光の春

                   中  編

 

 

 

               風間との最終決戦も終え、満身創痍となった土方と千鶴に救いの手を差し伸べたのは、
               意外にも、【東の鬼】の一族であった。
               「私はこの近くの村の村長を務めております、小板善衛門。これは、娘の千香。
               風間様から、千鶴様の事は伺っております。」
               ボロボロになって意識を失った土方を前に、どうすれば良いのか、途方にくれていた
               千鶴の前に現れたのは、【雪村】が束ねていたという、東の鬼の一族の中でも、
               人間との混血が進み、既に【鬼】とは呼べなくなった一族で作られた村の長だという男と、
               その娘だった。
               再び、【鬼】の戦いに愛する人を巻き込んでしまうのではと、警戒しながら、必死に目の前の
               人達から守ろうとするかのように、土方を抱きしめる千鶴に、男は優しく微笑みながら、
               言葉を繋げる。
               「私は、いえ、私達は皆、以前雪村のお館様にご恩を受けた身。決して、千鶴様の悪いようには
               いたしません。どうか、私達をお信じ下さいませ。」
               そう言って、深々と頭を下げる男に悪意は感じられず、千鶴はおずおずと警戒を解く。
               何よりも、先ほどから徐々に顔色を悪くさせている土方に、千鶴は気が気ではない。一刻も早く
               治療をしなければ、命が危ないであろう事は、今まで何年も医療に従事していた千鶴の目は
               勿論の事、素人目にも分かる事であった。
               ”大丈夫。この人達は悪い人じゃない。”
               「どうか・・・・土方さんを助けて下さい。お願いします。」
               迷っている暇はない。少しでも土方が助かる可能性があるのならば、それに掛けるしかない。
               千鶴は覚悟を決めると、二人に深々と頭を下げた。






