「なんだ・・・と・・・?」
ブラッドレイの言葉に、ロイは茫然となる。
「まさか!あなたは【賢者の石】を!!」
ロイはブラッドレイに思わず詰め寄ろうとするが、
鎖によって、壁に縫い付けられている今の状況では、
ガチャガチャという、耳障りな音しか出せない。
「ケンジャ・・・ノ・・・イシ・・・・?」
眉を顰めるブラッドレイに、ロイは内心安堵する。
【賢者の石】の価値と利用法を知る者は、今は
世界にも数人しかいないとされている、【錬金術師】
しかいない。錬金術を扱える自分とは違い、ただの
王でしかないブラッドレイには、何の事か、わからな
いのだろう。訝しげな顔のブラッドレイに、ロイは
慎重に言葉を選ぶ。
「・・・・エルリック王家の秘宝の名前ですよ。
確か・・・・王族の婚儀に必要なものだとか・・・・。」
相手がどんな反応するか、ロイは注意深くブラッドレイを
観察する。直感的に、今ブラッドレイにその存在を
知られてはいけないと、そう思ったのだ。
ロイは、懐に入れた、エドから託された【賢者の石】が
見つからないかと、内心ヒヤリとなる。
「ふむ。」
底の見えない顔で、ブラッドレイは顎に手を当て、
考え込む。
「・・・・・いい加減、ここから出せ。私はエディを
迎えに行く!!」
睨み付けるようにブラッドレイを見るロイに、ふと
表情を和らげる。
「フッ。お前が簡単に捕まったと言うから、半信半疑で
ここに来たのだが・・・・・なるほど。」
ククク・・・・と笑い出すブラッドレイに、ロイは眉を顰める。
「何がおかしい?」
「お前も私と同じだという事だ。愛する者の事となると、
冷静な判断力を失くす。以前のお前なら、易々と
捕まる事はなかったはずだ。以前の、人を全く信用しない
お前ならな。」
あの闇よりも冷たい瞳を持っていた頃ならば、こんな
失態を冒さずにすんだものをと、笑うブラッドレイに、
ロイは、ふと表情を和らげる。
「可笑しいですか?」
「ロイ?」
この状況で、笑っていられる息子の精神状態に、ブラッドレイは
恐ろしさを感じ、一歩後ろに下がる。
「漸く心から愛する者を見つけた私を、愚かだとあなたが
笑うのですか・・・・・?」
ロイは顔を上げると、真っ直ぐにブラッドレイを射抜く。
「エレナ=エルリック王女を、どうしても諦めきれずに、妃に
するために、母上を無実の罪で殺したあなたが・・・?」
「・・・・・・無実ではない。あの者は、確かに私に刃を
向けたのだ。王を暗殺しようとしたのだ・・・・極刑は
免れない。」
ブラッドレイは、辛そうな顔で、ロイを見つめる。
「・・・・・・その腹いせで、私からお前は愛する者を
奪ったというのかね?エレナ達が死んだのは、
全て私が原因だと!?」
ブラッドレイは、ゆっくりと牢の中に入ると、ロイの
前に立つ。
「・・・・・お前にも地獄を見せてやろう。」
ブラッドレイは、腰のサーベルを抜くと、迷いもなく、ロイの
右肩を貫く。
「目の前で、愛する者が、他の男のモノになるのを、
黙って見るがいい!!」
苦痛の歪むロイに、歪んだ笑みを浮かべたブラッドレイが、
囁く。
「では、ごきげんよう。【陛下】。」
ブラッドレイは、にこやかに微笑むと、ゆっくりと牢から出て
行く。
「父・・・・・上・・・・・・・。」
ロイは痛みのあまり、朦朧となる意識で、ロイは父親を
呼び止めようとするが、ブラッドレイの歩みは止まらない。
「母・・・・上・・・は・・・・・。」
真実を告げなければ。
このままでは、父も自分も闇に囚われてしまう。
例え、父を傷つけても、真実を告げなくてはならない。
マルコーが、何故自分を父の元に行かせたのか、
その真意は判らないが、父との和解が、己をエドワードに
導くものだと、信じてここまで来たのだ。
こんな痛みになど負けてたまるか!!
