光の春

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                「今日は【土方さん】の命日ですね・・・・・。」
                千鶴は、はらはらと散る桜の花片を見上げながら、
                ポツリと呟いた。
                その声に呼応したかのように、いきなり突風が吹き荒れ、
                桜の花片が宙に舞う。そして、向こうからやってくる人影。
                まるで、【あの時】の再現のようかの幻想的な光景に、
                千鶴は、知らず息を呑む。
                「ちーづる?何幽霊でも見たような顔してやがんだ。」
                「と・・・歳三さん・・・・。」
                呆然と立っている千鶴に、土方は苦笑すると、そっとその身体を
                抱き寄せた。
                「どうしたってんだよ。一人で寂しかったか?」
                「・・・・・・一瞬、風間さんが来たのかと・・・・。」
                僅かに震える千鶴の身体に気づき、土方は、更にきつく
                抱きしめる。
                「・・・・・・千鶴。」
                「わかっているんです!もう風間さんもいないって。でも、
                今日の桜はとっても綺麗で・・・・綺麗すぎて・・・・。」
                ”歳三さんがこのまま消えてしましそうで・・・・。”
                言葉にすれば、その通りになりそうで、千鶴はその言葉を
                グっと飲み込むと、不安から逃れようとするかのように、
                土方の背中にギュッと手を伸ばす。
                そんな千鶴の背中を、ポンポンとあやす様に軽く叩くと、
                業と意地悪そうな顔で耳元で囁く。
                「夫の腕の中で、他の男の名前を出すとは・・・・いい度胸だなぁ?
                千鶴?」
                ニヤニヤ笑う土方に、千鶴は先ほどとは別の意味での恐怖に、
                身体を硬直させる。そんな千鶴に、土方はククク・・・・と笑うと、
                そっと背中を支えるように手を添えると、今しがた自分が準備
                し終わった花見の席へと千鶴を誘う。
                「すみません・・・・・。本当なら私が準備するのに・・・・。」
                シュンと俯く千鶴に、土方は苦笑する。
                「何言ってやがんだ。お前は料理を作ってくれたじゃねえか。
                俺はただ、敷物を敷いて、料理を並べただけだ。気にすんじゃ
                ねぇよ。それに第一、お前は今、一番大事な身体なんだ。
                夫の俺が手伝わなくて、どうするんだ?」
                そう言いながら、土方の手は、愛おしそうに千鶴のお腹を摩る。
                「なぁ〜。お前もそう思うよなぁ?」
                お腹の子供に、語りかける土方に、千鶴はクスクス笑う。
                「歳三さん。まだ小さすぎて分かりませんよ?」
                「いや!俺達の子供だ!絶対に分かっている!」
                もう既に親馬鹿の片鱗を見せ始めている土方に、先ほどまでの不安が
                跡形もなく消えてゆくのを感じ、千鶴は嬉しそうに土方の腕にしがみ付く。
                「歳三さん!私、すごく幸せです!!」
                「ああ・・・・。俺も幸せだ。ありがとう。千鶴。」
                舞い散る桜の花片の中、二人はきつく抱きしめ合う。
                「え・・・・とぉ〜。あの〜。」
                そんな二人に、恐る恐る声を掛ける者がおり、その声に、土方は舌打ちをする。
                見ると、年の頃は、千鶴とそう変わらない青年が、真っ赤な顔で俯いて
                立っていた。
                「・・・・ったく!ちっとは空気を読めって!」
                「と・・・歳三さん!!」
                小声でブツブツ呟く土方に、千鶴は慌てて土方から身体を遠ざけようとするが、
                ガッチリと腰を抱き込まれて、ますます腕の中に閉じ込められる。
                「と・・・歳三さ〜ん〜。小板さんがご覧になってます〜!!」
                自分を離してくれない土方に、千鶴は半分泣きそうな顔で抗議するが、
                土方にしてみれば、潤んだ瞳で睨まれても、全く堪えない。それどころか、
                ウルウルと上目づかいで見つめられ、ここに他人の目がなければと、
                本気で考えていたりする。
                「いいか。千鶴。何度も言うようだが、お前は今、俺達の子を
     身籠っている、大切な身体だ。

