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光
青龍の章
<1> いつか見た夢
気がつくと、麻衣は霧の中に佇んでいた。
「これって・・・何時のも夢・・・かなぁ・・・。」
麻衣は夢を媒介に、過去見を行う。
「取り合えず、歩いてみようかな。
ここで情報収集しないと、
またナルに何を言われるか・・・。」
麻衣は溜息をつくと、霧の中を歩きだした。
「全く、何でこんなに霧が深いの!!」
だんだんと深くなる霧に、
麻衣は半分ヤケクソ気味に
叫んだ。
シャラ・・・・・ン
シャラ・・・・ン
「今の・・・・・。」
ふと、遠くから鈴の音が
聞こえてきたのに気付き、
麻衣はハッと顔を上げた。
シャラ・・・ン
シャラ・・・ン
規則正しい鈴の音に、
麻衣は誘われるように、
ゆっくりと足を向ける。
シャラ・・・ン
シャラ・・・ン
だんだんと近くなる鈴の音に、
麻衣は歩みを速めた。
シャラ・・・・ン
シャラ・・・・ン
やがて霧に包まれた
古びた舞殿へと辿り着く。
鈴は、舞殿から聞こえていた。
「ここは・・・・・。」
麻衣は驚きに目を見張る。
「何で・・・・・。」
茫然と呟きながら、
視線を舞殿の奥へと向ける。
その場所が懐かしいと
思うのは、何故なのだろうか・・・。
そんなことを考えていると、
ふとある光景が脳裏に浮かんできた。
「約束だよ。麻衣ちゃん。」
その人は誰だっただろうか。
良く知る人のはずなのに、
顔がまるで靄に掛かったかのように、
はっきりと思い出せない。
そんな困惑が伝わったのか、
まるで雪のように
舞い散る桜の花片の中、
その人は安心させるように、
にっこりと微笑んだ。
「絶対に<力>を使っちゃ駄目だからね。」
そして、きょとんと首を傾げる自分に、
その人は笑みを深めると、
そっと耳元で囁いた。
「もしも、約束を破ったら・・・・・。」
シャラ・・・ン
一瞬の空白。
それを狙ったかのような
記憶のフラッシュバックに、
意識が己の深層心理まで
引き摺り込まれそうになるのを、
止めるかのように、
鈴が一層高くなった。
その音に、ハッと我に返った
麻衣は、反射的に音がする方を
凝視する。
濃い霧の向こうに、
白い巫女装束に身を包んだ、
一人の女性が
ゆっくりと巫女舞をする姿が浮かび上がっていた。
シャラ・・・ン
シャラ・・・ン
巫女の振る鈴だけが
辺りを支配する。
“綺麗・・・・。”
麻衣はうっとりと
舞う巫女を見つめていたが、
やがてその眼は驚きに
大きくなる。
「あなたは・・・・・。」
麻衣の呟きに、
巫女はゆっくりと
舞を終わらせると、
じっと感情の篭らない眼を
麻衣に向ける。
「お・・母さ・・・ん・・・・・?」
記憶のままの母の姿がそこにあった。
シャラ・・・ン
麻衣の脳裏に、鈴の音が
まるで始まりを告げるかのように、
小さく鳴った。
◇◇◇◇◇◇
「麻衣!!」
頬に走る衝撃に、麻衣は
ハッと我に返ると、辺りを見回した。
既にそこは霧深い舞殿の前ではなく、
いつもの渋谷サイキックリサーチで、
目の前には珍しく感情も露なナルが
心配そうに麻衣を覗き込んでいた。
「ここ・・・は・・・・。」
ぽつりと呟いた。
まだ頭が夢の余韻に浸っているためか、
一瞬、現実と夢の区別がつかず、
ぼんやりとした眼を、ナルに向けた。
「谷山さん。寝るんだったら、
お帰りになられても、結構ですよ。」
言いながら、ナルは溜息をつく。
「そうだっ!!木龍さんはっ!!ナル!!」
ハッと我に返った麻衣は、
辺りを見回したが、ナルと自分以外
オフィスの中は誰もいない事に気付き、
ナルに詰め寄った。
「きりゅう・・・・?」
訳が分からずといったように、
ナルは秀麗な眉を上げる。
だが、そんなナルの様子に気付かず、
麻衣は更に言い募った。
「そうだよ!木龍春子さんだってばっ!」
やや興奮気味の麻衣に、呆れたように
ナルは溜息をついた。
「まだ寝ぼけているのか?