               そこからが、怒涛のように早かった。
               どこからか現れた数人の男達が、土方の身体に負担が掛からないように板戸に横たわらせると、
               善衛門の家に運び込み、テキパキと治療を行い始めた。最初はあまりの手際の良さに、
               一瞬呆然となっていた千鶴だったが、直ぐに自分も手伝わなければと、土方の傍に寄ろうと
               したが、その手を、やんわりと阻むものがいた。慌てて振り返ると、そこには善衛門と千香が
               微笑んで立っていた。
               「千鶴様、土方様の事は、あの者達にお任せください。あの者たちは、あなた様をお育てした、
               綱道様の教え子達なのですから、腕は確かです。」
               綱道という名前に、千鶴は大きく目を見開く。
               「と・・・・・父様の・・・・?」
               「はい。」
               大きく頷く善衛門に、千鶴は力が抜けたように、その場に座り込んだ。
               「千鶴様!?」
               慌てて千香が千鶴を支えようと手をのばすが、その前に千鶴はその手を制して、居住まいを正した。
               「あの・・・先ほどは、ここが【東の鬼】の一族の村だとお聞きしたのですが・・・・。」
               戸惑いながら尋ねる千鶴に、善衛門はゆっくりと千鶴の前に座ると、少し長い話になりますがと、
               断りを入れて話し始めた。
               「そもそも、この村の人間達は、【雪村の里】の生き残りなのです。」
               「生き残り・・・・?」
               自分の他にもまだ生き残りがいたのかと、驚く千鶴に、善衛門はそっと目頭を抑えながら
               当時を振り返る。
               「まだ幕府との関係が悪化する前の事でございます。お館様は、ある日、我々を屋敷に
               招くとこうおっしゃられました。【近々この村は、幕府によって滅ぼされるであろう】と。」
               「!!」
               息を呑む千鶴に、善衛門は言葉を繋げる。
               「我々は、長い間、人間との婚姻を繰り返してまいり、【鬼】としての能力など、全くございません。
               お館様は、そんな我々の身が危ないと、いち早く里から逃がしたかったのでしょう。蝦夷にて
               暫く身を隠すように、色々と手配して頂きました。最初は渋っていた我々ですが、やがて、村が
               危ないのならば、我々が万が一の時の避難所となるべきだという、綱道様の説得で、ここに
               根を下ろすことにしたのでございます。ところが、漸く村として軌道に乗りかけた時、お館様を初め、
               奥方様や他の村人達の悲報を聞き、どんなに悔しい想いをしたことか。薫様や千鶴様の行方も分からず、
               日々悔恨の想いに囚われていた我々でしたが、一年くらい経った頃、綱道様からお手紙を頂きました。」
               「父様が手紙を・・・・?」
               唖然と呟く千鶴に、善衛門は大きく頷いた。
               「はい。兄君の薫様が南雲家に、千鶴様を自分が保護したと。村が壊滅した衝撃から、千鶴様が
               記憶を失くされた事。そして、記憶を失くしたのならば、そのまま【鬼】であることを伏せ、【人】として、
               幸せにしてあげたい事。そして、復讐などせず、我々も【人】として、幸せに暮らしてほしい。それが
               お館様の願いでもあると・・・・・書かれておりました。」
               これがその手紙ですと、懐から取り出した古い手紙を千鶴の前に差し出す。
               宛書を見ると、懐かしい父の筆跡に、千鶴の目から涙が溢れだす。たまらず、手紙を手に取ると、
               そっと胸に押し当てた。
               ”やはり、父様は優しい人だった・・・・。”
               変若水で理性を喪ったが、綱道は最後まで自分を案じてくれた。走馬灯のように、脳裏には父との
               優しい思い出が浮かんでは消えていく。静かに涙を流す千鶴に、善衛門は優しい目を向ける。
               「再び千鶴様に出会えて嬉しく思います。数日前、西の鬼の一族の棟梁の風間様が、
               フラリとここにいらして、千鶴様達のお話を聞くまでは、ずっと、江戸でお幸せに暮らしていると
               ばかり思っておりましたが、まさか、戦に巻き込まれていたとは・・・・・。」
               風間という名に、千鶴の顔が強張る。
               「風間さんが、ここに来たのですか?」
               「はい・・・・。綱道様の事もお聞きしました・・・・。そして、長い間、あなた様が新選組に
               囚われていた事も。」
               善衛門は、スッと視線を千鶴から治療を受けている土方へと向ける。
               それにハッと我に返った千鶴は、慌てて善衛門の視線から守るように、二人の間に座り直す。
               「風間さんに、何をお聞きしたかは存じませんが、新選組の方々は、皆優しい人です。
               足手まといなのに、彼らはずっと私を大切に守って下さいました。私は自ら望んで
               彼らの元にいたんです!決して囚われていた訳では・・・・。」
               必死に言い募る千鶴の剣幕に、一瞬唖然となった善衛門だったが、やがてクスクスと
               笑い出した。
               「ええ。存じております。風間様が仰られておりました。【新選組】とは、【誠の男共の
               集まり】だと。それゆえ、このような結末は哀れだと・・・・。」
               「風間さんが・・・・?」
               呆然と呟く千鶴に、善衛門は大きく頷いた。
               「それに、風間様が仰られなくても、土方様の為人は、聞き及んでおります。
               隊士の皆様に、随分と慕われたお方なのですね。箱舘で、土方様を悪く
               言う人は一人もおりません。」
               そこで、言葉を切ると、善衛門は、居住まいを正し、じっと千鶴を見つめた。
               「千鶴様。もう戦も終わりましょう。このままこの地へとお留まり下さい。」
               深々と頭を下げる善衛門と千香に向かって、千鶴は頭を払う。
               「いいえ。長くは留まれません。土方さんの怪我が回復したら、私達は・・・・・。」
               「また戦へ出るとおっしゃられますか!」
               驚く善衛門に、千鶴は決意に満ちた目を向ける。
               「私だって、土方さんを死なせたくありません。このまま身を隠した方がいいのは、
               分かっております。しかし、まだ新選組の仲間は戦っているんです。
               彼らを見捨てる事を、土方さんは良しとはなさらないでしょう。そして、私は
               そんな土方さんの傍を離れないと、決めたのです。」
               真っ直ぐな瞳の千鶴に、善衛門はため息をつく。
               「もう、お決めになられたのですね。では、せめて、土方様が回復するまで、
               この地にお留まりを・・・・。」
               「ですが・・・それでは皆様にご迷惑が・・・・。」
               土方が回復するまでここにいられるのは有難いが、いつ敵に見つかるか
               分からない。もしも、敵に見つかった場合、自分達を匿った事で、彼らに
               迷惑が掛かるのを避けたかった。実の父がこの村の人達の命を守ったように、
               自分も彼らを守りたいと、強く心に思う千鶴だった。
               だが、そんな千鶴の心情が分かったのか、善衛門もまた決意を込めた目を
               千鶴に向ける。
               「土方様があなた様の大切な人であるとは別に、我々も土方様をお守り
               したいのです。」
               「・・・・・どういう事でしょうか?」
               何故彼らが土方の命を守りたいと思うのか、不思議に思い、千鶴は怪訝そうな
               顔を向ける。
               「蝦夷共和国が樹立した当初、お偉方が近隣の村々に税を掛けようとなさった時、
               土方様一人が反対し、取りやめて下さるように、説得してくださったと
               お聞きしました。」
               「・・・・・土方さんが?」
               驚く千鶴に、善衛門は大きく頷いた。
               「まだまだここの暮らしは厳しい。これ以上税を取られるのは、死活問題です。
               それを、土方様は阻止してくださった。この村だけではなく、土方様は、
               近隣の村々の恩人。今こそ、その御恩をお返しする時だと、心得ております。
               直ぐにここを発つとおっしゃられずに、せめて、土方様の怪我が回復なされる
               までお留まり下さいませ。」
               深々と頭を下げる善衛門に、それ以上何も言えず、千鶴もまた頭を深々と
               下げるのであった。