                土方の言葉に、目の前の青年の肩がピクリと動く。それを横目で見ながら、土方は
                ニヤリと笑いながら、千鶴の耳元で囁く。
                「大事なお前に何かあったらいけねぇ。転ばないように、俺がちゃんと支えてやるから、
                安心しろ。」
                「と・・・歳三さん・・・・・。」
                真っ赤になって俯く千鶴の頬に、軽く口付けると、今漸く気付きましたとばかりに、
                土方は、小板に向かって、胡散臭い笑みを浮かべる。
                「ああ。三郎さん。すまねぇな。俺達を迎えに来てくれたのか?」
                「え・・・あの・・・そうです・・・。」
                蛇に睨まれた蛙のように、シドロモドロに答える三郎に、土方は更に笑みを深める。
                「手間かけさせてしまって、すまなかったな。だが、千鶴の事は、
     夫の俺が
ちゃんと連れて行くから、アンタは先に戻ってくれて
                構わねぇぜ?」
                そう言いながら、昔取った杵柄。目に殺気を籠らせる土方に、小板は、ヒッと
                声にならない叫び声をあげると、慌てて走り去って行ってしまった。
                「歳三さん。小板さんに、悪いです。」
                折角呼びに来てくれたというのに・・・・・。と、すまなそうな顔で走り去る小板の
                後姿を見つめる千鶴の顔を、自分の方へ向けると、不機嫌そうな顔で土方は
                顔を寄せる。
                「千鶴・・・・・。俺はお前を狙っている奴を許すほど、寛大な男じゃねぇ。
                なんせ、【鬼副長】だったんだからな。」
                「もう!何度言ったら分かるんですか?あれは、歳三さんの誤解なんですから!!」
                プクーッと頬を膨らませ、私は怒っているんです!と必死にアピールする千鶴に、
                土方は、ガックリと肩を落とす。
                「千鶴・・・・・。少しは自覚してくれ・・・・。」
                「?」
                キョトンと首を傾げる千鶴に、土方は苦笑する。あの誰の目からも分かるような
                小板の求婚に、全く気付いていなかったのは、当の本人の千鶴だけだろう。
                自分という夫がいる事を知っても尚、未だに千鶴に未練たらたらの三郎に、
                土方の怒りは頂点に達していた。
                「・・・・・・ったく。ちょっと睨めば逃げていく小心者のくせに、未だに千鶴に
                ちょっかいかけようとしているのは、気に入らねぇなぁ・・・・・。」
                ブツブツ呟く土方の顔を心配そうに覗き込む。
                「・・・・歳三さん?まさか、具合でもお悪いのですか?」
                「いや?俺は元気だぜ?」
                土方は、千鶴の右手に指を絡み合わせるように繋ぐと、優しく微笑んだ。
                「俺としては、何時までもこうして千鶴と二人っきりでいたいんだが、今日は
                村のみんなが俺達を祝ってくれるために設けてくれた花見だ。そろそろ
                行かねぇと、みんなが心配するだろう。」
                行くかと、歩き出す土方に、千鶴は嬉しそうに頷いた。








