月の裏側

              〜 Love Phantom 〜

            

 

                          第8話

 

                「・・・・陛下。」
                遠慮がちな声に、ロイはゆっくりと目を開ける。
                顔だけ後ろに向けると、マルコーが、心配そうな顔で
                自分を見つめていた。
                「・・・・・下がれ。」
                さらにエドの身体を強く抱きしめるロイに、
                マルコーは、強い口調で言う。
                「陛下。そのままでは、いくら何でも、エドワード姫様が
                お可哀想です。」
                マルコーの言葉に、ロイはピクリと反応する。
                「可哀想・・・・?」
                「はい。せめて衣服を改めてあげたいのですが・・・・。」
                その言葉に、ロイは腕の中のエドを見ると、確かに、
                全身血だらけで、痛ましい姿だ。
                「こちらに控えているのは、教会の下働きの娘です。
                どうか、彼女に姫様を・・・・・。」
                「お初にお目にかかります。ロゼと言います。」
                マルコーは、後ろに控える女性をロイに、紹介する。
                「何故、エディを・・・・・・。」
                不機嫌なロイに、マルコーは、硬い声で言う。
                「陛下。エドワード姫様は、既に事切れております。
                これ以上、陛下の元に留めておくのは、陛下の為にも
                なりますまい。」
                「マルコー・・・・・。」
                ロイは、空ろの目でマルコーを見、次にエドの顔をじっと
                見つめた。
                「エディは死んだの・・・・か?」
                「・・・・はい。」
                ロイは、エドの頬を優しく撫でる。
                「だが、肉体はまだ柔らかいんだ。まるで生きているようだ。」
                「生前、心の清らかな人間は、死しても、まるで生きている
                ように、身体が柔らかいままだと聞き及んでおります。」
                辛そうなマルコーに、ロイはゆっくりとエドを抱き上げると、
                椅子から立ち上がる。
                「陛下!?」
                まだエドを離さないつもりなのかと、慌てるマルコーに、
                ロイはゆっくりと歩き出す。
                「・・・・私がエディを教会へ連れて行く・・・・・。
                私の唯一の妃として、静かに眠らせたい・・・・・。」
                ロイは、感情の篭らない目で、ロゼを一瞥する。
                「案内を。」
                「畏まりました・・・・・。」
                ロゼの先導の元、ゆっくりと部屋を出て行くロイの後姿を、
                マルコーは、厳しい目で見送った。









                


                「・・・・・ハボックは、まだみつからないか。」
                感情の篭らない目をしたロイは、玉座に座ると、目の前に控える
                ホークアイを睨みつけた。
                「既に三日が経過している。一体、何をしているのだ!!」
                ロイは苛立ちに玉座から立ち上がると、マントを翻し、
                扉へと向かう。
                「陛下!どちらへ!!」
                慌てて後を追うホークアイを、ロイは一瞥する。
                「私が行く!」
                ロイの言葉に、ホークアイは息を呑む。
                「お待ち下さい!今、陛下は冷静な判断を下せません!
                もしも、刺客に襲われたら・・・!!」
                「・・・・それがどうした?」
                ロイは立ち止まると、暗い目をホークアイに向ける。
                「エディのいない世界に生きて、何の価値がある?」
                ククク・・・・と笑うロイに、ホークアイは青褪める。
                「だが、今はまだ死ねない。ハボックを殺すまではな。」
                ニヤリと笑うロイに、ホークアイはガタガタと震え出す。
                それほどまでに、凄まじい殺気を放っているロイに、
                ホークアイは何も言えずに、その場に立ち尽くす。
                そんなホークアイを一瞥すると、ロイは足音も高く、
                部屋を出て行った。
                「・・・・・・・もう、陛下を救う事は出来ない・・・・。」
                ホークアイは辛そうに低く呟いた。












