華胥の夢
第十話
「土方さん!今日はどこでお食べになられますか?やはりゆっくりと出来る所が
いいですよね!!」
よほど新撰組の一員と言われた事が嬉しいのか、千鶴は終始ニコニコニコと
嬉しそうに隣を歩いている土方を見上げる。
対する土方は、どこか落ち着きがなく、ソワソワと視線を彷徨わせている。
“チッ!つい千鶴の手を取って歩き出してしまったが、一体どうしたら・・・・。
今更手を放すのも、なんか可哀想だし・・・・。だからと言って、このままじゃ・・・。”
モンモンと考え込んでいる土方に、途中までは嬉しそうな顔をしていた千鶴の顔が、
みるみるうちに曇っていく。ついには、歩みまでも止めてしまった千鶴に漸く気づいた
土方は、怪訝そうに千鶴の顔を覗き込む。
「どうした?具合でも悪くなったか?」
心配する土方に、千鶴はブンブンと首を横に振ると、申し訳なさそうに上目づかいで
見つめる。
“ウッ・・・・その顔は反則だ!千鶴!!”
思わず抱きしめたくなるじゃねーかと、土方は口元を手で覆っていると、するりと
千鶴は握られた手を放した。
「千鶴?」
「申し訳ありません。私じゃ、土方さんを癒すどころか、苛立たせるだけのようで・・・。」
シュンとなる千鶴に、土方は慌てて両肩を掴む。
「誤解だ!!千鶴!!」
「ですが・・・・・。」
ますます俯く千鶴に、土方は頭をガシガシと掻く。
「すまねぇ。仕事柄そうなっちまうんだ。決してお前のせいじゃねーよ。」
「・・・・お仕事ですか?」
顔を上げる千鶴に、土方は優しく微笑む。
「ああ。不逞浪士がいねぇか、つい目で追っちまうんだ。不快な思いをさせて、すまなかったな。」
「いいえ!私こそ気づかずに、失礼しました!」
慌ててペコリと頭を下げると、千鶴も真剣な表情でキョロキョロと視線を動かす。
「千鶴?」
挙動不審な千鶴に、土方は訝しげに声をかける。
「私も、お手伝いを!!」
真剣な表情の千鶴に、土方は堪えきれず吹き出す。
「土方さん!?」
驚く千鶴の頭をポンポン叩くと、土方は笑いながら再び千鶴の手を取って歩き出した。
「お前はそんな事しなくていいんだよ。」
「ですが・・・。」
自分も役に立ちたいと必死で訴える千鶴に、土方はニヤリと笑う。
「ですがも何も、お前、局長から直々に命じられた事があるだろうが。」
「・・・・・命じられたこと・・・ですか?」
訳が分からず首を傾げる千鶴に、土方は意地の悪い笑みを浮かべる。
「なんだぁ?もう忘れちまったのか?局長直々の大切な命令を。」
「えっとぉ・・・・・。」
視線を彷徨わせる千鶴に、ふと悪戯心を刺激され、土方は千鶴の耳元で低く囁いた。
「今日一日、俺と共に過ごし、俺を癒す・・・・だろ?」
息を吹きかけるように囁く土方の声に、千鶴は真っ赤な顔で硬直する。
「さて、行くぞ。千鶴。」
悪戯が成功して機嫌を良くした土方は、千鶴の手を取ったまま、再び歩き出した。
「ご馳走様でした。土方さん。」
ペコリと頭を下げる千鶴に、土方は笑う。
「どうだ?うまかったか?」
「はい!!」
大きく頷く千鶴に、土方は満足そうに頷く。
「まさか、京で江戸のお蕎麦が頂けるなんて、思ってもみませんでしたので、
すごく嬉しいです!!珍しいですよね。江戸ならともかく、京で京の人が江戸風のお蕎麦を
出すなんて。」
「あの蕎麦屋の主は、もともと江戸の生まれなんだよ。」
「そうなんですか?立ち居振る舞いとか、言葉遣いから、てっきり京の方だとばかり・・・・。」
驚く千鶴に、土方は自嘲した笑みを浮かべる。
「昔っから器用な奴だったからな・・・・・。」
小声で呟かれた土方の言葉に、千鶴はえっ?と驚きの声を上げる。
「もしかして、土方のお知り合いの方だったんですか?ちっともそんな素振りがなかったので、
気づきませんでした。」
失礼な事をしたでしょうかと、不安そうな顔になる千鶴に、土方は首を振る。
