華胥の夢      






                         第三話



        「馬鹿な事だって?トシ・・・・・。大切な事ではないか。」
        ポンと近藤に肩を叩かれ、土方は、剣呑な目を向ける。
        「馬鹿な事じゃねーかよ!何故俺が千鶴と祝言を上げなければならないんだ!!」
        肩に置かれた近藤の手を払いのけるように、右手を上げた土方に、
        今度は、ガシッと井上の両手が土方の肩にかかる。
        「トシさん、今さら照れなくても、万事心得てるよ。」
        ニコニコと上機嫌な井上の様子に、土方ははぁああああああああと大きな溜息をつく。
        「・・・ったく!結納やら何やら・・・・俺と千鶴はそんな仲じゃねぇ!!だいたい、何でそんな
        事実無根の話が出ていやがるんだ!」
        土方の言葉に、思わず近藤と井上は目を見合わせる。
        「・・・・・事実無根だと?そんなはずは・・・・。」
        近藤の言葉に、土方は憮然とした表情で腕を組む。
        「本人が事実無根だと言ってんだ。大体、どっからそんな話を聞いてきたんだよ。近藤さん。」
        「そうなのかい?ただの早とちりだったのかい?」
        井上が泣きそうな顔で、近藤に縋り付く。
        「いや・・・・そんなはずは・・・・。確かな筋からの情報で・・・・。」
        土方と井上からの両方から責められ、近藤はシドロモドロに答える。
        「確かな情報って・・・・大方、総司の奴が嘘を吹き込んだんだろ?だいたい、近藤さんは、
        総司に甘すぎる!何でもかんでも奴の言うことを鵜呑みにしないでくれよ・・・。」
        がくっと肩を落とす土方に、近藤はブンブンと首を横に振る。
        「いや!確かに総司も傍にいたが・・・・その話をしたのは、斎藤君だ。」
        「・・・・・なんだと?」
        ギロリと土方は近藤を睨む。
        「実はな、夕餉に向かおうと、廊下を歩いていたんだが、総司の部屋の中から、
        雪村君のお腹の子の父親がトシだとかなんとかと、いう話し声が聞こえてきたんだ。
        極め付け、あの物静かな斎藤君が、『腹の子は、副長と千鶴の子であるのだから、
        絶対に可愛い!!と、絶叫していたから、俺はてっきり・・・・・・。」
        「あんの野郎ども!!総司!!斎藤!!どこだ!!
        フルフルと肩を震わせながら近藤の話を聞いていた土方は、次の瞬間、キッと顔を上げると、
        怒声と共に廊下を走り出した。





        「あれ?土方さん?どうしたんですかぁ?そんなに慌てて。食事が待ちきれずに、走って来ちゃったんですか?」
        広間に駆け込むと、自分の席についていた総司が土方に気づき、ニヤニヤと意地の悪い笑みを
        浮かべながら、意地汚いですねぇ〜と話しかけてきた。
        「斎藤!!」
        土方は、総司を無視すると、総司の横に静かに座っている斎藤を睨みつける。
        「副長?如何なさいましたか?」
        まさか総司ではなく、自分に怒りを向けてくるとは思っていなかった斎藤は、珍しく戸惑いも露わな顔で、
        土方を見る。
        「斎藤・・・・・。お前、一体俺に何の恨みがあるんだ?」
        「恨み・・・・?」
        訳が分からず首を傾げる斎藤に、土方は顔を引き攣らせる。
        「お前、千鶴の腹の子の父親は、俺だって言いふらしているそうじゃねーか!」
        土方の言葉に、斎藤はポンと手を叩く。そして、徐に目の前の膳を横にずらすと、すっと綺麗な所作で
        深く頭を下げる。
        「副長。この度はおめでとうございます。」
        「ありがとうよ・・・・・じゃなくってだな!どうして、そんな嘘を言うのかって、聞いているんだ!」
        ガーッと吠える土方に、体を起こした斎藤は、如何にも心外だとばかりに、少し憮然は表情で
        口を開く。
        「お言葉ではございますが、副長。私は嘘など申してはおりませんが。」
        その言葉に、更に土方はカッとなる。
        「嘘じゃねぇか!!俺と千鶴の間に、男と女の関係などない!ないのに、やや子が出来る訳が
        ないだろうが!!」
        「いえ!その事ならば心配ご無用です。副長!」
        珍しく上機嫌な斎藤は懐からあるものを取り出す。
        「この、石田散薬さえあれば、たちどころに、ややが授かります!
     