                「エディ・・・・・・。」
                当てもなく馬で街を彷徨っていたロイは、
                気がつくと、エドの家の前まで来ていた。
                つい最近まで、ここに通い詰めていたはずなのだが、
                もう10年も時が経ってしまったような気がして、
                ロイはそっと目を伏せる。
                「おや、隊長さんじゃないかい?」
                その声に、ロイがノロノロと振り向くと、エド達の家の
                隣に住むブラウン夫人が立っている。気の良い彼女は、
                エドとウィンリィを殊の外気に入っており、いつも
                世話を焼いていた。
                「・・・・・ブラウン夫人。お久し振りです。」
                憔悴しきった様子のロイに、ブラウン夫人は、心配そうな
                顔でロイを見る。
                「隊長さん。あんまり気を落としちゃいけないよ。なあに、
                エド君なら、直ぐに元気になって、戻ってくるからさ!!」
                その言葉に、ロイは驚いて夫人の顔を凝視する。
                だが、そんなロイの様子に気づかず、夫人はエド達の
                家を見つめながら、涙をハンカチで拭う。
                「あんなに、小さい子が病気だなんてねぇ・・・・。本当に
                可哀想だよ。一体、何の病気だったんだい?」
                「病気?」
                訝しげなロイに、夫人は首を傾げる。
                「違うのかい?2人の兄さんってのがそう言っていたけど?」
                「兄?」
                エドには、兄はいないはずだ。一体誰なのだ?
                困惑気味なロイに、ブラウン夫人は大きく頷く。
                「帽子を目深に被っていたから、良く顔を見なかったけど、
                咥えタバコの、なかなか良い感じの青年だったよ。」
                咥えタバコというキーワードに、ロイは反応する。
                ”まさか・・・ハボック?”
                そんなはずはない。
                否定しつつも、否定しきれないものがあり、
                ロイは内心混乱しつつも、情報を引き出すために、
                夫人に会話を合わせる。
                「いえ。私も詳しくは聞いていなくて・・・・それで、今日ここに
                来てみたのですが・・・・・。」
                「そうだったのかい。急な事でこっちも驚いたよ。何でも、
                田舎の新鮮な空気が身体に一番良いとかで、昨日の夜中、
                慌てて引越しちまうんだからねぇ・・・・・。挨拶もろくに
                出来なくて・・・・・・。」
                夫人の言葉を聞いて、ロイの手綱を掴む手が震える。
                「そう・・・ですか・・・・。そんなに急に・・・・。ところで・・・。」
                ロイは気を落ち着かせようと、何度も唾を飲み込む。
                「エドには逢いましたか?」
                強張った顔のロイに、夫人はニッコリと微笑んだ。
                「ああ。チラッとだけどね。少し顔色が悪かったけど、私に
                ニッコリと微笑んでくれたよ。」
                その言葉に、ロイは思わず目を閉じる。
                「隊長さん?」
                訝しげな夫人の声に、ロイは弱々しく微笑む。
                「何でもありません。私はまだ仕事が残っておりますので・・・。」
                ロイは、手綱を引くと、馬の脇腹を強く蹴る。
                「仕事頑張んなよ!!」
                後ろからかけられる声に応えず、ロイは、逸る気持ちを抑えつつ、
                ひたすら馬を教会へと走らせた。










                「陛下!これは死者への冒涜ですぞ!!」
                教会へとやってきたロイは、王の権限で、エドの棺を
                開けるように、墓守に命じているところ、慌てふためいた、
                アームストロング大司教が、やってきて、ロイを非難する。
                「・・・・大司教。大事な事なんだ。エディの死体を確認する。」
                「陛下。いくら陛下のご命令でも、これだけは聞けませぬ。」
                巨体で、エドの棺を隠すように、立ちはだかる大司教に、
                ロイは苛立ちを隠さずに、怒鳴りつけた。
                「どけ!!」
                「いいえ!どきません!」
                両者睨みあう中、最初に動いたのは、ロイだった。
                ロイは、発火布の手袋を大司教に向ける。
                「貴様もグルか?」
                「グル?一体、何の事ですかな?」
                ロイの目が細められる。
                「その棺にエディの死体はない。」
                ロイの言葉に、大司教は笑い飛ばす。
                「一体、何の根拠があって、そんな馬鹿な事を。」
                「では、私に見せられるはずだ。心にやましい事が
                ないのならば。」
                ロイの言葉に、大司教の眉が顰められる。
                「そこまでおっしゃられるのならば、宜しい。
                お気の済むように。」
                棺から離れる大司教を押しのけるように、ロイは
                棺の前まで来ると、墓守に目で合図する。
                恐る恐る墓守が棺を開けるのと同時に、ロイは
                身を乗り出して、中を見る。
                「・・・・・・やはり・・・な。」
                「これは・・・・どうして!!」
                ロイの後ろから覗き込んだ大司教も、あまりの事に
                声を出せない。棺の中には、薔薇の花が引き詰められて
                いるだけで、エドの遺体はなかった。
                「陛下・・・・。申し訳ありません。遺体を盗まれるなど。
                我輩の落ち度!!」
                滂沱の涙を流して、謝罪する大司教に、ロイは感情の
                篭らない目を向ける。
                「大司教、エディを安置してから今日まで、教会の中で
                突然行方不明になった人間はいないか?」
                「行方不明者ですか?いいえ?そんな人間はおりません。
                ただ・・・・昨日、下働きのロゼと申す娘に、田舎の母親の
                具合が悪いとかで、暇を出しましたが・・・・。」
                「・・・・ロゼ・・・だと?」
                ロイの目が鋭くなる。エドの死体を引き取りに来た娘が、
                確かロゼではなかったか?
                「陛下・・・?」
                戸惑う大司教を無視すると、ロイは顎に手を添えて、
                じっと考え込む。
                自分は、何かとんでもない事を見逃している。
                そう直感したロイは、ゆっくりと目を閉じる。
                どのくらいそうしていただろうか。
                やがて、ロイは目を開けると、ゆっくりと大司教を見る。
                「何でもない。エディの件は、他の誰にも洩れないようにしろ。」
                ロイは、そう命じると、足早にその場を後にした。









