夢のむこうで


第1話

 

                       
                      
                       明治元年九月十六日。
                       この日、旧幕府軍と共に、新選組の相馬主計が仙台入りした。





                       「島田さん!!」
                       相馬は、土方が泊まっているという宿の前で、丁度宿の中から
                       出てきた島田魁の姿を見つけると、半分泣きながら、駆け寄った。
                       「相馬君!!近藤局長の助命を求めて板橋の総督府に行った際に、
                       新政府軍に捕まったと聞いていましたが、無事で良かった!!」
                       自分を呼ぶ声に気づいた島田は、駆け寄ってきた島田の肩を
                       叩くと、優しく微笑んだ。そんな島田を前に、相馬は堪えきれず、
                       俯くと、肩を震わせて泣き始めた。
                       「本当なら、俺も近藤局長と共に、処刑されるはずでした。しかし、
                       局長の助命によって、放免になったのです。申し訳ありません・・・・・。
                       局長をお助けするどころか、逆に命を助けられるとは・・・・・・。土方副長に、
                       なんと言ってお詫びすれば・・・・。」
                       逢わせる顔がないですと声を震わせる相馬に、島田はキュッと唇を噛みしめると、
                       相馬の両肩に手を置く。
                       「土方副長・・・・いや、土方局長は君を責めたりはしないですよ。ずっとあなたの
                       事を案じていたのですから、無事でいてくれて良かったと、喜んでくれるはずです。」
                       「・・・・・・副長が・・・・・。俺を・・・・・・。」
                       感極まった相馬に、島田は殊更明るく声掛ける。
                       「相馬君。今、土方さんは、仙台城へ今後の話し合いに行っています。
                       一緒に迎えに行きませんか?一刻も早く無事な姿を見せてあげて下さい。」
                       「・・・そうですね!行きます!!」
                       漸く笑顔の戻った相馬に、島田は大きく頷くと、仙台城へと歩き始めた。






                       城下を歩きながら、相馬は、先ほどからずっと気になっている事を、
                       島田に尋ねた。
                       「・・・・・そういえば、他の皆さんは?数人と会ったのですが、
                       幹部の方・・・・斎藤さんともお会いしていませんし・・・・・・・。」
                       土方さんと共にいらっしゃるのですか?と尋ねる相馬の言葉に、
                       ピクリと島田は大きく肩を揺らす。
                       「島田さん?」
                       様子のおかしい島田に、訝しげな視線を向ける相馬に、島田は
                       幾分、肩を落としながら、辛そうな顔で口を開いた。
                       「その事なのですが・・・実は・・・・。」
                       「千鶴!!おい!
       しっかりしろ!!千鶴!!

                      目を開けてくれ!!
                      島田の声を遮るように聞こえた、悲痛な叫びに、ハッとして二人が前を向くと、
                      そこには、顔を青ざめ気を失って倒れている千鶴を、きつく抱きしめて取り乱している
                      土方の姿があった。
                      「土方さん!!雪村君!!」
                      瞬間、島田は二人の傍に慌てて駆け寄った。
                      「千鶴!千鶴!!」
                      「土方さん!落ち着いて下さい!!」
                      島田の必死な声にも気づかず、土方は千鶴を抱きしめて、一心不乱に
                      千鶴の名前を叫んでいた。そんな土方に、島田は埒が明かないと思ったのか、
                      一言、すみませんと呟くと、土方の頬を叩いた。
                      「!!」
                      一瞬呆ける土方に、島田は、再度申し訳ありませんでしたと頭を下げると、
                      土方の顔を覗き込んだ。
                      「私がわかりますか?土方さん。」
                      「・・・・・島田・・・・か。」
                      呆然と呟く土方に、島田が大きく頷いた。
                      「一体何があったんですか?雪村君は・・・・・。」
                      雪村という言葉に、反応したのか、土方は泣きそうな顔で島田を見る。
                      「千鶴が・・・・急に倒れて・・・・。」
                      まるで誰にも渡さないとばかりに、ギュッと千鶴を抱きしめる土方に、
                      島田は痛ましそうに顔を歪めると、直ぐに表情を改めて、呆けたように
                      立っている相馬を振り返った。
                      「雪村君は、私達が宿へと運びます。相馬君は、急ぎ医者を呼んできて
                      下さい!」
                      「は・・・はい!!」
                      島田の叱咤に、漸く我に返った相馬は、慌てて踵を返すと、医者を呼ぶ為に
                      全速力で走り出した。







