青龍の章  (2)  依頼人

 

             「私、鬼柳(きりゅう)朔夜と言います。」
            依頼人は、にっこりと微笑みながらそう言った。
            それが、私の夢の始まりであり、現実の終わりだった・・・・・・。

  

            「ここって、渋谷サイキックリサーチ・・・ですよ・・・・ね・・・?」
            ドアを少し開けて、覗き込むような形で、恐る恐る顔を出した依頼人に
            気付いたナルは、形の良い眉を顰めた。
            見たところ、いつもの【勘違い】依頼人と判断したからだ。
            「看板が見えませんでしたか?」
            溜息と共に呟かれるナルの声に反応したのは、目の前の依頼人では
            なく、お客が来た事に気付いて、給湯室から出てきた麻衣だった。
            「ったく!ナル!あんたはお客さんになんてこと言うのよ!!」
            麻衣はナルを軽く睨むと、依頼人に安心させるように、微笑んだ。
            「ごめんなさい。礼儀を知らない所長・・・・で・・・・・。」
            だが、依頼人の顔を見た瞬間、麻衣の表情が驚愕に眼を見開いた。
            「麻衣?」
            そんな麻衣の様子を訝しげに見ていたナルは、そっと麻衣の名を呼ぶ。
            その声に、ハッと我に返った麻衣は、慌てて依頼人に椅子を勧めた。
            「あ・・えっと・・・・・あの、どうぞ座って下さい。今、お茶を入れますので。」
            「え・・?は・・はい・・・・。」
            依頼人は、パタパタと給湯室に戻っていく麻衣の後ろ姿を、ぼんやりと
            見送りながら、勧められるまま、椅子に腰掛けた。
            「なんで・・・・。」
            給湯室に逃げ込んだ麻衣は、知らず震え出す身体を、抱き締めた。
            「木龍さんが・・・・。」
 



