         そこで、大総統は、一瞬目を細めたが、何も言わずに黙って
         青年の言葉に耳を傾ける。
         「何とか敵を退けた私に、お2人は探るような眼を向けられました。」
         青年は、その時を思い馳せるように、そっと眼を閉じた。






         「いい腕だ。」
         既に敵は退却し、残ったのは、ロイとエドワード、そして、青年の
         三人だけだった。
         「私などは、まだまだお2人の足元にも及びません。」
         にこやかに微笑む青年に、エドは肩眉を上げただけで、何も言わずに
         ただ佇んでいた。
         「・・・・君の名前は?」
         そんなエドを横目で見ながら、ロイは表面上にこやかに尋ねる。
         「名前・・・そんな物は過去に捨てました。」
         「そうか・・・・。」
         ポツリと呟いたのは、意外にもエドワードの方だった。エドは、
         青年の顔をじっと見ながら、ニヤリと笑った。
         「で?用件はなんだ?」
         全てを見透かされそうな黄金の瞳に、青年はゴクリと唾を飲み込むと、
         ゆっくりと背負っていた袋から一つの箱を取り出すと、2人の前に
         置いた。
         「これは?」
         不審そうなロイの言葉に答えず、青年はゆっくりと箱の蓋を開けて中を見せる。
         途端、エドが息を呑む気配が伝わった。
         茫然とするエドを横目で見つつ、ロイは静かに口を開いた。
         「これは、アームストロングの手甲・・・・・。」
         青年はゆっくりと頷いた。
         「では、アームストロングは?」
         「私が倒しました。」
         その言葉に、ロイは探るように眼を細めた。
         「それは、本当なのか?」
         「・・・この手甲が何よりの証拠です。」
         ロイの視線に鋭さが増す。
         「君は一体・・・・・。」
         「何者か、ですか?正直に言いましょう。私は国家錬金術師を目指すもの。
         そう言えば、お分かりかと。」
         「つまり、俺達を倒して、国家資格を取るということか?」
         エドの言葉に、青年は口元だけ微笑ませる。
         「まぁ、それもありますが、どうしてもお2人に伝えたい事がありまして。」
         「伝えたい事?」
         怪訝そうなロイに、青年は大きく頷く。
         「アームストロングの伝言を。」
         「伝言だと?」
         ロイは溜息をつくと、青年に話の続きを促す。
         「言ってくれ。」
         「はい。彼はこう言っておりました。我が人生に悔いはなし。ただ、唯一の
         心残りがあると・・・・。」
         「心残りだと?」
         青年は、チラリとエドを見る。
         「エドワード・エルリックのことだと。」
         「!!」
         それを聞いた瞬間のロイの動揺は凄まじいものがあった。身を大きく震わせ
         ながら息を吸い、湧き上がる怒りを必死に押さえ込もうとしていた。
         「アームストロングは私に手甲を託すと言っていました。この手甲を
         見れば、必ずやエドワード・エルリックは自分の遺志を継いでくれると。
         私を倒し、必ず大総統を倒してくれると。」
         ロイは怒りも露な鋭い視線をエドに向ける。そんなロイの視線をエドは
         受け止めきれずに横を向くと、ギリリと唇を噛み締めた。
         その様子に、青年は、己の思惑通りに事が運んだと確信した。
         ロイとエドの間には既に修復不可能なくらいの大きな溝が存在し、
         己の一言が、さらに溝を広げたのだ。
         「もしも、私と戦いたいのであれば、明日再びここでお会いしましょう。」
         青年は一礼すると、ゆっくりと身を翻した。
         後には憎しみに身を染めた2人が残るだけだった。








         自室に戻ったエドは、机の引き出しから小さな袋を取り出して、中から
         アームストロングの手甲の欠片を取り出した。
         「!!」
         震える手で、青年が持ってきた手甲に付き合わせてみると、ピタリと欠片は
         合わさった。
         思わず手甲をきつく抱きしめるエドの後姿を、ロイが燃えるような瞳で
         じっと見つめている事に、エドは気づかなかった。
         ロイは暫くエドを見つめていたが、やがてイライラと吐き捨てるように
         溜息をつくと、足音も荒くその場を立ち去った。
         


         ロイは苛立ちを隠そうともせずに、夜の街へと足を運んだ。
         「くそっ!!」
         路地に立ち、男を誘うを女を、憎々しげに見つめていたが、やがて
         ふと後ろに、ある気配を気づくと、ロイは手近に立っていた女を
         引き寄せると、荒々しく唇を重ね合わせた。
         「!!」
         ずっとロイの動向を探っていたエドは、目の前の濃厚なキスシーンを 
         見せ付けられて、ショックのあまり呆然となる。
         眼を背けたいのに、背く事が出来ない。
         知らずエドの頬に涙が止め処もなく流れ落ちる。
         涙の一滴が、頬を濡らし、足元に落ちた瞬間、エドは弾かれるように
         その場を走り去った。
         完全にエドの気配が消えた瞬間、ロイは女を無造作に突き飛ばすと、
         暗い瞳を、エドが消えた方向へと向けた。




