青龍の章

                (4) 樹姫

 

              「逢いたかったよ。麻衣。」
              ジーンは、ゆっくりと麻衣に近づくと、そっと麻衣の方へ
              手を伸ばす。
              「まさか・・・・本当・・・に?」
              信じられないと首を振りながら、麻衣は、一歩前に
              足を踏み出すが、それよりも前にナルの腕を取られ、
              バランスを崩して、ナルの胸に倒れこむ。
              「ごめん!!ナル!!」
              慌ててナルから離れようとする麻衣だったが、ふと
              顔を上げた時に見たナルの顔を見た瞬間、驚きに
              息を呑む。
              「ナ・・・ナル?」
              何故こんな表情をするのだろうか。
              確かに、死んだと思った人間が目の前に現れたら、
              警戒するだろう。
              しかし、これは・・・・。
              この、ナルの顔は、警戒している顔ではない。
              そう。私はこの顔を知っている。
              
              


              コノ顔ハ、殺意ヲ抱イタ顔ダ・・・・・・・。



              「ナル!しっかりして!!」
              気がつくと、麻衣は、ナルの顔を叩いていた。
              「麻衣?」
              途端、いつものポーカーフェイスに戻るナルに、
              麻衣は安堵の息を洩らす。途端、麻衣の身体に
              言い知れぬ悪寒が襲い掛かる。
              「ナル・・・櫻に・・・・引き摺られちゃ・・・駄目・・・。」
              何とかそれだけを言うと、麻衣は、ふと後ろを振り返ると、
              問題の櫻をじっと見る。
              心なしか、先程よりも赤味が増したような気がする。
              麻衣の背中に冷たいものが走る。
              どうしたんだろう。
              何故、こんなに身体が重いのだろう。
              どうして、こんなに急に息苦しくなるのだろう・・・・。
              徐々に霞み始める視界に、耐えるように、ギュッと
              眼を瞑ると、以前ジーンが教えてくれた呼吸法を
              試してみる。
              徐々にではあるが、だいぶ呼吸が楽になり、麻衣は
              縋るように、ナルの腕を取る。
              「大丈夫か?麻衣。」
              急に様子がおかしくなった麻衣に、ナルは心霊的なものと
              判断して、じっと成り行きを見守っていたが、自分の腕に
              縋ってくる麻衣に、内心喜びを隠せない。
              そんなナルに、ジーンはクスリと笑う。
              ”随分、人間らしくなったんだね。ナル。”
              でも・・・と、ジーンは唇だけを動かす。
              ”麻衣は君にはあげないよ。”
              ジーンは、ゆっくりと歩き出すと、ナルにしがみ付いている
              麻衣の肩に手を置く。
              「大丈夫だよ。麻衣。もう心配はいらない。”樹(たつき)姫”は、
              鎮まったから。」
              「”樹姫”・・・・?」
              ボンヤリとした眼を、麻衣はジーンへと向ける。
              「ねぇ、麻衣。僕は・・・・・。」
              ジーンの言葉を遮るように、ナルは麻衣の肩に置かれた腕を
              取ると、じっと絶対零度の視線を生み出す、黒曜石の瞳を
              ジーンへと向ける。
              「・・・・お前は誰だ。」
              「ユージーン・デイビス。君の兄だよ。」
              にっこりと微笑むジーンに、ナルの瞳に剣呑な光が生まれる。
              「ジーンは死んだ。死体も見つけ、今はイギリスで静かに
              眠っている。」
              ナルの言葉に、ジーンは、クスクス笑い出す。
              「では、僕は一体誰なのかな?君と同じ顔のこの僕は。
              他人の空似にしては、似すぎていないか?」
              「・・・・・自分と同じ顔の人間は、世界に三人はいるらしいぞ。」
              警戒も露なナルに、ジーンは肩を竦ませると、今度は、
              まだボンヤリとしている麻衣に、顔を向けた。
              「麻衣は、僕がジーンだと、信じてくれるよね?」
              「・・・・・・・・。」
              ジーンの言葉に、ナルは麻衣の顔を見る。
              「麻衣!?」
              表情を失くした麻衣が、じっと鳶色の瞳を、ジーンに向けていた。
              「・・・・ジーン?」
              ポツリと呟かれる麻衣の言葉に、ジーンは嬉しそうな顔で
              頷く。そんなジーンに、麻衣は覚束無い足取りで、ゆっくりと
              近づく。
              「よせ!!麻衣!!」
              慌てて麻衣を引き止めようとするが、まるで見えない壁に
              挟まれたかのように、ナルは一歩も動く事が出来ない。
              麻衣の向こう側では、ジーンは勝ち誇った笑みを浮かべており、
              それが一層、ナルの不信感を募らせた。
              「お前はジーンじゃない!!ジーンなら・・・・・。」
              「ジーンなら何?第一、ナルは僕の何を理解しているのかな?
              他人には、トコトン興味がない、オリヴァー・デイビス君?
              君が知っているというユージーン・デイビスだって、君が
              自分に都合よく作り上げただけじゃないか。」
              静かな口調のジーンに、ナルは、ハッと息を呑む。
              「さぁ、麻衣、行こう・・・・・。」
              ジーンは麻衣に手を差し伸べる。
              「・・・めろ・・・・・。止めろ!ジーン!!麻衣に触るなっ!!」
              ナルは渾身の力を持って、目の前の見えない壁に、PKを
              集中させる。徐々に熱を帯びてくる右手が、確実に目の前の
              障害を粉砕させる力の存在を、知らしめる。その事にいち早く
              気づいたジーンは、ハッとした顔でナルを見る。
              「ナル!!死ぬ気かっ!!」
              本気で心配しているジーンの顔に、ナルは小さく笑う。
              「ジーン。もしも僕の敵に回るなら・・・・・・・。」
              お前だって容赦はしない!!
              ナルがより一層力に集中した時、それは起った。
              まるでナルの心に呼応したように、何処からともなく出現した
              櫻の花片が、麻衣の身体を取り囲むように、宙を舞う。
              「しまった!”樹姫”かっ!!」
              舌打ちするジーンに、ナルは、ハッと我に返ると、櫻吹雪の
              舞い散る中、ぐったりとした麻衣を抱き抱えるように、
              1人の少女が立っていた。
              ”・・・・・・・・。”
              唇だけ動かして、少女は妖艶に微笑む。
              「なんだと?」
              眼を細めるナルを、少女は面白そうに微笑むと、今度は
              先程よりゆっくりと、唇を動かす。
              ”追・イ・掛・ケ・テ・来・イ。”
              麻衣と共に消えつつある姿に、ナルは賢明に手を伸ばす。
              だが、ナルの手が2人に触れる寸前で、少女を中心に突風
              が吹き荒れ、ナルに向かって、容赦なく櫻の花片が襲い掛かる。
              「麻衣!!」
              全てが収まった頃、麻衣の姿は完全に掻き消されていた。

              

             

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