「花束?赤でなければ、何でもいい・・・・・。」
そう言って、最愛の少女は悲しそうに笑った。
「・・・・・・・・困った・・・・。」
ポツリと呟く男に、花屋の主でもある老婦人は、ニコニコと
微笑みながら近づいた。既に一時間以上も
真剣に悩んでいる男を、見るに見かねての事だ。
ここ、『フェスタ・ウエスギ』は、もともと花屋を
営んでいたが、そのうち、常連客のみに配っていた、
ハーブティーが、口コミで広がり、それならばと、
花屋の一角に、小さなカフェをオープンさせたら、
そちらの方が人気になってしまったという、
花屋としては、かなり不本意な結果となってしまった
経緯を持つ店だ。だが、もともとあまり深く考えない
性格なのか、お客が喜べば、それでもいいかと、
店の主は、のほほんとしている。そんな主に、
口の悪い客は、花屋を辞めて、カフェに力を
入れるべきだと言い出すのだが、店主は
ニッコリと微笑みながら、決まって同じ事を言うのだった。
「そりゃあね、カフェが目当ての客の方が
多い事は認めますよ。でも、お茶をただ飲みにくる
のは、味気ないものです。沢山の植物に囲まれるからこそ、
癒されるってものがあると思うんですよ。私の店はね、
ただ花を売るとかお茶を出すのを目的としていないんです。
微力ながら、癒しの空間を提供しているだけなんですよ。」
というのは、建前で、ただ単に私が植物を好きな
だけなんですけどと、にっこりと微笑みながら、老婦人は
お客にハーブティのお代わりを注ぐ。
「ここで、お茶をゆっくり飲んで、ぼんやりと花を眺めていれば
いいんですよ。そして、その時、どれか一つでも花を
気に入ってくれれば、それに勝る幸せはありません。」
その言葉を聞き、人々は、改めて店内を見回す。
どの花を見ても、全て手入れが行き届いており、
見ているだけで、心が癒される。そんな光景に、
知らず感嘆の声を上げる。
それ以来、常連客の間で、まずカフェでお茶を飲みながら、
ゆっくりと花を選ぶというのが、暗黙のルールとなった。
さて、そんな『フェスタ・ウエスギ』に、一人の男が
常連客に名を連ねている。男の名前は、
ロイ・マスタング。中央司令部勤務で、30歳にも
関わらず、既に准将の地位を得ている、言わば、
エリート中のエリートである。その彼が、何故
ここの常連客になったのかは、主すら正確には
わからない。いつの間にか、常連客になっていた
というのが、正しい。
最初の出会いは、10年以上前になる。
まだイシュヴァールとの開戦前で、確かロイが
国家錬金術師になるかならないかくらいの頃だと
記憶している。当時は、まだ普通の花屋で、
親友という男に半ば強引に連れられて来た
ロイは、面白くなさそうに、店の入り口に佇んでいる
だけだった。
「なぁ、なぁ、ロイ!愛しい女神のグレイシアに
似合う花は、どれだと思う?」
頭の中までお花畑に埋め尽くされているのではないだろうか
というくらい、デレデレとした笑顔を向ける親友に、ロイは
ウンザリとした顔で、ヒューズの足元にある、花を
指差す。
「おお!これか!そうだな!あのグレイシアの美しさを
称えるには、この清楚な白百合がいいかもしれん!!
いや、待てよ!あの大輪の花のような微笑みを表現できる、
牡丹も捨てがたい!!いやいや、待て待て、やはりこの俺が
いかにグレイシアを愛しているかということを現すには、
この深紅の薔薇の方が!!」
どれにするか迷うなぁ〜と、ニコニコと物色している親友を
眺めながら、ロイは深いため息をついた。
「花など、どれも同じではないか・・・・。」
さっさと決めてくれと深いため息をつくロイに、スッと差し出される
一杯のハーブティ。
「?」
いきなり目の前に突きつけられた紅茶に、ロイが驚いて
いると、クスクスと忍び笑いが聞こえた。
「・・・・・何か?」
ムッとしているロイに、カップを突き出した老婦人は、ニコニコと
微笑みながら、さり気なくロイにカップを渡す。
「お連れ様は、まだ当分時間が掛かりそうだし、あなた、
疲れているようだから。」
疲れを癒すハーブティよ。と、微笑む老婦人に、ロイは戸惑いを
隠せない。
「いえ。折角ですが・・・・・。」
断ろうとするロイに、老婦人は、どこに持っていたのか、クッキーの
入った小皿も渡す。
「ハーブ入りクッキーなの。甘さ控えめだから、良かったら
召し上がれ?」
ニーッコリと微笑みながら、ロイに椅子を勧め、自分は花の
手入れに戻っていく。そんな老婦人の様子に、最初ロイは
訳も判らずに小さなテーブルにクッキーの入ったお皿を置くと、
おずおずと椅子に腰掛ける。そして、ハーブティを一口
口に含みながら、ぼんやりと老婦人の仕事振りを眺めた。
パチン。
パチン。