                城に帰ったロイが、一番先にした事は、マルコーを
                呼び寄せる事だった。
                「・・・・・お呼びと伺いましたが。」
                恭しく頭を垂れるマルコーを、ロイはじっと見据えた。
                「ドクター、正直に言ってくれないか?エディは本当に
                死んだのか?」
                その言葉に、マルコーは、ゆっくりと顔を上げると、
                迷いのない顔で大きく頷いた。
                「はい。エドワード姫様は、残念ながら・・・・・・。」
                「ドクター。」
                マルコーの言葉を遮ると、ロイはゆっくりと玉座から
                立ち上がる。
                「何故、あなたは、エドの本名を・・・・エドワード姫
                だと知っているのかね?」
                ロイの、言葉に、マルコーは、息を呑む。
                「確か、あなたは、父上とはご学友の間柄だったね。」
                ロイは微笑みを浮かべて、ゆっくりとマルコーに近づく。
                「あなたは父上と共に、フルメタル王国へ留学した
                経験もある。それに、フルメタル王国先代の王、
                ホーエンハイムの妹君である、エレナ妃がここに
                輿入れに来る際、我が国とフルメタル王国のパイプ役
                にもなった・・・・・。私とした事が、危うく騙されるところ
                だったよ。」
                ロイは、マルコーを見下ろすと、ニヤリと笑う。
                「あなたが、エディと顔見知りだったという可能性を
                見逃すなんてね・・・・・。」
                その言葉に、マルコーは、そっと目を伏せる。
                「ドクター。答えたまえ。エディはどこだ?」
                「陛下、何度でも申し上げます。エドワード姫様は
                既に・・・・・。」
                マルコーの言葉に、ロイは俯くと、突然片膝をつく。
                「陛下!?」
                驚くマルコーに、ロイは俯いたまま、懇願する。
                「ドクター・・・・・。ここにいるのは、王ではなく、
                1人の憐れな男なのだ。ただ、愛する人の安否を
                知りたいだけだ。何をしようと言うのではない。
                ただ・・・知りたい。エディが無事でいるのか・・・・。
                どうか・・・教えてくれ・・・・・。」
                肩を震わせるロイを、マルコーはジッと見つめて
                いたが、やがて溜息をつく。
                「陛下・・・・・エドワード姫様はご無事です。」
                「・・・・今、どこに・・?」
                ロイの言葉に、一瞬迷うように、目を逸らせると、
                マルコーは呟いた。
                「フルメタル王国へ向かっている頃かと。」
                その言葉に、ロイはゆっくりと立ち上がると、
                パチンと指を鳴らす。
                奥から出てくる兵士達に、マルコーは、ギョッとして
                ロイを見る。
                「良く言ってくれた。ドクター。」
                顔を上げたロイは、マルコーを見て、ニヤリと笑う。
                その、ロイの表情に、自分は騙されたと気づいたマルコーは、
                兵士達に取り押さえられながら、ロイに懇願する。
                「陛下!私はどうなっても構いません!!しかし!
                姫様だけはっ!!」
                「目障りだ。地下牢へ連れて行け。」
                「陛下!!」
                マルコーの悲痛な叫びを無視すると、ロイはゆっくりと
                玉座へと歩く。
                「まさか、皆グルだったとはな・・・・。」
                ククク・・・・・とロイは低く笑うと、ゆっくりと玉座に座る。
                「逃がさないよ。エディ・・・・・。」
                ロイは足を組むと、じっと扉を睨みつける。