                      「・・・・・みっともねぇ所を見せちまって、すまなかったな。」
                      千鶴の診察の為、部屋から出てきた土方は、心配そうな顔で廊下に佇んで
                      いる島田と相馬に気づくと、決まり悪げに頭を下げた。
                      「みっともないなど!雪村君が倒れたのですから、当たり前ですよ。」
                      島田の言葉に、一瞬頬を赤らめる土方だったが、島田の傍らにいる相馬に
                      気づくと、優しく微笑んだ。
                      「相馬。無事でいてくれて、本当に良かった・・・・・。怪我とか大丈夫か?」
                      「副長・・・・・。お役に立てず、申し訳ありません。」
                      肩を震わせる相馬に、土方は優しく肩を叩く。
                      「お前が無事で、近藤さんも喜んでいる。あまり気に病むな。」
                      「・・・・・副長!!」
                      クシャリと顔を歪ませる相馬に、土方は穏やかに微笑むと、ポンと軽く肩を
                      叩いた。
                      「長旅で疲れただろう。今日は何も考えず、ゆっくり休め。島田、後を頼んだ。」
                      そう島田に言うと、土方は、千鶴が診察を受けている部屋に視線を
                      向けた。そんな土方に、何か言いかけようとする相馬の肩を軽く叩き、
                      島田は相馬に、その場を去るように促す。
                      「では、失礼します。」
                      「・・・・・・島田。」
                      土方に頭を下げ、その場を後にしようとすた二人だったが、数歩行きかけた時、
                      土方から声を掛けられ、振り返った。
                      振り返った先の土方は、未だ千鶴のいる部屋に視線を向けたまま、
                      微動だにしていなかった。
                      一瞬、空耳かと思い、再び二人が踵を返そうとした時、視線はあくまでも
                      襖を凝視したまま、土方は口を開いた。
                      「・・・・・松本良順先生は、まだ仙台入りしてねぇのか?」
                      低く呟かれる土方の言葉に、何故ここで松本の名前が出てくるのか訝しげに
                      思いつつも、島田は頭を払った。
                      「そろそろとは思いますが、未だ仙台入りされておりません。」
                      「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうか。」
                      それっきり考え込んでしまった土方に、軽く頭を下げると、島田と相馬は連れだって
                      今度こそ、その場を後にした。







                      「・・・・あの、島田さん。」
                      部屋に案内された相馬は、意を決したように島田を見つめる。そこで、島田は、
                      相馬が何を言いたいのか察したのか、小さなため息をつくと、ポンと肩を叩き、
                      そのまま部屋を出て行こうとする。
                      「島田さん!!」
                      慌てて島田を引き留めようとする相馬に、島田は顔だけ振り返ると、苦笑する。
                      「・・・・・長い話になりそうなので、お茶を煎れて来ましょう。座って待っていて
                      下さい。」
                      そう言って、さっさと部屋を後にする島田に、相馬はガシガシと頭を掻きながら、
                      その場に座り込むと、先ほどまでの土方の様子を思い出していた。
                      新選組の土方と言えば、他人にも己に厳しいがゆえに、内外問わず、【鬼】と
                      言われ恐れられている。現に、あの役者のように整った顔で睨まれると、それだけで
                      地獄の閻魔大王もかくやと思わせるほどの威圧感を感じさせる。
                      もっとも、恐怖政治だけでは、ここまで人を従わせる事は出来ない。
                      最初は畏怖の対象であった土方ではあるが、長く傍にいればいるほど、彼が
                      実は面倒見が良く、何でも自分で抱え込んでしまう、不器用な性格だと分かってしまう。
                      だからこそ、新選組の皆は、ここまで彼を慕って付いてきたのだろう。
                      そんな事を考えながら、ふと相馬は先ほど青い顔をして、ぐったりとしていた千鶴の
                      姿が脳裏に浮かんだ。
                      雪村千鶴・・・・・。
                      どういった経緯で千鶴が新選組にいるのかは、相馬には分からない。
                      自分が新選組に入った頃には、既に新選組でも古株で、最初は何故こんなところに、
                      女性がと驚きもしたが、何しろ、局長を始め、幹部全員で彼女は守られていた。
                      そんな彼女の事を、平隊士の自分があれこれ詮索することなどできようはずもなく、
                      ただ疑問だけが残ったのだが、そんな疑問など一掃する事があった。
                      あれは、鳥羽・伏見の戦いの時だったと、相馬は記憶する。
                      普段は幹部と一緒にいて、あまり平隊士との接点を持っていない千鶴が、人手が足りない
                      事もあり、負傷した隊士の手当ては勿論、看病などを、ほぼ一人で行っていた。
                      大の大人でも、思わず目を背けたくなる傷でも、彼女は決して目を逸らさず、テキパキと
                      手当を行う姿に、相馬は知らず目を奪われてしまったのだろう。気が付くと、
                      彼女を手伝っていた。
                      「相馬さん。お忙しいのに、申し訳ありません・・・・。」
                      手伝わせて申し訳ないと、何度も頭を下げる千鶴に、気にしなくていいと、自分は何度
                      首を横に振っただろうか。そして、その度に、まるで花が綻ぶような笑みを浮かべる千鶴に、
                      殺伐とした毎日の中で見つけたこの小さな安らぎが、何よりも得難い光のように、相馬の
                      心に深く刻まれるのだった。そしてそれは、相馬だけではなかったのだろう。
                      最初はこんな子供がと不審な目を向けていた新選組の平隊士達は、江戸に戻る事には、
                      全てが千鶴を仲間だと認めていた。
                      