            「で。お話というのは?」
            不機嫌を隠そうともしないナルが、依頼人と向き合う形で
            ソファーに腰を落ち着かせると、ぶっきらぼうに口を開いた。
            そこへ、トレーに人数分の紅茶を乗せて、麻衣が給湯室から
            出てきた。
            「あの・・・・。」
            依頼人の前に紅茶を置く麻衣に、依頼人は首を傾げながら
            尋ねる。
            「顔色、悪いですよ?どうしたんですか?」
            ギクリと、麻衣の動きが一瞬止まる。
            「麻衣?」
            その様子に、ナルは心持ち麻衣に視線を向ける。
            「・・・・だ・・・・大丈夫です。何でも・・・・何でもないんです・・・・。」
            消え入りそうな声でそう呟くと、麻衣は手早く残りの紅茶も
            配り終えると、ナルの隣りに座った。
            「・・・・・・どのような、ご依頼でしょうか?」
            横目でチラリと麻衣の横顔を見つめつつ、ナルは気の進まない
            様子で依頼人に話しかけた。
            「えっと・・・・・。何から話したらいいのかなぁ・・・・・。」
            依頼人は首を傾げながら、麻衣の煎れた紅茶を一口飲む。
            「おいしー!!」
            眼を輝かせながら、依頼人は麻衣の手を握った。
            「すごく美味しいです!!これ、どうやって煎れるんですか?」
            「えっと・・・・。その・・・・・・。」
            期待に眼を輝かせている依頼人の様子に、ただでさえ機嫌の
            悪い、天上天下唯我独尊のナルの機嫌が急速に下がり、
            温度計がマイナスを記録し、なおかつ部屋の中では、
            ブリザートの嵐が巻き起こる。
            「このままお店に出しても、ちっともおかしくないですよ。」
            だが、依頼人の周りは、そこだけ春が訪れたかのように、
            ほんわかと暖かい。
            「・・・・・・・ご用件がないのならば、お引取りを。」
            我慢の限界に達したナルの言葉に、依頼人はハッと我に返ると、
            にっこりと微笑んだ。
            「依頼があるから、ここに来たんですよ?」
            流石に、当初の目的を思い出したのか、依頼人は神妙な
            面持ちで、言葉を繋げた。
            「櫻を・・・・・櫻を斬って欲しいんです。」
            「・・・・・・お引取りを。」
            ナルは溜息をつくと、そのまま所長室へと戻ろうと腰を浮かせた時、
            依頼人は殺気も露に、早口で捲くし立てた。
            「ちょ・・・・ちょっと!話聞く気あるの!?」
            対するナルは、どこまでも冷たい表情で、依頼人を一瞥する。
            ”まずい!!”
            本能的に、危険を察した麻衣だったが、何故か口を挟む気になれず、
            二人の様子を伺う。
            「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
            「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
            「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
            「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
            険悪な雰囲気の中、最初に沈黙を破ったのは、依頼人だった。
            彼女は、溜息をつくと、カバンから1枚の写真を取り出す。
            「・・・・・・これが、問題の”櫻”・・・・・・。」
            テーブルの上に、そっと置かれた写真を、一目見るなり、
            麻衣は身体が震えるのを感じた。
            ”なんて・・・・。なんて禍禍しい・・・・・。”
            見事なる大樹。一見、天然記念物と言われても、誰でも納得
            するような、樹齢数百年は経っているだろう、歴史の古さと
            落ち着きを感じさせている櫻の樹の下、一族の記念撮影なのか、
            老若男女数人が、緊張した面持ちで立っている写真だった。
            だが、麻衣には、櫻が人間を取り込もうとしているようにしか
            見えずに、知らず、震える腕を摩った。
            「・・・・・・流石ですね。”判る”んだ。」
            顔色を無くしていく麻衣に気づいた依頼人は、麻衣に微笑んだ。
            「・・・・・これは?」
            溜息をつきつつ、再びソファーに腰を降ろしたナルは、テーブルの
            上に置かれた写真を手に取ると、抑揚のない声で、依頼人に
            話の続きを促した。
            「・・・・・俗に”櫻”と言われるもの。とでも答えておきましょうか。」
            依頼人は、ナルに挑戦的な笑みを浮かべた。
            「僕が聞いているのは・・・・・・。」
            珍しく声を荒げるナルの言葉を遮って、麻衣は呟く。
            「櫻・・・・・。」
            「麻衣?」
            焦点が合っていない瞳を、麻衣はナルに向けた。
            「櫻が人を取り込む・・・・・・・んでしょう?」
            そして、次に依頼人の方を向く。
            「違いますか?」
            麻衣の言葉に、やはりとも残念ともつかない表情を、一瞬見せた
            依頼人だったが、溜息をつきながら、きっぱりと頷いた。
            「ええ、そうです。この”櫻”は、”花”を咲かせる為に、
            人を取り込むんです。そして・・・・・・。」
            依頼人は、ナルの手にした写真を指差し、言葉を繋げた。
            「そこに写っている人達は、全て”櫻”の”贄”なんです。」
            依頼人の言葉に、ナルはもう一度手の中の写真を見る。
            「贄・・・・・・・ですか?」
            「ええ。人が消える度に、その”櫻”は見事な花を咲かせるんです。」
            ナルは、写真と依頼人を見比べると、写真をテーブルの上に戻し、
            ある一点を指した。
            「あなたも贄なのですか?」
            ナルの指先にある人物。それは目の前の依頼人だった。
            だが、依頼人は悲しそうに頭を払う。
            「いいえ・・・・・・。それは私ではありません。それは私の
            双子の妹、春子です・・・・・・。」
            その言葉に、俯く依頼人を凝視する麻衣の横顔を、ナルは
            横目でチラリと見る。
            「そう言えば、まだ名乗ってなかったですね。」
            ハンカチで目頭を押さえていた依頼人は、顔を上げると、
            にっこり微笑みながら言った。
            「私、鬼柳(きりゅう)朔夜と言います。」
            「きりゅう・・・・・?」
            驚きを隠せない麻衣に、依頼人は頷いた。
            「ええ。鬼に柳と書いて、きりゅうです。妹は本家に養女に出たので、
            木の龍と書く、きりゅうでしたが。」
            「養女・・・・・?」
            朔夜の言葉に、ナルが反応する。
            「ええ・・・・・。ちょっとそこの事情は、詳しく語れないんですけど。」
            「判りました。」
            ナルは、写真を依頼人に返しながら言った。
            「折角お越し頂いたのですが、どうやら管轄外のようです。
            櫻の樹を切りたいのであれば、業者に頼んだ方が
            宜しいでしょう。それと、捜索願は、警察にお届け下さい。」
            ナルは立ち上がると、扉を開いた。
            「麻衣、お客様がお帰りだ。」
            そして、自分はそのまま所長室へと姿を消した。
            取り残された二人は、思わず顔を見合わせてしまった。
            「おたくの所長って、いつもあんな感じ?」
            「はははははは・・・・・。すみません。」
            ぎこちない笑みを浮かべて笑う麻衣に、朔夜は、真剣な
            面持ちに返ると、麻衣をじっと見つめた。
            「【麻衣さんだけ】でも、【来て】くれないかなぁ。」
            「へっ?あたし!?」
            驚く麻衣に、朔夜はこくりと頷いた。
            「あ・・・・あたしは駄目だよ!!だって、ただのお茶汲みのバイト
            だし!役立たずだし!!」
            慌てて断る麻衣に、朔夜は必死の形相で言い募る。
            「だって、麻衣さん。”櫻”の事、判ったじゃないですかっ!!」
            そこで、朔夜は思い出したかのように、カバンからメモを取り出すと、
            何事か書きつけて、無理矢理、麻衣の手に握らせた。
            「これ、うちの住所と電話番号。もしも気が変わったら、【来て】
            下さいね!!」
            そして、そのまま逃げるように、ドアの外へ駆け出して行く。茫然と
            後を見送った麻衣は、ハッと気づいたように、手の中のメモを、
            困りきった表情で見つめた。