何といっても、石田散薬は万能薬ですから!」
        素晴らしく晴れ晴れとした笑顔で言い切る斎藤に、流石の土方も軽く引く。
        「いや・・・流石に石田散薬では、子供は出来ないと思うぞ・・・・・・って、待て!斎藤!!
        お前、千鶴に酒を飲ませたのか!?千鶴の具合が悪いのは、そのせいじゃあ・・・・・。」
        ぎょっとして、慌てて斎藤に詰め寄ろうとした時、後ろから呆れた声が聞こえた。
        「何やら、騒がしいと思ったら、騒動の中心は、土方君か・・・・。」
        慌てて後ろを振り返ると、そこには、腕を組んで呆れた顔をした松本医師と、その後ろには、
        頬を紅く染めている千鶴の姿があった。
        「・・・・千鶴?具合はもういいのか?」
        先ほどまでグッタリとしてた姿を見ていただけに、土方は心配そうな顔で千鶴に尋ねる。
        「ああ。安心しなさい。母子ともに健康だよ。土方君。」
        何故か頬を赤く染めてモジモジしている千鶴に代わり、松本がにこにこと満足そうに頷きながら
        土方の問いに答える。
        「・・・・・・・は?今何と?」
        信じられない言葉を、今度は松本から聞き、土方は思わず固まってしまった。そんな土方を
        余所に、何時の間に来たのか、近藤と井上が嬉しそうに千鶴に詰め寄る。
        「雪村君!大したことがなくて、本当に良かった!無事元気なややを産んでくれよ!」
        千鶴の両手を握りしめながら、感動の涙を流す近藤の横では、井上が嬉しそうにウンウンと
        頷いていた。
        「はぁ〜。可哀想な千鶴ちゃん。よりにもよって、お腹の子の父親が土方さんじゃねぇ〜。
        どんなに可愛くない子が生まれるんだか・・・・・。」
        「だから、先ほどから言っているだろう!副長と千鶴の子供なのだから、絶対に可愛いと!!」
        はぁ〜と深いため息をつく総司の横では、斎藤が声を荒げる。
        「千鶴〜。千鶴が人妻に〜。」
        部屋の隅では、平助がまるでお通夜のように暗く、酒を飲みながら一人壁に向かって、
        ブツブツと何か呟いていた。
        「人妻になる前に、母親になったがな。まっ、落ち込むなよ!平助!!」
        そんな平助の隣に陣取っていた永倉が、酒を片手に、バンバンと平助の背中を力いっぱい叩く。
        「それになぁ、女の子だったら、そいつを今度こそ嫁にしちゃえば、いいんじゃないか?」
        平助を挟んで、永倉の反対側に座っていた原田が、永倉のその言葉に、「幼な妻か・・・・。
        男の浪漫だな。」と酒を飲みながら、ニヤリと笑う。
        「・・・・・一体、何がどうなってるんだ・・・。」
        好き勝手に騒ぐ仲間の様子に、土方は途方に暮れたように、辺りを見回すが、ふと真っ赤な顔の
        千鶴に目が合うと、スッと目を細める。
        “大体、こいつが妊娠したから・・・・・・。妊娠!?妊娠だと!?”
        ハッと我に返ると、土方の表情がだんだんと険しくなる。指一本手を出していない自分との間に
        子供が出来るわけがない。だとしたら、一体誰の子供なんだと、土方は怒りも露わな顔で、
        ツカツカと千鶴の元へと歩く。
        「・・・・・おい。千鶴・・・・・。」
        「ひ・・・土方さん!!」
        剣呑な目を向ける土方に、千鶴は頬を紅く染めたまま顔をあげると、ギュッと土方の両手を握りしめた。
        「わ・・・私!丈夫なややを産むように、頑張ります!!」
        そう言って、ふんわりと微笑む千鶴の顔が、今まで見た中で一番綺麗だった為、思わず土方は見惚れて
        しまった。その一瞬の隙をついて、近藤と井上が両脇から土方の腕を掴むと、そのままずるずると
        上座へと歩いていく。
        「よ〜し!今日は前祝だ!!みんな!盛大に飲んでくれ!!」
        上機嫌な近藤の言葉に、土方は慌てる。
        「ちょっと!待てって!近藤さん!これおかしいだろう!!俺の話も・・・・。」
        「トシさん!私は嬉しいよ!本当に嬉しい!!今日は私もトコトン飲むからね!!」
        グシグシと片腕で拭いながら、井上は感極まったように、ぎゅうううううううと土方の腕を掴む手に
        力を込める。
        「痛い!痛いって!源さん!!
   
・・・ったく!いい加減にしやがれ!!

