アメストリス大陸のほぼ3分の1程の広大な土地を有する
フレイム王国の若き国王の結婚祝いには、各国はもとより、
海を隔てた大陸からも、祝いの使者が、朝早くから
城に訪れていた。通常、婚約発表から結婚までが、早くとも
一年以上かかるのだが、異例とも言える、1ヶ月というスピード婚。
その上、後見人と称しているが、実質支配下にあるフルメタル王国の
姫との婚儀だ。2人の年齢差もあって、使者達は、この結婚は、
政略結婚というよりも、人質としての意味合いが強いのだろうと、
勝手に想像していた。実際、正妃の座は諦めたが、自分の娘を
側室として、ロイの後宮へ入れようと目論んでいるのだろう。王の
名代として、派手に着飾った王女の姿を、至る所で目にする。
そんな人々の期待と好奇心が渦巻く中、フレイム王国の国王夫妻は、
謁見の間に現れるのだが、国王夫妻を一目見た瞬間、使者達は
戸惑うようにお互い顔を見合わた。勿論、その中には、ゼノタイム
王国の王子、ラッセル・トリンガムもいた。
「・・・・・アーチャー・・・・俺は今、夢を見ているのか?」
唖然と呟くラッセルに、後ろに控えていたアーチャーも、
珍しく戸惑った声を出す。
「いえ・・・そんなはずは・・・・・。」
目の前に広がる光景を信じきれず、皆戸惑った表情で、国王夫妻、
特にロイ・マスタングを凝視していた。
フレイム王国のロイ・マスタング王と言えば、敵ならば、例え女子どもでも
容赦しない、冷酷非道な王として、名を馳せていた。実際、半年前に
ロイと謁見したラッセルは、ロイの底知れぬ暗い闇を垣間見て、恐怖から、
早々に国に帰ったほどだ。
「あれが・・・マスタング王・・・・なのか?」
一体、半年の間に何が起こったのか。ロイの纏う雰囲気が180度
変わっている事に、ラッセルは驚いて息を飲む。ゆっくりと新妻を
エスコートする王の姿に、ロイの後宮入りを狙っている女性達は、
ほうと羨望の眼差しで見つめていた。それだけ、ロイの雰囲気が
柔らかいのだ。以前のような抜き身の剣を彷彿させるような
威圧的な雰囲気は霧散していたのだった。そして、極めつけが、
王が王妃を見つめる眼である。その眼で、使者達は、自分達が
勘違いしていた事に、漸く気づいたのである。それほどに、
ロイのエドを見つめる瞳が、愛情に溢れていたのであった。
そんなロイの様子に、ラッセルは、あのマスタング王が、どうやら
新妻に、心を奪われたのだと悟り、一体、どんな女性が、あの
マスタング王の心を奪ったのか、興味を覚えて、王の隣に立つ
王妃に視線を移す。金の髪というより、まさに黄金に輝く髪を、
アップにし、頭上に輝くティアラが、優しく光を反射していた。
遠くから顔が良く見えないが、そんなに酷くはないみたいだ。
16歳という割りに身体は小さく、全体的にほっそりとした、可憐な
印象を覚え、ラッセルは、マスタング王はロリコンだったのかと、
呆れていた。病弱という事だから、守ってあげたいとでも思ったのか
と、ラッセルのエドに対する第一印象は、その程度のものだった。
しかし、数分後、ラッセルは元より、謁見の間にいた人間全てが、
エドをただの飾りの王妃であるという認識を改める事になる。
エドは、祝いに駆けつけた使者一人一人に、その国の言葉で
声をかけたのだった。通訳なしで受け答えしている所を見ると、
その語学力はすごいのだろうと、ラッセルは思った。実際、
この大陸は大きく分けて8つの言語があり、さらにそれは、
国毎に独自の変化を遂げている為、一つの国に一つの言語と
言われるほどに言語の数は膨れ上がっている。その上、この
大陸とは違う大陸の国の言葉まで操れるとあって、使者達の
眼が厳しいものに変わる。笑みを浮かべながら、多数の言語を
操り、それだけでなく、豊富な知識で場の雰囲気を盛り上げ、
かと言って、夫であるマスタング王を立てて、でしゃばらない。