         「期待したものが見れて、満足か?」
         明かりもつけずに、ベットの上で膝を抱えていたエドに、ロイは
         冷たく言い放った。微動だにしないエドに、ロイはますます不機嫌な顔を
         向ける。
         「最初から君など私にはどうでも良かった。愛していたわけでは
         なかったのだ。もう面倒は終わりだ!全て終わったんだ!!」
         ロイは吐き捨てるように言うと、肩を怒らせ踵を返したところ、後ろから
         強い衝撃を受けた。
         「なっ!!」
         ゆっくりと自分の胸を見ると、背中から見覚えのある剣が突き刺さっていた。
         「エド・・・・・。」
         自分の血溜まりの中、ロイは崩れるように床に倒れこむ。霞む瞳で
         見上げると、己の右手を剣に練成したエドが、狂気の眼でロイを
         見下ろしていた。涙を流しながら、自分の血で真っ赤に染まったエドを、
         ロイは今まで見た中で、一番美しいと感じ、ふと口元に笑みを浮かべる。
         「・・・・・愚かだな。私も、君も・・・・・。」
         それがロイの最後の言葉だった。
         徐々に瞳孔を開いていくロイを、エドはただ静かに涙を流しながら
         見つめ続けていた。







         「どうしても行くのですか?」
         ロイの血で染まった服を着替えようともせずに、あの青年が待つ場所へ
         行こうとしていたエドは、背後から掛けられる声に、歩みを止めた。
         「リザさん・・・・。俺・・・・。」
         心痛な面持ちで立っていたのは、ホークアイだった。ロイとエドが大総統に
         反旗を翻した際も、変わらずに自分達を支えてくれた人だ。
         エドはペコリとお辞儀をすると、再び歩き出そうとする。
         「待って!!エドワード君!!」
         ホークアイの叫びと共に、銃声が鳴り響く。エドの足元を狙って、ホークアイが
         発砲したのだ。
         「あなたは、行くべきではない。」
         銃を構えるホークアイに、エドは深い悲しみを湛えた眼を向けた。
         「行かせて欲しい。」
         エドの言葉に、ホークアイは首を横に振り続ける。
         「この銃にかけて、あなたを行かせるわけにはいかない!!」
         ホークアイは、そう言うと、エドの右腕に狙いをつけて、発砲する。
         エドの練成方法は、両手を重ね合わせる事によって、練成する。即ち、
         エドの右腕の機械鎧を破壊すればいい、いよいよとなったら、左足の
         機械鎧も破壊しよう。
         ホークアイは狙いを定めるが、その前に、エドは目の前に盾を練成して、
         ホークアイの攻撃から身を守る。
         「お願い!思い留まって!!」
         涙ながらに訴えるホークアイに、エドは悲しそうに微笑むと、両手を胸の前で
         重ね合わせると、徐に地面へと両手を着ける。
         「なっ!!」
         次の瞬間、練成の光と共に、ホークアイの身体が拘束される。
         「エドワード君!!」
         焦るホークアイに、エドはクスリと笑う。
         「駄目だよ。止めるつもりなら、俺を殺そうとしなければ・・・・・。」
         「そんなこと、出来るわけないでしょ!!」
         叫ぶホークアイに、エドは寂しそうに微笑んだ。
         「俺、リザさんを好きになれば良かった・・・・・。」
         「エドワード君・・・・・。」
         茫然となるホークアイに、エドはゆっくりと頭を下げると、今度こそ振り返らずに
         歩いていった。








         「・・・・・一夜明けで、私は約束の場所へ訪れました。陽が高くなった頃、
         漸くエドワードが現れました。しかし、既に彼には生気がありませんでした。
         顔は蒼褪め、前日に見た彼の意思の強い黄金の光を点した瞳は濁って
         いました。結局のところ、彼らは見事私の思惑に嵌ってくれたのです。
         マスタングとエドワードは、2人一緒にいて、初めて【無敵】となるのです。
         片割れだけでは、牙を抜かれた虎同然。精神力を欠けたエドワードに、
         私は容易く勝利できたのです。」
         青年の話を微動だにせずじっと聞いていた大総統は、不服そうな眼を
         青年に向けた。
         「あれほど錬金術に長けた者達が、私情に朽ち果て、敗れ去るとは、
         思いもかけない事だ。」
         「高名な錬金術師と言えども人の子。身もあれば、心もあるは道理かと。」
         「結局君は、マスタングとエドワードの痴情を利用して勝ったと、
         そう言うのだね?」
         「そうです。」
         ゆっくりと頷く青年に、大総統は顎に手を当てて考え込んだ。
         「だとすれば、かの者達は、所詮は器の小さい、つまらぬ凡人だった
         訳か・・・・・。」
         青年は黙って頷き頭を垂れる。そんな青年の様子を、じっと見つめていた
         大総統は、ゆっくりと口を開いた。
         「確かに、君の話は、なかなかに見事であった。初めから終わりまで
         筋が通っておる。だが、君は肝心な事を忘れておる。」
         「と、おっしゃいますと?」
         ピクリと顔を上げると、青年はじっと大総統を見つめた。
         「君は、ある人物のキャラクターを読み間違えている。」
         「・・・・・それは、誰です?」
         断言する大総統に、青年は静かに尋ねる。
         「・・・・エドワード・エルリックだよ。」
         大総統は、ニヤリと笑った。






                                               【碧の章】へ続く。