傷付く怖さを知らず 誓った
いつかまたこの場所で・・・・・。
「エルリック中佐!!」
中央司令部の回廊を歩いていた、エドワード・
エルリック中佐は、後ろから呼び止められた声に、
不快な顔で振り返った。
「アーチャー中佐。何か?」
肩で息を切らせているアーチャーに、エドは
冷たく言い放つ。だがアーチャーは、そんな事を気にせずに、
何とか息を整えると、冷酷な笑みを浮かべながらエドを
見つめる。
「今晩お暇でしょうか?」
「暇じゃない。」
一刀両断の元、エドはアーチャーの誘いを切って捨てると、
用は済んだとばかりにクルリと背を向けると、そのまま
歩き出そうとしたが、背後から延ばされたアーチャーの
腕によって、拘束される。
「は・・離せ!!」
暴れるエドの身体を、アーチャーは、難なく押さえ込む。
「全く、つれない方だ。私達は婚約者同士ではないですか。」
その言葉に、エドはカッとなると、乱暴にアーチャーの
腕を払いのける。
「俺は承諾した覚えはない!!」
「何を今更・・・・。明後日のあなたの誕生日に、正式に
発表されるとはいえ、既に周知の事実なんですよ?」
いい加減、素直になりなさい。と、エドに手を伸ばそうとする
アーチャーだったが、次の瞬間後ろに手を捻り上げられ、
悲鳴を洩らす。
「うわああああ。」
「いくら婚約者同士とはいえ、公の場では、控えて貰おうか。
アーチャー中佐。」
その声に、エドはハッと顔を上げると、先日中央司令部勤務と
なった、ロイ・マスタング大佐が、冷ややかな眼をして立っていた。
”ロイ兄様・・・・・・。”
途端、エドの顔が涙で歪む。そんなエドに、ロイは冷たい
視線を向けると、顎で向こうを指す。
「エルリック中佐。業務に戻りたまえ。」
「は・・はい!失礼します!!」
ロイの冷たい声音に、エドはビクリとすると、その場にいられずに
走り出した。
「・・・・・こんな事して、ただで済むと思うのか?」
エドの後姿を眺めているロイに、アーチャーは悔しそうに言う。
その言葉に、ロイは何も言わずにアーチャーを解放すると、
そのままエドとは反対方向へと歩いていく。
「・・・・・おい。ロイ。」
角を曲がると、ロイの親友でもある、マース・ヒューズ中佐が、
ニヤニヤと笑いながら立っていることに気づき、ロイは立ち止まった。
「・・・・・ヒューズ。今は何も言わないでくれ。」
そのまま立ち去ろうとするロイに、ヒューズは、持っていた書類を
ロイに渡す。
「待てって。ほれ。欲しがっていたものだ。」
「!!では!!」
途端、表情を明るくするロイに、ヒューズは肩を竦ませる。
「本当に、大変だったんだぞ〜。お陰でここ数ヶ月家に帰れなくて、
グレイシアとエリシアちゃんに、寂しい思いをだな・・・・・。」
「恩にきる!!ヒューズ!!」
ヒューズの言葉を遮ると、ロイはそのまま自分の執務室へと
走り去って行った。その後姿に、ヒューズはひらひらと手を振った。
「頑張れよ〜。ロイ。お姫様を取り返して、幸せになれ。」
ヒューズは、久々に見る親友の明るい顔に、微笑んだ。
「・・・・・ロイ兄様・・・・・。」
エドは、自分の執務室から窓の外にいるロイを、こっそりと
見つめていた。相変わらず女性に囲まれているロイの姿に、
エドは辛そうに眉を寄せる。と、そこへ銃を片手にロイの
右腕ともいうべき、リザ・ホークアイ中尉が現われた。どうやら、
執務をサボっていたらしく、ロイはひきつりながら、ホークアイに
銃で脅されると、がっくりと肩を落として連行されていく。
そんな2人の姿に、エドはハラハラと涙を流しながら、じっと
見つめていた。
「リザさん・・・・。綺麗な人・・・・。」
