月の裏側

              〜 Love Phantom 〜

            

 

                          第12話

 

 

            

           ロイの親書を受けて2週間後、アルフォンスは姉を伴って、
           フレイム王国へ入った。人払いしているのか、通された謁見の間に
           兵士の姿はなく、ただ1人、ロイだけが不敵な笑みを浮かべて、
           玉座に座っていた。
           ”この男は、本当に姉を幸せに出来るのか?”
           アルは不躾にならない程度に、ロイを見つめながら、渋々と
           姉を伴って、前に進み出ると、部屋の中央で、立ち止まり、
           臣下の礼を取る。
           「やはり・・・な。」
           玉座に座ったロイは、目の前で頭を垂れる、フルメタル王国の
           国王、アルフォンス・エルリックと、頭からヴェールを被ってそれに
           倣う、姉姫のエドワード・エルリックを、見据えると、クスリと笑う。
           「遠路はるばる、贋物を連れて来て、一体、どういうつもりなのかね?
           アルフォンス。」
           謁見の間に、ロイのあざ笑う声が響き渡り、アルフォンスは、ゆっくりと
           顔を上げる。
           「・・・・一体、何の事でしょうか?」
           さり気なく後ろにいる姉を庇いながら、アルは強張った表情で、
           じっとロイを見据える。
           「ほう?この期に及んで、まだ白を切ると?」
           ロイは、ゆっくりと玉座から立ち上がると、アルフォンスの目の前まで
           歩く。そして、アルの後ろにいる姫のヴェールを乱暴に引き剥がすと、
           冷酷な笑みを向ける。
           「久しいな。ウィンリィ嬢。」
           ヴェールを取られたウィンリィは、一瞬青褪めて俯いたが、やがて毅然と
           顔を上げると、引き攣った笑みを浮かべる。
           「お久し振りです。隊長。いえ、陛下・・・とお呼びしたほうが?」
           ウィンリィは、ゆっくりと立ち上がると、ロイを睨みつける。
           勝気なウィンリィの様子に、ロイはクスリと笑うと、恭しくウィンリィの
           手を取り、扉に向かって鋭く叫ぶ。
           「衛兵!この者を連れて行け!!」
           途端、数人の衛兵が、扉から入ってくると、ウィンリィの両脇を拘束して、
           謁見の間から出て行く。
           「ウィンリィ!!」
           慌てて立ち上がり、ウィンリィの後を追おうとしたアルフォンスだったが、
           行く手をロイに邪魔され、ロイを睨みつけた。
           「ウィンリィをどうするつもりですかっ!!」
           アルの剣幕に、ロイはただ面白そうに笑う。
           「アルフォンス。君は未だに自分の・・・・いや、フルメタル王国の立場と
           いうものを、分かっていないようだね。君は私に絶対の忠誠を
           誓ったのではないのか?」
           ロイは冷たくアルを見下ろす。
           「それとも、一年前の事を、もう一度再現するかね?」
           どんなに物覚えが悪かろうとも、また同じ事を繰り返せば、嫌でも
           覚えるだろう。誰に忠誠を誓ったのか。
           その言葉に、アルは屈辱のあまり、小刻みに震える。
           今から、一年前・・・・・。
           全てを焼き尽くす焔を前に、膝を折ったのは、
           即位したての若きフルメタル国国王、アルフォンス・エルリック。
           焔を放った隣国、フレイム国国王、ロイ・マスタングに、
           アルフォンスは、射殺さんばかりの視線を送りつつ、
           形の上では、絶対の忠誠を誓ったのだ。
           「さて、アルフォンス。」
           支配者特有の笑みを浮かべ、ロイはアルフォンスに命令する。
           「絶対の忠誠の証として、君の姉君を、人質として、
           差し出してもらおうか。今度こそ本物の【鋼姫】を・・・・・。」
           ピクリと身体を振るわせるアルフォンスに、ロイはニヤリと笑う。
           自分の正妃にという願いを無視されたのだ。
           ならば、有無を言わさず、人質として差し出してもらおうか。
           「貴様に拒否権はない。」
           ロイの言葉に、アルフォンスはギリリと奥歯を噛み締めると、
           無言で頭を下げる。
           「では、下がれ。」
           アルフォンスは、無言で頷くと、静かに謁見の間から出て行く。
           その後姿を、満足気に見送ると、ロイは人知れず微笑む。
           「一体、どういうおつもりですか?陛下。」
           そんなロイに、半ば呆れながら声をかける者がいた。ホークアイは
           青褪めた表情で、ロイに非難めいた視線を向ける。
           「リザか・・・・。」
           くくく・・・・と、暗い笑みを浮かべながら、ロイはリザに笑みを浮かべる。
           「私は己の感情に正直になっただけだ。」
           「・・・・・・・お戯れが過ぎますと、今度こそ本当に全てを失いますよ?」
           折角玉座に上り詰めたのに、失脚したくはないでしょう?と言外に語る
           リザの言葉に、一瞬、ロイの瞳に後悔の念が過ぎったが、直ぐに不敵な
           笑みを浮かべると、ゆっくりと玉座へと向かう。
           「失う?失うものか・・・・。今度こそ・・・・・。」
           ロイは冷ややかな目をリザに向けると、静かに命じた。
           「一ヵ月後に【鋼姫】との婚礼を行う。邪魔するものは、全て排除しろ。
           そう。それが例え父上・・・・前王だとしても。」
           その言葉に、リザは息を呑む。
           この男は本気だ。
           本気で今度こそ自分の父親を亡き者にする気だ・・・・・。
           ごくりと唾を飲み込むと、リザは、震える身体を叱咤しながら、何とか敬礼を
           すると、まるで逃げるようにその場を後にする。





