華胥の夢
第八話
「「・・・・・・あっ。」」
千鶴が人数分のお茶を持って広間に戻ってくると、丁度自室から広間へとやってきた
土方と鉢合わせになった。
「・・・・・千鶴。」
「・・・・・土方さん・・・。」
先ほどの事があり、どう声を掛けてよいか分からず、思わず頬を染めてお互いを見つめ合う
事数秒、いきなりガラリと広間の障子がガラリと開くのに、二人はビクリと肩を揺らす。
「・・・・何見つめ合っているんですか?二人とも。」
「・・・・なんでもねぇよ!」
中から顔を出したのは、もっとも会いたくなかった総司だと気づいた土方は、これ以上何か
言われまいと、さっと目を逸らせながら、総司を押しのけるようにして、広間に入る。
そんな土方の態度に、総司はクスリと笑うと、未だ呆けている千鶴に優しく微笑むと、手に
持っているお盆ごとお茶を受け取る。
「あ・・・あの!!」
お盆を奪われ、一瞬で我に返った千鶴は、総司から奪い返そうとするが、そんな彼女の手を
ヒラリと避けた総司は、器用にお盆を片手に持ち、空いた方の手を千鶴の背に添える。
「お茶は僕が配るから、君はさっさと朝餉を食べちゃえば?」
そう言って、総司はさっさと皆にお茶を配り始める。
「でも・・・それでは、沖田さんに申し訳ないです・・・・。」
「遠慮すんなよ!千鶴!」
申し訳なさそうに、小さくなる千鶴に、気にするなと、平助は笑いながら手招きをする。
「・・・・・では、お言葉に甘えて・・・。沖田さん。ありがとうございます。」
千鶴はペコリと頭を下げると、自分の席へと座る。
「・・・・あれ?」
頂きますと、手を合わせて食べようとするが、自分のお膳を見て、一瞬動きを止める。
「?どうした?千鶴。・・・・・・・・・・・総司!!」
固まる千鶴に、訝しげな視線を向けた斎藤が、ふと千鶴の膳を一目見るなり、総司を
怒鳴りつけた。
「何?どうかした?一君。」
ニヤニヤ笑いながら、視線だけ斉藤に向ける沖田に、斎藤の冷たい視線が突き刺さる。
「お前、千鶴の魚を食べただろう。それだけではない。他のおかずもほとんどないではないか!」
その言葉に、ギョッとして、一同が千鶴の膳に視線を向ける。
「だって、僕の魚、なかったんだもん。それに、他のおかずを荒らしたのは、新八さんと平助
なんだけど?」
どうして僕だけ叱られなければならないの?とばかりに、悪びれずに肩を竦ませる総司に、
名指しされた新八と平助が猛然と抗議する。
「ちょっと待てって!俺たちは千鶴ちゃんの膳から取ってねぇぞ!!」
「そーだぜ!俺らは、総司の膳から・・・・・。」
「その奪ったおかずが、千鶴ちゃんのなんだけど。」
平然と切り返す総司の言葉に、新八と平助が絶句する。
「・・・・・マジかよ。すまねぇ!千鶴ちゃん!!」
「俺ら知らなくって!ホント、ごめんな!千鶴!!」
二人に頭を下げられ、千鶴は慌てて首を横に振る。
「いえ!私、これで十分ですから!!謝らないでください!!」
「・・・・ったく、いいわけねぇだろうが・・・。おい、千鶴。こっちに来い。」
それまで黙って話を聞いていた土方が千鶴を呼ぶと、まだ手を付けていない焼き魚の
のった皿を傍に寄ってきた千鶴に突き出す。
「ほら。これでも、食っておけ。」
「え!?でも、それって、土方さんのじゃ・・・。」
困惑する千鶴に、土方は苦笑する。
「どうせ俺は一日部屋に籠ってるんだ。そんなに食べなくても大丈夫だ。」
「土方さん、それって・・・・・歳三のまねですか?貢いでもらって良かったね。千鶴ちゃん。」
ニヤニヤと笑う総司に、土方はギロリと横目で睨む。
「元はと言えばお前のせいだろうが!・・・・いいから、ゴチャゴチャ言わずに食いやがれ!!」
ほれともう一度皿を差し出す土方に、千鶴はキッと顔を向けると、キッパリと言い放った。
「いりません。」
「・・・・・なんだと?」
途端、土方の眉が跳ね上がる。突然勃発した土方と千鶴の険悪な雰囲気に、その場にいた
一同は、呆然と事の成り行きを見つめる。
「朝餉は一日の基本です。土方さんには、しっかりと取っていただきます。」
「その言葉、そっくりお前に返すぜ。第一、お前は雑用とかで、一日中動き回っているだろうが。
朝餉をしっかり食べなければいけないのは、お前の方だ。」
土方の鋭い眼光にも怯まず、千鶴はきゅっと膝の上の両手を握ると、厳しい目を向けた。