ロイの大本命と噂されている、リザ・ホークアイ。
ロイの隣に堂々と立てる彼女の姿を見るのが、エドには
とても辛かった。
エドはそっと涙を拭うと、自分の席に座り、一番上の引き出しから、
写真立てを取り出すと、じっと見つめた。
写真立てには、まだ幼い自分とロイが無邪気に笑っていて、
過ぎ去った幸せに、エドはギュッと唇を噛み締めた。
エドとロイとは、父親同士が親友ということも
あり、幼い頃から兄妹のように育っていた。特にエドは5歳
年上のロイに、物心つく前から懐いており、どこへ行くにも
いつも一緒だった。
あれは、エドが5歳、ロイが10歳になったばかりの頃だった。
「エディは、将来僕のお嫁さんになるのだから、絶対に
他の人と仲良くなっちゃ駄目だよ!!」
ある日、ロイが怒りながら、エドの部屋へと入ってきた。
「?何で、ロイ兄様、怒ってるの?」
いつも自分には、優しい笑みしか浮かべないロイが、
初めて怒りを露にしている姿を見て、幼いエドは怯えた。
だが、そんなエドの様子に気づかないロイは、エドの腕を
乱暴に引き寄せると、ギュッと抱き寄せた。
「いいから。約束するんだ!エディ!!」
「ふえっ・・・・。いや・・・・。痛いよぉおおお。」
火がついた様に泣き出すエドに、漸く自分がエドを怖がらせて
いることに気づいたロイは、オロオロとエドを優しく抱きしめる。
「ごめん。ごめん、エディ。泣かせるつもりはなかったんだ・・・・。」
泣き止まないエドに、ロイは困惑していると、騒ぎを聞きつけた
父親達が、エドの部屋へ乱入してきた。
「エド、エド、エド、エド〜!!どうしたんだ〜!!」
真っ先に飛び込んできたのは、エドの父親である、ホーエンハイム・
エルリック少将。遅れること数秒で、ロイの父親である、
ジェイド・マスタング少将も現われた。ホーエンハイムは、泣いている
我が子を抱き上げると、ロイに説明を求める。
「どうしたんだね。ロイ君。」
「一体、どうしたんだ!ロイ!!」
両方の親から責められ、ロイは泣き出しそうになるのを、ぐっと
堪えて、ぽつりと呟いた。
「・・・・エディを誰にも取られたくなかった。」
「「はぁ?」」
それで、何故エドが泣いている状況に繋がるのかと、親達は
顔を見合わせる。
「さっき、父上達が話していたのを聞いて・・・・エディがお嫁さんに
・・・・・・。」
そこで、ポロポロと泣き出すロイに、いつの間にか泣き止んだ
エドが、キョトンとロイを見つめた。
「ロイ兄様・・・・?」
エドは、暴れてホーエンハイムの腕から逃れると、トテトテと
ロイの傍までくると、小さい背を一生懸命に伸ばして、ロイの
頭を撫でようとする。
「兄様、どっか痛いの?エディ、ナデナデしてあげるー。」
心配そうなエドを、ロイはギュッと抱きしめる。
「エディさえいてくれればいいんだ。」
「わかったー!エディ、ロイ兄様とずっと一緒にいるー!」
ニコニコと微笑む愛娘に、ホーエンハイムはがっくりと
肩を落とす。ジェイドは、そんな2人の様子に、ニヤニヤと
笑いながら、親友に話しかける。
「良かったじゃないか。どこの誰とも知らない馬の骨に
エディちゃんを取られなくて。」
先程、ワインを片手に、自分達の子どもの未来について
語っていたのだった。自分の「エディちゃんは、美人さん
だから、直ぐにお嫁にいくかもな。」という発言を、たまたま
傍を通りかかったロイが直ぐにエドがお嫁に行くと勘違い
してこの騒動を引き起こしたと言う事に、ジェイドは気づいた
のだ。その時に
「そんな何処の馬の骨とも知れない男に、大事な大事な
大事なエドを嫁には出さん!!」
