月の裏側

              〜 Love Phantom 〜

            

 

                          第5話

  

 

                
                「はぁ・・・・・・。」
                エドは植え込みの影に、身を隠すように、座り込むと、隠してあった
                救急箱をガサゴソと取り出した。
                「参ったよな・・・・。全く・・・・。」
                エドは途中で汲んできた水を、右の腕にバシャバシャとかけて、
                泥を洗い流す。途端、傷が沁みて、エドは呻き声を上げる。
                「う〜〜〜〜〜。」
                エドは半分涙目になりながら、手早く水気をふき取ると、傷口を
                消毒する。途端、先程以上に激痛が走り、エドはのたうち回る。
                「い・・・急がないと・・・・。」
                エドは、痛みの為、震える手で、救急箱から、包帯と取ろうと
                手を伸ばすが、エドが包帯を取るよりも先に、誰かの手が
                包帯を取り上げる。
                「!!」
                驚いて、顔を上げるエドの前に、青褪めた表情のハボックが、
                立っており、エドは慌てて右腕を庇うように、後ろに隠す。
                「エド・・・・お前・・・・・。」
                痛いまでに鋭い目を向けるハボックに、エドは肩の力を抜くと、
                ニッコリと微笑んだ。
                「へへっ。ドジって、転んじゃって・・・・・。」
                そのまま、逃げ出そうとするのを、ハボックはエドの腕を捕らえて、
                自分の方へ引き寄せる。
                「何すんだよ!!」
                慌てて振り払おうとするが、右腕の激痛に、エドは思わずその場に
                蹲る。そんなエドを、ハボックは痛ましそうな顔で見下ろしていたが、
                やがて、何も言わずに手早く処置をし始める。
                「・・・・・誰にやられた?」
                低く呟くハボックの声に、エドはピクリと身体を揺らすが、何も言わずに
                黙りこむ。
                「普通に転んだくらいじゃ、こんな傷はつかん。・・・・・ナイフの傷だな。」
                尚も黙り込むエドに、ハボックは、深々と溜息をつく。
                「隊長絡みか?」
                「・・・・・ジャン。俺は転んだだけだ。」
                エドの言葉に、ハボックはカッとなる。
                「いい加減しろ!!このままだと、お前殺されるぞ!!」
                何で犯人を庇うんだ!!と叫ぶハボックに、エドはニッコリと笑う。
                「俺にはこれしかできない・・・・。」
                「エド?何言って?」
                訝しげな顔のハボックにこれ以上何も言われないように、エドは
                慌てて立ち上がる。
                「じゃあ、俺はこれで!!手当てありがとう!!」
                「おい!待て!!」
                エドは素早く身を翻すと、植え込みから飛び出していった。
                「ったく!あの馬鹿!!」
                ハボックは、イライラと頭を掻くと、救急箱を片付ける。そして、
                ゆっくりと立ち上がると、不機嫌な顔で近衛隊隊長の執務室へと
                足を向けた。
 





                「失礼します!・・・・あれ?隊長は?」
                執務室に入ると、そこには、ロイの姿はなく、ホークアイだけが
                いて、ハボックは尋ねる。
                「陛下の側よ。それよりも、何か隊長に御用?」
                ホークアイの言葉に、ハボックは一瞬どうしようかと悩む。
                本当は、ロイ本人に文句を言いたいが、それよりも、目の前の
                副隊長から言って貰った方が、何倍も効果があると思い直し、
                思いつめた顔で、ハボックはジッとホークアイに顔を向けた。
                「実は、エドの事で・・・・・・・。」
                「エド君のこと?」
                ハボックは神妙な顔で頷くと、口を開いた。
                「・・・・実は・・・・・。」