老婦人のハサミの音だけが支配するその空間は、驚くほど
心地の良いもので、ロイは気持ち良さそうに、目を閉じていると、
老婦人は、ハサミを動かしながら、ロイに話しかける。
「お客様。花はどれも同じではないわ。人間と同じで、
良く見ると、同じものなど、一つもないのよ。」
その言葉に、ハッと目を開けるロイに、老婦人は、ゆっくりと
立ち上がると、スッと一本の小さな向日葵の花をロイに
差し出す。
「いずれ、あなたにも分かるわ。この白妙向日葵のように、
可愛いあなただけの黄金の天使を見つければ。」
特別な人に特別な花を贈りたくなる気持ちがねと、
片目を瞑る老婦人に、ロイは苦笑する。
「・・・・そうだと良いのですが。」
「うふふふ。私の予言は当たると評判なの。」
早く見つかるようにお守りよと、老婦人はロイに向日葵を
手渡したのだった。
その後、時々ロイは店に訪れるようになったのだが、
相変わらず花には無関心で、女性に贈るという花束を
適当に見繕っていた。そして、風の便りで、イーストシティに
転属となったと聞き、老婦人は、かの地で、ロイだけの
黄金の天使が見つかればいいなと、心密かに思っていた。
そんなある日、老婦人が花に水をやっているとき、店の前を
黒いものが、チョロチョロと行ったり来たりしていることに気づいた。
「あら?何かしら。」
不審に思って、老婦人が店から出て行くと、店の前では、
懐かしい顔が、ウロウロとクマのように、行ったり来たりしていた。
「マスタングさん・・・・?」
驚く老婦人に見つかって、ロイは決まり悪げに、頭を掻きながら
頭を下げる。
「お久し振りです。」
「良くいらっしゃいました。東方司令部に転属されたとお聞き
しましたが・・・・・。」
いつこちらへ?と尋ねる老婦人に、ロイは苦笑しながら首を
横に振る。
「いえ、残念ながら、こちらには、出張でして・・・・・・。」
「まぁ、そうでしたの。でも、お会い出来て嬉しいわ。ゆっくり
していってくださいね?」
ニコニコと微笑む老婦人に、ロイは頬を紅く染めながら、
真剣な表情で言った。
「今日はその・・・・花束を買いに来たのです。」
ロイはそこで言葉を切ると、益々顔を紅くさせて俯いた。
「・・・・特別な花束を・・・・・。」
そのロイの言葉に、老婦人は嬉しそうに目を細める。
「では、見つけられたのですね?」
黄金の天使を。
「・・・・・まだ片思いですが・・・・・。」
幸せそうな顔で大きく頷くロイに、老婦人の目に、
キラリと涙が浮かぶ。
ずっと心配していたのだ。
この世の全てを諦めている男の事を。
「・・・・・それから、あなたに謝りたかったんです。」
ロイは、スッと真顔になると、深く老婦人に頭を
下げる。
「マスタングさん・・・・?」
何故、ロイが自分に頭を下げるのか、理由が分からず
戸惑っている老婦人に、ロイは困ったように微笑んだ。
「初めて私がここに来た時の事を、覚えていらっしゃいますか?」
「ええ。それはもちろん。」
コクンと首を縦に振る老婦人に、ロイはそっと目を伏せる。
「あの時、私は、【花など、どれも同じではないか】と言いました。
いえ、つい最近まで、そう思っていました。しかし・・・・・。」
「そうではなかった?」
老婦人の言葉に、ロイはゆっくりと顔を上げると、愛しそうに
店の花を見つめる。
「彼女を好きだと自覚して、世界がこんなに美しいのだという事を
初めて知りました。そして、その事を教えてくれた彼女に、
花を贈ろうと思ったんです。」
その時に、漸くあなたの言いたい事が分かったんです。
ロイは、そう言うと、店先に並べられた切花に、そっと
手を伸ばす。
「彼女には、どんな花が似合うのか、それを考える
だけで、どうしてこう幸せになれるのでしょうか。
以前、ヒューズがグレイシアへ贈る花束を、長い時間を
かけて選んでいた訳が、漸く判ったんです。」
ロイは、穏やかな眼を老婦人に向ける。
「同じ種類でも、一つ一つ違うのですね。
贈る花の種類を決めても、今度はその中で、一番
綺麗な花をと・・・・・・。」
「花も人も同じです。同じものなどありませんわ。
だからこそ、愛しいのです。」
老婦人は、ニッコリと微笑む。それにロイは微笑み返すと、
照れ臭そうに頭を掻く。
「ですから、彼女への初めての花束は、この店と思って
来たのです。わざわざ中央司令部への用事を作って、
仕事を抜け出してきてしまいました。」
その言葉に、老婦人の目は驚きに見開く。
「まぁ、それは光栄ですわ。」
老婦人は、あの頃のように、ロイに椅子を勧める。
「ハーブティでも飲みながら、ゆっくりと選んでくださいな。
贈りたい人の顔を思い浮かべながら、花を眺めると、
自ずと贈る花が分かるものです。」
では、ハーブティを煎れて来ますねと、老婦人はその場を