「流石に、表立って新撰組の副長と知り合いだと知れると、商売がやりづらくなるかも
しれねーからな。これでいいんだよ。」
「でも・・・・・。」
そんなの悲しすぎますと俯く千鶴の髪を、土方はグシャリとかき回す。
「・・・・あいつは、近藤さん達と出会う以前の、所謂、幼馴染っていう間柄だったんだ。」
その言葉に千鶴が顔を上げると、土方は真っ直ぐ前を向きながら、懐かしそうな顔をしていた。
「京に来たばかりの頃、色々とあってな。物事が何もかもうまくいかなくって、自棄になってた時、
たまたまあの店に入ったんだ。俺はその時、よっぽど酷い顔をしてたんだろうな。主は
店の奥の席に俺を座らすと、何も言わずに、さっき食べたのと同じ蕎麦を差し出したんだ。」
土方は苦笑すると、穏やかに微笑みながら千鶴に顔を向けた。
「まさか京で江戸の蕎麦が出てくるなんて、思いもしなかったから、思わず間抜けな顔を主に
向けたら、そしたら、そいつが爆笑してな。そこで、漸くそいつが幼馴染だと気づいたんだ。」
照れる土方に、千鶴は微笑みながら先を促した。
「そこで、色々思い出話に花が咲いてな。それで気持ちが軽くなったというか・・・・・。」
一端息を吐くと、土方は懐かしそうな顔で、店を振り返る。
「あそこは、俺の原点を思い出させるんだ。絶対に武士になれると一途に思っていたガキの俺を
思い出させてくれる。このままで終わらせねぇって、心を奮い立たせてくれる・・・・そんな
場所なんだ。」
「土方さんにとって、新撰組とはまた違った大切な場所なんですね・・・・・。そんな大切な場所に
連れてきて頂いて、本当にありがとうございました。」
土方と同じように店を振り返ってた千鶴は、土方に向き合うと、深々と頭を下げた。
「そんな御大層な場所じゃねーよ。きょ・・・今日はたまたま江戸の蕎麦が食いたかっただけだ!」
頬を紅く染めながら、照れ臭そうに土方はそっぽを向く。そんな土方に、千鶴はクスクス笑う。
「幹部の皆さんもよく、あそこにお見えになるんですか?」
「いや。試衛館の皆は知らねーよ。あいつが江戸風の蕎麦を出すのは、俺だけだからな。人の口にも
あそこで江戸風の蕎麦を出すなんて、上らないはずだ。」
土方の言葉に、千鶴はエッと驚きの声を上げる。
「言ったろ?あんまり新撰組と関わりを持たせたくねぇんだ。あそこは・・・・ただ懐かしい江戸風の
旨い蕎麦を出してくれる店。それだけでいいんだ。」
「土方さん・・・・。」
何か言いたそうな千鶴の頭をポンポンと叩くと、土方は苦笑する。
「そんな顔すんじゃねーよ。さて、今日は一日のんびりするんだろ?どこか行きたい所はないのか?」
「私は・・・・特には・・・・。きゃあ!!」
いきなり背中に冷たい水を掛けられ、千鶴は悲鳴を上げる。
「千鶴!?」
「きゃああ!!申し訳ございません!!」
驚いて振り返ると、そこには、何故か手桶と酌を持った千姫がニコニコと笑いながら立っていた。
「え!?お千ちゃん・・・?」
どうして?と困惑する千鶴の腕を、千姫は強引に引っ張ると、目の前の店の中に入っていく。
「おい!ちょっと待て!!お千!!」
いきなり現れて、千鶴を連れ去る千姫に、土方は慌てて後を追う。
「あら?私、お千じゃありませ〜ん。お万ちゃんで〜す。」
「「は?」」
何を言い出すのかと一瞬呆ける千鶴と土方の一瞬の隙をついて、千姫はまんまと千鶴を店の奥へと
連れ出すのに成功させる。
「おい!ちょっと待てって言ってんだろ!お千!!」
一瞬呆けた土方だったが、次の瞬間、我に返ると、慌てて店の奥へと走り出そうとしたが、その前を
一人の人間が遮るように立ちふさがる。
「お待ち下さい。」
「おめぇは・・・・・・山崎。」
そこには、神妙な顔で頭を下げている新撰組監察方の山崎烝の姿があった。
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