       









       「いい加減にしやがれ!!
       自分の怒鳴り声に、ハッと目を開けると、目の前には、見慣れた天井が飛び込んできて、
       土方は慌てて身体を起こした。
       「・・・・・ったく。夢かよ・・・・。勘弁してくれ・・・・・。」
       いつもの自分の部屋だと気づくと、土方は、片手で顔を覆うと、深いため息をついた。
       「なんだって・・・あんな夢を・・・・・。」
       そこでふと昨夜は、珍しく近藤と井上の三人で、島原に飲みに行った事を思い出した。
       確か何かの話から、二人から早く結婚しろと責められ、土方は早々と屯所に逃げ出したのだった。
       「・・・・・まさかそれだけで、あんな夢を見ちまうとは・・・・。」
       穴があったら入りたい。どうして、祝言も何もかもを吹っ飛ばして、子供が出来た夢を見てしまった
       のだろうか。しかも、相手は千鶴である。
       「・・・・確かに、千鶴は可愛い。可愛いんだが・・・・・・。」
       歳が離れすぎだろうが・・・・・。
       寂しそうに、ポツリと呟きながら、ドドーンと落ち込む土方に、障子の向こうから、オズオズとした
       声が聞こえ、思わず顔を上げた。
       「土方さん?雪村です。・・・・起きていらっしゃいますか?」
       「あ・・・ああ・・・。お・・起きてる。起きてるぞ!!」
       まさか千鶴がやって来るとは思ってもみなかった為、土方が動揺も露わに布団から
       立ち上がろうとしたが、慌てていた為、思いっきり着物の裾を踏んづけ、畳に顔面ごと突っ込んだ。
       「土方さん!?どうしたんですか!開けますね!!」
       転んだ時の大きな音に、廊下にいた千鶴が驚いて障子を開けると、そこには、俯せになって、
       倒れている土方の姿があった。
       「きゃあああああ!!土方さん!!」
       慌てて部屋に入ると、千鶴は土方を抱き起す。
       「ちょっと滑っただけだ。だいじょう・・・・ぶ・・・・。」
       抱き起した際、至近距離で目があってしまい、思わず二人はそのまま固まる。
       「・・・・あ・・・その・・・・すまなかったな。」
       いち早く我に返った土方は、頬を紅く染めたまま、千鶴から身体を起こすと、そっと視線を逸らしながら、
       ぶっきらぼうに言った。
       「え・・・。いえ・・・。私こそ、すみません。差し出た真似を・・・・。」
       真っ赤になって俯く千鶴に、漸く落ち着いてきた土方は、フッと表情を緩めると、ポンポンと千鶴の
       頭を叩く。
       「俺の方こそすまなかったな。さて、朝餉だろ?着替えたら行くから、先に行っていてくれ。」
       「は・・・はい!」
       ニッコリと微笑む千鶴に、先ほど見た夢の中の千鶴の笑顔が重なり、土方は思わずそのまま押し倒し
       そうになるのを、気力で堪える。
       “可愛い・・・・。可愛すぎだ!千鶴!!”
       「では、先に行っております。」
       土方の心の葛藤など知らない千鶴は、笑みを浮かべながらスッと両手をついて頭を下げた後、部屋を出ようと
       腰を浮かせた時、遠くの方から聞こえてくる地響きに、不安そうに土方に顔を向ける。
       「ひ・・・土方さん・・・。あの音・・・・。」
       「千鶴!俺の後ろに隠れていろ!!」
       何時の間に手にしたのか、愛刀の和泉守兼定を持った土方は、千鶴の腕を取ると、自分の背へと庇う。
       それと同時に、スパーンと障子が開けられ、そこには、憤怒の表情の近藤と井上の姿があった。
       「近藤さんに、井上さん・・・・・・?」
       ひょっこりと土方の後ろから顔だけ出した千鶴は、よく知る人物に、ホッと表情を和らげた。
       「おはようございます。近藤さん。井上さん。」
       律儀に、手をついて朝の挨拶をする千鶴に、井上は何も言わずに、ツカツカと近づくと、土方の身体を
       思いっきり蹴飛ばし、唖然としている千鶴の身体を抱きしめた。
       「い・・・井上さん!?」
       温厚な井上の荒々しい態度に、ぎゅううううううと抱きしめられた千鶴は、驚きに固まる。
       「雪村君!!私がもっとしっかりと見張っていたら、こんな事にはならなかったのに!!すまないねぇ!!
       許してほしい!!」
       井上の号泣に、訳がわからず、千鶴は困惑の目を近藤に向けるが、近藤はというと、怒りを纏った無表情で、
       ただ静かに土方を見つめていた。
       「ったく!一体なんだって言うんだ・・・・・。」
       いきなりの事に、受け身すら取れなかった土方が、身体を起こした瞬間、スッと近藤が動いた。
       「・・・・・・・源さんと言い、近藤さんと言い・・・・。これは一体何の真似だ?」
       次の瞬間、自分の喉元に虎徹を突き付けている近藤に、土方の目が細められる。
       「・・・・トシ。覚悟はできているな。」
       近藤は目をスッと細めると、徐に刀を上段に構えた。





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