月の裏側 〜 Love Phantom 〜  新婚編

            月華恋歌       

 

                       第17話

  

  

 

             「もうすぐ・・・・もうすぐよ・・・・。」
             女は、愛しそうに腕の中の【モノ】を、優しく撫でる。
             「あの姫が、【扉】を開けてくれれば、全てがうまくいく・・・・。」
             クスリ。
             闇の中で、女は小さく笑った。






            「・・・・・ここ・・・は・・・・・。」
            急に冷たい水を浴びせられて、エドはハッと眼を開ける。
            慌てて起き上がって辺りを見回すと、大きな湖の畔である
            事に気づいた。
            「なんで・・・俺・・・・・。」
            先ほどとは違い、野外である事に、多少の安心感を得たが、
            それでも、見知らぬ場所には違いはなく、エドは用心深く
            辺りの気配を探る。
            「気がついたみたいね。」
            その声に、エドは用心深く後ろを振り返ると、腕に小さな白い
            布に包まれたものを、愛しそうに抱きしめている女性と、
            その傍らには、手にバケツを持ったラッセルの姿があった。
            「レナ・・・さん。それに、ラッセル王子・・・・?」
            ウォルターに浚われる直前まで一緒にいたレナの姿に、
            エドは困惑を隠しきれない。
            「やっと眼が醒めたか。手間を掛けさせて!!」
            ラッセルは、忌々しそうにバケツを後ろに放り投げると、
            ツカツカとエドに歩み寄る。
            「ラッセル王子・・・・?」
            何故王子がこんなにも怒っているのか分からずに、エドは
            眉を顰める。ラッセルは、ウォルターに操られていたのでは
            なかったのか?今目の前にいるラッセルは、操られている
            どころか、自分の意志で動いている。
            探るようにラッセルを凝視するエドの胸倉を、ラッセルは乱暴に
            掴む。
            「さぁ、さっさと【扉】とやらを開けて、再びこの世界に錬金術を
            呼び戻してもらおう。」
            ギリリと締め上げられる苦しさに、エドは顔を歪めるが、ラッセルの
            力が緩む事はない。さらに力が込められ、エドは息苦しさに、
            意識を遠のきかける。
            「お待ちなさい。ラッセル王子。」
            凛とした声に、ラッセルの力が急に緩む。
            「ゲホゲホゲホッ!!」
            ドサリと落とされ、エドはケホケホと咳き込んでいると、ゆっくりと
            レナがエドに近づく。
            「【鋼姫】は、大層我侭な姫なのでしょう?手荒なマネをして、
            臍を曲げられたら困るわ。」
            レナは、ラッセルを厳しい眼で一瞥すると、そっとエドの背を
            優しく摩りながら、耳元で囁く。
            「さぁ、【鋼姫】、【扉】を開いてくださらない?その方が、あなたも
            何かと都合が良いでしょう?」
            クスクスと笑うレナに、エドはカッとなると、レナの手を振り払う。
            「レナさん!!」
            後ろに倒れ込むレナを、真っ青な顔でラッセルが支える。
            その隙にエドは立ち上がると、厳しい瞳で二人を睨みつける。
            「断る。」
            低く呟かれたエドの声に、ラッセルは、ビクリと身体を揺らす。
            病弱なだけの我侭な姫だと思い込んでいたが、今のエドは
            全ての人間を平伏せさせるような、威厳に満ち溢れていた。
            「【扉】は永遠に開かれない。」
            ゆっくりと告げる言葉に、レナは顔を歪ませると、エドに掴みかかる。
            「何故よ!どうして!!」
            エドは、レナの伸ばされる手から、スルリと身を躍らせて交わすと、
            痛ましそうな顔でレナを見つめる。
            「何故、【扉】を開けようとする?【扉】を開けても、アクアノーアが
            復活する訳では・・・・。」
            「アクアノーア?」
            エドの言葉を、レナは面白そうにクスクス笑いながら遮る。
            「私はアクアノーアの民ではないわ。」
            その言葉に、エドは眼を見開く。アクアノーアの民ではなくて、
            何故【扉】を開けることに拘るのだろうか。
            「ただ、利害が一致しただけ。」
            訝しげなエドに、レナは歌うように告げると、ゆっくりと大事に抱えていた
            布を開く。
            「アッ!!」
            中から出てきたものに、エドは両手を口に当てて、小さな悲鳴を洩らすと、
