月の裏側

              〜 Love Phantom 〜

            

 

                          第10話

  




 

                これほどまでに、人を殺したいと思った事はなかった。








                「随分と早いご到着で・・・・・・・。」
                エドを追いかけようと、愛馬の元へ戻って来たロイを、
                咥えタバコの男が、ニヤニヤと笑いながら、待っていた。
                「・・・・・・ハボック・・・貴様!!」
                ロイの顔がサッと強張る。
                「マスタング王ともあろう方が、護衛もなしですか。
                随分と物騒ですね。」
                まるで天気の話をするように、気軽に話しかけてくる
                ハボックに、ロイはカッと頭に血が上って、発火布の
                手袋を翳す。
                「ああ、そうそう。この辺り一体には、【鋼姫】特製の
                錬金術を中和させる結界が張られていますので、
                それ、無駄ですから。」
                フーとタバコの煙を吐き出すハボックに、ロイはまさかと
                思い、指を擦り合わせるが、焔が出せない事に気づき、
                唖然となる。
                「・・・・で?陛下御自らここに来たということは、
                【鋼姫】抹殺ですか?」
                「違う!!」
                ハボックの言葉を、ロイは激しく否定する。
                「ハボック!私にエディを返せ!!」
                必死な様子のロイに、ハボックは鼻で笑う。
                「返せ?一体、何時から姫はアンタのものになったの
                ですか?彼女を利用することしか考えていないアンタ
                が、今更何を言っているんですか。」
                呆れた顔のハボックを、ロイは睨みつける。
                「エディはどこだ・・・・・。」
                低く呟くロイに、ハボックも受けて立つ。
                「俺が、居場所を言うとでも?」
                「力づくでも、吐かせてやる!」
                ロイはゆっくりと剣を抜くと、ハボックに構える。
                そんなロイに、ハボックは口元を綻ばせる。
                「止めましょうよ〜。お互い無傷じゃいられませんよ。」
                「もとより、怪我などに構ってられるか!私は
                エディを必ず取り戻す!」
                ロイの殺気に、ハボックは真顔になる。
                「取り戻して・・・・それでアンタは満足かもしれない。
                だが、姫の気持ちはどうだ?」
                「エディの・・・・気持ち・・・・・?」
                眉を寄せるロイに、ハボックは一歩近づく。
                「アンタは、確かに姫を愛しているのかもしれん。だが、
                アンタは一度でも姫の気持ちを考えた事があるのか?」
                「それは・・・・・。」
                動揺するロイに、ハボックはゆっくりと剣を抜きながらロイに
                歩み寄ると、その喉元に、剣を突きつける。
                「アンタは、いつも己の感情しか考えない。人はなぁ、
                一人一人心ってもんがあるんだよ!」
                ハボックは、ジッとロイを睨みつける。
                「アンタが姫にしてきた仕打ちを思い出してみろ。あんな
                仕打ちをされて、姫がアンタを好きになる訳がないだろ?」
                ハボックの言葉に、ロイは崩れるようにその場に座り込む。
                「・・・・お願いだ。彼女に逢わせてくれ・・・・・。」
                ロイの懇願に、ハボックはピシャリと言う。
                「駄目だ。どこの世界に、自分の婚約者を他の男に逢わせる
                馬鹿がいる?」
                あざ笑うハボックの言葉に、ロイは驚いて顔を上げる。
                「婚約者・・・・だと・・・?」
                「ああ・・・・。代々ハボック家の男は【鋼姫】の【夫】となるべく
                存在している。」
                その言葉に、ロイはハボックを睨みつける。そんなロイに、
                ハボックは勝ち誇った笑みを浮かべる。
                「エディがお前を愛しているとでも?」
                「少なくとも、アンタより俺の方が姫に好かれていると思うが?
                第一、アンタから逃げている姫の態度で、それがわかるだろ?」
                姫が選んだのは、俺で、アンタじゃない。
                その言葉に、ロイはカッとなって、持っていた剣で、ハボックの
                剣を薙ぎ払う。そして、素早く立ち上がると、ロイはハボック
                目掛けて剣を突くが、ロイの動きを予想していたハボックは、
                余裕すら感じる動きで、ロイの剣を交わす。
                「【怒らせてこれを乱せ】アンタの口癖だろ・・?」
                ハボックは、まるで舞うように、後ろに跳び退ると、間合いを
                取りつつ、後ろに下がる。
                「一ヵ月後、儀式によって、姫は完全に【鋼姫】となる。」
                ハボックの言葉に、ロイの動きが止まる。
                「その時、俺は姫と結婚する。」
                「ハボック!!」
                怒りの形相のロイに、ハボックは、無表情で見つめる。
                「アンタは姫の事を何も知らない。【鋼姫】の事も・・・・。」
                「ハボック・・・・?」
                ハボックは、溜息をつくと、ロイの愛馬に跨る。
                「おい!ハボック!!」
                焦るロイに、ハボックはニヤリと笑う。
                「完全に【鋼姫】が復活したら、もうフルメタル王国は他国の
                侵略を受ける事はない。俺達は、国でひっそりと暮らしていく。
                ・・・・・あんたは、もう姫の事を忘れ、リザ姫と仲良く暮らすんだな。」
                ロイの愛馬は、突然見知らぬ男に乗られ、狂ったように
                暴れだす。だが、ハボックは慌てず、実に的確に手綱を
                捌くと、だんだんと落ち着いてきたのか、馬は大人しくなった。
                「・・・・それでは、陛下。御機嫌よう。」
                ハボックは、馬で数歩行きかけたが、立ち止まると、ポツリと
                呟いた。
                「・・・・・アンタの本気の恋、見届けさせてもらう。」
                ハボックは、一度肩越しで振り返ると、馬の脇腹を強く蹴って、
                馬を走らせた。
                「・・・・・・私は絶対にエディを諦めん!!」
                走り去るハボックの後姿に向かって、ロイは絶叫した。