そう思うが、肩から吹き出る血と共に、ロイからだんだんと
意識を奪っていく。
「エ・・・・・エディ・・・・・。」
闇に沈み込む瞬間、ロイの脳裏には、初めて出会った時の、
エドの優しい笑みが浮かび上がった。
沈黙の森にひっそりと佇む城は、張り詰めた空気が流れていた。
【鋼姫】の名の下に、世間から隔離された姫君が、数日前から、
とうとう起き上がれなくなってしまったのだ。姫をこよなく愛する
者達は、その過酷な運命に、ある者は、憤りを感じ、また
ある者は、嘆き悲しみ、そして、全ての人間が奇跡を祈っていた。
「エドワード姫?」
じっと何かを待ち望んでいるように、窓の外を見つめるエドに
気づいたホークアイは、怪訝そうに首を傾げる。
【ナンデモナイノ・・・・。オネガイ・・・。ツヅキ・・ヲ・・・・・。】
既にエドは首まで硬化しており声を失っていた。辛うじて動く
唇の動きで、ホークアイは、何とかエドの言葉を読み取ると、
エドの請うままに、ロイの事を語りだす。自分の知らないロイの
昔の話に、エドは穏やかな笑みを浮かべて聞き入っていて
おり、それがより一層ホークアイの涙を誘う。
【リザ・・・・サマ・・・・。】
「どうしたの?姫?」
そっと涙を拭うと、ホークアイはニコリと微笑む。
他人の心の痛みに敏感な少女を、これ以上苦しめたくない
一身で、ホークアイは、笑顔を絶やさない。
【アノ・・・ネ・・・・ロ・・・イエ・・マスタングオウ・・・ト・・・・
シアワセニ・・・・・ネ・・・・?】
優しく微笑むエドに、ホークアイは、首を横に振り続ける。
「駄目なの!陛下は、あなたじゃないと!!」
【ダイジョーブ・・・・。リザサマトナラ・・・・・キット・・・・シアワセ・・・
ニ・・・・・・・。】
儚い笑みを浮かべているエドに、ホークアイは心の中でロイに
悪態をつく。
”ったく!あの無能!!なんで直ぐに駆けつけないのよ!!”
ウィンリィから全てを聞いたロイが、直ぐにエドの元に
駆けつけてくるだろうというホークアイの思惑は、外れてしまった。
あれから一週間以上経つのに、ロイは姿を見せない。
そんなロイの態度に、アルフォンスやウィンリィ、ハボックまでもが
怒りを露にしていた。
あと数日でエドは完全なる【鋼姫】となってしまう。自分の国を
侵略した王を、許せない気持ちはあるが、それよりも、その王を
何よりも心待ちにしている姫の気持ちに、心の底では、ロイが
エドの元へかけつけて来る事を、祈っていた。呪いが解けないに
しても、せめて、つかの間の安らぎをエドに与えてあげたかったのだ。
「エドワード姫。おねがい。陛下を信じてあげて・・・・・・。」
ホークアイは、ポタポタと涙を流すと、それ以上エドの側にいられずに、
そっとエドの部屋を出て行った。
「どうして・・・・。どうしてなの・・・!!」
廊下に出ると、ホークアイは、泣きながら蹲る。そんなホークアイを、
いつの間に来たのか、ハボックが憤った顔で見つめた。
「今日もロイ・マスタングは来なかった・・・・・。」
その言葉に、ピクリとホークアイは肩を揺らす。
「やっぱ、あの男許せない。」
ハボックの後ろには、ウィンリィがいて、冷ややかな目でホークアイを
見つめていた。そして、ウィンリィの横では、国王のアルフォンスが、
吐き捨てるように言う。
「アイツは、エレナ伯母上や従妹達を処刑して、父上までも
死に追いやった・・・・・・。言わば僕達にとって、マスタング王は、
敵だっ!!あんな冷血男なんて!!」
「それは違うわ!!」
アルの言葉を、ホークアイは遮ると、涙を拭きながら立ち上がる。
「リザ姫・・・・・。」
本気で怒っているホークアイに飲まれたように、三人は
立ち尽くした。
「・・・・・・陛下は・・・・ロイ・マスタング王は、冷血なんかじゃない。
人一倍傷付きやすい人間だわ。あの人の今までの人生は、とても
言い尽くせないほど過酷な道だった・・・・・。でも、漸く愛する人
と・・・エドワード姫と巡り会えた。・・・・だから、陛下は必ず
姫のところへ来ます!!」
言い切るホークアイに、ウィンリィは絶叫する。
「じゃあ・・・・じゃあ、どうして来ないのよ!!エドは・・・エドはもう!!」
ポロポロと涙を流すウィンリィを、アルが優しく肩を抱く。
「そんな・・・・王はまだ来ていないのですか!!」
そこへ、その場にいないはずの人間の声が響いて、驚いて
全員が後ろを振り返る。そこには、マリア・ロスに肩を借りながら、
青褪めた顔で、ドクター・マルコーが立っていた。
「ドクター?何故ここに!?」
驚くホークアイに、マリアが答える。
「一週間前からマスタング王が行方不明になっております。今、
城は混乱の中にあって、その隙に脱走したのです。」
マリアの言葉に、ハボックが眉を顰める。
「一週間前から?・・・・・逃げたのか?」
愛する少女が消えてしまう恐怖に耐え切れなかったのかと、言外に
言うハボックに、マルコーが突然頭を抱えると叫び出す。
「私です!私が悪いのです!!ああ!何という事を!!お許し下さい!