            一歩後ろに下がる。
            「うふふ。私の夫なの。」
            顔面蒼白のエドに、レナはニッコリと微笑むと、愛しそうに白骨化した
            頭蓋骨に頬擦りする。そして、そんなレナの様子に、ラッセルが
            痛ましそうに顔を背ける。
            「ま・・・まさか・・・・。」
            エドは、顔を強張らせると、じっと頭蓋骨を凝視する。
            「・・・・・蘇らせるつもりか?」
            「当然でしょう?」
            何を分かりきった事をと、馬鹿にした顔でエドを見るレナに、エドは
            流れる汗を拭おうともせずに、首を横に振り続ける。
            「駄目だ!人体練成は・・・・・。」
            「最大の禁忌・・・・だったわね?」
            エドの言葉を引き継いで、レナはスッと眼を細める。
            「それが分かっていて何故!!」
            叫ぶエドに、レナは射るような眼でエドを見据える。
            「あなたはどうなの?」
            「え?」
            何を言われたのか分からず、エドはポカンとなる。
            「あなたが、私の立場でも、禁忌だからと諦めるの?」
            一歩レナはエドに近づく。
            「お・・・俺は・・・・・。」
            動揺するエドに、レナはニヤリと笑う。
            「マスタング王が死んでも、あなたはそう言いきれる?
            目の前に生き返らせる方法があって、それでも、禁忌だから
            という理由だけで、あなたは諦める事ができるの?」
            「っ!!」
            クッと唇を噛み締めるエドに、今度はラッセルがゆっくりと近づく。
            「その人が死んだのは、お前のせいだ。」
            「俺・・・・の・・・?」
            え?と顔を上げるエドに、ラッセルは憎しみを込めた眼で見据える。
            「レナさんの夫は、俺の先生なんだよ。」
            「せんせ・・・い・・・・?」
            混乱するエドに、ラッセルは頷く。
            「ああ。アンタが【扉】を封印した時、ゼノタイムでは、流行り病で
            国民の半分以上が苦しんでいた。」
            その言葉に、エドはウォルターが言っていた事を思い出す。
            ラッセル王子は錬金術で薬を作ろうとしていたが、【扉】を閉じた
            せいで錬金術が使えなくなり、結果、薬が作れずに、国民が
            死ぬのを、ただ見ている事しか出来なかった。
            その事に、エドが顔面蒼白になっていると、ラッセルが苛立ちを
            ぶつけるように叫ぶ。
            「先生は、錬金術師であると同時に、医者でもあった。先生はご自分の
            事を後回しにして、患者を診ていた結果、自身も感染して、一週間
            苦しんで・・・・苦しみ抜いて・・・・・・死んだ・・・。
            錬金術さえ使えれば、薬が間に合い、先生は死なずにすんだんだ!!」
            ラッセルの目から一筋の涙が流れる。
            「お前が・・・先生を殺したんだ。」
            「ラッセル王子・・・・。」
            殺気を隠そうともせずに、ラッセルは、エドに近づくと、剣を引き抜いて、
            剣先をエドの喉元に突きつける。
            「お前は、先生を蘇らせなければならない・・・・・。」
            狂気に彩られたラッセルの顔に、エドは意を決して、ジッとラッセルの
            顔を見据える。
            「ラッセル王子・・・・・。錬金術は万能ではないんだ・・・・。」
            ラッセルの怒りは分かる。だが、間違えてはいけない。
            禁忌を犯すということが、どういうことなのか。
            エドは彼らに伝えるべく、口を開く。
            「どんな事をしても、亡くなった命を取り戻すことはできない。」
            「嘘よ!!」
            エドの言葉を遮り、レナが絶叫する。
            「では、何故、アクアノーアの王が生きているの?何百年も前に
            死んでいるはずでしょ!?それに、彼は言ったわ!
            フルメタル王国の・・・・【鋼姫】の力を使えば、夫は蘇るって!!」
            「・・・・他人の肉体で蘇ってもか・・・?」
            ぽつりと呟かれるエドの言葉に、レナは一瞬惚ける。
            「何言って・・・?」
            「アクアノーアの王は、確かに何百年も生きている。だが、それは
            他人の肉体を奪ってだっ!!」
            エドの言葉に、レナは絶句するが、直ぐに頭を払う。
            「で・・・でも!あの人が蘇るのなら!!」
            「アンタの夫は、自分が蘇るために、他人の身体を平気で奪うような、
