月の裏側

              〜 Love Phantom 〜

            

 

                          第1話

  

 

                  どこまでも、長く続く回廊に、子供は、不安そうな顔で
                  自分の手を引いて隣を歩く父親を見上げる。
                  「?どうしたんだね?姫?」
                  いつものように優しい笑みを浮かべる父親に、子供は
                  安心しつつも、何時もよりきつく手を握られている事実に、
                  漠然とした不安が心を支配する。
                  「とー様?どこ行くの?」
                  最初は明るかった廊下も、徐々に壁に備え付けられて
                  いる蝋燭の間隔が広くなり、まるで闇が子供を飲み込んで
                  しまうかのように、だんだんと薄暗くなっていく様子に、
                  子供はとうとう歩みを止め、父親の足にしがみ付く。
                  ブルブルと震える子供の頭を、父親は優しくポンポンと
                  叩く。
                  「着いたよ。ここだ。」
                  父親の声に、恐る恐る顔を上げると、天井まで届きそうな、
                  大きな扉が、目の前にあった。木の重厚な扉には、複雑な
                  紋様が浮き彫りされており、子供は、恐怖を感じ、一歩
                  後ろに下がった。
                  「さぁ、姫。両手を出しなさい。」
                  恐くて逃げ出したいのを、ぐっと堪え、子供は言う通りに、
                  おずおずと両手を差し出す。
                  「その扉に両手を付けてごらん。」
                  父親の言うままに、子供は、そっと扉に触れる。
                  途端、扉から青白い光が放たれ、あまりの眩しさに、子供は
                  目を閉じてしまう。
                  「・・・・・姫。」
                  どれほどの時間が経ったのだろうか。光が収まり再び闇の
                  中で、悲しげな父親の声に、子供は恐る恐る目を開ける。
                  「あれ?」
                  子供は、黄金の瞳を大きく開く。
                  確かに先程まで目の前に大きな扉があったはずなのに、
                  そこにあるのは、ただの壁だった。
                  訳が判らずに、父親を見上げた子供は、次の瞬間、父親が
                  音もなく静かに涙を流し続けているのを見て、自分はとんでもない
                  事をしてしまったのだと気づき、慌てて父親に抱きつく。
                  「とー様!ごめんなさい!ごめんなさい!!」
                  ワンワンと泣き出す我が子に、父親は、ただきつく抱きしめた。
                  「姫が悪いんじゃない。悪いのは、私なんだよ・・・・・。」
                  