           「許さない。私からエディを奪うものは・・・・・。」
           ロイは暗い表情でじっと虚空を見つめた。








           どうすればいいのだろう・・・・。
           謁見の間を退出したホークアイは、混乱する頭で足早に
           廊下を歩く。
           「ホークアイ副隊長。丁度良い所に!」
           ふと、ホークアイが顔を上げると、向こうから、ほっとしたような
           顔で、女官の1人、マリア・ロスが走ってくるのに気がついた。
           「マリア・・・?どうしたの?」
           訝しげな視線のホークアイに、マリアは表情を曇らせると、
           さっと辺りを見回して、誰もいない事を確認する。
           「実は・・・・少し気になる事があって、ご相談したかったんです。」
           小声で話すマリアに、ホークアイの眉が顰められる。
           「はい。ここでは言いづらいので、こちらに・・・・・。」
           若干怯えた顔のマリアに、ホークアイは重々しく頷くと、マリアの
           後に続いた。
           「こちらで。」
           使用されていない部屋の前までくると、マリアは扉を開け、
           ホークアイに中に入るように促す。ホークアイが頷いて中に入ると、
           月明かりの中、窓辺に佇む金髪の背の高い男が佇んでいる
           事に気づき、ホークアイは反射的に後ろを振り返る。
           「お静かに。」
           先程とは打って変わって厳しい表情で、マリアはホークアイに
           銃を突きつける。
           「私に脅しが通用するとでも?」
           ギロリと睨みつけるホークアイに、マリアは、ふと表情を和らげる。
           「いいえ。ホークアイ副隊長の凄さは、良く存じ上げております。」
           「あー、マリアを叱らないでくれれないか?俺が頼んだ事だから。」
           緊迫した空気の中、ホークアイに、男は気軽に声をかける。
           トレードマークのタバコをピクピク動かしながら、男は、ホークアイに
           近づく。
           「お久し振りッス!副隊長!」
           おどけて敬礼をする男に、ホークアイは、溜息をつくと、男に向き直る。
           「あなたの事は、陛下から聞きました。エドワード姫暗殺者から、
           一転、エドワード姫誘拐者として、今陛下のブラックリストナンバー1に
           輝いているわ。」
           おめでとう。と、にこやかに笑うホークアイに、ハボックは、参ったなぁと
           頭を掻く。どうやら、相当ホークアイの機嫌が悪いようだ。
           「あー・・その・・・陛下は他に何と?」
           「・・・・エドワード姫の婚約者だそうね。」
           視線を逸らすホークアイに、ハボックは溜息をつく。
           「・・・・その事で、俺はホークアイ副隊長・・・いえ、リザ姫に頼みが
           あるんですよ。」
           「・・・・私に陛下を裏切れと?」
           チラリとホークアイはハボックを見る。
           「んー?ビミョーに違うかな?」
           どこまでも本心を見せない男に、ホークアイは溜息をつく。
           「私が決して陛下を裏切らないという事は、知っているでしょう?」
           ホークアイは、一歩ハボックに近づきながら、ゆっくりと腰のホルダーに
           手を伸ばす。
           「!!」
           慌てるマリアを、ハボックは目で制すると、両手を広げてホークアイを
           待つ。そんなハボックに、ホークアイは銃を手に取ると、ゆっくりと
           ハボックの額に突きつける。
           「だから、教えて。私が取るべき行動を。」
           ホークアイに言葉に、ハボックはニヤリと笑うと、ホークアイを抱きしめる。
           「取り合えず、俺と駆け落ちしてくれませんか?」
           「・・・・・エドワード姫と逢えるなら。」
           その言葉に、ハボックはホークアイを抱き抱えると、バルコニーに続く
           窓から外に出る。
           「しっかり捕まっていろよ!!」
           自分にギュッとしがみ付くホークアイの身体を抱きしめながら、月をバックに、
           バルコニーから身を躍らせた。
           一部始終を見つめていたマリアは、窓を閉め、まるで何事もなかったかのように、
           落ち着いた歩調で、部屋を後にする。後には、テーブルの上に置かれた手紙が
           月明かりのなか、闇の中に浮かび上がっていた。