そんな完璧なる王妃に、それまで、ただの小娘と侮っていた
使者達は、震え上がる事になる。王妃を値踏みしに来た使者
達は、逆に、王妃から値踏みされている事に気づいたのだ。
「・・・・流石、マスタング王が選んだだけはあるな・・・・。見事な
外交手腕だ。」
ラッセルは、感心するように、腕を組むと、じっとエドを
見つめる。
「王子・・・・そろそろですが。」
後ろに控えているアーチャーが、ラッセルにそっと耳打ちする。
「では、花嫁の顔でも拝んでくるか。」
ラッセルは、頷くと、ゆっくりと国王夫妻の前へと歩いていった。
「ゼノタイム王国のラッセル・トリンガム王子。今日は遠路はるばる
我が婚儀の祝いに駆けつけてくれた事、とても嬉しく思う。」
ロイの前で頭を垂れるラッセルは、初めて見るロイの、上機嫌な
様子に、不気味さを感じて、顔を上げることができない。むしろ、
そのまま、脇目も振らずに、逃げ出したいくらいだ。
「・・マ・・マスタング陛下には、美しい花嫁を迎えられ、今後、ますます
繁栄の一途を辿られる事でしょう。お喜び申し上げます。」
震えそうになる声を何とか抑えて、ラッセルは一気に祝賀を述べると、
そっと顔を上げて、今度は花嫁の方を向く。
「初めまして。王妃様。ゼノタイム王国の王の名代で参りました。
第一王子のラッセル・トリンガムと申します。どうか、お見知りおきを・・・。」
ゆっくりと顔を上げるラッセルは、エドの顔を見た瞬間、驚きに固まる。
”何故だ!何故、あなたが【ここ】に!!”
目の前の王妃は、今までラッセルが逢ったことがないほどの美少女だった。
白く透き通るような肌。
さくらんぼの様な魅惑的な唇。
そして、生命力に溢れている大きな瞳。
だが、その瞳が黄金でなければ、ラッセルは、他の使者達と同様に、
一目で恋に落ちたのかもしれない。
だが、そうならなかったのは、姫がエルリック王家の出身であることと、
黄金の髪と黄金の瞳を持っていたからだ。
”エルリック王家の、黄金の髪と瞳を持つ姫”
それだけで、ラッセルの中で、言い知れぬ不快感が襲ってきた。
「初めまして。ラッセル王子。今日は・・・・・。」
ニコニコと微笑みながら、エドはゼノタイムの言葉で、話しかける。
しかし、不快感と戦うラッセルには、全く耳に入っていなかった。
「ラッセル王子?どうした?」
少し苛立ったロイの声に、ラッセルは、ハッと我に返ると、目の前には、
機嫌を損ねたロイと、困惑気味なエドがいた。
「えっ・・と・・・その・・・。」
どうやら、エドに言葉をかけてもらっても、何も答えないラッセルに、
謁見の間にいた全員が、不審気にラッセルを見ていた。
「・・・すみません。言葉が足りなかったみたいで・・・・。」
すかさず自分のゼノタイム語が不十分だったと、フォローを入れる
エドに、ラッセルは慌てて誤魔化した。
「いえ!王妃様のあまりの美しさに、言葉が出ませんでした。
失礼をお詫びいたします。」
ラッセルの言葉に、エドは真っ赤な顔で俯き、隣に立っているロイは、
更に機嫌を下降させる。
「ラッセル王子・・・・・。判っていると思うが、エディは私の妻なの
だが・・・・・。」
エドの身体を引き寄せ、まるで射殺さんばかりの鋭い視線を向けられ、
ラッセルは慌てて言葉を繋げる。
「は・・はい!美しくご聡明な王妃様は、まさにマスタング陛下と
ご結婚される為にお生まれになられたのだと、羨ましく思っております。」
絶対零度の冷たい視線を真っ向から受け、ラッセルは身の危険を感じ、
心にもない事を言う。大陸一のベストカップルですとまで、言い切った途端、
漸くロイの怒りが解け、ホッとラッセルは安堵の息を吐く。
「そうか。ベストカップルか・・・・。」
上機嫌なロイに、後ろに控えていたホークアイは呆れながら、ハリセンで
思いっきり叩きたい衝動を押さえていた。
”全く・・・・・。本当に単純なんだから・・・・。王としての威厳がまるでないわ!”
