華胥の夢      






                       第十二話



        「・・・・・山崎、俺はこれを見なかった。わかったな?」
        素早く渡された書状を読み終えた土方は、傍らの山崎をギロリと睨むと、
        書状を突き返す。
        「副長・・・・悪あがきはお止めになったほうが、今後の為かと・・・。」
        突き付けられた書状を、山崎は手に取るわけでもなく、ただ困惑気味に
        書状と土方を交互に見る。
        「いいから、受け取れ。山南さんには、副長は見つかりませんでしたとか、
        適当に言っておけ。」
        尚も書状を山崎に押し付けようとする土方に、山崎は観念したように
        深くため息をつくと、首を振った。
        「副長、既に遅いです。」
        「ああ?何がだよ。」
        眉を潜める土方に、山崎は言いづらそうに、小声で耳打ちした。
        「先ほど、千姫君が島田君を使いに走らせました。」
        「なんだと!!何時の間に!」
        空いた口が塞がらない土方に、山崎は、これは口止めされているのですがと、
        断った後で、土方に耳打ちした。
        「どうやら、しっかりと宣伝が出来ているか、後で山南さんが様子を見に来ると
        仰ってました。」
        「なっ!!」
        息を飲む土方に、山崎は気の毒そうな顔を向ける。
        「お役にたてず、申し訳ございません。ただ、こうでもしなければ、雪村君が
        娘姿に戻れないと総長に言われまして・・・・・・。」
        頭を下げる山崎に、土方はため息をつく。
        「すまねぇ。ただの八つ当たりだ。・・・・・・・なぁ、山崎。」
        「なんでしょうか。」
        名を呼ばれ、顔を上げる山崎に、土方は自嘲した笑みを浮かべる。
        「俺は、ただ千鶴を見世物にしたくねぇだけなんだが・・・・・こうでもしねぇと
        千鶴を、娘姿に戻してやれねぇってえのも事実だ。・・・・・情けねぇ話だがな。」
        「・・・・・副長。」
        何と言って良いか分からず、山崎が狼狽えていると、パタパタと軽やかな足音が
        店の奥から近づいてきた。
        「お待たせしました!!何時にもまして、更に千鶴ちゃんが可愛いですよ!!」
        「ちょ!お千ちゃん!!」
        お千に引き摺られるように店に現れた千鶴を一目見るなり、土方と山崎は固まって
        しまった。
        肩の淡い桜色から、裾にかけて紫に変わる生地に、細かい桜花の柄の振り袖姿の千鶴の
        美しさに、土方と山崎は、頬を紅く染めて、食い入るように見つめる。
        「あ・・・あの・・・土方さん?山崎さん?」
        目を大きく開けて、全く動かない男達に、千鶴は不安そうな顔でお千を見る。
        「ね・・ねぇ、お千ちゃん。やっぱり、こんな高価な着物・・・私には似合わないよ・・・。」
        ツンツンとお千の袖を引っ張りながら、千鶴はシュンと項垂れる。そんな千鶴の様子に、
        お千は、慌てて首を振る。
        「何言ってるの!!すごく良く似合ってるわ!!それとも、私の見立て、気に入らない?」
        悲しそうな顔をするお千に、千鶴は慌てて顔を上げる。
        「お千ちゃんの見立ては、すごく素敵だよ!!」
        「でしょう!!この柄を見た瞬間、千鶴ちゃんの顔が浮かんだのよ!ねぇ、土方さんに
        山崎さん、千鶴ちゃん、すっごおおおおく
  良く似合ってますよね?

        クルリンと未だ呆けている土方と山崎に顔を向けると、千鶴に気づかれないように、
        睨みつけた。
        ”ったく!!綺麗だの一言も言えないの!?これだから男って!!”
        お千の殺気立った視線にいち早く我に返った山崎は、慌ててコクコク頷く。
        「良く似合っております!
   お嬢様!!