           「全く!ふざけおって!!」
           朝早く届けられた手紙を、ロイは握りつぶしながら、ウィンリィを監禁している
           部屋へと急いでいた。
           「これは一体、どういう事だ!!」
           バンと音を立てて開けられた扉に、朝食を取っていたウィンリィは、
           慌てるふうでもなく、それどころか、ロイの手に握り締められている手紙を
           一瞥すると、ニヤリと笑う。
           「レディの部屋に入るときは、ノックをするべきじゃないの?」
           そう言って、ウィンリィは朝食を再開する。そんな彼女に、ロイは大股で
           近づくと、バンと机を叩く。
           「この手紙はどういうことだ?」
           怒り心頭のロイに、ウィンリィは煩そうな顔でロイを見る。
           「・・・・字が読めないの?」
           途端、部屋の中の空気が氷点下に下がる。
           「貴様・・・!!」
           「書いてある通りよ。私に危害を加えれば、リザ姫がどうなるかわからない。
           そう、兄さんの手紙に書いてあるでしょ?」
           ウィンリィは、紅茶を飲み干すと、じっとロイを見つめた。
           「兄さん?」
           「ジャン・ハボックは、私の兄なの。」
           ウィンリィの言葉に、ロイは息を飲む。
           「君は、ウィンリィ・ハボック?」
           その言葉に、ウィンリィは、首を横に振る。
           「違うわ。私の名前はウィンリィ・ロックベル。ただの機械技師の家に
           生まれた一平民よ。うちの両親、母親がハボック家の1人娘だったんだけど、
           父と駆け落ちしたのよ。で、和解の条件が、生まれた男の子をハボックの
           家に戻す事だったらしいわ。それが、ジャン兄さん。私、つい最近まで
           全然そんな事知らなくって、いきなりハボック家から姫の遊び相手に
           と打診された時は、本当に驚いたわ〜。」
           ケラケラと笑うウィンリィに、ロイは咳払いをする。
           「で?一体、いつリザを返してくれるのかね?第一、何故リザを浚った?」
           ロイの質問に、ウィンリィは、ただ微笑むだけだ。
           業を煮やしたロイが、ウィンリィを更に追求しようとした時、ポツリと
           ウィンリィが呟いた。
           「例えば、リザ姫とエドが同時に崖から落ちそうになったとして、陛下は
           どちらを助ける?勿論、両方って答えはなしね!どっちか1人しか
           命を救えなかったら、どちらを助けるのかしら?」
           ウィンリィの問いかけに、ロイは即答する。
           「エディとリザなら、私が助ける前に、自力でなんとかすると思うが、
           あえて、どちらかしか助けられないとすれば、それは勿論リザだな。」
           その答えが意外だったのか、ウィンリィは、一瞬驚きに目を見張るが、
           そっと悲しそうに目を伏せる。だが、続くロイの言葉に、ウィンリィは
           慌てて顔を上げる。
           「もっとも、リザを助けた後、私はエディと共に崖から落ちるがな。」
           「・・・・・何故?」
           じっと自分を凝視するウィンリィに、ロイは苦笑する。
           「私はエディだけを愛しているから。」
           「・・・・・だったら、普通、エドを助けるんじゃないの?」
           不審そうな顔をするウィンリィに、ロイは息を吐くと、じっとウィンリィを
           見つめる。
           「エディは、自分が助かる為に、他者を犠牲にするのを何よりも嫌がる子
           だよ。」
           ロイの言葉に、ウィンリィは、ハッと息を飲む。
           「それに、エディがいない世界に私は生きていても仕方ないんだ。」
           ロイは、深く溜息をつくと、ジッとウィンリィを見据えた。
           「そろそろ、君の真意が知りたいのだが?」
           「真意・・・?」
           ピクリとウィンリィは、反応する。
           「リザがそう簡単に浚われるなどありえない。勿論、彼女が私を
           裏切る事もありえん。ならば、答えは一つしかない。私の為に、
           業とハボックに付いて行ったんだろう。」
           違うかね?と問うロイに、ウィンリィは、ロイを見据えたまま口を開く。
           「随分、リザ姫を信用しているんですね。一体、あなたと彼女はどういう
           関係なんですか?」
           「・・・・私とリザは従妹というより、同志なのだよ。幼い頃からずっと
           一緒で、リザは私の母であり、姉であり、妹だった。」
           ロイは静かに目を閉じる。
           「エディとは別の意味で、愛しい人だよ。」
           「・・・・・陛下、あなたは、リザ姫とご結婚なされるべきです。」
           ウィンリィの言葉に、ロイは自嘲する。
           「私もつい最近まで、そう思っていた。いや、自分に言い聞かせていた。
           それが一番正しい事だと。・・・・・・だがね、それでは、駄目なのだよ。」
           「どういうことですか?」
           訝しげなウィンリィに、ロイは真剣な表情で答える。
           「私の魂がエディを求めている。彼女でなければ駄目なんだ・・・・・。」
           血を吐くような思いで告白するロイを、ウィンリィは静かに見つめながら、
           ポツリと呟いた。
           「私がここに来たのは・・・・・・見届ける為なんです。」
           「見届ける?」
           ロイは眉を顰める。
           「あなたが、【鋼姫】の真実を知ってもなお、エドを愛し続ける事が
           出来るのか。」 
           そこで一旦言葉を区切ると、ウィンリィはロイを見つめる。
           「真実を知る勇気がありますか?」
           真剣な表情で頷くロイに、ウィンリィは目を閉じると口を開いた。
           【鋼姫】の悲しい話を伝えるために。