                「・・・・・ジャンにバレちゃうなんて、俺ってドジだよな。」
                ハボックから逃れたエドは、城の中にある、人口池の
                ほとりまでくると、膝を抱えて座り込んだ。
                できる事なら、この事は、ロイの耳には入れたくない。
                だが、ハボックに口止めをするという事は、怪我の原因が、
                ロイにあると認めるようなものだ。誤魔化し方をどうしていいか
                わからず、慌ててハボックから逃げ出したエドだったが、
                時間が経つにつれて冷静になっていくと、逃げ出した事が、
                ロイが原因だと言っているようなものだと気づき、エドは
                深い溜息を吐く。
                「何で俺がこんな事で悩まなくっちゃならねーんだよ!!」
                エドは足元にあった、石を拾うと、池に向かって投げる。
                「・・・・・俺、どうしたら良いんだろう・・・・・。」
                エドは悲しそうに呟く。
                城に潜り込んで、エルリック王家の秘宝のありかを探るという
                当初の目的は果たせず、気がつくと、ロイの為に色々と
                苦労させられる毎日に、エドは途方にくれる。
                結果的にロイを利用しているという心の呵責から、ロイの
                願いを出来るだけ叶えようと思ったのが、そもそもの失敗
                だったようだ。最初はモノを隠すという程度の嫌がらせだったのが、
                ロイにキスされた次の日から、だんだんと嫌がらせが陰湿に
                なってきたのだ。上から物が落ちてくる。部屋の前には、
                ネズミの死体。道を歩いていると、落とし穴に落ちそうになる。
                極めつけ、先程、数人の男達にナイフで脅されたのだ。
                ハボックではないが、徐々に命の危険性が高まってきている。
                ロイに一言相談した方がいいのかもしれないが、あのキスの一件
                以来、気まずくて、ここ数日エドはロイを避けていた。それに、相手は
                公爵令嬢他、数名の貴族の娘達。一介の近衛隊隊長では、
                太刀打ちできるはずもなく、下手すると、ロイ自身を窮地に追い込む
                事になりかねない。
                「そろそろ潮時か・・・?」
                だが、本来の目的を果たせないまま、城を出ていいのだろうか?
                それに、ロイとの約束の事もある。八方塞で、どうしたらいいか
                わからず、エドが再び溜息をついていると、後ろから、数名の気配が
                近づいてくるのを感じ、エドは相手に気づかれないように、そっと
                右手に石を忍ばせ、いつでも戦えるように、神経を背後に集中させる。
                「そこのお前、立ちなさい。」
                ヒステリックな声に、とうとう黒幕の公爵令嬢自らが出てきたのかと、
                エドはウンザリしながら、ゆっくりと立ち上がると、振り返った。
                自分の両脇を屈強なる男達で固めた公爵令嬢は、意地悪な笑みを
                浮かべ、優雅に扇で顔を半分隠す。
                「お前も強情ね。素直にここから出て行けば、手荒な事はしなかった
                のに。」
                「・・・・・・お言葉を返すようですが、恋愛は個人の自由。力で
                手に入れてもそれは・・・・・。」
                「お黙りなさい!この私に生意気にも意見する気なの!?」
                公爵令嬢は、手に持った扇を、エドに投げつける。
                「もう怒ったわ!お前たち、この子供をお前たちの好きにすると
                いいわ!二度とロイ様の前に立とうなんて、愚かな考えを持たないように
                してあげなさい。」
                その言葉に、男達は、卑下た笑みを浮かべて、エドに近づく。
                「そう簡単に、思い通りになるかよ!!」
                エドは手にした石を男達に投げつけると、一瞬怯んだ隙をついて、
                男達の間を通り抜けようとしたが、それは男達の罠で、自分達の
                前を通り抜けようとしたエドの腕を取ろうと、手を伸ばす。間一髪
                男達の意図に気づいたエドは、慌てて後ろにバック転で逃れたが、
                先程傷つけられた右腕の傷が障り、エドは痛みのあまり、その場に
                蹲った。
                「ふふ・・・。これまでね。」
                勝ち誇った公爵令嬢の声に、エドはキッと顔を上げると、男達が
                自分の身体に触れる前に、身を翻して、後ろの池に飛び込む。
                そのまま泳いで向こうの岸に行こうと、エドは手足を動かすが、
                肝心な事を忘れていた。普段、女であることを隠すために、
                きつく撒かれたサラシが、水を含んでさらにエドの胸を圧迫した
                のだ。あまりの苦しさに、エドの意識は徐々に薄れていく。
                ”このまま死ぬのかなぁ・・・・・・。”
                この時、薄れ行く意識の中で、最後に思い浮かんだ顔は、
                最愛の弟でも乳姉妹ではなく、何故かロイの穏やかな笑みだった。