と絶叫した親友に、ジェイドは人の悪い笑みを浮かべながら、
追い討ちをかける。
「その点、うちのロイは、身元が確かだぞ〜。おまけに私に似て
将来は絶対にいい男になる!断言しても良い!!」
高らかに笑うジェイドに、ホーエンハイムは、ギロリと鋭い視線を
向ける。
「お前の息子だから、心配なんだ・・・・。将来、絶対に女たらしに
なる!!」
絶対にエドは手放さん!!と吼える父親に、今度はエドが
泣きそうな顔でホーエンハイムを見上げる。
「エディ・・・。ロイ兄様と一緒にいっちゃいけないの・・・・?」
綺麗な金の瞳に涙を溜めながら、じっと上目遣いで父親を見る
エドは、殺人的に可愛かった。あまりの可愛さに、固まる
ホーエンハイムを押しのけると、ジェイドはニッコリと世の女性達を
虜にすると言われる笑みを浮かべながら、エドの小さい手を
ギュッと握る。
「エディちゃんは、何の心配もしなくていいんだよ。私が必ず
2人を一緒にしてあげるからね!私の事をお義父様と呼んでも
いいんだよ。」
「ジェイドおじ様がパパ?」
意味が分からず、エドはキョトンと首を傾げる。
「そうだよ。エディちゃんはロイのお嫁さんだからねー。」
ニコニコと笑うジェイドの後頭部に、ホーエンハイムの怒りの
鉄拳が炸裂する。
「痛いではないか。」
不服そうな顔で後頭部を摩るジェイドに、ホーエンハイムの
怒りが爆発する。
「勝手に話を進めるなー!!」
「でも、本人達は結婚する気満々だが?」
ジェイドの言葉に、ホーエンハイムがチラリと見ると、ロイとエドが
2人仲良くじゃれ合っていた。
「エディ、ロイのお嫁さんだってー!」
「絶対に幸せにするよ。エディ!」
ヒシッと抱きしめ合う幼いカップルに、ホーエンハイムは、がっくりと
肩を落とす。
「若いっていいねぇ〜。」
隣でニコニコと笑う親友の頭を思いっきり叩くと、ホーエンハイムは、
抱きしめ合っているロイとエドを引き離した。
「まだ早い。」
不機嫌なホーエンハイムに、ロイも負けじと真剣な顔を向ける。
「では、どうしたら、エディをお嫁さんに出来るんですか?」
その様子に、ホーエンハイムはおや?と思った。まだまだ子どもだと
思っていたロイの、大人の男の表情に気づき、ニヤリと笑う。
何だかんだ言って、ホーエンハイムはロイの事を特に気に入って
おり、心密かにエドのお婿さん候補にしていたほどである。もっとも、
そんな事を言えば、親友が悪乗りするのが分かっているので、
口には出さないが。
「ロイ君は、本当にエドが好きなのかね?」
ホーエンハイムの言葉に、ロイは重々しく頷く。
「・・・・では、こうしよう。エドが二十歳になるまでに、君が
大佐の地位に着くことが出来たら、結婚を許そう。」
その言葉に、ジェイドがギョッとする。
「おい!いくら何でもその条件は・・・・・。」
「おや?ロイ君はお前の息子だろ?息子を信用していないのか?」
存外にロイはお前の息子なのだから、それぐらい出来ると、私は
信じている。それとも、お前は信じていないのか?と言われ、
ジェイドはぐっと言葉を飲み込む。
「それに、私の大事な大事な大事なとーっても大事なエドを
嫁に欲しかったら、それだけの事をしないとな!」
その言葉に、ロイは不敵な笑みを浮かべる。
「その言葉、信じてもいいですね。」
絶対にエドを手に入れると決意を新たにしているロイの姿を、
ホーエンハイムは満足そうに頷いた。そんなホーエンハイムに、
ツンツンと小さい手が袖を引っ張る。
「ねー。エディは?」
「?何がだい?」
訳が分からず首を傾げるホーエンハイムに、エドは憤慨する。