            そんな男なのか?」
            エドの瞳に射抜かれて、レナはガタガタと震え出す。
            「そんな話・・・・聞いてなっ・・・・。」
            青褪めるレナに、エドは悲しそうな瞳で見つめていたが、
            急に首に鋭い痛みを覚え、エドは一歩下がる。
            「ラッセル王子・・・・。」
            幸い、深い傷でなかった為、うっすらと血が滲む程度だ。
            「・・・・・錬金術で新しい肉体を練成すればいい。」
            ラッセルの言葉に、エドは顔を顰め、レナは顔を輝かせる。
            「そう・・・・。そうだわ!錬金術で・・・・・・。」
            「駄目だっ!!そんな事をしたら!!」
            青褪めるエドに、ラッセルは、再び剣をエドの喉元に突きつける。
            「さぁ、【鋼姫】、【扉】を開けるんだ!!」
            「・・・・・・そこまでにしてもらおうか。ラッセル。」
            まるで地の底から聞こえてくるかのような低い声に、反射的に
            ラッセルが振り返ると、そこには、視線だけでも人が殺せるほどの
            鋭い視線のロイが立っていた。
            「マスタング・・・・陛下・・・・・。」
            ラッセルは、とっさにエドを盾にしようと、手を伸ばすが、その前に、
            見知らぬ黒髪の女性が、エドを抱き寄せていた。
            「師匠(せんせい)!!」
            ホッと安堵するエドの様子に、ラッセルは舌打ちをする。あと少し。
            あと少しでうまく行ったのに!!
            「・・・・・貴様・・・・。私のエディに・・・・。許せん!!」
            全身ずぶ濡れで、しかも、首を傷つけられたエドの姿を見て、
            ロイは完全に理性を失っていた。
            「ったく!!うちの弟子をよくも傷つけてくれたね・・・・。」
            エドを後ろに庇いながら、ボキボキと指を鳴らすイズミも、ロイと同じく
            ブチ切れしていた。
            二人の殺気に、ラッセルは形勢不利とみて、慌てて逃げ出そうとするが、
            その前に、見えない壁が立ちふさがる。
            「なっ!!どうなっているんだ!!」
            焦るラッセルの目の前を、一羽の鳥が、ゆっくりと舞い降りる。
            「これで、逃げられねーぜ。ラッセル王子、ウォルターはどこだ?」
            人語を解する鳥に睨まれ、ラッセルは唖然となる。
            「キメラなのか・・・・?」
            「違う!!俺は!!」
            「は〜い。そ・こ・ま・で。」
            激昂する鳥の声を遮り、場違いまでの明るい声が聞こえ、全員が
            声のする方を見る。
            長い艶やかな黒髪に、黄金の瞳の美女が、手をヒラヒラさせて、
            立っていた。
            「あなたはっ!!」
            「ウゲッ!!【破軍】!!」
            いきなり現れた美女に、皆が戸惑う中、エドと【真理の森の管理人】だけが
            反応する。
            「お久し振りね。エドワード姫。」
            ニコニコと近づく美女に、警戒するように、イズミが二人の間を
            割って入る。そして、ロイは素早くエドの側に寄ると、その身体を
            ギュッと抱きしめて、警戒心も露に、女を睨みつける。
            だが、そんなイズミ達に、美女ーーーー【破軍】は、ニッコリと微笑むと、
            チラリと【真理の森の管理人】へ、視線を投げる。
            「忘れ物を届けにきたの。」
            そう言って、【破軍】は、手にした小さな水晶玉を掲げる。
            太陽の光を受けて、七色に輝く水晶玉に、イズミは目を細める。
            「まさか・・・それは・・・。」
            上部が尖っている水晶玉をマジマジと見ながら、イズミは信じられない
            と言った顔でポツリと呟く。
            「【如意宝珠】・・・・なのか?」
            「ニョイホウジュとは・・・?」
            初めて聞く、異国風な名前に、ロイは訝しげに聞き返す。
            「この大陸と遠く海を隔てた大陸にある、とある国の宗教で
            語られている事だ。【願いが叶う水晶】とでも言おうか・・・・。」
            そこで、言葉を切ると、イズミは【如意宝珠】から視線をエドに向ける。
            「【鋼姫】の呪いを解く事が出来ればと、探していたものだ。」
            もう必要がないがと苦笑するイズミに、エドはフワリと笑う。
            「【願いが叶う水晶】ですって・・・・?」
            一瞬和んだ空気に、気を緩んだイズミは、声のする方へ視線を
            向ける。見ると、眼に狂気を宿した先ほどの女が、【如意宝珠】へと、
            フラフラと近づくところだった。