               それから、二日後の深夜、未だ生死の境を彷徨っている土方を看病する千鶴の元に、
               人目を盗んで二人の人物が現れた。
               「大鳥さん!島田さん!!」
               現れた二人の顔を見るなり、千鶴はポロポロと涙を流しながら、二人に近寄った。
               「良かった!お二人ともご無事で!!」
               見知った顔を見た安堵からか、千鶴の涙は止まらず、大鳥は苦笑しながら、そっと
               ハンカチーフを差し出した。
               「良く頑張ったね。もう何も心配はないよ。」
               穏やかな表情の大鳥に、千鶴は言い知れぬ不安を感じ、思わず隣にいる島田を
               見ると、彼も大鳥と同じように、穏やかな顔を千鶴に向けていた。
               「あの・・・それは一体どういう事でしょうか・・・・。」
               「・・・・・・・去る5月11日に、一本木関門にて、土方陸軍奉行並は討死。」
               嫌な予感に、恐る恐る尋ねる千鶴に、大鳥は穏やかな表情のまま、淡々と告げる。
               「・・・・・え?」
               大鳥は一体何を言っているのだろう。ぼんやりとした頭で、千鶴は唖然と大鳥の
               顔を見る。
               「近々、我々は降伏する。」
               穏やかな表情とは裏腹に、告げられた言葉は、悲痛な決意に満ちたものだった。
               大鳥は、一瞬悲しそうな顔になるが、直ぐにまた穏やかな顔で千鶴に笑いかける。
               「君達夫婦は医者として、今まで怪我をした我々の手当てをしてくれて、ありがとう。
               本当に感謝している。これは、少ないけど、お礼だ。受け取ってほしい。」
               そう言うと、大鳥は後ろに控えている島田に目くばせすると、心得たかのように、島田は
               持っていた大きな箱を千鶴の前に差し出す。
               「さて、まだ事務処理とか残ってるんだ。我々はこれで・・・。」
               そう言って、さっさと部屋を出て行こうとする二人に、千鶴は慌てて大鳥の腕を掴んだ。
               「待ってください!大鳥さん!!一体何のお話ですか!?」
               「何って・・・・今までのお礼を言いに・・・・。」
               君こそ何を言っているんだい?と優しく微笑む大鳥に、千鶴はキッと睨みつけた。
               「ふざけないでください!!」
               「・・・・・ふざけてなどおりません。土方陸軍奉行並は討死し、もう既に埋葬を済ませました。
               ここにいるのは、ただの医者の夫婦。我々は、今まで軍医として我々に従ってくれた君達
               夫婦に、感謝を言いに来た・・・・ただ、それだけです。」
               激昂する千鶴に、それまで黙っていた島田が静かに口を開いた。
               「島田さん・・・・・。」
               唖然とする千鶴に、島田は安心させるように、笑いかけると、そっと千鶴の両手を握りしめた。
               「・・・・・これはただの独り言です。」
               そう前置きすると、島田はギュッと千鶴の手を握りしめている両手に、力を込めた。
               「ここに・・・・・【新選組】の【誠(こころ)】を預けておきます。」
               島田の言葉に、千鶴はハッと息を呑む。
               「どうか我々の【誠(こころ)】を、宜しくお願いします・・・・・。」
               深々と頭を下げる島田に、それ以上何も言うことが出来ず、千鶴はポロポロと涙を流し
               ながら、応えるように、島田の手を握る。
               「承知致しました。何があっても、私は【新選組】の【誠】を守ってみせます。・・・・・でも、
               預けると言うからには、いつかは戻って来て下さるのですよね?」
               言外に死なないでほしいと願いを込めて、千鶴は泣き笑いの顔で、島田を見つめた。
               「・・・・・・ええ。必ずいつか再びここに。」
               対する島田も、千鶴の想いに応えるように、顔を上げると優しく微笑んだ。
               「・・・・島田君。そろそろ。」
               大鳥の言葉に島田は頷くと、千鶴の手を離し、寝ている土方に向かって、深々と
               一礼する。
               「島田さん・・・・。大鳥さん・・・。どうかご無事で・・・・・。」
               去っていく二人の後姿を見つめながら、千鶴は流れる涙を拭うこともせず、いつまでも
               その場に佇むのであった。




