文久三年、十二月末。
「いいか、逃げるなよ。・・・・・・背を向ければ、斬る。」
月明かりに照らされたそいつの瞳に、俺は息をのんだ。
俺に刀を突き付けられても、怯えもせず、ただジッと俺を
見つめるその瞳の綺麗さに、内心動揺する。
降り注ぐ雪がまるで舞い散る桜のように、そいつの瞳の前を横切るのを見て、
その瞳が、己が恋い焦がれる【春の月】に重なった。
一瞬自分が誰であるのか、ここがどこであるのかを忘れてしまったかのように、
何時までも覗いていたい、そんな錯覚を覚える。
「副長、死体の処理は如何様に?」
斎藤の言葉に、俺はハッと我に返ると、無理やりそいつから視線を外し、
斎藤に顔を向ける。
俺は今、一体何を考えていた?
羅刹を隠す為、直ぐに処理をしなければならないというのに。
俺は、先ほどまで心を占めていた【春の月】の残像を消し去るように、
斎藤に指示を出した。
「羽織だけ脱がせておけ。後は監察に処理させる。」
そんな俺の動揺に気づいたのか、総司が人の悪い笑みを浮かべ
チラリと横目で未だ呆けたような顔を俺に向けているガキを見る。
「それより、どうするんです?この子。」
総司が顎でしゃくる様にガキに顔を向けるのに釣られるように、俺も
再びガキに目を向ける。
俺に再び見られ、ガキは目に見えて怯えはじめた。
先ほど刀を突き付けられても、怯えていなかったというのに、何故今
こんなに怯えているのか。
俺は何故だか面白くなく感じ、思わず目に力を込める。
その時、そいつはガタガタと震えながらも、俺に視線を逸らさず、
隙を伺うように、ゆっくりと右手を自分の小太刀に手を掛けるのを見て、
俺は内心、ほうと感心したように僅かに目を見張った。
男装はしていても、中身は女のガキだ。
それを、震えてはいるが、泣き喚く事もせず、必死で自分で何とかしようとする
その様子に、好感を持った。だからだろう。自然にその言葉が出たのは。
「屯所に連れて行く。」
「あれ?始末しなくていいんですか?さっきの、見ちゃったんですよ?」
大げさに驚きながらも、総司の目は、俺の心を探るように鋭い。
「そいつの処遇は、帰ってから決める。」
そう言って、総司に背を向けるが、総司の視線はまるで俺を責めるように
鋭いまま背に突き刺さる。
近藤さんの為、鬼になると決めた俺が、初対面のそいつに、
情けを掛けるのが気に入らないのだろう。
自分でも信じられない。
女子供だろうが、羅刹を見られたからには、即殺すしかないと
覚悟を決めていたからだ。
しかし、知りたいと思ってしまったのだ。
女が男装をしてまでも貫こうとする【覚悟】が何なのか。
そして、出来ればまた、【春の月】のような、そいつの瞳を見てみたい。
そう願ってしまったのは、何故なのか。
「・・・・・・運のないやつだ。」
極度の緊張の為か、意識を失ってゆっくりと倒れるガキを肩越しに見つめながら、
呟くと、俺は降り注ぐ雪の中、月を見上げる。
果たして、運のないやつは誰なのか。
・・・・・・・・雪はまだ止む気配がない。