        「お・・お嬢様!?山崎さん、一体何を言って・・・・・。」
        頬を紅く染め、目をキラキラさせて力いっぱい褒める山崎に、面喰った千鶴は、
        訳が分からずに、土方を見ると、そこには、穏やかな笑みを浮かべた土方がいて、
        そのあまりの優しい笑みに、知らず千鶴の頬が赤く染まる。
        「ああ・・・良く似合っている。千鶴。」
        「あ・・・・ありがとうございます。」
        頬を紅く染めて恥じらう千鶴に、土方の瞳が更に優しく細められる。
        ”もともと気品があるとは思っていたが・・・・・。これほどとは・・・・。”
        女というものは、着るもの一つで、こうも変わってしまうのかと、土方は内心驚いていた。
        今の千鶴の姿を見れば、町娘というよりは、大店の娘、もしくは、かなり身分の高い
        武家の娘だと皆は見るだろう。
        ”元の姿に戻った千鶴に、求婚者が殺到するだろうな・・・・。”
        そこまで思って、ズキリと土方の胸の奥が軋んだ。
        本来ならば、幸せな結婚をしてもおかしくはない歳だと、唐突に気づいたのだ。
        その女の幸せを潰しているのは、他ならぬ自分。
        土方は罪悪感に沈み込みそうになるが、次のお千の言葉に、ハッと我に返った。
        「では、土方さん!千鶴ちゃんに合う簪とか選んでくださいな♪」
        「・・・・・は?」
        一瞬呆ける土方に、お千はにっこりと微笑んだ。
        「うふふふ。折角の逢引きですもの!こういう時は、男の人は簪でも贈るものですよ?」
        「あ・・あ・・あ・・あい・・・逢引きって・・・・。」
        お千の言葉に、真っ赤な顔で絶句する千鶴に、土方はクスリと笑う。
        「そうだな。お前に似合う簪でも小物でも、何でも買ってやる。」
        そう言って、自分に近づいてくる土方に、千鶴は更に真っ赤な顔で呆けたように、ポカーンと
        土方を見つめる。
        「で?どんなのがあるんだ?お千。」
        さり気なく千鶴を自分に引き寄せながら、お千を見る土方に、上機嫌なお千は山崎に
        目くばせをする。それに心得たように山崎は頷くと、既に用意されていた箱をいくつか
        取り出し、土方と千鶴の前に並べ始めた。
        「うわあああ!!」
        目をキラキラさせて楽しそうに品物を見つめる千鶴の横で、土方も感嘆の声を上げる。
        「こりゃあ、見事なものばかりだな。ちぃーと荒削りなところもあるが、熱意が感じられる
        良い品ばかりだ。」
        土方の言葉に、お千は大きく頷く。
        「山南さんからもお聞きかと思いますが、この店は、若い職人さんの為のお店です。」
        「若い職人さん?」
        キョトンと首を傾げる千鶴に、お千は微笑む。
        「修行を終えても、若い職人さんが世に出るというには、なかなか難しいのよ。
        そこで、そういった職人さん達に、材料を提供して、商品を作ってもらうの。
        で、それをこちらで売って、売り上げの四割を職人さんに支払うのよ。
        ちゃんと作者の名前も一緒にお客様に分かるようにするから、ご贔屓を作れるでしょ?
        殆どが一点ものだから、お客さんも店にちょくちょく来るだろうし、若い職人さんの
        作品だから、値段もお手頃に出来るし、職人、店、お客と三方にとって良いことづくし
        なのよ。」
        「なるほどな。自分の腕を試せる場所か・・・・。だから、こんなに気合いが入っているって
        訳か・・・・。」
        土方は感心したように、手近な簪を手に取り、一通り眺めたあと、満足そうに頷いた。
        「土方さんが手にしてる簪は、与平さんの作で、【春の月】という題名がついてます。」
        お千の言葉に、土方はピクリと反応すると、手にした簪を再びじっと見た後、徐にそっと
        千鶴の髪に差す。
        「ああ、良く似合っている。」
        満足そうに頷く土方に、千鶴は照れながらそっと手で簪を触る。
        「千鶴ちゃん、ここに鏡があるわよ♪」
        そのまま簪を取ろうとする千鶴に、お千は鏡を千鶴の前に差し出した。
        「【春の月】・・・・だから、桜とお月様なんですね。」
        鏡に映った自分の髪に差さっている簪には、満月に纏わりつくように、桜の花が沢山ついて
        いるものだった。桜柄の着物を着ているせいか、まるで大好きな桜に,見守られているようで、
        自然千鶴の顔に幸せそうな笑みが浮かぶ。
        「お前は、桜が好きだからな・・・・。よし!これにするか!」
        ニコニコと嬉しそうな千鶴に満足そうに微笑むと、土方はさっさと会計を済ませてしまう。
        「え!ひ・・・土方さん!?」
        慌てる千鶴に、土方は首を傾げる。
        「なんだ?気に入らねぇのか?」
        「いいえ!!すごく気に入りました!」
        ブンブンと首を横に振る土方は呆れたような顔をした。
        「なら、いいじゃねぇか。」
        「そうじゃなくってですね!簪を買っていただく訳には・・・・・。」
        慌てる千鶴の頭を、土方はポンと軽く叩く。
        「お前はそんなに気にしなくてもいいんだよ。俺が買ってやりてぇんだから、大人しく
        貰っておけ。・・・・・・・その・・なんだ。綱道さんが見つかって、お前が娘姿に戻った時、
        またその簪をつけてくれると、俺は嬉しいんだがな。」
        最後の方は、照れなのか、頬を紅くさせて横を向く土方に、千鶴はクスリと笑うと、
        嬉しそうに大きく頷いた。
        「はい!その時は、土方さんに真っ先にお見せしますね!」
        「ああ・・・・楽しみにしている。」
        お互い見つめ合ってニッコリと微笑み合う姿に、その場で忘れ去られたお千と山崎は
        苦笑する。
        「ねぇ・・・山崎さん。うちの店で簪とか買うと、好きな人とより一層仲良くなれるとか、
        そういう噂をばら撒きましょうか。」
        「お千君・・・・・。それだけはご勘弁を・・・・。」
        そんな事を山南に知られれば、またどんな厄介な事が土方と千鶴の元に降りかかる
        事になるのかと、山崎は引き攣った顔で首を横に振った。
      




       
       
      
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