      

 

               闇の中、二頭引きの馬車は、まるで何かに逃げるかの
               ように、疾走する。
               「ちょ!ジャン兄さん!!もう少しゆっくりと走れないの!!
               姫が!!」
               馬車の中から、少女の怒鳴り声が聞こえ、御者は、心持ち
               スピードを緩める。
               「ウィンリィ。時間がねぇんだ。早くキング・ブラッドレイ様の
               所に逃げ込まないと!」
               御者は、後ろを振り返ると、怒鳴り返す。
               「ったく!相変わらず兄さんは、計画性ってものがないんだから!」
               ウィンリィは、頬を膨らませると、隣で青い顔で座っている
               エドに、毛布をかけ直す。
               「エド、大丈夫?」
               心配そうに覗きこむウィンリィに、エドは弱々しく微笑む。
               「うん。まだちょっと薬が抜け切れてないから、ちょっと
               辛いけど・・・何とか大丈夫。」
               「そう?あと少しだから、頑張って・・・・・きゃああ!!」
               突然の、急停車に、何事かと、ウィンリィは、窓から顔を出すと、
               御者役である、兄に文句を言う。
               「ちょっとぉ!どうしたのよ!!」
               「シッ!!検問だ。」
               兄の言葉に、ウィンリィは青褪める。
               「いいか。なるべく顔を下に向けて、姫に毛布を被せろ。」
               コクリと頷くと、ウィンリィは、エドに頭から毛布を被せ、抱き寄せる。
               「大丈夫だから。」
               震えるエドの身体を抱きしめると、ウィンリィは、安心させるように
               呟く。
               「止まれ!!陛下のご命令で、ここから先を通すわけには
               いかん!!」
               「そりゃ、あんまりですよ。旦那〜。この馬車に乗っている方は、
               キング・ブラッドレイ様に仕える女官達ですよ。刻限に間に合わなくって、
               只でさえ焦っているのに・・・・。あっ、これ身分証明書。」
               外から聞こえる、兄と兵士のやりとりに、ウィンリィは、ますますエドの
               身体を抱きしめる。
               「キング・ブラッドレイ様の・・・・・。一応、規則だから、中を確認させて
               もらうぜ。」
               そう言って、兵士が窓からウィンリィ達を覗き込む。
               ”もう駄目かも!!”
               馬鹿兄!さっさと突破しなさいよぉぉおおおお!!
               ウィンリィが心の中で兄を罵倒していると、ククク・・・と笑う声が聞こえ、
               思わずウィンリィは顔を上げる。
               「ブレタさん!!」
               兄の親友のブレタに、ウィンリィは、顔を綻ばせる。
               「よっ!久し振りだな。ウィンリィ。姫を頼むぞ。」
               小声で呟いて、ウィンクするブレタに、ウィンリィは、泣きながら何度も
               頷く。
               「よーし!行っていいぞ!!」
               ブレタは、わざと大きな声で言うと、身分証明書を、御者に渡しながら、
               耳元で囁く。
               「ハボック。もう少し穏便に出来なかったのか?お陰でこっちは
               良い迷惑だ。」
               ハボックは、身分証明書を受け取ると、心持ち帽子を上に持ち上げて、
               ニヤリと笑う。
               「国に帰ったら、うまい酒でも奢るよ。それよりも、お前も気をつけろ。
               いよいよとなったら、直ぐに逃げろよ。」
               ブレタは、返事の変わりに、ハボックの腰を叩くと、早く行けと顎で
               指す。
               「ブレタさ〜ん!!」
               1人、馬車を見送るブレタに、他の馬車を検問していたフュリーが、
               青褪めた顔で走ってきた。
               「いいんですか!陛下から、誰だろうと、絶対にここを通すなと
               命令されているのに!」
               「・・・・仕方ねぇだろ?キング・ブラットレイ様の馬車なんだから・・・。
               身分証明書も本物だったし、問題ねぇだろ。」
               ブレタはニッと笑うと、フュリーの肩を叩く。
               「ほれ。仕事に戻るぞ。」
               笑いながら、立ち去っていくブレタを、フュリーは心配そうに見ながら、
               後ろを振り返った。
               「本当に・・・・・いいんでしょうか・・・・・。」
               猛スピードで小さくなっていく馬車に、フュリーは、言い知れぬ不安を
               感じ身震いした。