後にする。後に残されたロイは、老婦人の言うとおり、
最愛の少女を思い浮かべながら、ゆっくりと店内を
見回す。老婦人の愛情を一身に受けた花達は、どれも
素晴らしく、ロイはこれは選ぶのに苦労するなと、苦笑した
時、ふと、目の端に、愛しい少女の金色を見た気がして、
慌てて視線をそちらに向けた。
「・・・・向日葵か!!」
そこには、初めてここに訪れた時、老婦人にお守りだと
渡された、小さな向日葵があった。
あの時、老婦人は、ロイに黄金の天使が現れると
予言したのだった。
「黄金の天使・・・・まさにその通りだな。」
ロイは穏やかに微笑む。
少女への最初の花束に相応しいと、そう直感したのだった。
「お待たせしてすみません。」
そこへ、タイミング良く、ハーブティを煎れて、老婦人が戻ってきた。
「私の黄金の天使へ、あの向日葵の花束を贈りたいのです。」
ロイは、幸せ一杯の顔で、老婦人に注文した。
それからというもの、ロイは頻繁に店に訪れるようになり、
ロイが正式に中央司令部に異動になった頃には、
『フェスタ・ウエスギ』の常連客となっていたのである。
そのロイが、既に一時間以上も経つのに、まだ
花を決められない事に、見るに見かねた老婦人は、
ロイに話しかけたのだった。
「どういったお花をお探しなのかしら?」
普段は、30分ほどのんびりとハーブティを飲みながら、
花を選ぶのだが、今日はやけに時間をかけている。
よほど特別な想いで相手に贈るのだろう。
案の定、ロイは,照れ臭そうに笑う。
「漸く、彼女の目的が達成したので、自分の気持ちを
告白しようと・・・・・・。」
以前、ロイから片思いの彼女について聴いたことがある。
何か大切な物を探して、全国を旅していると。
その彼女の負担にならないように、今はまだ
自分の気持ちを相手に伝えないのだと、寂しそうに
言っていたのを思い出した老婦人は、漸くロイが
幸せになれるのだと、まるで自分の事のように
嬉しかった。
「でも・・・・贈りたい花は、もう決まっているのでは
なくて?」
一時間、店内の花を眺めているが、必ず視線は、
深紅の薔薇の花に向いている事に気づいた
老婦人は、何故という気持ちが強い。
「・・・・・彼女が言うんです。花束は、赤くなければ
良いと・・・・。」
困ったように言うロイに、老婦人は、まぁと
残念そうに視線を深紅の薔薇へと向ける。
「そう・・・・それなら仕方ないわね。
あの薔薇は、【everlasting LOVE】という、
新種なの。」
告白にはもってこいなのに、残念だわ・・・・と、
いう老婦人の言葉に、ロイはハッとした顔で
深紅の薔薇の花を凝視する。
「【everlasting LOVE】・・・・【永遠の愛】か・・・。」
考え込むロイに気づかず、老婦人は店内を
見回しながら、ピンク色の花に目を向ける。
「そういう理由なら、どうかしら、回りをピンクを基調と
した花で囲って、中央に薔薇のつぼみを入れた
花束にしては。薔薇のつぼみの花言葉は、
【恋の告白】だから・・・・。」
「あれが良いです。」
老婦人の言葉を遮ると、ロイはジッと先ほどの
深紅の薔薇の花を見つめながら言った。
「え?でも・・・・・。」
嫌いな花を贈るのは・・・・と難色を示す老婦人に、
ロイは、どこか吹っ切れた顔でニッコリと微笑む。
「彼女が、何故【赤い花束】を嫌っているのか、
その訳を聞いた事があるんです。彼女は、幼い頃、
母親を亡くしましてね、棺に赤い花束を入れた
そうです。そして、その日から、彼女の中で、
赤い花束は、【終焉】を意味するようになった・・・。」
ロイの言葉に、老婦人は、そうだったの・・・と
居たたまれない気持ちになる。
「では、なおのこと、赤い花束は・・・・・・・。」
辞めた方が・・・・という老婦人に、ロイは
いいえと、首を横に振る。
「だからです。」
ロイの言葉に、老婦人は、ロイを訝しげに見る。
そんな老婦人の様子に、ロイは苦笑した。
「もう【赤い花束】の呪縛から、彼女を解き放って
あげたいんです。」
真剣な表情のロイに、老婦人はふと表情を
和らげる。
「そうね。あなたにしかできないことね・・・・。」
花に携わっている為、出来ればロイの
想い人には、花に嫌な思い出を持って欲しくない。
老婦人のそんな想いを感じ取ったのか、
重苦しい空気を払拭させるかのように、ロイは
明るく笑う。
「もしも、彼女が私の想いに応えてくれたのならば、
あなたに、彼女を紹介しますよ。」
片目を瞑り、自信満々のロイに、漸く老婦人にも
笑みが広がる。
「ええ・・・・。楽しみにお待ちしているわ。」
その時には、とっておきのハーブティを
煎れますねと、微笑む老婦人に、ロイは
嬉しそうに何度も頷いた。