華胥の夢      




                        第一話



   「どうしたものか・・・・・。」
   その日、新撰組局長である、近藤勇は悩んでいた。
   どれほど悩んでいたというと、いつもは、笑顔を絶やさない彼の眉間の皺が、
   自分の右腕である、副長かと見紛うほどに、くっきりはっきりと寄っているだけでなく、
   意味もなく部屋の中をウロウロウロと歩き回っているほどである。
   「それにしても、トシも水臭いではないか!この俺に、こんな大事な事を
   隠しているなど!俺は、そんなに頼りにならない男なのか!?」
   クーッと滂沱の涙を流しながら、キッと天井を仰ぎ見る。
   「いやいや、トシの事だ。きっと、新撰組第一と考えとるから、
   己の事は二の次三の次どころか、全く頓着しておらぬだけなのであろう・・・・。」
   それも全て俺が不甲斐ないせいだな・・・。
   そう呟きながら、近藤はガックリと肩を落とす。
   「しかし・・・・ここで俺が悩んでいても仕方がない。いや!むしろ俺が率先して
   準備をせねばなるまい!!こうしてはおられんぞ!!」
   何を思いついたのか、先ほどまでの暗い表情を一変させ、まるで何かの天啓を受けたかの
   ように、妙に明るい表情で顔を上げると、そのまま軽い足取りで部屋を出ようと
   障子を開けると、廊下の向こうから、井上が歩いてくるのに、気が付いた。
   「ああ、勇さん。夕餉の支度が出来たから、呼びにきたんだよ。」
   穏やかに微笑む井上に、近藤も上機嫌で答える。
   「ああ、それはすまなかった。源さん。ところで、トシはもう出張から、戻ったのかな?」
   「ああ、トシさんなら、先ほど戻ってきたんだが、今は松本先生の所へ行っているよ。」
   井上の言葉に、近藤の眉がピクリと動く。
   「松本先生の所?トシはどこか怪我でもしたのか!?」
   近藤の言葉に、イヤイヤそうじゃなくてだねぇと、井上は頭を払いながら、ハァ〜と
   深いため息をついた。
   「実は、雪村君が、体調が悪くてねぇ・・・・。可哀そうに。きっと季節の変わり目で、
   風邪でも引いたのかもしれないねぇ。今は自室で休ませ・・・・。」
   「何!?それは一大事!!
 雪村君は大丈夫なのか!?
 お腹の子は!?

   井上の言葉を遮ると、近藤は井上の肩をガシッと掴みながら、前後左右に揺らす。
   「い、い、い、一体、勇さんは何を言っているんだね!?」
   ガクガク揺すられながら、懸命に言葉を繋げる井上の様子など気にも留めずに、
   ますます近藤は自分の世界に入り込む。
   「何ということだ!今が一番大事な時だと言うのに!!こうしてはおられん!
   何か滋養のつく物でも買ってこなければ!」
   パッと井上から手を放すと、近藤はそのまま玄関へと突っ走ろうとするが、
   袂を引っ張られて、後ろに倒れそうになる。
   「げ・・・・源さん!一体・・・」
   何を・・・・と、振り向きざま井上に文句を言おうとする近藤だったが、
   井上から放たれる不気味な黒い気(オーラ)に、ヒッと喉を引き攣らせる。
   「勇さん。正直に答えておくれ。今、お腹の子がどうのこうのと聞こえたのだが・・・・。
   まさか、雪村君が身籠ってる・・・・なんてそんな訳ないですよね?」
   フフフフと不気味な笑みを浮かべる井上の後ろに、不動明王と言うより、
   黒い山南の姿を浮かび上がる。
   一瞬、気を失いかけたが、そこは新撰組局長。
   下っ腹に力を入れると、意を決したように、神妙な顔で告げる。
   「実はそうなんだよ。雪村君は懐妊して・・・・。」
   「私の大事な娘の(ように
 思っている)雪村君を、
 手籠めにしたのは、
 一体どこの馬鹿だっ!!

 カッと目を見開いた井上の怒声が、屯所中に響き渡った。