                      




                      「相馬君。」
                      どれだけ考え込んでいたのだろうか。ふと香ったお茶の香りに、相馬はハッと我に返ると、
                      目の前には、いつのまに部屋に入ったのか、島田が相馬の前にお茶を置いていた。
                      「島田さん!すみません!気づかなくて!!」
                      慌てる相馬に、島田は頭を払った。
                      「いえ・・・・・。驚いたでしょう?土方さんの様子に。」
                      島田の言葉に、相馬はコクンと頷く。
                      「常に土方さんは、冷静沈着で・・・・あんなに取り乱すなんて、思ってもみませんでした。」
                      相馬の言葉に、島田は自分の湯飲みに視線を落とす。
                      「近藤局長が捉えられてから、新選組は色々な事があったのです。それでも、土方さんは
                      常に冷静で・・・・・幹部の方たちが全ていなくなっても、彼だけは常に前を向いて、
                      私達を引っ張っていたんです。」
                      そこで、島田はお茶を一口飲むと、深いため息をついた。
                      「・・・・・私は、土方さんだから、常に冷静であると・・・・心が強いと思っていました。
                      ・・・・・・でも、違ったんですね。」
                      ポツリと呟かれる島田の言葉に、相馬は怪訝そうな顔を島田に向ける。
                      「違う・・・・とは?」
                      「土方さんが土方さんとしていられたのは、雪村君がずっと傍にいたからなんです。」
                      島田の言葉に、相馬はハッと息を飲んだ。
                      先ほどの土方の取り乱しようを思い出したのだろう。暫く二人はただ黙ってお茶に視線を
                      落としていた。そんな中、相馬がポツリと呟いた。
                      「・・・・・・土方さんは、雪村先輩を、どうするつもりなんでしょうか。」
                      「・・・・どう、とは?」
                      相馬は、キッと顔を上げると、島田を真っ向から見据えた。
                      「これからの戦いは、過酷なものとなっていくことでしょう。そんな中、女性である雪村
                      先輩を、このままここにいて良いのでしょうか。出来れば、こんな戦場から一刻も早く
                      逃げてほしいと思っていました。勿論、こんな事、俺が口を出していい問題では
                      ないとは分かっています。ですが・・・・・彼女の為人を知るに従って、平和な日常で
                      笑っていてほしいと、そう願うようになったのです。」
                      「・・・・・相馬君。」
                      唖然となる島田に、相馬は自嘲的な笑みを浮かべる。
                      「ですが、この考えは間違っていたと、今の島田さんの言葉で思い知りました。」
                      「間違っていた・・・・ですか?」
                      自分の言葉のどこに、そんな感想を持つのだろうと、首を捻る島田に、相馬は
                      晴れやかな顔で頷いた。
                      「島田さんは、おっしゃいましたよね。土方さんが土方さんでいられるのは、雪村
                      先輩の存在があってこそだと。」
                      「ええ。言いましたが。」
                      未だ怪訝そうな顔をしている島田に、相馬は言葉を繋げる。
                      「以前、井上組長が仰った事を思い出したんです。」
                      「井上組長が?一体何を?」
                      懐かしい井上の名前に、島田の目が思わず潤む。
                      「井上組長はお亡くなりになる前夜の事です。」