「いいえ!私は常日頃から、十分な量を頂いておりますので、一食分くらい多少少なくても
大丈夫です。ですが、土方さんは違います。」
そこで言葉を区切ると、千鶴は涙を堪えるかのように、顔を歪ませた。
「ここ最近の土方さんの生活は酷すぎます!仕事がお忙しいのは分かっております。しかし、
それで食事を抜かれる事など日常茶飯事。昨夜も遅くまでお仕事をなさっていましたし・・・・・。
このままでは、土方さん、倒れられてしまいます。」
「・・・・・千鶴。」
堪えきれずポタポタと涙を流す千鶴に、土方は息を呑む。
「どうか、お願いします。毎食とは申しません。取れる時だけでも結構ですので、どうか
きちんとお食事をなさって下さい。」
この通りですと深々と頭を下げる千鶴と、近藤達の非難を込めた視線に、土方は居たたまれなさを
感じ、誤魔化すように咳払いをする。
「その・・・なんだ。お前の言いたいことは分かった。しかし!!それとこれとは話は別だ。」
土方は魚を半分に割って一方を自分の茶碗の上に乗せると、残った方のお皿に、里芋の煮物
やら、漬物やらを手早く乗せ、再び千鶴の方に差し出す。」
「・・・・土方さん?」
キョトンとなる千鶴に、土方は優しく微笑む。
「女には腹を空かさせ、てめぇだけのうのうと飯を食うほど、俺は酷い人間じゃねぇつもりだ。」
「!!土方さんは優しい人です!!」
酷い人間という言葉に、千鶴は慌てて声を荒げる。
「だと思ってくれているなら・・・・・・半分だけでも食べてくれねぇか?」
「・・・・土方さん。ありがとうございます・・・・。」
更に優しく微笑まれ、千鶴は真っ赤になって思わずお皿を受け取る。漸く緊張の取れた雰囲気に、
一同は揃って息をつく。
「あ・・・その・・本当に悪かった。千鶴ちゃん。」
お皿を持って、自分の席に戻った千鶴に、新八が頭を下げる。
「いいえ!本当に大丈夫ですよ?あまり気にしないでください。」
ニッコリと微笑む千鶴に、平助も済まなそうに頭を下げる。
「本当にごめん。千鶴。」
そこで、パッと何かを考え付いたのか、平助は勢いよく顔を上げると、ニパッと千鶴に笑いかける。
「そうだ!それ食べ終わったら、外へ行かないか?俺、お詫びに団子でも何でも奢るからさ!」
「千鶴ちゃん。俺も一緒に行って何か奢るよ!何がいいか?」
平助の言葉に、新八も俺もと名乗りを上げる。そんな二人に、総司が水を差す。
「あれ?新八さんと平助、この後、巡察じゃなかったけ?」
「「・・・・・あっ。」」
すっかり忘れていたのか、新八と平助が気まずそうに顔を見合わせる。
「じゃあさ!巡察の帰りに何か買ってくるよ!何がいい?団子か?それとも、饅頭か?」
「おう!俺も何か帰りに買って来るぜ!!」
それでも、千鶴の為に何かしたいと言う平助と新八に、千鶴は優しく微笑む。
「ありがとうございます。お二人とも。ですが、私の事よりもお仕事を第一に考えてください。
お二人が笑顔で帰ってきてくれる事が、私にとって、一番のお土産なんです。」
「・・・・・千鶴。」
「・・・・千鶴ちゃん。」
ニコニコと微笑む千鶴に、頬を紅く染める平助と新八の三人だけの世界に、面白くないと思ったのか、
原田が横から口を挟む。
「じゃあ、千鶴は俺と出かけるか。旨いって評判の団子屋を知っているんだ。そこに・・・・。」
「左之さんは、夜の巡察が終わったばかりなんだから、この後、寝るって言ってませんでした?」
原田の言葉を遮るように、総司が薄ら笑いを浮かべながら口を開く。
「えっ!!そうなんですか!!駄目ですよ!原田さん!ちゃんとお休みしなくては!!」
人一倍健康に煩い千鶴が、その言葉を聞きとがめ、原田に食って掛かる。
「・・・いや、俺はそんなにヤワじゃねぇよ。だから・・・・。」
千鶴の剣幕に、シドロモドロに弁解しようとするが、千鶴には通用しない。
「原田さん!父様が言っていました。睡眠時間は大事だと。寝不足ですと、疲れが溜まりやすくなり、
病気になってしまいます!!」
力説する千鶴に、横に座っていた斎藤も大きく頷く。
「そうだな。千鶴の言う通り、常に体調は万全に整えておくべきだろう。左之、心配せずとも、
千鶴には俺が付いて行こう。俺は今日は一日非番だから何の問題もない。だから、安心して・・・・・。」
休むと良いという言葉は、またしても、総司の言葉に遮られた。
「あっれぇえええ?確か、一君、今日一日、平隊士をシゴクとか言ってたんじゃなかったっけ?