                   そして、子供は父親の手によって、長い間幽閉される事に
                   なる。









                   フレイム王国。
                   つい2年ほど前、王位継承権第2位の王子が、
                   クーデターを起こして、王位についた。
                   名前は、ロイ・マスタング。謀反の罪で処刑された
                   先代の王妃が唯一産んだ王子だった。
                   彼は王を幽閉し、王妃と王位継承権のある自分の異母弟妹を
                   全て処刑した後、国内外に向けて、即位を宣言した。
                   それに異を唱えたのは、昼でも陽が差す事のない、
                   【真理の森】と呼ばれる、深い森を挟んだ、隣の王国、
                   フルメタル王国だった。フルメタル国王、ホーエンハイム・
                   エルリックが、親友でもあり、義弟でもある、先王、
                   キング・ブラッドレイの身柄を渡すように要求するが、
                   逆に、フレイム王国のフルメタル侵略のきっかけを与える事に
                   なってしまった。ホーエンハイムは捕らえられ、幽閉されたが、
                   もともと病がちの身体だった為、幽閉三ヶ月に病死してしまった。
                   ロイはすぐさま、次の王を、ホーエンハイムの唯一の息子の
                   アルフォンス・エルリックを指名した。当時アルフォンスは、
                   12歳になるかならないかの時。幼さを理由に、ロイは
                   自分をアルフォンスの後見とし、アルフォンスを王位に
                   就かせるが、全ての権力をアルフォンスから奪っていた。
                   実質、フルメタル王国は、フレイム王国に滅ぼされたのだ。
                   それが一年前の話。以来、フルメタル王国は衰退の
                   道を辿っていく。そんなフルメタル王国とは対称的に、
                   フレイム王国は、若き王の元、この二年間で、急速に
                   発展していた。
                   今までは、伝統と格式に縛られた、閉鎖的社会だった
                   国が、今では能力さえあれば、豊かな暮らしが
                   出来るとあって、国中、至る所で、活気が満ちていた。
                   国民はこぞってロイを褒め称え、希望に満ち溢れた
                   生活を送っていた。
                   そんなフレイ国の城下町では、朝から元気の良い少女の
                   声が響いている一軒の店があった。一年ほど前から
                   一攫千金を夢見て、田舎から上京したという、双子の姉弟が
                   住んでいた。
                   姉のウィンリィは、数少ない機械技師の中でも特に腕が良いと
                   評判の娘。。
                   一方、弟のエドは、その助手。
                   2人は自分達の特技を生かして、修理屋を営んでいた。
                   双子の片割れは、上でまだ寝ている弟を、大声で
                   怒鳴りながら、手早く朝食を作っていた。
                   「エドー!!いつまで寝てるのよ!!いい加減に
                   起きなさい!!」
                   甲高い少女の声に、エドと呼ばれた少年は、煩そうに
                   ベットから起き上がった。
                   「・・・・・今起きるよ。」
                   ふあぁああああと、大きな口を開けて頭をポリポリ掻く
                   少年の後頭部に、スパナがヒットする。
                   「痛ってぇえええ!!おい!ウィンリィ!!危ねーだろ!!」
                   あまりの痛さに蹲りながら、涙目で後ろで仁王立ちしている
                   ウィンリィを睨みつける。
                   「アンタが寝坊するからいけないんでしょ!!今日は、
                   早く起こせって、昨日の夜、散々あたしに頼んだのは、
                   何処の誰よ!!」
                   その言葉に、エドは、ハッとして、慌てて目覚まし時計を
                   見る。時間は、何時もの起きる時間の15分過ぎ。
                   約束の時間まで1時間弱。何とか間に合う事に気づき、
                   エドはホッとしてウィンリィに謝る。
                   「・・・・起こしてくれたのに、怒鳴ってすまなかったな。」
                   ボソボソと言うエドに、ウィンリィは苦笑する。
                   「これくらい、大したことないわよ。」
                   ウィンリィはふと表情を緩めると、エドの身体を無理矢理
                   椅子に座らせて、長い黄金の髪を、手早く一本の
                   三つ編みへと纏めていく。
                   「1人で出来るって!」
                   真っ赤になってウィンリィを振り返るエドの頭を、ウィンリィは
                   容赦ない力で前を向かせると、編み終わった髪の毛を、
                   ゴムで留める。
                   「エド・・・・・本気なんだね。」
                   ウィンリィのエドの髪を持つ手が震える。
                   「ああ・・・・。漸く王城に入れるチャンスを掴んだんだ。
                   これを逃したら・・・・・。」
                   俯くエドを、ウィンリィは後ろから抱きしめる。
                   「エド!いえ!姫!!こんな事はもうやめましょう!」
                   ポロポロと涙を流すウィンリィに、エドは、苦笑する。
                   「心配性だなぁ。ウィンリィは。オレは、ただ下働きとして
                   潜り込むだけで、無茶はしねーよ。」
                   「でも・・・・・。」
                   心配そうなウィンリィに、エドは安心させるように微笑む。
                   「・・・・向こうには先に潜入している仲間がいる。オレが
                   無茶したら、あいつらの命が危ない。その辺の事は、
                   十分承知している。」
                   エドの言葉に、ウィンリィは溜息をつく。昔からこの幼馴染は、
                   一度言い出したら聞かない。
                   「判った。絶対に無茶しないでよ!」
                   半目で睨みつけるウィンリィに、エドが頷いた時、外から
                   聞きなれた声が聞こえ、ウンザリとした顔で、エドは
                   二階の窓からひょいと顔だけ出す。
                   「やあ!エド!おはよう。相変わらず君は可愛いね。」
                   白馬に乗って、にこやかにエドに向かって微笑むのは、
                   このフレイム国の近衛隊隊長だった。黒髪に黒目の、どこか
                   異国的な風貌に加え、出世コースをひた走る、若き隊長に、
                   この国の若い女は皆、熱い視線を送っている。だが、何を
                   トチ狂ったのか、この隊長が御執心なのは、目の前にいる、
                   金の瞳に黄金の髪を持つ、小柄な少年だった。
                   日に何度もエドの元を訪れては、熱烈なる愛の言葉を
                   吐き、それに我慢しきれなくなったエドが、隊長を殴るという
                   図式は、ここ1ヶ月に間、人々に定着した光景だった。
                   「オハヨウゴザイマス。隊長。良イオ天気デ。デハ、ゴキゲンヨウ。」
                   エドは棒読みのまま、隊長に挨拶を交わすと、窓を閉めようと
                   するが、隊長の一言で、窓を全開にして叫んだ。
                   「ああ。待っているよ。エド。一緒に登城しようではないか!」
                   「なんじゃそりゃあ〜!!」
                   真っ赤な顔で怒鳴るエドに、隊長は、クククと笑う。
                   「今日から君は城に上がるのだろ?ならば一緒に行こうと
                   誘っているんだ。さぁ、早く降りておいで。」
                   蕩けるような笑みを浮かべる隊長に、エドはベットの上にあった
                   枕を投げつける。
                   「誰が一緒に行くか!馬鹿!!」
                   「おや?君の枕を私に投げてくれるという事は、ついに私の
                   モノになってくれると承諾してくれたのだね?」
                   嬉しそうな顔の隊長に投げつけるものは他にないかと、エドは
                   見回すと、先程自分の後頭部を襲った、ウィンリィのスパナを
                   見つけ、嬉々として拾おうとするが、その手をウィンリィが慌てて
                   押さえ込む。
                   「それを投げたら、いくらなんでも、駄目よ!!」
                   「だって!!」
                   外からは、未だに隊長の愛の言葉が聞こえる。いい加減、エドの
                   堪忍袋は、切れそうだった。そんなエドに、ウィンリィは耳打ちする。
                   「それよりも、そろそろ行かないと初日から遅刻よ。」
                   その言葉に、エドは慌てて着替え始める。
                   「チクショー。あいつのせいで朝メシ抜きかよ〜!!」
                   半分涙目になるエドに、ウィンリィは、ハイと紙袋を渡す。
                   「こんな事もあろうかと、用意しておいたわ。空き時間に食べて。」
                   「ありがと〜!ウィンリィ〜!!」
                   大好きと抱きつくエドに、ウィンリィは、ふと真顔になると、耳元で
                   囁いた。
                   「くれぐれも注意してね。それから、絶対に性別を隠し通すのよ!!」
                   あの隊長の事だ。エドの性別がバレた時点で、即押し倒し、そのまま
                   妊娠させられるかもしれない。ウィンリィは、この時ほど、自分も
                   一緒に行けないことが悔しかった事はない。
                   「隊長は、上手く誤魔化しておくから、裏口から行きなさい。」
                   「恩にきるよ!!じゃあ、行ってくる!!」
                   エドはウィンリィに微笑むと、そのまま足音を忍ばせて、一階へと降りて
                   裏口に回る。
                   「よし!いないな!!」
                   そっと扉を閉めようとして、いきなり身体を持ち上げられて、エドは
                   悲鳴を上げる。
                   「うぎゃあああ!!」
                   「悪りぃな。これも上官命令なんだよ。」
                   その声に、エドは慌てて後ろを振り返って自分を持ち上げている男を
                   見た。
                   「よ!大将。」
                   ニヤニヤ笑っているのは、近衛兵、ジャン・ハボックだった。
                   「なっ!!離せよ〜!!」
                   エドは慌ててジタバタ暴れるが、ハボックは、ひょいっとエドの
                   身体を肩に担ぎ上げると、表にいる隊長に、手を振る。
                   「隊長〜。身柄を確保しました〜。」
                   「よし!ご苦労。ハボック。」
                   隊長は嬉々としてハボックに近づくと、両手を広げる。
                   「さぁ、おいで。エド。」
                   「い〜や〜だ〜!!」
                   ジタバタと暴れるエドの身体を苦もなく、ハボックは隊長に
                   引き渡す。
                   「絶対に、可愛い彼女を紹介してくれるんですよね!」
                   エドを隊長に渡しながら、ハボックは念を押す。
                   「ああ。任せておきたまえ。」
                   上機嫌にエドを受け取った隊長は、エドを抱きしめたまま、
                   馬の脇腹を蹴る。
                   「うわぁああああ!!」
                   いきなり走り出した馬に、エドは驚いて隊長の身体に
                   しがみ付く。
                   「はっはっはっ。もっと強くしがみ付いていたまえ!」
                   「ふ〜ざ〜け〜る〜なぁあああああああ。」
                   砂ぼこりを上げて王城へ向かう二人を、ウィンリィは
                   心配そうな顔で見送った。
                   「無理しないでね・・・・・。」
                   そんなウィンリィの様子を、ハボックはじっと見つめていた。