                「お〜い!三郎〜!!こっちだ!こっち!」
                幾分青ざめた顔で、小走りにやってきた三郎に気づいた、本人曰く大親友、
                三郎に言わせれば、悪友の嘉助が、ニヤニヤとした顔で三郎を手招きする。
                「ど〜し〜た〜?そんな青い顔して〜。」
                ククク・・・・と笑う嘉助に、ギロリと三郎は横目で睨む。
                「お前、知っていたな?」
                「ん?何の事だ?既に旦那が迎えに行ってるっていう、俺達の話に耳を貸さなかった
                お前が悪い。」
                嘉助の横に座っていた、同じ年の弥助も、ウンウンと大きく頷く。
                「千鶴の名前だけで、すっ飛んで行ったんだもんな〜。村の皆、唖然としてたぜ?」
                その事を思い出したのか、三郎は真っ赤な顔で俯く。
                「だって・・・・準備が出来たから、迎えに行ってやらなければって・・・・俺はただ・・・。」
                「だ〜か〜ら〜、あの旦那が千鶴ちゃんを放っておく訳ねーだろうが!さっさと準備を
                終わらせて、嫁さんを迎えに行った姿は、すごかったなぁ〜。」
                弥助の言葉に、三郎は不満そうな顔で睨む。
                「なんだよ、それ。」
                「ああ、お前は後から来たから分かんなかったのか。歳三さん、すごく手際がいいのな!
                自分も率先して働きながら、テキパキと皆に指示を出して、あっという間に、
                花見の席を整えてさぁ〜。いつもの半分の時間しか係らないだの、皆に指示をする姿が
                恰好良いだの、村の女共は、ずっとキヤーキヤー言ってるぜ。」
                「ふ〜ん。」
                興味もなさそうな顔の三郎に、嘉助と弥助が気の毒そうな顔を向ける。
                「な・・・なんだよ。」
                二人の憐みの視線に、三郎は居心地の悪さを感じ、ぶっきらぼうに訊ねる。
                「いや〜。その〜。頑張れ。気をしっかりと持てよ?」
                そう言って、ポンポンと三郎の肩を叩く嘉助に、三郎の顔には不信感が広がる。
                「何がだよ。」
                「・・・・・実はな、今回の花見の席は歳三さんが決めたんだよ。」
                ピクリと三郎の眉が跳ね上がる。
                「はぁ?だから、何だって?」
                「いや〜。歳三さん、良く人を見てるよなぁ〜。いつもだったら、席で皆が揉めるだろ?
                でもさ、ちゃんと人間関係だとか把握してるらしくって、今回歳三さんが決めた席に、
                誰も文句の付けようがないんだよ。だから、まだ始まってもいないのに、みんな
                和気藹々としてるだろ?」
                確かに、いつもなら、花見の席を巡って、険悪な雰囲気になっているはずが、
                今回に限り、穏やかな雰囲気に包まれていた。
                「まっ、誰が席を決めようと、揉めてなければいいんじゃねぇの?」
                興味もなさそうな三郎に、弥助は複雑な顔を向ける。
                「皆はな、いいんだけど・・・・・。」
                「他になんか問題でもあるのか?」
                三郎の訝しげな問いかけに答えず、弥助が思わせぶりに視線を、先ほど三郎が
                やってきた方へ向けると、丁度土方と千鶴が仲良く手を繋ぎながら、歩いてきた所だった。
                それに気づいた女達が、一斉に騒ぐ。
                「千鶴ちゃ〜ん。具合はどう?」
                村の中で一番千鶴と仲が良い、三郎の妹の千香(ちか)が、土方達に気づき、手を振る。
                「お千香ちゃん!心配してくれてありがとう!具合は大丈夫!!」
                そう言って、にっこり微笑んだ千鶴は、次の瞬間、申し訳なさそうに、辺りを見回した。
                「あ・・・あの・・・・お手伝いもせず、すみません・・・。」
                シュンとなる千鶴に、周囲が慌てる。
                「千鶴ちゃん!今が大事な時だから!」
                「そうよ!そうよ!たくさんのお料理を作ってくれたし、こっちは大助かりよ!」
                「そうだよ!旦那が頑張ってくれたし、気にするな!」
                村人達に、一斉に言われ、千鶴はやや面喰いながらも、フワリと嬉しそうな笑みを浮かべる。
                「ありがとうございます!みなさん!」
                「な?俺が言った通りだっただろ?さて、いつまでも、突っ立ってると、花見が始まらねぇ。
                そろそろ座るか。」
                土方は、蕩ける様な笑みを浮かべながら、千鶴の手を引いて、空いている場所へ座る。
                「では、歳三さん夫婦の新しい命と村の繁栄を祈って、乾杯!!」
                二人が座った事を見届けた村長である、三郎の父親が、杯片手に、乾杯の音頭を取る。
                「かんぱーい!!」
                「おめでとう!!二人とも!!」
                一斉に、祝福されて、千鶴と土方は嬉しそうに見つめ合った。
                