               漸く土方の意識が戻ったのは、奇しくも大鳥たちが降伏した5月18日のことであった。
               その後、新政府軍へ出頭するという土方を説得するのに、更に数か月を要した。
               島田が持ってきた箱に、自分達の私物や軍資金、そして、新選組は元より、他の部隊の
               隊士達からの、土方に生きていてほしいという手紙が入っている事に気づいたのは、
               土方と千鶴がお互い一歩も引かずに、膠着状態の日々を送っていた最中であった。
               「・・・・・土方さん。どうか、皆さんのお気持ちを、分かってください。」
               全ての手紙を読み終え、じっと唇を噛みしめている土方に、千鶴は深々と頭を下げながら、
               懇願する。
               「・・・・・・・・・・・・・・。」
               黙ったままの土方に、再度千鶴が何かを言おうと口を開きかけた時、この数か月間の
               間の土方と千鶴の攻防戦をただ黙って静観していた善衛門が、口を開いた。
               「千鶴様。私と土方様とで、暫くの間、話し合いたいと思っているのですが・・・・。」
               「村長さん・・・・?」
               思っても見なかった善衛門の言葉に、千鶴は困惑気に善衛門を見る。
               そんな千鶴に、安心させるように微笑みながら頷くと、スッと視線を土方に向ける。
               「出頭する前に、どうしても私の話を聞いてほしいのです。・・・・・後悔する前に。」
               【後悔】という言葉に、ピクリと土方の肩が揺れる。それに、満足そうに微笑むと、
               善衛門は千鶴に向き直る。
               「暫くはお人払いを。」
               善衛門の言葉に、千鶴は不安そうに土方と善衛門を交互に見つめていたが、やがて
               意を決すると、静かに部屋を後にした。
               その後、二人の間でどんな話がされたのかは、千鶴は知らない。
               千鶴が部屋を辞してから数刻後、一人善衛門だけが部屋から出てきた。
               「村長さん!土方さんは!!」
               慌てて駆け寄る千鶴に、善衛門は穏やかに微笑んだ。
               「大丈夫です。土方様は御心の強き方。信じましょう。」
               その言葉に、千鶴はただ頷くしか方法がなかった。