最近、弛んでいる輩が多いからシゴクようにって、
土方さん直々に命じられてたじゃない。」
「・・・・・・・総司ィィィィ。」
あと少しの所で千鶴と出かけられると思っていただけに、横槍を入れられ斎藤が怒りの為に、
肩を震わせる。土方本人を目の前に、まさかそんな事はないとは言えず、斎藤は
悔しそうに総司を睨みつける。
「さって、これで邪魔者はいないっと♪そんな訳で、千鶴ちゃんは僕と出かけようね〜。
どこに行こうか〜。何して遊ぶ?」
フフフと不気味に笑う総司の姿は、まるでネズミをいたぶる猫そのもの。
思わず身の危険を感じた千鶴は、咄嗟に土方の方を向き、目で訴える。
「・・・・・総司。お前は病み上がりだ。外出は禁止する。」
千鶴の助けを求める瞳に、土方は深いため息をつきながら総司を睨む。
「ええーっ!!もうすっかり良くなったのに!?酷いですよ。土方さんは、千鶴ちゃんが
餓死しても良いって言うんですか?」
むーっと膨れる総司に、千鶴は慌てる。
「沖田さん!?餓死するわけないじゃないですか!!土方さんからも頂きましたし、
十分です!!」
「えーっ。でもぉ、それだけじゃあ、お腹空くよ?」
納得がいかないとばかりの総司に、それまで黙っていた近藤が口を挟む。
「そうだな。それだけでは、流石に気の毒だ。」
「近藤さん!?」
近藤にまで言われ、千鶴はどうしたら良いか、オロオロとし始める。そんな困惑気味の
千鶴に、この機会を逃すものかと、再度原田が口を開く。
「やっぱ俺が千鶴と・・・・・。」
「おお!そうだ!!」
原田の言葉を遮るように、近藤がポンと手を叩いて、土方に笑顔を向ける。
「どうせトシも物足りんだろう。だから、トシと雪村君の二人で出かければ、良いのではないか?」
「・・・・・はぁ!?」
嬉しそうにニコニコと笑う近藤に、土方はギョッとして、危うく味噌汁を吹き出しそうになる。
「うんうん。それがいい。それが一番だ!!」
一人満足げに頷く近藤に、千鶴が慌てて首を横に振る。
「お気持ちは嬉しいのですが、土方さんは忙しい身の上ですので・・・・。そうだ!多少お時間を
頂きますが、これから土方さんのお食事をお作りします!!」
そのまま立ち上がろうとする千鶴に、今度は井上が済まなそうに言った。
「それがだね。もう食材がなくって、この後買い出しに行く予定なんだよ。」
「えっ!!そうなんですか・・・・。では、どうしたら・・・・。」
「・・・・雪村君。」
困惑気味の千鶴に、近藤はスッと真顔に戻ると、じっと千鶴を見つめる。
「は・・はい!なんでしょう。近藤さん。」
ハッと我に返った千鶴は、背筋を伸ばして近藤に顔を向ける。
「・・・・君は、トシが嫌いかね?」
「近藤さん!!アンタは
一体何を言い出すんだ!!」
いきなりの近藤の言葉に、土方は真っ赤な顔で立ち上がると、近藤を怒鳴りつけた。
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