だが、そのお陰で、一触即発の張り詰めた緊張が解け、再び謁見の間に
和やかな雰囲気が戻ってきたのだから、良しとしなければならない。
”それに、これで不本意な噂や面倒な思惑が少しは回避出来たわね。”
ホークアイは、満足そうに謁見の間を見渡す。ロイのエドへの激愛振りに、
2人の結婚が政略結婚、ましてや、人質だという不本意な噂は、
直ぐに消える事になるだろう。そして、未だロイの後宮に入る事を
望んでいる、馬鹿な姫君達への牽制にもなるだろう。ホークアイは、
真っ赤な顔でロイの腕の収まっているエドを、愛しそうに見つめた。
「・・・・それでは、御前を失礼します。」
和やかな雰囲気の中、ラッセルは多少青い顔をしながら、ロイ達の前から
下がる。
「ラッセル王子!どうしたんですか!」
思ってもみなかった、ラッセルの失態に、流石のアーチャーも、慌てて
戻ってきたラッセルに、詰め寄る。
「うるさい!黙れ。」
ラッセルは、アーチャーを押しのけると、扉に向かって歩き出す。
「・・・・・バケモノが。」
ふと、肩越しにロイ達を振り返ったラッセルは、心配そうな顔で自分を
見るエドと眼が合い、吐き捨てるように呟くと、そのまま扉から
出て行った。
「・・・・・エディ?どうかしたのかい?」
各国の使者を労う為に開かれる、夜会の支度をしていたエドの
部屋に、正装に身を包んだロイが入ってくると、少し顔色の悪い
妻の顔に、心配そうな顔をする。
「ちょっと・・・疲れちゃって・・・・・。」
安心させるように、微笑むエドを、ロイは優しく抱きしめる。
世間から隠されるように育てられたエドだった為、こんなに大勢の
前に出るのは、ひどく疲れる事なのだろう。顔色の悪いエドに、
ロイは、このまま夜会を中止して、ずっとエドを抱きしめていようかと
本気で思った。
「ねえ、ロイ。俺、ちゃんと出来た?」
エドは、顔を上げると、心配そうな眼をロイに向ける。そんなエドに、
ロイは蕩けるような笑みを浮かべると、その滑らかな頬に口付けをする。
「ああ。完璧だったよ。エディ。話には聞いていたが、君の語学力は
素晴らしかったよ。」
ロイの大絶賛に、エドは頬を紅く染めて照れた。
「へへっ。俺とアルの師匠(せんせい)って、旅行が趣味なんだ。
師匠からいろんな国の話を聞くのが、すごく好きで、自分でも
色々と勉強したんだ〜。だから、話や本でしか知らなかった色々な
国の人達に出会ったのが嬉しくて、つい話し込んじゃったんだけ
ど・・・・・失礼だったかな?」
決められた謁見時間を大幅に過ぎてしまった事に、エドは責任を
感じてシュンとなる。
「いや。君のお陰で助かったよ。」
だが、ロイはニコニコと微笑む。
「どういうこと?」
首を傾げるエドに、ロイは上機嫌に笑う。
「君が我が国と他の国の関係を友好的にしてくれたお陰で、
今後、外交がスムーズにいく。ありがとう。エディ。」
ロイの言葉に、エドはパッと明るい笑みを浮かべる。
「本当?俺、ロイの役に立てた?」
「ああ、今日来た使者達は、こぞって君を褒め称えていたよ。」
誰だって、自国の言葉を話せる人間には、心を開いてしまう。
ましてや、エドに微笑まれて、嫌な気分になる人間などいない。
案の定、フレイム王国に口では忠誠を誓っているが、心の
底では、虎視眈々とフレイム王国を狙っている国の使者ですら、
エドの前に立つと、自然と笑みが零れており、謁見が終わる頃
には、すっかり友好関係に落ち着いていた。これで、今後の
外交はスムーズにいくだろうと、ロイは大満足だったのだ。
”だが、エディに一目惚れした輩には、制裁を加えねばな。”
友好しすぎて、エドに恋心を抱いている輩には、経済制裁を
加えなければと、どこまでも心が狭いロイは思った。