            「レナさん!駄目!!」
            慌ててエドがレナを止めようとするが、その前に、【破軍】が
            片手を上げて、エドを制する。
            「これは、確かに【如意宝珠】と呼ばれる物。・・・でも、【願いを叶える】
            ものではないわ。」
            【破軍】の言葉に、レナはピクリと反応する。
            「嘘よ・・・・。それさえあれば、あの人は蘇るのでしょう?」
            ノロノロと空ろな目を【破軍】に向けるレナに、【破軍】は
            感情の篭らない瞳で見据える。
            「いいえ。一度消えた命は決して戻らない。それが、【世界】の
            掟だわ。」
            キッパリと言い切る【破軍】に、レナは狂ったように首を横に
            振り続ける。
            「嘘よ!!だって、アクアノーア王は!!」
            「彼は、【死ぬ直前】に身体を入れ替えたのであって、
            【死んだ】わけではないの。よって、【世界】から【消される】ことは
            ない。」
            そこで、言葉を切ると、【破軍】は、深いため息をつく。
            「それでも、それは本来あってはならないこと。彼は【消される】ことは
            ないけど、それによって、生じる【異変】がないわけではないわ。
            そのいい例が、ゼノタイムの【流行り病】。」
            「え・・・?」
            【破軍】の言葉を聞きとがめ、レナは眉を顰める。
            「アクアノーア王、ウォルターは、その存在だけで、【世界】を
            歪ませる存在になってしまった。あの【流行り病】も、【世界】が
            歪んだ結果なされたもの。その証拠に、ゼノタイムでのみ【流行り病】が
            起こり、他国は感染しなかった。・・・・おかしいと思わなかった?」
            【破軍】の言葉に、レナはハッとなる。生前、夫がおかしいと言った
            事を思い出す。確かに、周りを海で囲まれた国ならば、
            他の国に感染しないかもしれない。しかし、ここは大陸の中なのだ。
            近隣諸国に多少なりとも影響が出るはずである。
            「そ・・そんな・・・・馬鹿な・・・・。」
            ガックリと膝を落とすレナに、衝撃の事実を聞いて、青褪める
            ラッセル。そんな二人に、【破軍】は、悲しそうに目を伏せる。
            「・・・・ところで、あなたは一体・・・・。」
            重苦しい雰囲気に、一同声も出ない状態なのだが、ロイは
            ふと気になる事を口にする。【真理の森の管理人】の知り合いの
            ようなので、【扉の向こう側】から来た人間だと推測できるが、
            それでも、自分は何も知らないのだ。
            「【扉】の向こうの住人とでも言っておくわ。」
            案の定、【破軍】はニヤリと笑いながら、チラリと横目で【真理の森の
            管理人】を見る。
            「本当は、出てくるつもりはなかったんだけど、お馬鹿な同僚が
            忘れ物したから、届けに来たの。」
            そう言って、【破軍】は、先ほどの水晶を見せる。
            「エドワード姫。」
            ロイに抱きしめられているエドを、【破軍】は真剣な表情で見つめる。
            「これで、ウォルターを浄化してほしいの。」
            そう言って、エドに手渡そうとするが、その前に、ロイがエドを庇うように
            【破軍】の前に出る。
            「待ちたまえ!エディはもう【鋼姫】ではない!!」
            「これは、【鋼姫】とは別のお話なの。」
            自分を睨むロイに、【破軍】は肩を竦ませる。
            「どういうことだ?エディは【鋼姫】の力を失っているんだ。
            普通の人間になにをさせる気だ?」
            ますます警戒するロイに、【破軍】はクスリと笑う。
            本当に、この男はどこの【世界】でも同じだ。
            「この水晶は、エドしか扱えないから、頼んでいるの。」
            「何を言っている・・・?」
            ますます訳が判らないと、ロイは顔を顰める。
            「彼女が【エドワード】だから。これを扱えるの。」
            【破軍】は、愛しそうに水晶を撫でながら、言葉を続ける。
            「これは、たった一人の【姫】が流した涙の結晶。」
            遥か昔の出来事よ・・・・。




            【破軍】は、そっと目を閉じる。



           「まだ、【世界】が【天】と【地】と【人間】が共存していた頃の
           お話。そんな中、一人の【地】の者と【人間】が出会って、
           激しい恋をしたの・・・・・・。」




           そう言って、【破軍】が語り出す。
           遥か昔に、この大陸で起こった悲劇を。