                「・・・・・・・ロイ。」
                そんなロイの姿を、木々の間から、エドが悲しそうな顔で
                見つめている事に、ロイは気づかず、じっとハボックが立ち去った
                方角を睨みつけていたが、やがて、クルリと踵を返す。
                数歩行きかけたところ、エドに渡した指輪がポケットから
                転げ落ちた事に気づいたロイは、立ち止まるとゆっくりと拾う。
                その時、目の端に、何か白いものが映ったので、何の気なしに、
                そちらに目を向けると、そこに立っている人物が誰で
                あるか気づき、驚愕に目を見開く。
                「・・・・エディ・・・・・?」
                「!!」
                白いネグリジェに赤いショールを纏っただけのエドの姿に、
                ロイは一瞬惚けていたが、エドが青褪めた顔で身を翻して
                逃げ出した為、我に返ったロイは、慌てて後を追う。
                「エディ!行くな!!エディ!!」
                森の中に逃げ込むエドの後姿を、ロイは必死になって
                追いかける。何度も捕まえられそうになるが、スルリと
                すり抜けていくエドに、業を煮やしたロイは、発火布の手袋を
                嵌めた右手を、前方に翳す。どうやら、【鋼姫】特製の
                錬金術を中和する結界は、城の中だけのようで、今度は
                簡単にロイは焔を生み出すことが出来、エドの前方に、
                小規模な爆発を起こす事に成功する。
                「きゃああああ!!」
                「エディ!!」
                バランスを崩して後ろに倒れこむエドの身体を、ロイは
                強引に引き寄せると、きつく抱きしめた。
                「エディ!エディ!!」
                もう二度と離さない!
                そう耳元で叫ばれ、エドは慌てて抵抗を試みる。
                「離せ!俺はそんなつもりじゃ!!」
                「・・・・・では、どういうつもりだ?」
                底冷えするような、ロイの低い声に、エドは反射的に
                身体を震わせる。
                「すまない・・・・。君を恐がらせるつもりではないんだ・・・。」
                ロイはエドをますます抱き寄せると、エドの顎を取り、
                深く口付ける。
                「!!」
                驚いてエドが身体を硬直させているのを良い事に、ロイは
                思い存分エドの唇を味わう。
                「良かった・・・・。生きている・・・・・。」
                名残惜しげにロイはエドから唇を離すと、そっとエドの心臓に
                耳を当てながら、エドの身体を抱きしめる。
                「・・・・・・離して。」
                エドの呟きに、ロイはますます抱きしめる力を強める。
                「嫌だ。」
                「離せよ!!」
                「絶対に嫌だ。」
                エドは溜息をつくと、ポツリと呟いた。
                「・・・・・・・俺はアンタが・・・・・・嫌いだよ。」
                「エディ?」
                ハッと顔を上げると、エドがポロポロと涙を流しており、
                ロイは思わず腕の力を緩める。その隙を見逃さず、エドは
                ロイの腕から逃れると、数歩後ろに下がる。
                「エディ。それでも、私は君を愛している。」
                ロイの悲痛な叫びに、エドは辛そうに顔を歪ませると、
                パンと両手を叩くと、そのまま地面に手をつく。
                「・・・・・錬金術を中和させる結界を張った。もう、アンタに
                焔は出せない。」
                ロイはゆっくりとエドに近づく。
                「エディ。お願いだ。私の妃になってほしい・・・・。」
                「・・・・嫌だ。」
                エドは首を振りながら後退る。
                「エディ・・・。確かに、私は君に対してひどい事をしてきた。」
                ロイはゆっくりとエドに手を差し伸べる。
                「だが、君を愛する気持ちに偽りはない!!」
                エドに手を伸ばそうとして、見えない壁に阻まれている事に
                気づいたロイは、さっと顔を青褪める。