                「エド!!」
                目の前の光景に、ロイは我を忘れて駆け出した。
                ホークアイからエドの怪我の事を聞き、慌ててエドの姿を
                捜していると、普段は人気もない人工池の方が騒がしいのに、
                気づいた。その時、何か胸騒ぎを感じ、ロイが慌てて池へ
                やってくると、男達に襲われ、エドが池に飛び込む所だった。
                直ぐに浮かび上がるのかと思ったが、何時まで経っても
                エドの姿が浮かんでこない事に、ロイは心臓が鷲掴みされた
                ような痛みを感じ、慌てて池に飛び込んだのだった。
                幸い、池の水を最近入れ替えた事によって、視界がクリアー
                されていたので、直ぐに底に沈むエドを追う事が出来た。
                ロイはエドの腕を取ると、自分の方に引き寄せ唇を重ね合わせると、
                エドに空気を送り込む。
                ”しっかりしろ!エド!!”
                焦る気持ちでロイはエドを抱えて水面から顔を出すと、ゆっくりと
                岸に上がる。
                「ロイ様!!」
                全身ずぶ濡れのロイに、公爵令嬢は、慌ててハンカチを差し出すが、
                その手をロイは乱暴に振り払う。
                「ロイ様?」
                唖然となる公爵令嬢に、ロイは殺気だった目を向けると、冷たく
                言い放つ。
                「貴様・・・・。私のエドを・・・・・。」
                ロイの本気の怒りに、公爵令嬢は、ガタガタと震え出す。
                「隊長!!」
                そこへ、漸くハボックとホークアイが駆けつけるが、ずぶ濡れの
                ロイと、ぐったりしているエドの様子に、何があったのか瞬時に
                悟った2人は、ガタガタと震えている公爵令嬢とそれに控える
                男達を、冷たい目で見据える。
                「こいつらを地下牢へ閉じ込めておけ!私はエドを連れて行く!」
                そう言うと、ロイはエドを抱き上げて、城の方へと駆け出した。
                後に残された二人は、ロイの命令に無言で動く。
                「わ・・私は公爵家の!!」
                ホークアイに連行されながら、ヒステリックに喚く令嬢を、ホークアイは
                銃を向けて黙らせる。
                「あなたこそ、公爵家にあるまじき行為。極刑は免れないと
                知りなさい!!」
                恐怖に目を見開く令嬢を一瞥したホークアイは、心配そうに
                小さくなるロイの後姿を見送った。





                「マルコーを、早く私の寝室へ呼べ!!」
                王のプライベート空間に位置する廊下を、ロイはエドを
                抱いたまま、足早に自分の寝室へと向かう。
                途中出会う女官達が、ずぶ濡れの王の姿に、驚きつつも、
                慌てて王の命令を遂行すべく、各自散っていく。
                バンと荒々しく扉を開けると、ロイは部屋の中央に置いてある
                キングサイズのベットに、そっとエドを横たわらせると、
                タオルでエドの身体を拭きながら、水に濡れた服を
                慌てて脱がしていく。タンクトップに手をかけた時、
                ロイはエドの身体に無数の傷と、腕の包帯に気づき、
                悲しそうに顔を歪ませる。
                「すまない。エド。私のせいだ・・・・・。」
                ロイは傷に障らないように、ゆっくりとタンクトップを脱がして、
                そこに思っても見なかった物を見て、気が動転して、
                茫然と立ち尽くす。
                胸を隠すようにきつく巻かれたサラシに、ロイは改めて
                エドの顔を見つめる。
                「・・・女だったのか・・・・・。」
                荒い呼吸に、きつく巻かれたサラシが水を含んでエドの胸を
                圧迫しているのだろうと、容易に想像できるが、果たして
                サラシを解いても良いのかと、一瞬躊躇するが、あまりにも
                苦しそうなエドの様子に、ロイは極力胸を見ないように
                気をつけながら、素早くサラシを解くと、布団を上に被せる。
                その一連の動作に、どっと疲れを感じて床に座り込んだ時、
                王専属の医師、ドクターマルコーが、慌てて入ってきた。
                「陛下!どこかお怪我を!!」
                「・・・私ではない。彼女を見てくれ・・・・。」
                力なく呟くロイに、マルコーは事態を察し、急いでエドに
                近づく。
                「池に落ちたんだ・・・・。それと怪我もしている。頼む。
                彼女を助けてくれ・・・・。」
                そう言うと、ロイはノロノロと部屋から出て行った。
                憔悴しきったロイの様子に、マルコーは、心を残しつつも、
                今は病人が大事と、ベットに横になっているエドの顔を
                覗き込む。次の瞬間、マルコーの顔に驚愕が走った。
                「エドワード様!?」
                マルコーは、震える手で、エドの頬に手を伸ばした。
    

                


                ロイは寝室から出ると、扉の前で立ち尽くした。
                「私は、どうしてこんな愚かな事を!!」
                ロイは力なく床に崩れ落ちると、ダンと床を拳で
                叩く。
                「・・・・陛下・・・・・。」
                床に蹲るロイを、処理を終えたホークアイが、
                悲しそうな瞳で見つめていた。