               次の日、部屋から出てきた土方は、どこか憑き物が落ちたような顔で、
               心配そうな顔で自分を見ている千鶴に、笑いかけた。
               「・・・・・済まなかったな。色々心配をかけてしまって。」
               そう言って、まるで壊れ物を扱うように、土方は千鶴をフワリと抱き締めた。
               「・・・・土方さん?」
               呆然と呟く千鶴に、土方は苦笑すると、更に抱きしめる腕に力を込める。
               「俺の傍にいろと・・・・逃げようとしたって絶対に離さない。そうお前に言った事が
               あったよな?その誓いすら破ろうとした俺を許してくれ。」
               その言葉に、千鶴は泣きながら、ブンブン首を横に振る。
               「千鶴・・・・・もう離さねぇ。」
               「土方さん!!」
               きつく自分を抱きしめる土方に応えるように、千鶴も土方の背に腕を回してその胸に
               しがみ付く。
               「・・・・・・・・本当に良うございました。さて、後はお二人の祝言ですね。」
               きつく抱きしめ合う二人の姿を、物陰からそっと見つめていた善衛門は、目頭を
               押さえながら、ウキウキした足取りで、その場を後にした。


               こうして夫婦になった土方と千鶴は村に受け入れられて、穏やかな日々を過ごして
               いたのだが、ある冬の日に、村に事件が起こった。




               「なんだって!村長が!?」
               丁度、千鶴と二人で薬の調合をしていた時、切羽詰まった村の衆数人が、
               土方の元へやってきた。
               「そうなんだよ!村長が大変なんだ!すまねぇが、歳三さんちょっくら来てくれねぇか?」
               ゼエゼエと息を整えながら話すのは、土方の隣の家の主人、安吉だった。彼は土方とも
               歳が近く、村で一番の相談相手だった。その横では、村の若い男達、弥助と嘉助もウンウンと
               頷く。
               「おじさん、見た目と違って頑固だからさ〜。俺達が言ったって聞かねぇんだよ。」
               「歳三さん、あの人にビシッと言ってくれよ。」
               その周りでは、他の者も同意するように、一斉に頷いた。
               「・・・・ったく。しょうがねぇなぁ・・・・。行くぞ。千鶴。」
               「は・・・はい!!」
               苦笑する土方に、千鶴も慌てて道具を片付けると、村の衆と共に村長の家へ向かった。