                   「さぁ、着いたよ。エド。」
                   城門を抜けた所で、ヒラリと馬から下りた隊長は、
                   息も絶え絶えのエドの身体を、軽々と馬から下ろす。
                   「し・・・死ぬかと思った・・・・・。」
                   地面にヘタリ込むエドの頭を、隊長はクスリと笑うと、
                   髪を優しく撫でる。
                   「すまなかったね。私としても、もっとゆっくり君との乗馬を
                   楽しみたかったのだが、遅刻するわけにもいかないのでね。」
                   今度ゆっくりとデートしよう。
                   隊長は、エドの三つ編みを手に取ると、軽く口付ける。
                   「触るな!!」
                   真っ赤になって怒鳴るエドを、隊長は大声で笑うと、馬を
                   置いてくるから、ここで待っていなさいと、そのまま馬舎の
                   方へと歩いていく。
                   「アンタなんか、大嫌いだー!!」
                   叫ぶエドに、クスクス笑いながら歩いていると、前方に、
                   厳しい顔をした女性が立っていた。長い金髪をバレッタで
                   後ろに留めた女性は、ドレスではなく、隊長と同じ近衛隊の
                   制服を着ていた。
                   「やあ、ホークアイ副隊長。相変わらず綺麗だね。」
                   ニコニコと笑う隊長に、ホークアイはきつい眼差しのまま、
                   微動だにしない。そんな彼女の態度に、隊長は、何も言わずに、
                   チラリと肩越しにエドを見る。
                   「今日から下働きをするエドだ。見かけたら、優しくして
                   やってくれ。」
                   そのままホークアイの横を通り過ぎようとした瞬間、ホークアイは
                   低く呟いた。
                   「本気であんな子供を利用なさるおつもりですか。あなたは。」
                   だが、隊長はニヤリと笑うだけで肯定も否定もしない。
                   「彼を職場に案内するから、少し遅れるよ。」
                   後は任せると、左手をヒラヒラさせながら立ち去る隊長の後姿を、
                   ホークアイは悲しそうな目で見つめていた。