                      その日の夜、何故だか寝つけずにいた相馬は、ふと何かに呼ばれたかのように、
                      布団から起き上がると、寝ている仲間を起こさないように、そっと部屋を出た。
                      昼間の銃撃戦がまるで嘘のように静かな夜で、相馬はまるで月に誘われるように、
                      庭へと出てみると、そこには、一人の先客がいるのに気付いた。
                      「・・・・井上組長?」
                      先客が、月を見上げている六番組組長の井上だと気づいた相馬は、慌てて駆け寄った。
                      「一体、何をしていらっしゃるんですか?」
                      「ああ、相馬君か。君こそ何をしているんだね?早く寝ないと、明日の戦闘に響くよ?」
                      声をかけられ、井上は驚いた顔で振り向くと、相馬に笑いかける。
                      「すみません・・・・。なんだか寝付けなくて・・・・・。」
                      慌てて頭を下げる相馬に、井上は苦笑する。
                      「私も人の事が言えないがね。どうも気になって、先ほど怪我人の様子を見に行っていた
                      んだよ。そしたら、雪村君に怒られて、追い出されてしまったよ。ゆっくりと身体を休めて
                      下さいとね。」
                      「雪村先輩が?」
                      常に人を立て、控え目な千鶴が、いくら温厚な井上相手でも、怒る姿が想像できず、
                      相馬は怪訝そうな顔をする。その顔がよっぽど面白かったのか、井上が声を上げて
                      笑う。
                      「はははは。想像できないって顔だね?まぁ、あの子は控え目で大人しい子だから、
                      無理もないかもしれないけど、でも、大人しいだけの子じゃないんだよ?あの子は、
                      譲れないもの・・・・守るべき者の為には、一歩も引かない強さを持っているんだよ。」
                      「・・・・確かに、大人しいだけでは、あの大人でも目を背けてしまう傷の治療など
                      出来ませんね。」
                      ウンウンと頷く相馬に、井上は寂しそうな顔で月を見上げた。
                      「本当は・・・・私、いや、トシさんや勇さん、幹部のみんなも分かっているんだよ。
                      あの子をいつまでもここには置いて置けないと。」
                      「井上組長?」
                      怪訝そうな相馬の問いに応えず、井上は月を見上げながら、ポツリと呟いた。
                      「だがね・・・・・あの子はきっと、我々新選組の最後の良心【こころ】なんだと思って
                      いるんだよ。壬生狼だの、人斬り集団だの言われ続けた私達が、人の心を
                      失くさないでいられたのは、あの子の存在があったからなんだろうね・・・・。」
                      井上の切ない言葉に、相馬は何も言えず、ただ黙ってその場に佇む事しか
                      出来なかった。





                      「・・・・・・その時は、井上組長が何の事をおっしゃっていたのかは、分かりません
                      でした。しかし、今ならわかります。新選組、いえ、土方局長には、雪村先輩こそが
                      必要不可欠なのだと。だからこそ、気になるんです。土方さんが、雪村先輩を
                      どうするのか。」
                      それまで、じっと相馬の話に耳を傾けていた島田は、深いため息をついた。
                      「・・・・・・・・先ほど、土方さんが発注した、雪村君の洋装が届いたんです。」
                      その言葉に、相馬は、パッと明るい顔をする。
                      「それでは!!」
                      「しかし、土方さんは、雪村君を置いていくでしょうね。」
                      沈んだ島田の言葉に、相馬は唖然となる。
                      「どうしてですか!?雪村先輩が倒れただけで、あんなに情緒不安定に
                      なるんですよ!?」
                      「だからこそです。」
                      食って掛かる相馬に、島田の顔が歪む。
                      「土方さんは気づかれたのだと思います。掛け替えのない者を失う事の怖さを。
                      先ほど、松本先生が仙台入りをしていないかと尋ねられたということは、きっと、
                      先生に雪村君を託すつもりなのでしょう。」
                      島田の言葉に、相馬はギュッと膝に置いた両手を握りしめる。
                      「土方さんの気持ちもわかります。しかし・・・・・・・。」
                      声を震わす相馬に、島田は腕を組むと、ニヤリと笑う。
                      「では、私達は私達の成すべきことを致しましょう。」
                      「島田さん?」
                      顔を上げてキョトンとなる相馬に、島田はクスリと笑う。
                      「土方さんが雪村君を守れないと思うのならば、そう思わせなければいい。
                      我々が全力で雪村君と土方さんをお守りできると、そう示せば良いだけの
                      話です。」
                      「・・・・・しかし、土方さんは雪村先輩を、ここに置いていくのですよね?
                      一体、どうすれば・・・・・。」
                      あの土方が一度決めたことを直ぐに覆す事などあるのだろうか。
                      そう不安気に見ると、島田は心得たように大きく頷いた。
                      「我々では流石に打つ手にも限度があるでしょう。・・・・・・だから、ある方を
                      味方に引き入れようかと。」
                      「・・・・・ある方・・・・ですか?」
                      今の旧幕府軍に、土方に意見できる人物などいただろうかと、相馬は首を捻る。
                      「いますよ。一人だけ。」
                      自信ありげな島田の様子に、相馬はただ頷く事しか出来なかった。