               「だから!大丈夫だと言ってるだろうが!!」
               「どこが大丈夫なのよ!!言ってみなさいよ!!」
               土方と千鶴が村長の村に着いた時、村長と娘の壮絶な親子喧嘩の真っ最中であった。
               布団に上半身を起こした村長に、千香が何故か大根片手に怒鳴り散らしていた。
               その周りを、村の住人達が困惑気に囲んでいた。
               「いいこと!絶対に安静だって言ってんのよ!」
               「こんくれぇの怪我なんて、大丈夫だって言ってんだよ!」
               フンと横を向く村長に、千香の怒りが更に煽られる。
               「はん!一人では立ち上がる事すらできないのに、よく大丈夫だって言えるわね!その
               根拠のない自信はどっから来るのかしら。」
               「なんだとぉ〜。それが親に対する言い草か!」
               「親だったら、子供に心配掛けさせるんじゃないわよ!だいたいおとっつあんはいつも・・・。」
               だんだんとエスカレートさせる言い合いに、千鶴は恐る恐る声を掛ける。
               「お千香ちゃん・・・・・。」
               千鶴の声に、パッと反応した千香は、庭に立っている千鶴を見つけて、慌てて駆け寄って
               きた。
               「千鶴ちゃん!ちょっと聞いてよ!おとっつあんったら、ひどいのよ〜。」
               泣きながら千鶴に抱きつくお千香に、千鶴は困惑気味に土方を見る。
               「歳三さん・・・・。」
               一体どうしたらとオロオロする千鶴の肩をポンとひとつ叩くと、土方はニヤリと笑いながら
               善衛門に挨拶をする。
               「善衛門さん。腰痛めたんだって?大丈夫なのか?」
               「ああ!土方様に千鶴様!お恥ずかしい所を・・・・・。」
               恐縮する善衛門に、土方は苦笑する。
               「おいおい。いつも言ってるだろ?俺達に”様”付けは止めてくれって。」
               「そうですよ!村長さん。私達は村の一員です。どうぞ”歳三”と”千鶴”とお呼び下さい。」
               土方の言葉に、千鶴も大きく頷く。
               「つい癖で・・・・申し訳ありません。歳三さん。千鶴さん。」
               頭を掻く善衛門に、土方は優しく微笑んだ。
               「分かってくれればいいんだよ。ところで、一体何を揉めてるんだ?」
               「それが・・・・明後日、近隣の村長が集まる寄合があってね。」
               村人の一人が話し出す。
               「動けないから無理だって言っても、善衛門さんがどうしても自分が行くって
               聞かねぇんだよ・・・・・。」
               はぁ〜と深いため息をつく一同に、善衛門は真っ赤な顔で怒鳴る。
               「無理じゃないと言ってるだろうが!」
               「無理よ!おとっつあん!」
               すかさず千香から突っ込みが入る。
               「・・・・・ったく。善衛門さん。怪我を甘くみねぇ事だ。それが元で取り返しのつかねぇことに
               なったら、どうする気だ?」
               「う・・・・。」
               言葉に詰まる善衛門に、土方は優しく尋ねる。
               「その寄合ってのは、名代を立てる訳にはいかねぇのか?」
               その言葉に、その場にいた男達全員がサッと目を逸らす。
               「?」
               訳が分からないと善衛門を見ると、善衛門は苦虫を噛んだ顔で憮然と腕を組んで唸っている。
               「・・・・・誰も行きたがらないのよ。あまりにもみんなが押し付け合うものだから、おとっつあんが
               怒っちゃって、じゃあ自分が行くからいいと。」
               苦笑しながら千香が説明する。
               「・・・・こんな時、三郎がいてくれたら。」
               「三郎?」
               ポツリと呟く善衛門の言葉に、土方は首を傾げる。
               「兄なんです。数年前、俺にはどうしても探さなければならねぇんだー!!とか、訳分からない事
               言って、村を飛び出しちゃったんです。仙台にいるって事は分かってるので、戻ってくるように
               再三手紙を出してるんですけど・・・・読んでるんだか読んでいないんだか・・・全く連絡付かなくって。」
               困ってるんですとため息をつく千香に、土方は苦笑する。
               「まぁ・・・散々無茶してきた俺も人の事を、偉そうに言えねぇがな。その三郎さんを探し出すって
               言っても、今からじゃあ、寄合には間に合わねぇしなぁ・・・・。やはり誰か名代に・・・・。」