           「・・・・・・エドワード姫。」
           ハボックに連れられてフルメタル王国とフレイム王国の境にある
           【真理の森】の中にある城に、ホークアイは足を踏み入れた。
           ハボックの案内でサンルームにやってきたホークアイは、
           そこで、エドワードの姿を見つけ、恐る恐る声をかける。
           城の中で一番暖かいそこに、エドは長いすの上に横になり、
           ボンヤリと、窓の外を眺めていたが、ホークアイの声に、
           驚いて椅子から立ち上がろうとしたが、左足を動かそうとした
           エドは、バランスを崩して、椅子から転げ落ちる。
           「エドちゃん!!」
           慌ててホークアイはエドに駆け寄ると、エドの身体を助け起こす。
           「エドちゃん!?大丈夫!!どこか怪我は・・・・・・。」
           左足に怪我でもあるのかと、ホークアイは慌ててエドの
           左足に手を触れたが、ありえない固さと冷たさに、思わず
           ドレスの端を捲り、左足に触れてみた。
           「これは・・・!!」
           見た目は普通の足。しかし、血が通っていないのか、まるで
           死人のように冷たく、感触も固かった。
           「・・・・・これが、【鋼姫】の正体。」
           じっと自分の左足を凝視するホークアイに、エドは寂しそうに笑う。
           「今は、まだ少しだけど、これが全身に回ってしまうんだ・・・・。」
           「・・・・・どうして・・・・こんな事って・・・・。」
           絶句するホークアイに、エドは困惑気味に尋ねる。
           「ところで、どうして、ここにリザ姫が?」
           「俺が連れてきたんだよ。姫に逢いたいっていうから。」
           ふとエドが顔を上げると、ホークアイの後ろから、ハボックが
           やってきた。
           「姫さん、大丈夫か?あんま無理すんじゃねーぞ?」
           そう言うと、ハボックは、エドを抱き上げて、ソファーに横に
           寝かす。
           「ありがとう。ジャン兄。」
           エドはハボックにお礼を言うと、ホークアイに顔を向ける。
           「俺に何か用?」
           キョトンと首を傾げるエドを、ホークアイは、じっと見つめる。
           「エドワード姫。あなたに、陛下・・・ロイ・マスタングを
           救って欲しいの・・・・・。」
           「救うって・・・・俺は・・・・・。」
           困惑するエドの手を、ホークアイは握り締める。
           「あなたにしかできないの。お願い。陛下の妃になって欲しいの!」
           ホークアイの言葉に、エドは悲しそうに顔を歪ませる。
           「い・・嫌だなぁ・・・・。ロイの奥さんには、リザ姫が相応しいよ。」
           「いいえ!!陛下はあなただけを求めているわ。お願い!
           陛下を信じてあげて!!」
           懇願するホークアイに、エドは悲しそうに俯く。
           「駄目!絶対に無理!!もう、遅いんだよ・・・・。」
           「遅い・・・・?いいえ!まだ間に合うはずよ!」
           ロイに逢って欲しいとホークアイに懇願されて、エドは首を横に
           振りながら断る。
           「もう遅いんだよ・・・・。既に俺には【鋼姫】の兆候が現れ
           始めている・・・・。ここから離れられない・・・・・。」
           「兆候って・・・・まさか!!」
           ホークアイは、エドの左足を凝視する。
           「そう。俺の身体は徐々に人間じゃなくなるんだ・・・・・。」
           「人間じゃなくなるって・・・・一体、【鋼姫】とは、何なの・・・・?」
           茫然と呟くホークアイに、エドはそっと目を閉じると呟いた。
           「【鋼姫】とは・・・・・・・人柱の事だ。」
           その時、前触れもなく突如神鳴が響き渡り、ポツリポツリと雨が
           降り出した。