                「エディ!!」
                ダンと拳で見えない壁を壊そうとするが、壁が壊れる事は
                なかった。
                「エディ!では、どうして私の元に戻ってきた!?」
                君も私と同じ気持ちを抱いたからではないのか!!
                泣きながら、何度も見えない壁を叩くロイに、エドは
                俯くと、ギュッと手を握り締める。
                ”言わなくちゃ・・・・・。”
                最初、ウィンリィと共に、ハボックの用意した馬車に
                乗り込み、城から出ようとしたのだが、どうしても、ロイの
                事が気になり、気がつくと、疾走する馬車から身を躍らせて、
                飛び降りていた。幸い、草がクッション代わりとなり、擦り傷
                だけですんだのだが、それよりも、一目だけでもロイに
                逢いたい気持ちで、エドはウィンリィとロゼが止めるのも聞かず、
                再び城へと戻ったのだ。そこで、ハボックとロイの会話で、
                ロイが愛しているのが自分だと知り、エドは本当に嬉しかったのだ。
                しかし、自分は【鋼姫】。
                ロイの手を取るには、自分の置かれた立場が許してくれない。
                だったら、自分の取るべき道は一つ。
                エドは流れる涙を乱暴に拭うと、顔を上げ、ロイに微笑むかけた。
                「ロイ・・・・俺は・・・・【鋼姫】なんだよ・・・?」
                「だから?だからそれがどうした!!私が求めているのは
                君だけだ!君しかいらない!!」
                ロイは、悔しそうに唇を噛み締める。この見えない壁さえなければ、
                今すぐエドを抱きしめて、不安になどさせないのに。
                もう、二度と離さないのに!!
                ロイは、何度も壁を叩く。
                「エディ!私の話を聞いてくれ!!」
                そんなロイに、エドは、首を横に振る。
                「俺は・・・・もうすぐ完全な【鋼姫】になるんだ・・・・・。完全な
                バケモノに・・・・・。」
                「君はバケモノではない。」
                ロイの言葉に、一瞬、エドは嬉しそうに微笑むが、直ぐに視線を
                逸らすと、クルリとロイに背を向ける。
                「もう、俺の事は忘れてくれ・・・・。リザ様とお幸せに。」
                「エディ!!」
                ロイの悲痛な叫びに、エドは両耳を塞ぐと、闇の中を駆け出す。
                ”もう・・・俺の事は忘れて!!”
                エドが泣きながら森を抜け出ると、そこには、白馬に跨った、
                ハボックが、優しい微笑みを浮かべて、待っていた。
                「ジャン兄・・・・・・。」
                ポロポロと涙を流すエドに、ハボックは馬から降りると、ゆっくりと
                エドに近づくと、その身体を抱きしめる。
                「・・・・・・別れは済んだのか?」
                その言葉に、エドは泣きながら、ただ頷いた。
                「・・・そっか。」
                ハボックはポンポンとエドの頭を優しく叩くと、エドが泣き止むまで、
                ただ優しく抱きしめていた。









               「エディ!!」
               エドに去られたロイは、泣きながら、何度も壁を叩く。
               「【鋼姫】だからだと?そんな理由で、私が納得するとでも
               思っているのか!!」
               自惚れではなく、エドも自分の事を想っているとロイは確信していた。
               口では別れを言っても、エドの涙に濡れた瞳は、ただ一心に
               ロイだけを求めていたではないか。
               「完全な【鋼姫】になるまで、あと1ヶ月・・・・・。」
               ロイは空ろな目で呟く。
               そして、その日が、ハボックとエドの結婚式だと、ハボックが言った。
               「例え、どんな手を使っても、私は諦めたりしない。」
               ロイは、決意に満ちた目で、エドが立ち去った方を見つめる。
               「それで君が傷付いても、私は自分の想いを消す事はできない。
               私は・・・・父上と母上のようには、決してならない・・・・・・。」
               愛する者を必ず自分の腕の中に。
               ロイはそう呟くと、ゆっくりと立ち上がり、城へと踵を返した。