               土方の言葉に、そうだ!と千香がポンと手を叩く。
               「歳三さんが名代になればいいのよ!」
               「はぁ〜!?」
               ニコニコと笑う千香に、土方は慌てる。
               「ちょっと待て!新参者の俺が名代ってのは、おかしいだろ!」
               「いや!歳三さんなら安心だ!」
               「そうだ!そうだ!!」
               「名代になってくれ〜。頼むから!!」
               文句を言う土方に、村の男達は一斉に千香の意見に賛同する。
               「・・・確かに、歳三さんなら・・・。」
               善衛門までもがそんな事を言い出し、土方は顔を引き攣らせる。
               「村長の代理ってのは大役だ。その大役を新参者にさせるってのは、他の村長にも
               示しがつかねぇ。そうだな・・・・安吉さん。あんたはどうだ?」
               土方は自分の横に立っている安吉を、チロリと横目で見る。
               「やめてくれよ!!歳三さん!俺は難しい話なんてさっぱりだ!」
               ブンブンと青ざめた顔の安吉に、他の男達もブンブンと首を縦に振る。
               「だがなぁ・・・・俺は千鶴の傍を離れる気はねぇし・・・・。」
               ブツブツと呟く歳三の言葉に、その場にいた全員が思わず目が点になる。
               「・・・・・もしかしたら、千鶴ちゃんも一緒にと言ったら、了承してくれるとか?」
               乾いた笑みを浮かべながら、安吉が恐る恐る尋ねる。
               「千鶴がいればな。」
               サラリと言う土方に、千鶴が真っ赤になってポカポカと土方の胸を叩く。
               「歳三さん!皆さんの前で一体何をおっしゃってるんですか!」
               「ん?勿論、俺が千鶴から離れる訳ねぇだろって事だが?」
               何言ってんだと真顔で返され、全員が深いため息をつく。
               ここまで、嫁馬鹿とは思わなかったと、その場にいた全員が同じことを思った。
               「・・・・そういえば、隣村の村長。」
               真っ赤な顔をした千鶴を可愛い可愛いとギュッと抱き締めている土方の姿に、
               皆が脱力している中、千香がふとあることを思い出して呟いた。
               「どこからか、千鶴ちゃんの事を知ったらしくって、しつこく家に言ってくるのよね。」
               千香の言葉に、土方の肩がピクリと反応する。それを横目で見ながら内心クスリと
               笑いながら、表面上は神妙な顔で言葉を繋ぐ。
               「どうせ顔だけの大したことない夫とは離縁させて、うちの息子の嫁にとかなんとか・・・。」
               「・・・・なんだと?」
               目を据わらせた土方が千香を睨む。
               「歳三さんが、新参者なのに、立派に村長の名代を務められると知ったら、もう顔だけの
               男〜だの、離縁させろ〜だの、言われないと思うのよねぇ・・・・・。」
               「よし!分かった!俺が名代になって、千鶴に言い寄る男共を悉く排除してやる!!」
               拳を握って熱く語る土方に、千鶴はギョッとなる。
               「歳三さん!?何だか目的が違っているような・・・・。」
               「いや!間違いじゃねぇ!」
               「その通りよ!千鶴ちゃん!」
               困惑する千鶴に、土方と千香の二人から説得され、千鶴は訳も分からず頷く。
               「歳三さんが寄合に行っている間は、うちに泊まってね!その方が安心でしょう?」
               「ああ!すまねぇな。」
               そして、困惑する千鶴を余所に、すっかり意気投合した歳三と千香は歳三が寄合から
               帰ってくるまでの間の千鶴の事を、どんどんと決めていく。
               新選組の鬼副長すら、自分の思い通りに動かす千香を、その場にいた人間が羨望と
               畏怖の瞳で見つめていた事を、当人は知る由もなかった。
               「・・・・・・ところで、お千香ちゃん。どうして大根を持ってるの?」
               先ほどからずっと気になっていた事を、千鶴は口にする。
               「?ああ!これね!おとっつあんが、あまりにも頑固だから、これで一発殴ろうかと。
               まさか、包丁とか持ち出すわけにはいかないでしょう?大根だから殴っても
               怪我なんてしないし、例え折れても食べちゃえばいいんだしね!」
               ニコニコと胸を張る千香に、千鶴は村長の名代には、千香が一番適任なのではと、
               内心思った。