カトリーヌ様!!」
カトリーヌの名前に、ホークアイだけが反応する。
「・・・・・ドクター・・・・あなたは、何を知っているの?カトリーヌ様
が・・・陛下の母君がどうしたの?」
ホークアイは、マルコーに近づくと、片膝をついて、蹲るマルコーの
肩に触れる。
「リザ様。陛下は、キング様のところです。」
その言葉に、ホークアイはうろたえる。
「まって。何故陛下が?・・・・陛下とブラットレイ様の確執を知らぬ
あなたではないでしょう?」
「私が言ったのです。エドワード姫を救うには、父君との和解が不可欠
だと。」
マルコーは、青褪めた顔でホークアイを見る。
「【鋼姫】の呪いを解く為には、己の闇から目を背けない、強い
【心】が必要なのです。」
「わかったわ・・・・・。」
ホークアイは唇を噛み締めると、立ち上がり、ハボックに懇願する。
「お願い!!私を直ぐブラッドレイ様の所に!!早く陛下を
お助けしないと!!」
「私も連れて行ってください!」
慌ててマルコーも立ち上がる。
「全ては私が招いた事。私に勇気がなかったばかりに・・・・・カトリーヌ様と
弟を死に追いやり、ブラッドレイ様を長い間苦しめ、ロイ様を闇の中に
突き落とした。そして・・・・・・今度はエドワード姫様まで・・・・・・。」
マルコーはキッと顔を上げる。
「今更ですが、私はブラッドレイ様に全てを告白します。一刻も早く
陛下をお助けして、エドワード姫様の元へ・・・・・・。」
「ちょ!待てって!一体何の話だ?」
ホークアイとマルコーの両方から詰め寄られ、ハボックは訳が判らず
困惑気味にホークアイを見る。
「今は、一刻を争うときなのよ!!説明は後でするから!!」
ホークアイは、ハボックの腕を掴むと、ガクガクと揺さぶる。
「ちょ!!兄さんに何を!!」
慌てるウィンリィをホークアイは目で制する。
「アルフォンス陛下、そして、ウィンリィちゃん!!」
「「はい!!」」
ホークアイに逆らってはいけない。
2人の脳裏に、警戒警報が鳴り響く。
「今から言う場所にいる方達と共に、後からブラッドレイ様の
城へ来てください。・・・・全てはエドワード姫の為!!」
抱き合って、コクコクと頷くアルフォンスとウィンリィに、ホークアイは
満足そうに頷くと、ゆっくりとエドの部屋の扉を見つめる。
「待っていてください。エドワード姫・・・・・。」
必ず陛下をあなたの元に連れてきます。
ホークアイは、祈る気持ちで、そっと目を伏せた。
エドは1人静かに、目を閉じると、深く溜息をついた。
皆が心配すると思い黙っていたのだが、エドは2・3日前から
視力を奪われていた。でも、不思議と恐くなかった。
闇は、最愛の人が纏う色だからだ。
”目が見えなくても、ロイの顔は思い出せるから。”
だから、大丈夫。
そう脳裏に浮かぶロイに向かって、エドは何度も呟く。
”静か・・・・だ・・・・。”
先程まで聞こえていたはずの音が消え、代わりに痛いまでの
静寂の中、エドは、自分はとうとう聴力すら失ったのだという事に
気づいた。
【ロイ・・・・アイシテ・・・・・イマス・・・・・・。】
どうかリザ姫と幸せに。
たとえ自分が消えても、貴方が幸せになるように、祈っています。
だから・・・・・。
あなたへの【想い】を胸に逝く事を
どうか・・・・・。
許し・・・・て・・・・・・・。
ゆっくりとエドの閉じられた瞳から、一筋の涙が
零れ落ちる。
そして、それがエドのこの世での最後の祈りだった・・・・・・・。