「エディもロイ兄様のお嫁さんになるには、どうすればいいの?」
「エ・・・・エディは何もしなくてもいいんだよ?」
にっこりと微笑むホーエンハイムに、エドは泣きそうな顔で言う。
「でも!ロイ兄様が1人で頑張るのに!エディも何か頑張る!!」
年の割には利発なエドは、自分と結婚するために、ロイ1人が
何かを頑張るという事に気づいたのだろう。自分も何か頑張ると
言い出して聞かない。
「それじゃあ、エディちゃんは、ロイの事を信じてあげてほしいな。」
見かねたジェイドが、ニコニコとエドの視線の高さにまで
しゃがみ込むと、優しく金の髪を撫でる。
「?信じる?エディ、ロイ兄様を信じているよ?」
どうしてそれが頑張る事になるのかと、首を傾げるエドに、ジェイドは
優しく微笑む。
「エディちゃん。信じるって事は、一番難しい事なんだよ。」
「難しい・・・・の・・・・?」
困惑するエドに、ジェイドは頷く。
「人はね、自分の心の弱さに負けると、人が信じられなくなるんだ。」
「心の弱さ・・・?」
いまいち意味が分からないエドは、先程から首をひねってばかり
いる。そんなエドに、ジェイドは微笑んだ。
「つまりだね。エディちゃんは、ロイの事が好きだろ?」
「うん!!」
元気良く返事をするエドに、ジェイドは優しく微笑んだ。
「だから、どんなにみんながロイの事を悪く言っても、エディちゃんだけは、
ロイの事を信じて、ロイの味方でいて欲しいんだ。エディちゃんが
ロイを信じてくれれば、それがロイの力になるんだよ。」
「・・・・エディ、ロイ兄様の力になれる・・・の・・?」
ロイの力になれると聞いて、エドの顔が輝いた。
「エディ、ロイ兄様を信じる!!」
ニコニコと笑うエドの髪をもう一度撫でると、傍らに立っている自分の
息子に、鋭い視線を向ける。
「ロイ、理由はどうあれ、愛する者を二度と泣かせるな。
絶対に守るんだぞ。」
父の真剣な表情に、息子も真剣な顔で大きく頷く。
その様子を、満足そうに見ながら、ジェイドは息子の頭を
優しく撫でるのだった。
そのまま、時が優しく過ぎていき、大好きなロイと
ずっと一緒にいられると、幼いエドは信じ込んでいた。
だが、その2年後のこと・・・・・。
「ジェイド・マスタング中将の反乱」が起こり、
エドの幸せな時間は、音を立てて崩れ去っていった。
「大佐。このままでは、今日は残業になりますが。」
相変わらず書類を溜め込んでいるロイ専用の執務室では、
ホークアイが、銃を片手にロイに脅しをかける。
「・・・・何故かいつもよりも多い気がするが・・・・。」
おかしいね。書類が子どもでも産んだかな?などと
軽口を叩く上司に、有能なる部下は躊躇いもせずに、
引鉄を引く。全弾撃ち込んですっきりしたのか、
ホークアイは迷いのない足取りで、撃ち込んだ弾の
一つの前までくると、めり込んだ弾と一緒に、壊れた
小さい機械も壁から取り出した。
「大佐。盗聴器を全部破壊しました。」
「ご苦労。中尉。」
壊れた盗聴器をロイに見せるホークアイに、ロイはにっこりと
微笑む。
「失礼します!こちらの準備も全て整いました。いつでも
出動できます。」
ノックと共に現われたハボック少尉が、ロイに敬礼すると、
トレードマークのタバコをピクピク動かしながら、ニヤリと
笑った。その様子に、満足そうにロイは頷くと、ホークアイに
チラリと視線を向けて頷き合った。
「絶対に、エディを迎えに来るから。」
だから私を信じて欲しい。
別れる前、幼い恋人達は、満開の桜の下、
そっと誓いの口付けを交わす。
あの【約束】は、今でも有効ですか・・・・?
信じていいですか?
エドの嗚咽は、誰の耳にも届かなかった。