            シャラ・・・・・・・ン・・・・・・・・・・・・・・。






                 どこかで、鈴の音が悲しげに鳴り、そして闇に消えていった。












          「朔夜。」
          オフィスから飛び出した朔夜の背後から、声を掛けた者がいた。
          朔夜が振り返ると、街路樹に背を預けた若者が、軽く片手を上げて
          立っていた。
          「・・・・・・・神取(かとり)か。何?」
          神取と呼ばれた青年は、肩を竦ませると、渋谷サイキックリサーチの
          窓を見上げた。
          「何とはご挨拶だな。”秘女(ひめ)”の様子はどうだ?」
          「・・・・・・・・・。」
          何も答えず、スタスタと歩き出す朔夜を、慌てるでもなく、クスリと
          笑いながら、神取は後を追う。
          「・・・・・・元気だよ。」
          ポツリと呟く朔夜に、神取は短くそうかと答えた。
          「封印が解かれかかってた。」
          そこで立ち止まると、朔夜はくるりと、後ろから付いて来る
          神取を振り返った。
          「言霊をかけておいたから、近いうちに来てくれると思う。
          でも・・・・・。」
          何か気にかかるのか、朔夜は言い澱む。
          「何か気に掛かることでも?」
          「所長・・・・・。オリヴァー・デイビス博士が、邪魔になるわ。」
          「・・・・・・だが、これは既に”決められた”ことだ。今更、
          どうすることも出来ない。」
          「そうね・・・・・。」
          溜息をつくと、朔夜は顔を空に向けた。どこまでも続く青い空を、
          飛行機雲が横切って、太陽を隠していった。









             

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