誰だ?そいつは。」
「誰って・・・・・・。」
一瞬、ナルが言っている事が
分からず、麻衣は茫然となる。
「木龍春子さんだよ・・・・。
依頼人の・・・・・。」
「依頼人?何時来たんだ?」
抑揚のない声で言われ、
頭から冷水を掛けられたように、
麻衣は背筋を凍らせた。
「何時って・・・。」
麻衣はさっと応接テーブルに視線を走らせる。
「なっ・・・・!!」
そこには、自分が出した筈のティーカップはなく、
代わりに無雑作に置かれた自分の
教科書とノートがあった。
「えっと・・・・・・。」
瞬時に今の状況を悟り、
麻衣はナルに引き攣った笑みを浮かべた。
「すみません。所長。寝ぼけました。」
「・・・・もういい。・・・・・お茶。」
どこか投げやりな態度のナルに違和感を
感じながらも、麻衣はこれ以上ナルの機嫌が
悪くなる前にと、急いで給湯室へ踵を返した。
「・・・・・・・ふう。」
パタパタと音を立てながら、麻衣が給湯室へ
姿を消したのを見送ると、ナルは
ソファーに腰をかけ、右手で前髪を掻き揚げ、
深く溜息をついた。
“良かった・・・・・。”
漸くナルは、身体の力を抜くと、
先程の光景を思い出した。
「麻衣、お茶。」
休憩を取るため、いつものように所長室から出た
ナルは、席に麻衣がいない事に気付き、
ふと視線をソファーへと移した。
また、いつものように、ソファーを使って、
居眠りをしていると思い、そっと麻衣の
顔を覗き込んだナルは、次の瞬間
慌てて麻衣を抱き締めた。
麻衣は、息をしていなかった。
麻衣を失ってしまう恐怖に、
ナルは半分パニック状態になる。
「麻衣!麻衣!!」
既に息をしていない事は
明らかで、そんな事をしても
無意味であると、無駄を一番嫌う
はずのナルは、知っているはずなのに、
それでも、ナルは麻衣の名を呼び続けた。
「麻衣!!」
何度目かの呼び声で、
麻衣の身体がピクリと反応する。
そして、漸く麻衣は息をし始めた事に
気付き、ナルは安堵の溜息を漏らす。
「一体・・・・どうしたんだ・・・。」
だが、次の瞬間、麻衣を抱き締めている事実に
漸く気付いたナルは、麻衣を起こさないように、
そっとソファー横たわらせると、
じっと麻衣の寝顔を見つめた。
「麻衣・・・?」
不安そうに呼びかけるナルの声に答えるかのように、
ゆっくりと麻衣の瞼が開かれる。
麻衣の鳶色の瞳を見た瞬間、
ナルは嬉しさの不覚にも眼の奥が
熱くなるのを感じた。
「どうした?麻衣?」
自然微笑みながら問い掛けるナルを、
麻衣はただ黙って見つめていた。
「・・・・麻衣?」
そこで漸く麻衣の様子がまだおかしいことに
気付いたナルは、軽く麻衣の身体を揺する。
「どうした?麻衣?」
しかし、麻衣は焦点の合わない瞳を
ナルに向けていた。
「麻衣!しっかりしろ!」
まるで人形のような麻衣に、
ナルは、軽く頬を叩く。
「麻衣!!」
途端、ピクリと麻衣の身体が反応すると、
やがてその瞳に、徐々に意識の光が
宿り始めると、2・3瞬きをした麻衣は、
不思議そうにナルを見つめた。
「ナール!どんな紅茶が飲みたい?」
いきなり背後から麻衣の声が聞こえ、
考えに没頭していたナルは
ハッと我に返ると、慌てて
背後を振り返った。
「ナル?」
不思議そうに首を傾げる麻衣に、
ナルは内心の動揺を悟られないように、
抑揚のない声でポツリと呟いた。
「・・・・飲めるのであれば、何でもいい・・・。」
極度の精神的疲労を感じ、
落ち着ける為にも早く
紅茶を欲したナルの言葉を聞いた途端、
事情を知らない麻衣の頬がどんどん膨れていく。
「なっ!!何よ!その言い方!
失礼しちゃう!いっっっっっっつも、
心を込めて淹れてあげているのに!」
麻衣の<心を込めて>という台詞に、
ナルの胸はズキリと痛んだ。
「・・・・・谷山さん。お湯が沸いたようですよ。」
給湯室から聞こえるケトルの音に、
ナルは溜息を付きつつ、そう麻衣に教える。
「えっ!しまった!!」
慌てて給湯室に戻る麻衣の後ろ姿を
見つめながら、ナルは知らず唇を噛み締める。
“心を込めてだと・・・・?”
ナルは自嘲した笑みを口元に浮かべた。
“お前が好きなのは、ジーンだ・・・。
・・・・・・僕ではない。僕ではなかった。
・・・・・・・・僕でありたかったのに・・・。”
ナルの心に深い闇が広がり始めた。
◇◇◇◇◇◇◇
「全く!失礼しちゃう!ナルったら!!」
口では悪態を付きながらも、手は
丁寧にポットに秘蔵の茶葉を入れる。
「折角・・・・・。心を込めていれているのに・・・。」
ポツリと呟きながら、ティーポットに
お湯を注ぐと、砂時計をセットする。
サラサラと落ちる落ちる砂を見つめながら、
麻衣は落ち込む心を持て余していた。
「ナルの馬鹿・・・・。」
ジワリと視界が歪んでくる事に気付き、
麻衣は慌てて眼を抑えた。
ナルにだけは、絶対に泣いた事を、悟られたくない。
シャラ・・・・ン
その時、麻衣の脳裏に≪夢≫で聴いた≪鈴≫の音が
聞こえたような気がして、麻衣は反射的に
振り返った。
◇◇◇◇◇◇◇
「ここって、渋谷サイキックリサーチ・・・ですよ・・・・ね・・・?
その時丁度、ドアを少し開けて、覗き込むような形で、
恐る恐る依頼人は、顔を出していた。
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