               「では、行ってくる。」
               「・・・・歳三さん。お気をつけて。これ、道中でお食べ下さい。」
               ウルウルと悲しそうにお弁当の包みを差し出す千鶴に、土方は我慢できずに、ギュっと
               抱きしめる。
               「千鶴・・・・。お前を置いていくのはつらいぜ・・・。」
               「歳三さん!!」
               溜まらず土方の背中に腕を回す千鶴に、更に土方は抱きしめる腕に力を込める。
               「あの〜。そろそろ行かねぇと、向こうに着くのは夜になって、その分帰るのが遅くなるぞ?」
               最初は馬鹿ップル、もとい、新婚夫婦の砂を吐きそうな甘い出立の一幕に、同行者は
               皆見て見ぬ振りをした。下手に邪魔をして、馬に蹴られるどころか、土方の怒りを買いたくない。
               最近になって漸く気づいたのだが、土方の独占欲は半端ないくらいにすごいのだ。
               今だって、千鶴を狙っている男達に制裁を加えに寄合に行く訳なのだが、その他にも、
               いつも村に来ていた若い行商の男が、ある日を境に村に来なくなった事があった。
               それは、男が千鶴に一目惚れをしたのを土方が気づき、村の出入りを禁止したという、
               実しやかな噂が流れたほどだ。
               しかし、いくら寄合場所がここから山二つ隔てた場所であるとしても、そろそろ出立しないと、
               本当に向こうに着くのが夜になってしまう。
               土方とて、早く用事を済ませて戻りたいであろうと、意を決して同行者の一人である安吉が
               声を掛ける。
               その声に、渋々千鶴の身体を離すと、これだけは譲れん!とばかりに、皆の前で
               千鶴と深い口づけを交わす。
               「歳三さ・・・・ん・・・。皆さんの前で・・・・。」
               またいつものが始まったとばかりに、同行者達が二人を見ないように背を向ける中、
               千鶴は真っ赤な顔で土方を睨みつける。そんな千鶴に、もう一度軽く頬に口づけると、
               後ろの同行者達に晴れやかな顔を向けた。
               「さて、さっさと行くか。うまくすれば、昼前には向こうに着きそうだ。」
               その言葉に、同行者達は一斉に土方を振り返る。
               「昼前!?無理!無理!ぜってー無理!!」
               ブンブンと首を横に振る同行者の一人、弥助に、土方はニヤリと笑う。
               「大丈夫だ。人間やってやれねぇことはねぇ!」
               「いや・・・しかしいくらなんでも、あまりにも無謀・・・・・。」
               控え目な弥助の抗議に、耳を貸さず、土方はもう一度千鶴に振り返る。
               「では、行って来る。俺の留守中、頼んだぞ。」
               「はい。いってらっしゃいませ。道中お気をつけて。それから・・・・。」
               そこで言葉を区切ると、千鶴は頬を紅く染めて土方を見上げた。
               「な・・・なるべく早くお戻り下さい・・・・ね?」
               可愛らしくコテンと首を傾げながら微笑む千鶴に、土方は満面の笑みを浮かべる。
               「ああ!女房の可愛いお願いを聞かずして、何の為の夫だ。早く戻るから心配すんな!」
               ”千鶴さ〜ん!歳三さんをあまり煽らないでくれ〜!!”
               この瞬間、同行者達の地獄の強行軍が決定したのだった。
               上機嫌な土方を先頭に、悲惨な顔で後に続く同行者達を見送った後、千鶴は身支度をして、
               村長の家へと向かう。
               その後、一つの騒動が起こることに、土方も千鶴も思いもしなかった。


               
             
               
               
 



               

               


               

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