                「そうか・・・そういう事か・・・・・。」
                機嫌よく酒を飲んでいた嘉助と弥助の二人は、自分たちの間に座っている三郎が、怒りの
                為にブルブルと震えだす姿に、気まずそうに顔を見合わせた。
                「ま〜その〜、気にするなよ?」
                「そのうち良いこともあるさ。」
                両脇から二人に慰められ、三郎の機嫌は更に地を這う。
                「あいつ・・・絶対性格悪い。」
                ブツブツ文句を言いながら、早いペースで杯を空けていく三郎に、弥助が苦笑する。
                今いる三郎の席は、土方の姿に遮られて、千鶴の姿は見えない。しかし、二人のイチャツキが
                一番見える場所でもあった。
                「歳三さん、この煮物の味はどうですか?」
                「ああ。最高だ。お前の料理の腕、また上がったんじゃねぇか?」
                「そうですか!嬉しいです〜。」
                パフッと千鶴は土方に抱きつく。
                「それはそうと、全然食ってないじゃねぇか!お前は大事な身体なんだ!栄養つけねぇとな♪
                これなんかどうだ?俺が食べさせてやる。」
                「そんな・・・皆さんがいるのに・・・恥ずかしいです・・・・。」
                「何恥ずかしがってるんだ。夫婦なら、当然の事だ。」
                キッパリと言い切る土方に、いやいや、お二人さん、いくら夫婦でも、節度ってものを
                守りましょうよと、内心突っ込みを入れる嘉助と弥助。
                二人がチラリと三郎を見ると、眉間の皺を更に深くしながら、ヤケ酒を煽っていた。
                「なぁ、千鶴ちゃんは身籠っているから仕方ないが、歳三さんも、一滴も酒を飲んでないよな?」
                コソコソと三郎の背中に隠れるように、嘉助が弥助に耳打ちする。
                「ああ。無事子供が生まれるまで、酒断ちするって話だぜ?」
                頷く弥助に、嘉助はうんざりとした顔で、チラリと視線を土方に戻すと、丁度こちらを振り向いた
                土方と目が合う。
                ニヤリと笑う土方の顔に、嘉助は、やはりとため息をつく。
                「やっぱ、わざとか、」
                「だろうな。まだ未練タラタラな三郎に対しての牽制だな。」
                弥助も同意するように、大きく頷いた。
                「く〜。初恋だったんだぞ〜。いいじゃねぇか〜。ただ想っているだけで〜。」
                グスグスと泣き出す三郎に、そういえば、こいつは泣き上戸だったと、嘉助は苦笑する。
                ひとしきり泣くとさっさと寝てしまう三郎は、ある意味手間が係らなくて、助かる。
                これが絡み酒だったら、折角の花見が台無しになる所だった。
                ”それすらも、把握済みって訳か?”
                場の雰囲気を壊さず、恋敵に最大の嫌がらせをする土方の手腕に、嘉助は内心驚くと
                共に、そういう男を敵に回してしまった三郎のこれからを思い、そっとため息をついた。





                ふと、さきほどまで自分に突き刺さっていた殺気が、なくなっていることに気づいた
                土方は、視線を殺気の元である三郎へと向けるが、当の本人は、徳利を抱き抱えるように
                して、スヤスヤと眠っていた。
                「?歳三さん?どうかなさったんですか?」
                横をじっと見ている土方に気づき、千鶴が何かあるのかと、身を乗り出そうとしたところを、
                やんわりと土方が千鶴の肩を抱き寄せる。
                「いや?何でもねぇよ。それよりも、こっちも食え。」
                そう言って、目の前の大根の煮付けを千鶴に食べさせながら、土方は再び三郎に視線を
                向けながら、千鶴を抱き寄せる腕に力を込める。
                ”絶対に、千鶴は渡さねぇ・・・・・。”
                ほんの一か月前の騒動を思い出し、土方は固く心に誓うのだった。




               

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